喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

袖振り合うも多生の縁 ~広島の学生さんとの出会いと再会~

2016-10-25 | 感動
 昨夜、喜久家に思いがけないお客さまが来られた。
広島の女子大生、カラリー。

 カラリーとの出会いは2年前にさかのぼる。
所属している地域教育実践交流集会が大洲で開かれた。
その時に「おのみち100㎞徒歩の旅(人間力育成塾)」という活動をしていて、参加してくれた。

 はじけるような笑顔が印象的で、昨年も参加してくれ、
その活動も含めてすばらしい人だった。

 私もふるさとで行っている「喜久家プロジェクト~若者と共に郷づくり~」を紹介し、
興味を示してくれた。
「いつかおいで、おいで。」
と約束し、ブログやフェイスブックを通して紹介し続けていた。

 今から1か月ほど前、彼女から連絡があり、
約束が実現することになった。
 本当、不思議なものだ。
袖振り合うも多生の縁。
小さな出会いが、大きな絆へと変わっていくのを感じる。

 昨夜8時、広島から5時間も車を運転して、伊方で合流。
ほぼ1年ぶりの再会に、そして約束の実現にうれしくて、うれしくて。
 様々な話をしながら家路を急いだ。

 平礒に到着し、星空を見上げて感激しているカラリー。
そうここは超田舎。
街灯が少ない代わりに、輝く星はたくさんある。


 道路から息を切らしながら上がること5分。
喜久家に到着。
 すでに懇親会は始まっていて、かわいいカラリーの歓迎ムードは高まっていた。
台湾出身のゴー、シュー。
フランス、パリ出身のジョー、そして3日前に入って来たフランス、ニース出身のルーセン。
平礒の幸徳くんと弟。


 
 この夜も喜久家は多彩な顔ぶれでにぎわった。
そんな楽しさと熱は、カラリーにも伝わったのではないだろうか。
 まだまだ話したいことはたくさんあったが、今日に備えてお開きとなった。



 今日は午前中、カラリーは幸徳くんの園地で農作業の初体験をしたようだ。
 先ほど電話で聞いたら、体験が新鮮で、
同世代の幸徳くんから夢のある熱い話を聞いてうれしくなったとのこと。
 若者の出会いは、実におもしろい。
カラリーともまた会いたいと思う。




 今夜も超田舎の平礒、喜久家はにぎわっている。

      
         岬人(はなんちゅう)


 
 
 
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平磯の裏側、パラグアイでまちづくりをするもと喜久家ボランティア

2016-10-23 | 喜久家ボランティア
 6年前、平成22(2010)年のなつかしいブログ。

 地球の裏側パラグアイで、
青年海外協力隊員として活躍されている、
もと喜久家ボランティア市前寛子さんからのメッセージの続きです。


『私はパラグアイ南部の日系移住地ピラポに住んでいます。
ここは、8箇所ある国内の移住地の中でも
日本気質が、色濃く残っています。
 NHKも見られるし、インターネットも見られて日本の状況はリアルタイムで把握できますが、
昔の日本がそのまま存在しているところと言われています。
 おやつには手つくりのかりんとうが出てきます。

 私の仕事で言うと、
高齢者のほとんどの人が家族と同居していて年相応の体の不調や物忘れはあるけど、
自分のペースで元気に生活しています。

 家族それぞれ事情はあれど、
家族が面倒をみるのは当たり前という考えの人が多いところです。
 130人くらいいる70歳以上の高齢者に対して、
50歳以上の主婦のおばちゃんたちがボランティアグループを結成してデイサービスをしたり、
家庭訪問をしています。
 私は、そのおばちゃんたちにデイサービスの運営の仕方や介護に必要なことの情報を提供しながら、
一緒に活動しています。

