喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

「スポーツは子どもを大人にし、大人を紳士にする  クラマーの言葉」から学ぶ 

2015-09-29 | 教育
 「日本サッカーの育ての父」として知られるドイツ人指導者、デットマール・クラマー氏が9月17日に90歳で亡くなりました。
同氏の教えを受けて日本代表のエースとして大成し、銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪で得点王に輝いた釜本邦茂氏(71)は、
「ついにこの日が来たか…」と落胆すると同時に、「日本に来た直後に『大和魂を見せてみろ』とおっしゃっていた。」
と指導を受けた当時をふり返っていました。

 クラマー氏は、「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」
という名言を残されました。

 サッカーという言葉を他のスポーツに置き換えると、
「スポーツは子どもを大人にし、大人を紳士にする」
となります。
 八西新人総体を1週間後にひかえ、指導者として反省も多く、この言葉の意味をかみしめています。

 「勝たせたい。」という指導者の気持ち、親の気持ちは大事なこと。
でも「未来をになう子どもの成長」を優先することを忘れてはなりません。
 目標を達成するための子どもたちのがんばりをしっかりと見つめ、エールを送っていきたいものです。

 先日27日の日曜日、伊方中女子バレー部は伊方スポセンにて6校との練習試合を行い、
念願の初勝利をおさめました。
他から見れば小さな一勝かもしれませんが、チームとしては、これまでのがんばりを確認できた大きな一勝でした。
 子どもたちは、少しずつですが成長しています。
ご家族のみなさんもたくさん応援に来られており、熱く・優しい眼差しを送っていただき、感謝の念にたえません。

 終わりのミーティングで次のような話をしました。
「今日、この会場に来るのにどれくらいの時間がかかった?」
子どもたちからは、「一番近い人で3分です。」という返事。
遠い子どもでも20分くらいです。

 続いて次のような質問。
「ではこの日集まった全ての子どもの中で最も遠くから来た人はどのくらいかわかるかな?」。
答えは、「野村中学校の大野ヶ原出身の子どもで、時間は2時間30分です」。
 計算すると彼女はこの朝、5:30分くらいに家を出発したことになります。
ということは、何時に起きたのでしょうか。
 しかも前日も練習試合だったらしいのです。
 練習試合が終わり、家に着くのが夜の8時前。

 そして月曜日、野村中学校に登校するために6時過ぎには家を出ることになります。
 平日は実家を離れ、寮生活。


 このような環境でがんばっている人がいるということを子どもたちにも感じてほしかったのです。
この話をしてから子どもたちの目がまた生き生きと変わるのがわかりました。
部活動を通して子どもたちは大人になっていきます。

 今週は、自分たちが立てた目標を達成するために、精一杯取り組む1週間になります。
子どもたちの成長を自分もがんばりながら応援していきたいと思います。



「スーパームーンの翌日」


                    岬人(はなんちゅう) 
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田舎で観る中秋の名月とスーパームーン

2015-09-28 | ふるさと
 昨日27日は、中秋の名月、十五夜。
旧暦の8月15日。
ということで秋も折り返し地点ということ。

 昨夜は、三崎観光交流施設「はなはな」で満月を観ながら芋炊きで一杯。
今夜は、わが家のベランダから東方の釜木の上に出た月を観る。
今夜の月は、普段の月よりも大きく、明るく見えるスーパームーン。




                   「スーパームーン」

 この月明かりで周りの景色が十分見える。
明かりが少ない田舎だからこそ、月の明るさに気がつく。

 

 雲もちぎれちぎれの秋の雲。
いい夜だ。


              岬人(はなんちゅう)
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佐田岬半島にある「伊方中学校女子バレーボール部奮闘記」

2015-09-25 | 教育
 9月19日からの5連休。
 伊方中学校バレー部は、2日続けての練習試合でした。
普段から自分を高めていくための地道な努力を積み重ねています。
そんな練習を試す時がきたのです。

 ところが初日から厳しい現実が待っていました。
思うような自分のプレーができなかったり、ボールがつながらなかったり。簡単なミスの連続。
やがて目の輝きが鈍りだし、声が出なくなり、さらにボールがつながらなくなるという悪循環。
得点が半分も取れない試合が続きました。
 未だ1セットも勝てない状況。


