喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

部活動は何をめざすのか ☆

2010-03-31 | ブログ
 スポーツが、何をめざすのか?
 部活動や社会体育が、何をめざすのか?

それをしっかりとわかっていないと妙な方向に進んでしまいます。
そのことについて、ゆめさんからとってもすばらしい書きこみをいただいたので、紹介します。
 
 『☆初投稿させていただきます☆

私自身中学校の部活動は本当の部活動の意味など分からずスキルの向上だけを目標としてしていた気がします。
しかし、高校では顧問の先生から本当の部活動の意味を教えていただけたたように思います。
技術の向上よりも社会人としてのスキルアップができました。
練習も厳しく、レギュラー争いも激しかったため忍耐力、向上力、精神力を入学当初より数倍身に付けることができました。

部活動以外にも色々な活動をさせていただいていたので「生きる力」を様々な方々と関わることで私は身に付けることができたと思います。
だからこそ今の自分があるのだと思います。
 部活動もそうですし、その他の活動もそうなのですが、競技等のスキルアップを図ることも大切なのですが、その活動を通して「生きる力」を身に付けることが大切になっくるなと高校生のときに思いました。
 またそれは、教える先生、コーチ、指導者自身がその活動の意味・意義をきちんと把握した上で指導していかなければならないと思います。

 今は、小学校の教員を目指しているのですが、高校生のときには高校の体育の先生になって部活動を通して技術の向上だけでなく、人間として社会人としてのスキルアップを図れるような手助けをしたいなと思っていました。
その夢は今は途絶えてしまったのですが、小学校の教員として子どもたちに何かこれから生きていく上での「生きる力」を教えていけたらなと思っています。
 
 少年団の活動にも今関わっているのですが、最近競技の技術の向上ばかりに目がいきがちで、少年団の意義が失われつつあるのが私自身凄く残念でなりません。』

 すばらしい考え方ですね。
熱くなりすぎると、ついつい忘れてしまいがちになること。
軸をぶらさない指導を心がけていきます。

 子どもが変われば、未来が変わるのです☆

                              岬人


合宿のねうち

2010-03-30 | ブログ
「合宿で強くなるのではない。大切なのは、合宿後の練習である。」

 これは、尊敬する八幡浜高校陸上部監督「倉田茂」先生の言葉です。
全く同じ気持ちがします。

 昨日から今日にかけて、1泊2日の三崎中学校ソフトテニス部春合宿。
昨日午前10時開始。
昼食後1時30分から夕方6時まで、瀬戸中学校と宇和島城北中学校との練習試合。
夕食後は夜7時から9時まで、基本練習。
 本日は、8時30分から練習開始。
9時から昼1時まで、肱南中学校と土居中学校との練習試合。
昼食後2時から4時30分まで再び練習試合。

 自信ないプレーをしていた者が、生き生きとボールを打つようになりました。
逆に、思ったようなプレーができず、悩みもがいている子もいました。
これでいいのです。

 大切なのは、自分がどちらであろうとも、
それをこれから成長に変えていく力です。
 
 自信を成長につなげる者。
 くやしさをバネに成長していく者。

 自分と本気で向き合った合宿は、成長へのきっかけであり、
すべては、これからどんな気持ちで練習するかにかかっています。

 子どもたちは、部活動をとおして、自分がどんな生き方をするか学んでいるのです。
そして指導者である私は、そんな子どもたちにどんな関わりをするか学ばなくてはいけません。
 学ぶという字は、「子」と書きますが、子どもだけではなく大人も同じなのです。
 
 明日からの練習が勝負です。

                          岬人

四国最西端のすてきな少女たち

2010-03-30 | ブログ
 「本当、気持ちの良い子どもたちですね」

 この春合宿で、他校の先生から何度も言っていただいた言葉です。
その言葉でまた彼女たちが輝きを増していきます。
 
 今回の春合宿の目的は、
「集団生活をとおして、自分の生活態度や考え方を見なおし、自立心を養う」
でした。

 生活の一つ一つを見なおし、行動していった彼女たちがたのもしく見えました。
 
 食事の時。
 バイキング料理を栄養バランスよくとっていく。
全員がそろって、「いただきます」の合掌で食べ始め。
全員がそろって、「ごちそうさまでした」の合掌で食べ終わり。
食堂を出る時は、調理していただいた方々へ「ありがとうございました」の感謝の声。