 移住地の人たちは、助け合いながら生きてきたので絆がとても強いです。
私は、どっちかっていたら都会育ちなので横のつながりを知らないで育ちました。
 
 平磯も、年齢が違っても意見を言い合って、1つ1つのことを決めていたことを見ていたので、
こっちにきて戸惑うことも多かったけど、
毎日が勉強になることばかりです。
 正直、自分の無力さに落ち込んだり、
地元の人たちが理解してくれなかったり、怒れることが多々あります。




 でも最近、私は高齢者福祉活動を通して町づくりをしているなと感じてます。
全然程遠いですが。

 高齢者をいきいきさせることで、
若い人たちが将来のことを考えてくれるようなイベントを開催してみたいなと思うようになりました。

 平磯にいたのはたった3ヶ月でしたが、
まちづくりや人と繋がるということを考えるきっかけになりました。
 そして、いまは本格的に勉強してみたいと思っています。

 この長文のなかで伝えたっかたのは、
このきっかけを作ってくれた平磯に行って本当によかったということです。

 そして、アンちゃんと知り合えたことも。

 来年の6月に日本に帰国します。
帰ったら、平磯に行きたいと思っています。
その時にたくさん話が出来たらなと楽しみにしてます。
 突然の長文読んで下さってありがとうございました。

 それでは、みなさまによろしくお伝えください。
くれぐれもお体にご留意下さいませ。

 平磯の裏側 パラグアイより 市前寛子』




 感激です。
 私たち平礒の人たちは、また喜久家の仲間は、
いつも心のどこかに、
「来てくれた若者たちに何か残してあげれたものはあるだろうか?」
と自問自答しています。

 私たちの不安や悩みをよそに、
若者たちは、多くのことを感じとってくれているのかもしれません。
 それが、岬の宝物なのでしょう。

 寛子ちゃんの帰国を楽しみに待っています。

「reaching home」

                 岬人(はなんちゅう)  

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南米パラグアイより 市前寛子さんからの便り 

2016-10-23 | 喜久家ボランティア
 6年前のなつかしいブログを読み返した。

 喜久家には、さまざまな若者が
国内外から来てくれます。
 そして、とびっきりの経験をして、
また旅だって行くのです。

 ツバメのように、またいつか帰って来てくれることを
願いながら見送ります。

 そんな中、喜久家を旅だって行った一人の女性から
メールが届きました。



 その人の名は、市前寛子さん。
まるで女優のような名前。
 もの静かですが、芯の強い心を持った女性でした。
高校卒業後、希望だった介護の仕事をしてきました。
そんな中、もう一つの夢がしだいに大きくなっていきます。
 それは、「青年海外協力隊」

「今だからできる経験をしておきたい。」
そんな強い想いで、長年勤めた職場も辞め、
青年海外協力隊実現への経験を積むために、喜久家プロジェクトに参加してくれたのです。



 
 では、そんな寛子ちゃんからのメッセージをどうぞ。

『こんにちは。

 ご無沙汰しています。
パラグアイにいる市前寛子です。
浅野家の皆様、平磯の皆様、お元気ですか?
覚えてくださっていたら嬉しいです。

 少し前に、インターネットを見ていたら、
喜久家のブログを見つけてみてたら1年ぶりに
アンちゃんからメールが来てびっくりしました。
それから、時々のぞかせてもらっています。

 早いもので、こっちに来てから1年3ヶ月が過ぎました。
南米に1年以上いると、
 さすがに日焼けしてこっちの人らしくなってきたなと言われてます。
日系移住地にいるので、ちっともスペイン語は話せませんが・・・。

 W杯で日本と対戦したので、
パラグアイの知名度が上がったと聞きました。
 
 日系移住地でみたサッカーは、めったに出来ない経験が出来ました。
パラグアイはサッカーが国技なので、
当日日本のユニホーム(偽物)を来て歩くと身の危険を感じました。』

 続く
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見返りを求めない努力を精進という ~草野健次さんのブログより~

2016-10-19 | 感動


 自然体バレーボール塾の草野健次さんのブログに
考えさせられるものがあった。

『見返りを求めない努力を
   精進(しょうじん)という!