 転機が訪れたのは、2日目の午後から。
 ミーティングで、
「がんばっても、がんばってもうまくいかないこの悔しさ、情けなさを絶対に忘れないようにしよう。今がどん底。今の辛い状況がものさしとなり、将来笑ってふり返られるようにしよう。そして2年生が3人しかいないこのチームで絶対に夢をかなえよう。声出せ、足出せ、頭出せ。」
と励ましました。



 その後、チームはまとまっていきました。
新人戦で上位をねらう瀬戸中に負けはしたものの26対28、最後の試合も20対25。
他の2校とも半分以上の点数や20点を超す得点。
ずっとラインズマンや得点係などの下支えをしてくれた1年生たちの出番もありました。
 

 以前、バレー部の保護者から
「私たち親がボール拾いをして、練習の能率が上がるように協力しましょうか。」
というありがたい申し出がありました。
 それに対して
「いえいえ、ボール拾いも全て練習の一つですからかまいません。そのかわり、練習や練習試合は見に来てください。
うまくなった我が子もうまくいかない我が子も見てあげてください。結果はどうあれ、一生懸命な我が子の姿ほど親としてうれしいことはありませんから。」

とおこたえをしました。
 今回の練習試合には、たくさんのご家族が見に来られていました。
きっとその夜は、いろいろな話をされたことだと思います。



             「6月の八西総体」

 19日から始まったラグビーワールドカップで、日本チームはラグビー史上最大の物語をつくりました。
過去2度優勝の強豪南アフリカに逆転勝利。
 一進一退の攻防を繰り返し、29対32の終了直前。
相手の反則により、ペナルティーキックを決めれば同点の場面。
 無難な道を選び得点すれば、優勝候補を相手にその結果だけでも十分な成果。
しかし日本は、キックを選ばずスクラムからの逆転勝利の道を選択。
圧倒的な体格差の相手にスクラムをつぶされれば負けが待っていました。
 
 選手たちの気持ちはみんな一緒でした。
「同点で終わったら、日本ラグビーの歴史は変わらない。スクラムにかけよう。」
スクラムから早いパス回しで左隅への逆転トライ。
24年ぶりのみごとな2勝目。

 日本の過去のワールドカップ成績は、通算1勝2分21敗。
1995年のニュージーランド戦では、145失点で大敗し、世界との絶望的な差にやる気がうちくだかれた時もありました。
 その悔しさをバネに精神力を鍛え、選手自らの判断力を磨いてきたそうです。
大活躍した五郎丸選手の
「みんなが厳しい練習をした結果。本当に仲間を信じてやってきてよかった。」
という感慨深い話に共感しました。

 「信は力なり」。
                    岬人(はなんちゅう)
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つながる命の襷

2015-09-24 | ふるさと
 昨日、9月23日は秋分の日。
秋のお彼岸の中日。

 家族みんなでお墓参り。
日中、仕事があったのであたりが薄暗くなってきた6時前になってしまった。

 

 ぽつぽつと外灯がつき始めた集落。
 平礒のお墓は、人家外れの1番高い所にある。
その中でもわが家のお墓は最も高い場所。
 昔は、歩いて行っていたが、今は車で行くことができる。

 会話がはずみ、みんな心がうきうきしているようだ。
 一人一人のお墓に手を合わせ、最後に歴代墓をおがむ。
実はまだ歴代墓には、誰のお骨も入っていない。
平成16年に亡くなったミチエばあちゃんが、本人の希望により個人墓になっているから。


 さて、一番先に入るのは誰だろう。
やがて私もここに入ることになるのだが。
 不思議なことにそんな思いに包まれ、死への恐さみたいなものは薄らいだ感じだった。
「人はいつかは死ぬ。」
あたりまえの自然なこと。