 お風呂へ入る時。
 声の響くみんなの場では、大声をあげず静かに。
体を洗って、静かに湯船に入る。
使い終わった洗面器や椅子は、きちんとそろえて置く。
他にみだれているものがあれば、それらもそろえる。
脱衣所は濡らさないよう、きちんと体をふいて。
忘れ物のないよう、出て行く。

 迎えのバスでは、
運転手さんの顔を見て、「お願いします」とさわやかに言って乗車。
車内は、狭い空間なので迷惑にならないよう大声で話さない。
降りるときは、運転手さんの顔を見て、「ありがとうございました」とさわやかに言う。
一番最後の者は、忘れ物がないかを確認しながら、降りてくる。
全員降りたら、整列しバスが動き始めるのを全員で礼をして見送る。

 こんなことを彼女たちは、自分たちで考え行動していったのです。
見ていて、本当感激しました。
大人に近づくということは、自分以外のまわりをどれだけ見て、考えて行動できるかということだと思います。

 彼女たちは、やがて母になりそして我が子にしっかりと教えていくのです。
そんな未来は、すてきですね。

 写真は、先日できあがった「ふるさと看板」です。
子どもたちから募集した標語の中に、この地域のすばらしさがこめられています。

                             岬人

テニス春合宿

2010-03-29 | ブログ
 昨日も多くの方にお立ち寄りいただきました。

 閲覧数   543
 訪問者数  222

 記録更新です。

 今日から明日まで
ソフトテニス部の春合宿に行ってきますので、お休みします。

 たくさんの収穫を持って帰りたいと思います。

                    
                      岬人

縁結び ★

2010-03-28 | ブログ
 縁結びのすばらしさを感じています。

 かつて私はリーダーシップをとることにすごく魅力を感じていました。
したがってそれは、家庭・職場・仲間・仕事など多くの場面で実行していったことです。

 ところが、転機が訪れたのは、
平成17年~19年まで勤めた「国立大洲青年の家」でした。
 ここは、青少年はもちろん幼児からお年寄りまでの生涯教育施設として、地域教育拠点施設としてなくてはならない施設であると感じました。
 
 ここでコーディネーター(いわゆる縁結び)のむずかしさと魅力に出会ったのです。
全体を見ながら、場面やその人に応じた関わりをもっていく。
うまくいくと、みなさんの満足げな何とも言えないすてきな顔を見ることができるのです。

 この「喜久家プロジェクト」自体もまさにそんな取組ですし、
ブログにおいても「人と人をつなぐ縁結び」のようなものにしたいな、と思っています。 
 先ほど書いたブログにコメントがありました。
大好きな仲間の田村菓子舗三代目よっくんからです。
読んでみると、その考え方のすばらしさに感激。
コメントとしてしまっておくにはもったいないと考え、紹介します。


『久保さん、うれしいですね~。私からも何かを感じていただいて。

そして、視点を変える(ないものねだりでなく、あるもの探し)
ということはすごく大切で無限の可能性を広げると私は思っています。

 田舎に帰ったとき、歯が痛くて歯医者さん巡りをしたことがあって、
歯医者さんには「仕事をやめたら、痛みなくなるよ」と言われ、
自分で気づかぬうちにストレスがたまってたんやなと思いました。
 それから、ある人との出会いがあり、視点が変わりました。
積極的に地域の活動、まちおこしに関わるようになりました。
 それから、何年も悩み、失敗し行動を重ね、自分の居場所を見つけましたし、
自分が故郷に貢献するということは、お菓子を通して地域の情報・文化、地域でがんばってる人を紹介・発信することだというひとつの答えを得ました。