 どうしてもこの言葉をある高校生に贈りたくて・・・。

 高校生の彼は現在高校2年生。男の子です。
僕とは直接の面識はありません。
僕の知人の息子です。
 
 知人曰く
 「息子がバレーボールを始めたんですよ。
なぜか高校生になってバレーボール部に入部したんですが、そのバレー部は人数が息子をいれて6名。
パスも何もできない息子であっても試合にでなければいけないわけです。
初心者の息子たちにボールがいくと必ずミスします。
それくらいヘタッピーです。

 それからはコートの中では『逃げる練習』ばかりだったそうです。
とにかく『触るな!』と言われて・・・ところが試合になるとなぜかボールが追いかけてくる。逃げきれない。
それで、あ~どうしよう!と慌ててもボールに触る練習していないのでどうすることもできず顔面直撃なんてこともあったみたいです。
 まるで漫画の世界ですよ。それくらい下手なんです。それで一年が過ぎました。
そして今年の4月になってバレーボール経験者がどっさり入部してきたんですね。
どうしてでしょうか?元々強豪校だったんです。嬉しいことです。
それでチームは強いチームに仲間入りしたわけです。

 息子たち先輩は相変わらずのヘタッピー!。
新入生はバリバリです。当然1年生中心の練習になります。
必然的に息子はボール拾いとか準備や後片付けが主な仕事です。
それくらい実力の差があるので誰も文句は言いません。

 でもあるとき、準備をしない後輩を見かねて注意したらしいのですが
「ヘタッピーに言われたくねぇよ」
みたいな視線を感じたので、それ以来注意もしなくなったそうです。

 チームの中では存在感などゼロ状態ですね。
 高校生の男子ですから本来ならイヤだと思うのですがそれでも、イヤやとかやめたいなどの愚痴や不平も言わずに、
相変わらず準備とボール拾い、声出しと後片付けを積極的にやるので、
『どうしてお前はそこまでやるのか』
と聞いたんですよ。
そしたら『お父さんが渡した自然体の人間学の本の中に『先輩が雑用をするチームになれと書いてあったからそれを実行しているんだよ』
と言うんですよ。
それにはこちらもビックリしてしまいましたが、まあ息子も納得して高校の部活をしてくれているんで・・・・」

とそんな話をしてくれました。


 僕は「いつかはそいつらが頭を下げにくるよ」と言いました。

 縁の下の努力に見返りを求めてはならぬ。
努力そのものを“ありがたい”と思うこと。
ありがたいことをさせてもらっている喜びを感じる。
それは「清々(すがすが)しさ」という喜びなんだ。

 人は見ていなくても天は見ている。
いやそれよりも「自分」という人間がみているのだ。
これを「精進(しょうじん)」という。


こういう生き方をしたいものです。
今日も一日精進しよう!』


 すばらしい高校生。
大人の私も考えさせられるような。



 ふるさと平礒のお年寄りは、上の話のような実直な方が多い。
見習うべきところはたくさんある。

 精進という言葉が、やけに胸に響く。

             岬人(はなんちゅう)
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ばあちゃんの気配り

2016-10-18 | 家族
共働きしている私たち夫婦。
帰りが遅くなった時、食卓におかずの盛り合わせがある。
 母が作ってくれたものだ。
 
 娘が説明してくれる。

「これ、ばあちゃんが、おかずにどうぞ、って作ってきてくれたよ。」
心が温かくなる。
そして思い出すことがあった。

 今は亡き私の祖母が、家族の食事を作ってくれていた。
母は、畑仕事で忙しく昼食や夕食を祖母が作ってくれていた。
 昔の人なので、見た目も味もあまりよくない。
母が作ってくれた方が、当然のことながらおいしかった。