 先祖がつないでくれたこの命のたすき。
生きているうちに自分には何ができるのか。
歳のせいだろうか、そんなことを考えるようになった。


「お父さん、お願い事していい?」
ちゃっかりした娘だ。
 都合のいい時だけ、声をかけられるご先祖さま。
でもそれもまたよし。
喜んでおられるかもしれない。




 天空のお墓から見おろす平礒の郷。
ご先祖さまも見てきた風景。
ずっと残していきたいふるさとの風景だ。

                 岬人(はなんちゅう)
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男の隠れ家  ~もにこど2~

2015-09-21 | ブログ
 昨日21日、シルバーウィーク唯一の休日。
前日松山で研修があり宿泊していた。

 家族もそれぞれ用事があったので、久しぶりに自分だけの時間を過ごせる。
岬への帰り道にどこかおもしろいところはないものか。
 もう10年以上も前だろうか、伊予市に大谷池というダム湖があり、
その周辺が県立森林公園になっていた所に行ったことがあった。
 自然を暮らしの中にどう生かすかに興味があるので、久しぶりに行ってみたくなった。

 その途中、おもしろいカフェがあるということで立ち寄ってみた。
カーナビで車を走らせるが、くねくね道でどうみても人家の中。
こんな所に店があるのだろうか?

 そしてついに目的地に到着。
その家は少しおもしろいデザインなものの、どうみても普通の民家にしか見えない。



入口さえよくわからないくらい。
しばらく家の回りをぐるぐると。
そしてようやく見つけ、入口の戸を開けるとおしゃれな玄関ホール。
正面にほどよい古さの調度品が置かれていて、部屋へ入る気持ちを誘ってくれる。



 入ってみるとビックリ。
何段か下がった所に、フロアがあり、カウンターと椅子テーブル、そして和風な板間。
ちょっとおしゃれなリビングといった感じ。
お客さんが結構いて、にぎやかにおしゃべりをしている。

 空いている席が板間しかなかったので、窓際の席に座る。
そこから見える景色にまたビックリ。



 すぐそばにみかん畑があり、何軒か民家がすぐそばにある。
遠くには、刈り取り前の稲穂がゆれる田んぼが広がっている。
さらに遠くには瀬戸内海とそこに浮かぶ島々。
 見晴らしがよい所に建っている我が家感覚。

 メニューを見るが、聞きなれないメニューは注文できず。
せめて普通のコーヒーではなく、香りがよさそうな炭火コーヒーをたのんだ。



 待つこと10分。
個性的なカップに入ったコーヒーが運ばれてきた。
そしておもしろい入れ物に入った砂糖。
味は、炭火のちょっとした苦さが、ほどよかった。

 これだけでも十分だったのだが、普段はあまり食べないケーキを注文した。
最近、自然食に興味があるので、よもぎ入りのシフォンケーキとラズベリーのケーキセット。
イチジクが入ったヨーグルトのようなものも。
実に柑橘農家らしい選択。



 味は、実にむつこくなくあっさりの甘さでおいしい。
うちのデコポンや清見タンゴール、伊予柑、サンフルーツなどもこんなアレンジはできないものだろうか。

 運んできてくれた店のご主人と話を少しすることができた。
「感激です。もちろん飲み物やケーキはこだわりが感じられます。
それ以上に交通の便があまりよくないこの場所にお店を開いたということがすごいですね。」

 するとおもしろい返事が返ってきた。
「店のメニューのよさはもちろんですが、店までの道を楽しんでもらいたいという気持ちがありました。
 便利ではありますが、大きな道路のそばのにぎやかな場所ではなく、
民家をすり抜けるような道を、その季節の自然を楽しみながら。
そんな非日常を感じていただきたいと思っています。

 これは、地元生まれではない私たちだからこそ魅力に感じたことかもしれないですし、
でもそんなふうに感じてもらえるお客様は多いと思います。
 地元の方は、ずっと暮らしてきてこれがあたりまえになり、
そのすばらしさに気づきにくいのではないでしょうか。」


 すごくいい話だった。
そう考えると、私の超田舎のふるさと平礒は、とびっきりのすてきな場所なのかもしれない。
確かに少しずつではあるけれど、そう感じている。

 男の隠れ家 「もにこど2」。
またぜひこっそり来てみたい家だ。

                    岬人(はなんちゅう)













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ふるさとのお彼岸

2015-09-19 | ブログ
 夕闇が近づくにつれ、鈴虫やコオロギなどの虫たちの声が、あたりに鳴り響き、秋の深まりを肌で感じます。
 
 連休最後の9月23日は、秋分の日で秋のお彼岸の中日。
この日の前後3日間を含めお彼岸なので、家族でお墓参りを予定している。



 『春分と秋分は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、
お彼岸にお墓参りに行く風習は、この太陽に関係しています。
 仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸(ひがん)といい、
その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を此岸(しがん)といいます。

 そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、
彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養をするようになりました。
西の方角に悟りの世界(彼岸)・極楽浄土があるので、お墓は西の方角に向けて建てられています。



 お彼岸はインドなど他の仏教国にはない日本だけの行事です。
日本では、正月など神道にまつわる行事を行う一方、仏教を説いた釈迦の教えも受け入れてきました。

 また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に感謝する気持ちにもつながって、
お彼岸は大切な行事となりました。
                      (all about 暮らしの歳時記より)』




 自分の先祖の数について考えてみます。
父母が2人、祖父母が4人、曾祖父母は8人、その上の4代前は16人、5代前は32人…と倍々で増えてゆき、
10代前は1024人と千人を超え、14代前は1万6384人と1万人を超えてしまいます。
17代前は13万1072人と、10万人を突破、そして20代前になると、なんと104万8576人になるのです。
これを続けてゆくと28代目で1億人を超えます。

 この人たちはすべて自分にとって先祖であり、どこかで1人でも亡くなっていたり、
子どもが生まれなかったとしたら、今の自分は存在していないわけです。
そこには神秘的で奇跡的な命のリレーがあったのです。
そしてこれから将来さらに生まれるであろう子どもや孫へと続いていかなければならないと思うのです。

 このように先祖や未来について、我が子と話し合うことがあります。
 お墓の前に立ち、先祖に対して手を合わせる。
私や子どもたちが顔を知っているのは、私の祖母、ミチエだけですが、
その他多くの先祖がおられたから今の自分がここにいます。
  



 写真は、我が家に集まった女子会。
この子たちの未来もずっと続いていきますように

 お墓参りは、あわただしい日常を心おだやかにふり返ることができる時間となっています。

                           岬人(はなんちゅう)
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バリバリ言わない整体さんからの教え

2015-09-19 | ブログ
 首や背中、肩の痛みが出て、もう3週間になる。
特に9月に入ってからの痛みは普通ではなかった。
夜早く寝て、治そうと思うが、痛みで寝つかれない。
せっかく寝ついても夜中に目が覚めてしまう。
 ようやく1週間前から夜中に目が覚めなくはなった。

 初めて経験するこんな苦痛。
いろいろな治療院を、藁をもつかむ思いで訪ねて治療してもらった。
今は、八幡浜市の「バリバリいわない整体」に通っている。

 そこの木下さんの話が実にいい。
患者の痛みに寄りそってもらうようなおおらかさと、的確な指摘。

「これだけ痛むまで我慢できたのは、強い筋肉と骨格と我慢強さです。
夏の疲れだけではなく、それ以前の疲れもたまって出てきたと考えられます。
出てきた痛みの場所が首や背中・肩だということです。
このままにしていたらもっとたいへんなことになっていたかもしれません。
 よかったんですよ。
自分をふり返るきっかけになって。
 今後の考え方が変わってきますから、健康を大切にしたさらにいい仕事や生き方ができると思いますよ。」


 自分の体、本当よくがんばってくれているんだな、と思う。
大切にしながら、これからもがんばってもらわなければ。

 完治までもう少し。

               岬人(はなんちゅう)
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首と肩の痛み

2015-09-08 | ブログ
 8月下旬から首と肩の痛みがひどい。

 バレーボールを打ちすぎると、今までもよく同じ症状があったが、
今回はその痛みがいっこうにひかない。

 9月に入り、その痛みはますますひどくなり、
夕ご飯も十分にとれず、ひたすらベッドに横になる毎日。

 ところが横になっていてもその痛みでなかなか寝つけず、
寝ていても痛みで目が覚める日も続いた。

 保内の接骨院に連続で通ったが、いっこうによくならない。
そこで昨日は、伊方の接骨院に行ってみた。
するとようやく、回復のきざしがみえてきて、久しぶりにブログを書いている。

 どうやら体の手入れがとても大切な年齢にきているのかもしれない。


               岬人(はなんちゅう)
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