 私達のうまれた佐田岬はたくさんの良いものをもっています。
私はこの半島にたくさんの宝があると思っているので、今度は何を使って情報発信しようか?
みんなに何を伝えようかと毎日ワクワクしています。
ワクワクって大事です。楽しいから続くのです。やり続けるから楽しくなるのです。

 一番大切なのは想いです。自分の故郷が好きだから、どんどん知ろうと思います。
好きな子ができたら情報収集するのと一緒ですね(笑)
あの子のこともっと知りたいと思いますよね。
近くにいたいって思いますよね。いいところ、みんなに知ってもらいたいと思いますよね。
 私の故郷への思いはそんな感じです。

 ただ、好きだから・・・・
 自分の育った故郷だから・・・

 やはりインプットしたらアウトプットする。
そして思考は形づけられていくと思います。
自分が得た学びや気づきはそれを必要としている人にあげれたらいいなあと思います。

 謙虚な姿勢、学ぶ心、とても大切です。
頭をたれて教えをこう。
高飛車な人間に教えてあげよう、助けてあげようなんて人いないはずです。

 私もいろんな出会いによって生かされている、ありがたいなあと感じます。
喜久家プロジェクトの皆さんとの出会いも大切なご縁です。
 恭平くんや久保さん達との出会いで自分も学ぶことがあり、元気をもらったりとありがたいです。
そうして、いままで接点がなかった地元の人達とも深く関わることができるようになり感謝しています。
プロジェクトをたちあげたおさむ先生、洋海くんに感謝しています。

 私の好きな言葉は
「人は石垣 人は城」
 戦国時代、みんながきそって堅固な山城を作る中、
甲斐国の戦国大名、武田信玄は平地に館をこしらえたのみです。
それは、彼自身の中に人は堅固な石垣や城に勝るんだよという考えがあったからです。

 人は宝、人の可能性は無限大です。
小さな波がやがて大きなうねりを生むように、ワクワクできるような取り組みをしたいと思います。

 子供達から、あんな大人になりたいとおもわれるような大人を目指して・・・


 いかがでしたか?
30歳過ぎの若者ですよ。
本当、ビックリします。
やはり時代を切り拓いていくのは、若者たちですね。
ならば、私たちはどうするか?

 今夜の「龍馬伝」
龍馬は、ついに土佐を脱藩し、歴史の表舞台へと出て行きます。
もちろん、それを龍馬は知るよしもなく。

                         岬人(はなんちゅう)
 

すてきなお便り ☆

2010-03-28 | 喜久家の情報
 すてきなお便りをいただきました。

 愛媛大学教育学部の久保さんからです。
久保さんとの出会いは、昨年の夏。
喜久家で「田舎に泊まろう」企画をしたときの中高生のリーダーでした。
今年1月下旬、柑橘の作業にも中高生のリーダーとして来てくれました。
そして3月には、喜久家国際ワークキャンプに友だち2人と一緒に途中参加してくれたのです。
 
 その体験をふり返って次のようなお便りを送っていただきました。

 『夏から大変お世話になりました。
みなチャレで伊方を知ってから、たくさん貴重な経験をさせて頂くことができて、本当に本当に良かったなと思っています。

 ワークキャンプの4日間はすごく濃くて、貴重な経験ができました。
 農家の方からは、平礒の暮らしや人々の関わり、ご自身の人生、仕事への思い、子どもへの思いなど、じっくりお聞きすることができました。
私がこれからどう生きていくのか、すごく考えさせられました。
どこにどんな思いで住んで、何を考えて生きていくのか、今まで深く考えていませんでした。

 ワークキャンプの仲間からも、たくさん刺激を受けました。
あたたかい気配りをしてくれたり、メンバー一人一人をよく見ていたり、集団で生活する中で自分がどうすれば貢献できるのか考えて行動していたり、自分の考えや思い・経験を自分の言葉で語れたり・・・
 
 驚きの連続だったし、見習いたいなと思いました。
自分も、もっと考えよう、もっと悩もう、大人になろうと思いました。
たった4日しか一緒にいなかったのに、すごく深い話もできました。
私のことを見てくれていて、私の課題を教えてくれたり、新しい考え方を教えてくれたりしました。
自分を磨こうと思ったし、真剣に考えようと思いました。