 でも子ども心に、台所に向かい野菜を1つ1つ包丁で切り、
味付けするばあちゃんの姿がありがたかった。
だから、あまりおいしくなくても、文句も言わず食べた。


                  「18年前の祖母とのひとコマ」

 昨夜、そんな幼き頃の思い出が浮かんできたのだ。
妻が作ってくれた方が、見た目も味もおいしい。
でも、「孫たちに食べさせてあげよう。」
「妻のおかず作りの負担を軽くしてあげよう。」

という気持ちが感じられた。


 私が幼き頃にばあちゃんからしてもらったことを、
娘たちもばあちゃんからしてもらっている。
 同じ敷地に暮らす二世帯暮らしのいいところ。
田舎には、そんな良さがまだ残っている。


              岬人(はなんちゅう)
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どうして「お母さん」って呼ぶのだろう  ~母は、お日さま~

2016-10-18 | 家族
「痛とーち、いけんのよ。」
最近、母の口からそんな言葉をよく聞くようになった。

 足にしびれがあり、踏んだ感覚があまりなかったり、
膝が痛くて曲げられなかったり。
 長年、重たい荷物を背負い、斜面のミカン畑を動き回った足は、
おう脚になり、外に向けて曲がっている。

 痛みがとれるいい治療院があると聞くと、どこにでも出向いた。
それくらい体に違和感があるのだろう。

 ただ、どこにいっても根本的によくならず、痛みをこらえながら
毎日ミカン畑に行き、作業している。

 本当によく働いた母。
手を合わせたくなるような気持ちがおこる。

 写真は、6年ほど前に知り合いのりえちゃんが撮ってくれたもの。
黙々と柑橘を選果する母の雰囲気が伝わってくる。
この写真がとても気に入っている。

今は糖尿病の食事制限で、かなりやせてしまっている。



 【おかあさんの語源】というおもしろい記事があった。

『 男は奥さんのことを「かみさん」と言ったりします。

これは元々「日身(カミ)さん」だったそうです。

この“日(カ)”は「太陽」をあらわす。
日にちを数える時に、「にち」以外によく「か」という呼び方をする。
例えば、2日の呼び方は、ふつか。

“身(ミ)”は「身体」をあらわす。

つまり「日身(カミ)さん」で、“太陽の身体”

そういえば、20年に1度の式年遷宮を行った伊勢神宮にまつられている、
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は、
女性の神様で、全ての人の租神様(おやがみさま)とされている。
太陽・光・慈愛・真実・秩序を象徴する最も尊い神様。

 お母さんはいつも明るくて、あたたかくて、
しかも朝、昼、晩、と食事をつくってくださって、
わたしたちの身体を産み、育ててくれる。

母親はまさに“太陽さん”そのものだから、
お日身さんと呼び、
「日(カ)」の古い言葉の「カアカア」から「カカア」に・・・

 子どもたちは「うちのカカさま」と言うようになり、
いまの「おかあさん」になった。

「おかあさん」の“か”は、
太陽だったんです♪

だから、女性は太陽のように輝いているのでしょう♪

「日本のこころの教育」境野勝悟 著 致知出版より  』


 元始、女性は太陽だった。
お母さんは、太陽のような存在。

 平礒には、一人暮らしの年老いたお母さんもいる。
子どもたちは都会に出てしまい、夫は先立ち、残って一人で。
 都会の子どもたちもふるさとに暮らす母のことが気になる。
母は、正月に子どもたちが帰省することを楽しみにしている。
かつては、その家も大勢でにぎやかだった。

 親孝行しないといけないな~。
秋の夜長、そんなことを思った。
                    岬人(はなんちゅう)
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平成28年 伊方町九町地区の秋祭り

