喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

「メイク・ア・ウィッシュ」スタッフの思い

2019-05-31 | 生き方
 今回三崎中学校を訪れていただいた「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」広島支部の方に、
これに関わってきた思いをお尋ねしました。
すると次のようなことを語っていただきました。



「難病を抱える子どもたちにとって、夢を抱くことは、まさに生きる力となります。
病気と闘う子どもたちと関わってきて、人として何が大切かを肌で感じています。
 
 何としてでも、子どもたちの夢を一緒にかなえたいと思うのです。
あきらめるわけにはいきません。
もたもたしているわけにはいきません。
なぜならこの子たちにはタイムリミットがあるからです。
だから時間との闘いなのです。
 
 ボランティアは、一方通行ではありません。
お互いに響き合うこと、共に響くことだと感じています。
 
 もっと多くの支援が必要です。
そのために大切なことは、メイク・ア・ウィッシュについて正しく知ってもらうこと。
そしてつながりを広げていくことだと思っています。

 13年間もつながっていただいている三崎中学校に、心から感謝しています。」




 本当にうれしいお言葉でした。

 夢を持つこと、夢に向かって努力することは、人に勇気を与え、笑顔を輝かせます。
 ひとつでも多くの夢と出会い、ひとりでも多くの笑顔に出会うために、
三崎中学生はこれからも活動していきます。

Make A Wish とは?

2019-05-25 | 生き方
 三崎中学校は、13年前の2006年から「メイク・ア・ウィッシュ」に協力しています。

「メイク・ア・ウィッシュ」とは英語で「ねがいごとをする」という意味のボランティア団体です。
 3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ、
生きるちからや病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立されました。

 メイク・ア・ウィッシュは独立した非営利のボランティア団体で、宗教的、政治的団体ではありません。



 アリゾナで始まったメイク・ア・ウィッシュは、アメリカ全土に広がり、
現在アメリカ国内及び、プエルトリコ、グアムなどに62の拠点があります。
 また、全世界では他の42か国(カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、
ベルギー、アイルランド、チリ、台湾、日本など)に支部を置いて活動しています。

 メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンは、
メイク・ア・ウィッシュ・インターナショナルの正式な支部として、
1992年12月に設立されました。

 ★メイク・ア・ウィッシュの始まり
  メイク・ア・ウィッシュは1980年にアメリカで発足しました。
 アリゾナに住む、クリスという7歳の男の子は警察官になるのが夢でした。
 しかし白血病にかかり、学校に行くこともできなくなってしまいました。


  この少年の話を聞いた警察官たちは、本物そっくりの制服とヘルメットとバッジを用意し、
 クリスを名誉警察官に任命することにしたのです。

  小さな名誉警察官は規則に従って宣誓し、駐車違反の取り締まりもし、
 またヘリコプターに乗って空からの監視もさせてもらいました。
  ミニチュアのバイクのプレゼントされ、クリスは大喜びでした。


  5日後、クリスは亡くなりました。
 警察では、名誉警察官のための葬儀を執り行いました。
 ほんの短い間でしたがクリスは夢がかなったのです。





 5/20(月)、メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン広島支部の方が、
三崎中に来られてこのような話をされました。

 真剣な眼差しで聞き入る生徒たち。

 生徒たちが、活動の原点にふれた瞬間でした。

四国最西端の三崎中学校、赤十字活動を積極的に取り組んでいます

2019-05-25 | 社会
 知っているようで、案外知らないことが多い赤十字について。
赤十字は、世界的な組織で、その支部は全国の都道府県にあります。 

 愛媛県支部の活動としては、昨年の7月豪雨災害救護活動、救急法・健康支援、
講習会の普及、血液事業、保健・医療活動、赤十字奉仕団の活動等、多岐にわたります。



 中学生としては、青少年赤十字の活動が主なものです。
「健康、安全」、「奉仕」、「国際理解、親善」という実践目標のもと、
子どもたちが自ら
「気づき、考え、実行する」という力を育めるよう努めています。

