喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

八幡浜・西宇和地区中学校総合体育大会

2014-05-31 | ブログ
 本日5月31日、八幡浜・西宇和地区中学校総合体育大会がひらかれる。

四国最西端の三崎中学校ソフトテニス部は、伊方町運動公園にて8:45開始。

 団体戦初戦は、優勝候補の保内中学校。

昨年と同じ顔合わせ。

 昨年は、先攻していながら最後に逆転負け。

保内中は、次の試合にも勝ち優勝。

 相手がどこであろうと、自分たちがやってきたことを信じてやりきるのみ。

 熱い1日になりそうだ。


                岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京で喜久家の集まり

2014-05-27 | 喜久家の情報


 喜久家は今、シーロンが出発してから名児耶くん一人。
名児耶くんもあと10日後に旅立つ。

 1年を通して、さまざまな若者たちがここを訪れ、そして旅立って行く。
そんなことがもう7年続いている。

 喜久家がスタートした最初のボランティアである純子ちゃんは、
今フィリピンで語学の勉強をしている。
人生に前向きなすごい若者たちがいっぱい。


 今日から弟が東京に仕事で行くことになっている。
そこで東京周辺に住むかつての喜久家メンバーに連絡をとり、28日(水)に集まることになったらしい。
社会人となり働いているメンバーも多い。
あまりに直前でありながら、7年前からのメンバーがたくさん集まる。
東京喜久家会だ。


 中には、1時間30分かけて。
または予定をキャンセルして集まるメンバーもいるとか。
すごいことだ。

 活動した期間が違うため、実際に会ったこともないメンバーも多い。
それなのに喜久家という合い言葉のもと、弟の声かけのもと集まるのだからすごい。
 さぞ、いろいろな話に花が咲くことだろう。



 細々と続いている喜久家プロジェクトだが、
関わった人たちにとっては忘れられない活動と時間となっている。

 喜久家プロジェクトには、夢がある。
言いかえるとふるさと平礒には、夢がある。


                      岬人(はなんちゅう)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気になる シーロン  ~CELON SHERCHAN~ 

2014-05-24 | 喜久家の情報
 気になる喜久家ボランティアがいる。
ネパール出身のシロン。

 3月1日から喜久家ボランティアとして活動してくれた。
そしてちょうど1週間前の5月17日(土)に旅立っていった。

 ずっといっしょに生活してきた東京出身の名児耶(なごや)くんといっしょに、
3月の喜久家国際ワークキャンプのメンバーであったベトナム出身のミンに会うために別府へ。

 ワークキャンプが終わった後もメンバーどうしで、こんなつながりが続くことはとてもうれしい。

 ミンに再会した後、シロンは、ぜひヒッチハイクをして東京へ行きたいと言っていた。
実におもしろい。

 世界から集まってくる若者たちに、いろんなことを気づかせてもらえる。
ひと昔前なら日本人の中にもヒッチハイクする若者はいたが、今ではそんな考えや勇気をもつ人はほとんどいない。
逆に車に乗せてくれる日本人も外国人と言うことで警戒する人も増えているだろう。
 そう考えるとシロンの東京へのヒッチハイクはどうなることやら。

 でもそんな勇気ある一歩がうらやましい。
そして爽快。

 出発前夜、良あんちゃんもいっしょにわが家でいっしょに飲んだ。
そしてあるプレゼントをした。





「シロン、ヒッチハイクで日本人から警戒されないよう、このジャンパーをプレゼントするよ。
きっとこのジャンパーが夢をかなえてくれるよ。」



 あれからシロンと連絡がとれていないが、
「幸せの青いジャンパー」となってほしい。

              岬人(はなんちゅう)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一つの佐田岬ふるさとウォーク2014

2014-05-22 | ブログ
 日本一細長い佐田岬半島を歩く「佐田岬ふるさとウォーク2014」が5月17日、八幡浜市から伊方町三崎間であった。
7~45.7㎞の4つのコースに約700人が参加。

 一面に広がる宇和海や新緑豊かな山々など半島の自然を満喫しながらゴールを目指したことだろう。



 伊方町川之浜出身の冒険家、故河野兵市さんが1997年に日本人で初めて単独徒歩で北極点に到達したのを記念して始まり、
今年で16回目の人気イベント。
 17日は、2001年に亡くなった河野兵市さんの命日にもあたる。

 半島のほぼ中央に位置する河野兵市さんの生家前では今年も母恵美子さん(83歳)が家族とともにお出迎え。
赤飯のおにぎりやみかんジュースを振る舞い、
「兵ちゃんもみんなが歩いてくれて喜んでいるはず。」
と話していたようだ。  (愛媛新聞 藤中さんの記事より)


 実は、このイベントに先がけて、「もう一つの佐田岬ふるさとウォーク」があった。
当日の参加者が気持ちよく歩いてもらえるように、三崎中学校の生徒とともに沿道をゴミ拾いした。