2016-10-17 | 佐田岬の風景
 秋祭りが西から東へと移動している。
昨日は、評判を聞いて九町地区の秋祭りを見に行った。

 午後1時、牛鬼の宮入り。


 五ツ鹿。


 四ツ太鼓の担ぎ手たちが輪になり、動き回り、士気を高める。


 男前だ。


 3度ほど持ち上げる。


 太鼓をたたく子どもたち。


 唐獅子。




 境内を下りて、鳥居下の道路で再び、ねりが行われる。


 その後、浜に移動し、船に乗りこみ、湾を旋回する。


 これはめずらしい。


 今年から牛鬼と四ツ太鼓は大きな船がないので、取りやめになったようだ。

 浜では再びねりが行われる。




 九町の祭りは、実におもしろかった。
 祭りには、地区ごとに昔からつながってきた歴史と伝統がある。
喜びと願いが込められている。

 未来に残したいふるさとの風景だ。

               岬人(はなんちゅう)
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平成28年九町の秋祭り

2016-10-17 | 佐田岬の風景
平成28年九町の秋祭り



 ふるさとの音がする。


                 岬人(はなんちゅう)
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伊方の祭り

2016-10-17 | 佐田岬の風景
 10月15日(土)昼過ぎ。
伊方中学校に、大浜から五ツ鹿が来てくれた。







 この日の夕方、湊浦をお車が優雅に引かれていた。
お車の上には、三味線を弾き語る人もいた。

 どこの地区のお車だろうか。
湊浦か、小中浦か、中浦か。



 
 佐田岬には、それぞれの地区に祭りが残っている。


                    岬人(はなんちゅう)
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旅人、藤井大輝くんからの便り

2016-10-15 | 感動
あれから早7年が過ぎた。 

 旅をしていた藤井くんは、自転車で沖縄・九州本土を北上し、
四国に上陸したところを、私の弟とたまたま出会い、
喜久家で半年間にわたり活動してくれた。

 喜久家を旅立った藤井くんから、
感動の便りが届いたことを覚えている。

『お久しぶりです!
以前、喜久家でお世話になりました、
旅人こと自転車マンですv
おかげさまで今もなんとか旅を続けています^^

 すごいですね二名津の秋祭り!
牛鬼見たい!
めちゃくちゃ参加したいっ!!(笑)
 去年も時期が合わず、参加出来なかった事が今でも悔やまれます^^;


 それにしても…気が付けばあれからもう半年近くも月日が流れたんですね。
喜久家で過ごした時間は、暖かく、優しく、キラキラしている、
今でもとても大切な宝物です。


 それはきっとこれからどれだけの出会いを経験しても、
どれだけの月日が流れても、
決して変わらないんだと思います。


 喜久家で知り合ったみんなとは、今でも少しずつ連絡を取り合っていますが、
この絆も一生続く宝物にしていけたらいいな^^


 それにしても、こういう故郷の大切な文化をきちんと発信し、
世界と後世に向けて伝えようとしている岬人さんの生き方、本当にすばらしいと思います。
 初めて一緒にお酒を飲んだ席で故郷の事を語っていた姿、かっこよかったですよ!
大変な事も多いと思いますが岬人さんもどうかご無理をし過ぎないよう、
お身体にはくれぐれも気をつけて、いつまでも元気で居てくださいね^^

 
 岬人さんご一家、そして三崎の人たちのご健康を心から願っています。

 最後になりましたが、改めてお礼を言わせて下さい。
岬人さんやオーナー、そのご家族を始め、
喜久家プロジェクトを支えているたくさんの方々、
そして、喜久家で出会った全ての人達へ。

 かけがえのない時間を、本当にありがとう御座いましたm(_ _)m』


 藤井くんは、小雨まじりの別れの日、
職場まであいさつに来てくれた。

 期間中の藤井くんの平礒や松などの地域にたいする熱い想い、
地域の人たちや喜久家メンバーに対する
やさしい気持ちが走馬燈のように頭をかけめぐった。
 小雨にまじって、涙が頬を流れたのを覚えている。


 喜久家は、こんなすばらしい若者たちによって、
続けていくことができている。
 私の一生の宝物。

 佐田岬の秋空に、さわやかな風が吹きぬけていった。

                     岬人(はなんちゅう)
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愛媛には愛がある  ~渋谷駅にて佐田岬のみかんを配る修学旅行中の三崎高校生たち~