三崎中学校では、環境美化活動、平和学習、気仙沼市立大谷中学校との交流、
メイク・ア・ウィッシュ、高齢者や幼児との交流、保健活動等、たいへん盛んに行われています。




「青少年赤十字の掲示物」

 赤十字の歴史は、今から150年前。
 スイス人実業家のアンリ―・デュナンが、1859年(江戸時代末)仕事の関係で、
イタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノの近くを通りかかりました。
 そこで見たものは、15時間で4万人の死傷者が出るという悲惨な状況。
デュナンはすぐに町の人々や旅人たちと協力して、両陣営の傷病兵を差別なく救護しました。

このときの強烈な体験がもととなり、世界各国に救護のための世界的なルールづくりの必要性
を提案し、大きな反響がありました。
 それを受け、1864年にはスイスのジュネーブ条約で救護組織に関する国際的な取り決めがされ、
国際赤十字組織が誕生することとなりました。

 その貢献が認められ、デュナンは第1回ノーベル平和賞を受賞しています。

 このような歴史も青少年赤十字の登録式のときに学びました。

 まさに、三崎中学校の教育目標
「個性のはっきりした教養ある国際的日本人の育成」
に向けた取組がなされています。

アップル創業者 スティーブ・ジョブズ氏の最後の言葉

2019-05-20 | 生き方
アップル創業者
スティーブ・ジョブズ氏の最後の言葉


私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
   
他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、いま思えば仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、お金と富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。
病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
  
私がずっとプライドを持っていたこと、認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
   
この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。
   
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。


   
今やっと理解したことがある。
   
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、
富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
   
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。
終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。
私のようにね。
   
神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。
   
私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
  
全てはあなたの心の中にある、全てはあなたの手の中にあるのだから世の中で、一番犠牲を払うことになる。
「ベッド」は、何か知っているかい?シックベッド(病床)だよ。


   
あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は見つけることは出来ない。
   
物質的な物はなくなっても、また見つけられる。
しかし、一つだけ、なくなってしまったら、再度見つけられない物がある。
   
人生だよ。
命だよ。
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない本が1冊あったことに気付くんだ。
   
「健康な生活を送る本」

  
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために
あなたの友人のために。
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。


スティーブ・ジョブス
1955年2月24日 - 2011年10月5日



ジョブズが持っていたものを、私は持っていない。

 ジョブズが持っていなかったものを、私は持っている。


                岬人(はなんちゅう)

三崎高校創立60周年記念スローガン  「花橘 未来へ続く 道標」

2019-05-14 | ふるさと
 愛媛県立三崎高校の分校化が見送られた。
その立役者が地元出身の津田先生。

 そのドラマの裏側を熱く、優しく語っている。




「これはただの奇跡ではなく、三崎高校の存続を願い、
アクションを起こしてくれた人々の思いが結実したものである。

 すべての「結果」には、「理由」がある。
 5年前、文科省の土曜活用事業の指定を受け 、土曜日にも学校を開くことになった。
その際、地域と連携した活動を行ってはどうかと思い至った。

 今でこそ、愛媛県で、全国で「高校と地域の連携」が盛んに行われているが、
当時の愛媛県ではまだあまり盛んではなく、突拍子もない提案であったはずだ。
それを、当時の校長先生、教頭先生は快く受け入れ、バックアップしてくださった。

 それからの5年間で多くの先生、生徒、地域の方々に協力していただいて、
三崎高校の「地域おこし」は、今や学校の魅力の1つにまでなっている。
それが今回の、文科省の「地域との協働による高等学校教育改革推進事業(地域魅力化型)」の指定であり、分校化回避につながっていたのだ。
そう、5年前のあの日に、この結果は約束されていたのではないかと思う。
 