 タバコの吸いがらや空き缶、ペットボトルなどけっこう落ちていた。
ゴールの三崎までの3㎞を1週間ほど前からゴミ拾いした。

 誰も知らない「もう一つのふるさとウォーク」。
でも心は晴れ晴れしていた。
 おもてなしの心。

 「はちどりのひとしずく」のように、自分にできることをしていきたい。



                      岬人(はなんちゅう)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今はなき、三崎の東洋軒

2014-05-13 | ブログ


 多くの人たちに忘れられない食堂がある。
三崎の「東洋軒」もその1つだろう。

 昔ながらの味で、ボリューム満点。
ちゃんぽんをよく好んで食べた。

 お腹がすいたと思っても普通盛で十分。
大盛りでも注文したら、麺の上に乗っている野菜を食べるだけでもお腹は満たされる。
食べても食べても麺が出てこない。
ようやく麺にたどり着き、後は気合いを入れて食べていく。
 食べ終わった頃には、額から汗が流れ、
お腹がはち切れそうなくらい。

 古い店ながら、昼時になるといつもお客さんがいた。


 今年の春先、店が閉まっていることが多かった。
おばちゃんたちも高齢になり、たいへんだと聞いたことがある。
そしてついに店は閉められた。

 入り口のドアにはられたお知らせ。



 何と52年間、半世紀以上の経営。
それだけみなさんから愛されたということだろう。

 こんなすてきな店がなくなっていくのはさびしい。
もう少し道奥の松下金物店もやがて閉められるようだ。

 これほどホームセンターなどの量販店ができ、安さを売りにした100円ショップなどもでき、
お客さんがそちらに流れてしまうと、経営は成り立たなくなる。
 田舎の店と地域の関係は、地域のみなさんのおかげで店は成り立ち、
店のおかげで地域に活気がでる、というバランスのとれた良い関係。

 今や小さな商店はどんどん閉められ、大きな道路沿いに全国チェーンの量販店が建ち並ぶ。
この光景が全国の多くの場所で見られる。
地方という個性ある町並みがなくなっている。


 個性ある地域の雰囲気、地域力が大切だ。

 東洋軒など閉められたお店のみなさま、長い間地域に貢献していただきありがとうございました。

                           岬人(はなんちゅう)

                            
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三崎(岬)が大好き

2014-05-10 | ブログ
「美しい地域は、美しい人の心がつくる」
ということをあらためて感じたできごとがあった。

 4月からゴミの出し方が少し変更された。
燃えないゴミは、無色透明なビニール袋に入れるように。

 ところがその変更を知らなかったり、めんどくさかったりの理由でなかなか徹底できない様子。
知り合いにゴミ収集の仕事をしている20代半ばの若者がいる。
彼が言うには、
「三崎地域がゴミを出す状態が一番悪いんです。」
と悩みを口にしていた。

 ある日、ゴミを収集車に積んでいるところへ、おばさんがゴミを持ってきた。
その袋は色つきで、だめなもの。

 彼が、変更を説明したところ、変更がわかりにくく知らなかったと不満の言葉をもらした。
しっかりと納得してもらえない感じのまま別れた。
 後日彼は、誰もが見えやすい大きな文字で書いた説明書きを持って、おばさんの家を探し訪ねて、
もう一度ていねいな説明をし、自作の説明書を作ってきたことを伝えた。





 ゴミ収集の仕事が終わった夕方に訪れ、1時間おばさんの話をじっくりと聞いたそうだ。
おかげで納得してもらい、気持ちよく終わったとのこと。

 彼の誠実な姿勢に感動した。

 よくそこまでできるな?
と聞いたところ、帰ってきた言葉にさらに感動した。

「大好きなふるさとが美しくなってほしいと思っていますから。」

 彼は、自分が担当している三崎地域全てのゴミ収集場所に自作の説明書をはったようだ。
「美しい地域は、美しい人の心がつくる」

                              岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎道

2014-05-10 | ブログ
 田舎では交通が発達していないので不便なことも多い。
幅が狭く、曲がりくねった道路。



 もっと幅が広く、一直線の道がいいな。
そんなことをよく思ったものだ。

 でもそんな考えがちがってきた。
毎日、実家の平磯から車で7㎞の距離を15分間で三崎まで通勤している。

 幅が広く、一直線ならばおそらく5分くらいで快適に早く移動できるだろう。

 それが15分間、車のハンドルを左に右に切りながら、ブレーキやアクセルを踏み分けながら。
決して眠くならない。
電車やバスで運ばれるのではなく自分の体をめいいっぱい使い、道を進んでいるからだ。
 道とは、自分の力で進むもの。

 

 この15分間が実に楽しい。
いろいろな発見がある。
 一昨日の夜9時過ぎ、娘たちといっしょに帰っていたら、
前方に岩のような黒い生き物が見えた。
猪だ。
道ばたの落ち葉だまりをあさり、えさでも探していたのだろう。
 狸はたびたび姿を見せ、時には狐さえも横切っていく。

 車のライトを消せば、真っ暗な夜空に輝く星々を見上げることができる。
海には、船の明かりが浮かんでいる。


 昼間、曲がりくねった道が美しいと思えるようになった。
美しい曲線を描く、ヘアピンカーブ。
その道を支える石垣。

 