2016-10-13 | 感動
 三崎高等学校の2年生が、東京へ修学旅行中。
そして今日10月13日(水)におもしろいイベントを行ったみたいだ。




 日 時   平成28年10月13日(水) 朝9:00~9:30

 場 所   東京・渋谷駅西口、マークシティ入口付近

 活 動  「西宇和みかん」の無料配布




 毎年ふるさと佐田岬をPRするために行っていて、大好評。
多くの感謝や激励の言葉も寄せられている。1つ紹介する。

「今日、会社の同僚が渋谷駅付近でみかんをもらってきました。
見てみると西宇和みかんだったのでビックリしました。

 私は西宇和郡三瓶町の出身なので、スーパーでみかんを買うときに西宇和みかんを選んで買います。
ただ、出荷が少ないのかいつもあるわけじゃないし、他のみかんより少しお高めですが、
西宇和みかんを食べると他の地域のみかんが食べれなくなるくらいおいしいのでやっぱりあるときを選んで買ってしまいます。

 学校のサイトも拝見いたしました。
最後の更新が渋谷駅でみかん配りをするための袋詰めだったので今後の更新も楽しみにしています。

 会社の人にも「西宇和みかんはおいしいよ」と宣伝しておきました(笑)
 配っていたのは通勤ラッシュの時間帯だったようで、みかんを受け取ってもらえなかったりもしたかもしれませんが、
受け取った人には西宇和みかんのおいしさが伝わったと思います。

 修学旅行の学生さん達が東京横浜で楽しい時間を過ごせますようお祈り申し上げます。
 ありがとうございました。」


 詳しくは、「愛媛県立三崎高等学校」を検索。 

 西日本一細長い、四国最西端の佐田岬でとれたミカン。
自然の恵みと人々の愛がつまっている。
それを三崎高校の若者たちがお届けする。


 写真は、以前インドネシアの留学生たちが喜久家で活動してくれたもの。

 
         「段々畑にみかん」

 
         「青さがほどよい酸味」

 
         「モノラックに載せて運ぶ」

 
         「トラックに積みこまれた岬の秋の実り」

 
         「愛おしげに見るインドネシアのボランティア学生」

 
         「きれいなみかんで遊んでみました」

 このような様々な関わりがあり、おいしいみかんが届けられる。


 「愛媛には愛がある」
 
 「ふるさとには愛がある」




 2012年(H24)に喜久家ボランティアとして活動してくれた
インドネシアの大学生と愛媛大学大学院のフッサと地元の明るいおばちゃんたち。

 渋谷駅で愛媛からの愛を受けとってもらえてうれしい。

        
                    岬人(はなんちゅう) 
 
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喜久家ボランティアたちとの不思議な縁とつながり

2016-10-11 | 喜久家ボランティア
2泊3日で郷帰りしていた、もと喜久家ボランティアの薫ちゃんとみおちゃん。
昨夜2人とも無事京都と東京に着いたようだ。

 2人からそれを知らせる連絡があった。
気になっている方としては、安堵する瞬間だ。

 併せて、今回の感激についても語ってくれた。
「長武さんのおかげで、藤原先生や阿達先生、福岡さんとお知り合いになる事ができて、
また色んなお話が聞けました!
 縁とか繋がりって不思議ですね」


 私にとってもすてきな2人に会ってほしい人たちなのだ。
出会いは、お互いにとって変化のさざ波をもたらす。
 まさに、「人は、人によりて、人となる。」


 2日目、9日(日)最後の夜。
実家の縁側で夕食を楽しんだ。
 娘たちも交流し、将来の自分のイメージを膨らませたことだろう。


 3日目、10日(月)出発の朝8時前。
ちょうど良あんちゃんもいたので、実家の前で記念写真。




 2人とジョーは、この後誘われてヨットに乗らせてもらうために出発。

「ありがとう。よー、帰って来てくれたな。また帰っておいで。
行ってらっしゃい。」


 みんなが乗り込んだ車を見送る良あんちゃんと私。
やはり寂しさが残る。


 車がゴーロをまわり、見えなくなるまで手を振る。


 いつだって帰って来ていい。
ここは、みんなの第二のふるさとだから。

               岬人(はなんちゅう)

 
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大人の教科書

2016-10-09 | 教育
「自分は、なぜ勉強し、なにを勉強するのだろう?」

 そんな質問をされたら私たち大人は、どう答えるだろう。
以前買って読んだ本に「16歳の教科書」というものがある。
本棚から取り出し、再びパラパラとめくってみた。



「なぜ、大学に行くのだろう?
親や先生が行った方がいいというから?
友だちほとんどいっているから?
就職に不利だから?

 これだけが理由であるなら、行く意味はあまりない。

なぜなら、これらは、すべて『自分の外にある理由』だから。

 自分の人生なんだ。
自分でしっかりと決めないと。

 ただなんとなく、多くの人がそうしているから大学に行こうとしている。
そしてなんとなく勉強している。
あれほどたいへんな教科の勉強も、あやふやな理由で勉強しているだけかもしれない。

 もちろん、大人も勉強する。
それは、仕事に必要なものがほとんど。
勉強する理由、しなければならない理由は、しっかりとあるのが大人の勉強。
 だから関係しない勉強はほとんどしない。

 では、なぜ子どもたちは、大人たちもしないような勉強をするのだろう?
何を学ぼうとしているのだろうか?

 だから、16歳という今、真剣に考えてほしい。
自分が勉強する理由、そして何を勉強するかを。」



 私たち大人もしかり。
勉強って、自分を豊かに成長させていくためにあると思う。
そしてそんな自分が、誰かの何かの役にたてれば幸せ。

 自分の内にある理由を考えてみよう。
勉強に対して、みえてくるものがちがってくるのでは。

 
                   岬人(はなんちゅう)
         
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若者たちは、なぜ佐田岬(平礒、喜久家)へ帰って来るのか

2016-10-09 | 地域づくり
 昨日、昨年の喜久家国際ワークキャンプのメンバーだった薫ちゃんとみおちゃんが、平礒に帰ってきた。
2泊3日の岬旅(はなたび)だ。
 現在喜久家には、台湾のゴー、フランスのジョーがいる。

 もちろん夜は、懇親会。
弟の洋海、ちょうど帰省していた息子の武蔵、幸徳くん、美奈ちゃん、そして藤原先生。
今回の話題の中心は、「愛について」。

 人口50人の平礒で、喜久家に10人が集う。
この夜一番にぎやかだった場所だ。











 田村よっくんからのうれしい差し入れ。
みっちゃん大福、浅野さんちのデコポンろーる
みんな大好きな、思い出のスイーツ。

 



 薫ちゃん、みおちゃんのように、
若者たちは、なぜ佐田岬(平礒、喜久家)へ帰って来るのか。


 今回は、この疑問を薫ちゃんやみおちゃんにじっくりと聞いてみようと思う。
それが、田舎の、岬の、平礒、喜久家の魅力づくりにつながる。

「みおちゃん、東京から松山、そして佐田岬へと。
どんどんまちは小さくなり、人もいなくなる。
 すごいギャップやけど、なぜ何回も帰って来るの?」

「神崎口のバス停を降りると、空気がちがうんです。
湘南の海とも違う、千葉の海とも違う。
そして海の香りがします。」


 両側に広がる岬の群青の海。

 2人が出発するまでに、まだまだ聞いてみよう。


              岬人(はなんちゅう)
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八幡浜に「みなと湯」

2016-10-09 | 地域づくり
 八幡浜に待望の温泉ができた。

その名は、「みなと湯」。

 まだ入っていない。




 「高台から望む海、

 潮風にふかれ、

 山に実る木々の香り、

 風情のこる町並み、

 自然豊かな八幡浜。」


        
            岬人(はなんちゅう)
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