 しかし、それは何の努力もなしに手に入ったのではない。
それを現実のものにしたのは、「地域のために何かをしたい」という生徒たちの熱い思いと、それを支えてくださった方々の力だ。
三崎高校の挑戦は次のステージに。

 三崎高校創立60周年記念のスローガンは「花橘 未来へ続く 道標」である。
先輩たちの姿を道標に、みさこう生は三崎高校存続という偉業をやってのけた。
 三崎高校は、来年で創立70周年である。
次の10年、20年に持続可能な高校を作っていくのが、三崎高校の「今」を生きる我々の次のミッションである。

 この最高にワクワクするミッションに我々は取り組んでいく。
みさこう 最高 さあ行こう!
日本で1番の高校を目指して、三崎高校の新たな挑戦が始まります。

 皆さん、一緒にワクワクドキドキしましょう!」



 四国最西端の地で、多くの人が熱く燃えている。
社会を動かすのは、何もすごい人だけではないのだ。
 熱い思いが時代をつくっていく。
まさに令和という時代にふさわしい。


            岬人(はなんちゅう)

分校化が見送られた愛媛県立三崎高校の「奇跡」と新たな「軌跡」

2019-05-13 | ふるさと
花橘等、柑橘の白い花が咲き、何とも言えないさわやかな薫りが漂っています。
 そんな折、「三崎高校の分校化が見送られた」という新聞やニュースを見て、喜びがこみ上げた人は少なくないでしょう。
三崎中学生の兄弟姉妹が多く通い、保護者や地域には三崎高校を卒業した人が多くいるので、目に浮かびます。

 三崎高校の感動のドラマをリアルに伝えてくださった方がいます。
少し長くなりますが、多くの人にこの感動をお伝えしたいと思います。


                「三崎高校の四季、夏バージョン」


「絶対無いと思ってた。でも絶対じゃなかった。 
愛媛県立三崎高等学校、分校化見送り。

令和元年5月10日
一つのニュースが愛媛県を駆け抜けた。

 
 愛媛県教育委員会の「学校再編整備基準」によれば、3年連続で入学生が40人以下となった場合、
分校化が検討される。
 しかし、三崎高校も分校化を回避するために必要な41人以上を3年間、確保できず、
誰もが諦めかけていた時……