 車の窓を開けるとたくさんの鳥の鳴き声が聞こえてくる。
そして今は、柑橘の花の香りがただよっている。

 道は単なるスタートからゴールへの移動区間ではなく、途中そのものに良さがある。
こんなことを感じながら、今日もすてきな田舎道を行き来している。




              岬人(はなんちゅう)

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさとの新緑 立夏

2014-05-07 | ブログ
 暦の上では、もう夏。立夏。

「5月6日頃(2014年はは5月5日)。
および小満までの期間。

 穀雨から数えて15日目頃。
八十八夜の3、4日後。

 春分と夏至のちょうど中間にあたる。
この日から立秋の前日までが夏季。



 新緑の季節で、九州では麦が穂を出し、北海道では馬鈴薯や豆の種まきが始まるようだ。
蛙が鳴き出すのもこの頃から。

 夏といっても、本格的な夏はまだまだ先。
 日差しが強くなり、気温が高くなる日もあるが、湿度が低く風もさわやかなので、
とても過ごしやすく、レジャーやお出掛けに最適の季節。」


                  (日本の行事・暦を気軽に楽しく生活に取り入れてみませんか)

 

 わが家から撮影したみかん畑と釜木湾。
初夏の新緑がまぶしい。

 
                                         (岬人 はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

被災地気仙沼市立大谷中学校へ送るサツマイモの苗植え

2014-05-06 | ブログ
 佐田岬の先端あたりで最も高い伽藍山。
標高414m。

 ここに、体験農場がある。有効活用したいものだ。

 四国最西端の三崎中学校は3年前、東日本大震災があった2011年からここで収穫されたサツマイモを
被災地宮城県、気仙沼市立大谷中学校へ送っている。

 4年目になる今年は、自分たちで苗植えから、草取りなどの管理をし、収穫までをしようということになった。
より思いのつまった交流のサツマイモとなる。

 5月1日、九州まで見わたすことができるほどの天気。
 






 張られた黒いマルチシートに穴を開け、苗を埋めこみ、苗が立つように土をかぶせ押さえる。
そこにジョーロで水をたっぷりかける。

 生命力が強いサツマイモはこれでみごとに実る。
佐田岬半島では、今のように柑橘が栽培される前は、耕して天に至ると言われるほどのサツマイモや麦の栽培が行われていた。
米は育たず、食料の少ない時代の命の作物だった。

 







 たくましいサツマイモの生命力が、被災地の人たちと重なる。

 このサツマイモが被災地との交流の架け橋となる。

                             岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐田岬の遠足

2014-05-06 | ブログ
 4月30日、四国最西端の三崎小学校と中学校の遠足風景。
今年はたまたま行き先も重なり、井野浦ムーンビーチ。

 みんな思い思いに遊び、小学生と中学生がいっしょに遊ぶ光景も見られる。
何て素朴な遠足。








 そして、中学生の中には、持って来た海水パンツにはきかえ、泳ぐ子どもたちも。
何て大らかな学校。

 

 こんな学校がまだ残っている幸せ。

 我らは海の子。岬の子。

                 岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎の道づくり

2014-05-03 | ブログ
 今日からゴールデンウィーク後半、4連休。
毎年のことながら部活動で、最終日1日が休めるだけ。
今日3日は、伊藤旗杯。
5日は、八西研修大会。
2つも大会が行われる。
岬の中学生たちも本当よくがんばっている。

 平礒の農家の人たちも半年にわたる忙しい時期を終わろうとしている。
6日は、野休みとなっている。

 その前に、昨日平礒地区の道づくりがあった。
県道の草刈り。
道路の両側から道をおおっていた草が通行の邪魔になって危ないためだ。



 朝7時。
各家々から必ず一人はこの作業に参加。
それぞれ、草刈り器やほうきなど作業の道具を持って集まる。
わずか20軒ほどの小さな集落。
中には、85歳になるばあちゃんもいる。
それでも自分たちの地域のためにやらなければという気持ちがすごい。



 自分たちの地域は、自分たちで盛り上げていく。
この気持ちがすべてのもとなのだ。
 そんな気持ちが息づくふるさとを誇りに思う。


                 岬人(はなんちゅう)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花いっぱいのふるさと

2014-05-01 | ブログ
 花シリーズ。

 最近、妻と
「家や地域に花がいっぱいあるといいね。」
という話をよくする。

 わが家の玄関先に花を植えるのは、妻の役割。
その後の水やりは、だいたい私の役割。

 家族もさわやかな気持ちになるし、道行く人も気持ちがいい。
思いおこしてみると、亡くなったばあちゃんが花が好きだった。
田舎の人らしからぬ。
 農家は、日々の仕事や生活で花のことにまで気持ちがまわらない。
でもばあちゃんは、ちがっていた。

 わが家の前に郵便ポストがある。
道路沿いでとても目につくところ。



 そこに花を置いてみた。
息子が小学校の時につくった、ふるさと標語もいっしょに。



 田舎には、花がよく似合う。
少しずつでもいい。
花いっぱいのふるさとづくりをしていきたい。

                  岬人(花んちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする