![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/56/1599c16bd89df1b10f678499ac734206.jpg)
写真は、ふるさと平礒の春祭りの幟。
私は、昨年家族で引っ越して帰り、両親や弟と一緒に暮らしています。
したがって、これからは春祭りの幟も見ることができるのです。
それが幸せの一つなのだと、思えてきました。
姉は、高校を卒業と同時に愛知県一宮市にある短大に進学しました。
ソニーの工場で働きながらの勉学でした。
そんな姉がふるさとを旅立つときのことをはっきりと覚えています。
当時は、今のメロディーラインは開通しておらず、
海岸沿いの道をくねくねと曲がりながらバスで八幡浜まで出ていました。
今でこそ50分くらいで行けるのですが、当時は、その2倍以上も時間がかかりました。
もう一つの方法は、船で八幡浜へ出る方法。
後に高速船に変わりましたが、ポイントとなる浦々へ立ち寄らなければいけないので、
やはり時間がかかるのです。
姉は、三崎から船で旅立ちました。
バッグを両手に波戸から船へと乗りこみます。
ふるさとの地を離れた最後の足は、波で揺れる不安定な船の甲板へと。
泣いていました。
心も同じように揺れていたことでしょう。
ふるさとに帰れるのは、お盆とお正月だけ。
見知らぬ土地へ、見知らぬ人たちのなかへ。
波戸にくくりつけているロープをほどいた船は、
バックで陸から離れていきます。
その時に船のスピーカーから「ほたるの光」が流れてきました。
2度目の卒業式のようでした。
見送りの人たちも涙を流しながら、方向転換しスピードをあげた船に大きく手を振り、
見えなくなるまで見送りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/48/e1d55c877ed63e7a2d4b1e2bfcdec434.jpg)
あれから25年ほど時が流れました。
姉は、県内松山の人と結婚し、今は西条に住んでいます。
年に4回くらいは帰って来ます。
ふるさとは落ち着くのでしょう。
人の数ほど、ふるさとへの思いもあり、さまざまです。
その人たちが大切に思っているふるさとに、
私は今暮らしているのです。
それは、それは幸せなことだと思っています。