佐田岬に風が吹いた。

 三崎高校は、文部科学省の「地域との協働による高等学校教育改革推進事業」の指定を受けたため、
【特例】として分校化が見送られた。

 ミラクルが起こった。特例。神風。



 臨時で全校集会が開かれ、校長先生の口から分校化が見送られたことが伝えられた。
どこからともなく拍手が起こり、

 「サンキューみさこう!」
 「サンキューみさこう!」
 「サンキューみさこう!」

 みさこうコールが何回、体育館に響いただろう。
そのコールがピークに達した時、アドリブで音楽の先生が力強くピアノの鍵盤を叩いた。

  校歌だった。鳥肌が立った。そして涙が出た。

「よし、みんな、全力で歌うぞ!」

 こんなに誇らしい校歌を聞いたことは、いまだかつて無いかもしれない。
 こんなにも美しい校歌を聞いたことも初めてだったかもしれない。

 みんな笑顔で、体育館のてっぺんに掲げられてある校章を見つめながら、
バカでかい声で校歌を歌った。



「花橘」という校章を守るために、この3年間、チーム一丸となって前進し続けた。

 TEAM MISAKI

  「T」ogether
「E」veryone
  「A」chive
  「M」iracle

 みんなで一緒に奇跡を達成することができるのがチームの意味。素晴らしさ。
生徒、卒業生、先生、保護者、地域、公営塾、すべてで一つのチーム。

 WE ARE ALL ONE
我々は最高のチーム。



 しかし、忘れてはならないのは花が咲くためには、枝が必要で、枝を支える幹が必要で、
そして、その幹を支える根が必要。

 その根は目には見えない。

 今回、分校化が見送られたは、これまで三崎高校で一生懸命がんばってくれた生徒みんなのおかげ。
本当にありがとう。

 そして、学校の魅力化のために朝から晩まで血の滲むような尽力をしてくれた先生方のおかげです。
心から感謝いたします。

 みなさんの気持ちを一瞬たりとも忘れることはありません。
あなた方がいなければ「花橘」は咲きませんでした。

 我々はその花を枯らすことなく、これからも驕ることなく謙虚に、学校の魅力化に突き進みます。



 みさこう 最高 さあ行こう 〜 最西端から最先端へ 〜

 四国最西端、佐田岬半島にある小さな学校で展開される、
熱い青春学園ドラマをこれからも応援してください!!
 本当に最高の学校です。
 みさこう、半端ない!!!


 大川先生!!子どもたちやりましたよ!!! 
絶対無いと思ってた。
でも絶対じゃなかった。 
 
 そして、今回のミラクルの立役者であり功労者である「津田一幸」という、
三崎高校の魂とも呼べる先生に心から感謝と敬意を贈りたいと思います。  
 
 物語は終わらない。」




 この思いを何度も読み返しました。
そして、その度に胸が熱くなりました。

 三崎中学生たちも共に進んでいきす。

 佐田岬に、さわやかな風が吹いています。


       岬人(はなんちゅう)

もと二名津中学校での「こいのぼり祭り」がにぎわう

2019-05-06 | 地域づくり
 5月5日は、子どもの日。
 二名津地域では、毎年恒例のこいのぼり祭りが開かれました。

 この祭りの起こりは、地域の人たちの思いがきっかけでした。
 二名津中学校が三崎中学校と統合してなくなり、中学生がいなくなったこの場所に、
にぎわいを取り戻そうと願ったのがきっかけでした。
 やがて公民館活動とも連携をとり、より組織的なものへと変わってきました。



 家にしまわれていたこいのぼりや幟旗を提供してもらっています。
中には、昭和20年代のものもありました。

 二名津中学校や三崎中学校を卒業した若き農業後継者たちも店を出し、盛り上げています。
息子も朝から得意の綿菓子づくり。




 かつて二名津小学校や三崎中学校で務められていた教職員も毎年出店されています。
地域やつながりを大切にする気持ちが伝わってきます。
 帰省していた娘たちも恩師と懐かしの再会。




 幟旗が壁いっぱいに飾られた体育館では、地元有志のコンサートが開かれておりにぎわっています。
松出身のサスケさんも飛び入り参加。



 学校を真ん中に、地域がまとまり、盛り上がっていく「こいのぼり祭り」。
20年後の未来にも残していきたい風景です。


              岬人(はなんちゅう)

即位の日 ~令和の時代始まる~

2019-05-01 | 歴史・伝統・文化
 5月1日(水)、即位の日。
 朝は、小雨が降っていましたが、9時過ぎにはおさまり、
四国最西端の伊方町立三崎中学校でも国旗を掲揚しました。



 いよいよ令和の時代が始まりました。
令和という名称のもととなった万葉集。
中学校では、国語や社会科で学びます。

  ―万葉集「梅花の歌」―

   初春の令月にして、
  気淑(よ)く風和ぎ、
  梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、
  蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。


 どんな意味かというと、
 時は初春のめでたい月(令月)、空気は柔らかく、風は和やか。
そして梅の花は、「鏡の前に立つ白粉(おしろい)をまとった美女」
のように咲き誇り、蘭の花は、「その身を飾る衣にしみこむ香」
のようによい薫りがただよっている。


 つまり、令和とは、
 何を始めるにもよい、とてもおめでたい、和やかな時代になりますように

という願いがこめられています。

 五月という季節ともあいなり、やる気が満ちあふれてくるようです。
 
 地域では、5月3日は、三崎で「はなはな祭り」。
5月5日は、二名津で「こいのぼり祭り」が開かれます。