 ワークキャンプには4日だけの参加にも関わらず、メンバーは受け入れてくれて、仲間に入れてくれました。
小さなこたつに11人で囲んで、夜までいろんな話をしました。
本当に本当に幸せでした。
喜久家はあたたかかったです。
こんなに仲良くなれて、かっこいいと尊敬できて、また会いたいと心から思えて、ずーっと連絡を取ろうと思える仲間に出会えて、とてもとても嬉しいです。
すごく大事にしたい出会いです。

 最後のフェアウェルパーティーに来るときに、田村さん(田村菓子舗の三代目)に松山から車に乗せて頂きました。
そのときに、車の中で2時間、田村さんとお話することができました。
地元で生産されているものを使ったお菓子作りをされている田村さんの思いや、実習に来る子ども達への思い、地元への思いをお聞きすることができました。

 自分の目標や思いを熱く語って下さって、すごくかっこよかったです。
熱く語れるだけの思いを持って、お仕事されているのを知って、こんな風に生き生きキラキラお仕事できたらいいなと思いました。
 田村さんにお会いする前に、デコポンろーるを頂いたとき、本当においしくて嬉しくて幸せだったのですが、お菓子に込められた思いを聞いてもっと好きになりました。

 今回、参加して、どんな教員になりたいのか、何を伝えていけばいいのか、どんな人間になろうか、頭の中をぐるぐるしています。
多くの方から、心にたくさんプレゼントをもらいました。
心の中に、いろんな思いが入ったけれど、さてこれからどうしようと考えています。
ワークキャンプで素晴らしい方々に出会うことができたことだけで、すごいことをした気分にならないで、この経験を活かせるようにします。

 こんな素敵な経験をさせて頂いて、本当にありがとうございました。
 三崎の星は本当にきれいでした。今も忘れられないです。』

 いかがですか?久保さんの想い。
 「すばらしいのは、こんな体験に感動する彼女の心がすばらしい」
と思いました。
 そして田舎には、そんな感動をおこさせる人やモノがいっぱいあるのです。

 みなさん、「田舎に泊まりましょう!」

 喜久家では、多くの人の受け入れを行っています。
ワンコインで。
お気軽にどうぞ。

                           岬人


小さな草葉の一粒の露 ☆

2010-03-28 | ブログ
 「すてきな情報は、発信するところに集まる」
これは、尊敬する双海町の若松進一さんの教えです。

 文章を書くのが苦手な私ですが、発信すること(out put)を大切にしたいと思い、
ブログを書き始めて1ヶ月が過ぎました。
 
 この1ヶ月間で少しずつ変化が見られてきました。
それは、あたたかい書きこみが増えてきたこと。
閲覧数・訪問者数が増えてきたこと。
 
 先週3月26日(金)には、過去最高記録更新。
426件の閲覧数と156件の訪問者数。
先週1週間でも、2466件の閲覧数と879件の訪問者数。
本当にありがたいことです。

 書きたいことは、毎日たくさんあります。
それはきっと感性が少しずつ豊かになってきたからかもしれません。

「都会にくらべて田舎には、何にもない」
という以前の考え方から
「田舎にしかないものは、たくさんある」といった心の変化でしょう。

 今日の1枚の写真から、 
インドの詩人タゴールの言葉を思いうかべます。

 『私は世界をめぐった。
あらゆる土地、あらゆる国を訪ねた。
山も海も川もめぐった。
 
 だが私は忘れていた。
私の家のすぐ外の小さな草の葉に一粒の露が宿って、
そこに全宇宙が映し出されているのを…。』

 いかがですか?
 大切なのは、どのように感じるかという自分の心ではないでしょうか。
 
 この「喜久家プロジェクト」におこしいただいたみなさんに、
心から感謝しています。

                    岬人


 

夢をつかむ

2010-03-27 | ブログ
 伊方中学校で女子バレー部を担当していた時、
田中義則先生率いる、川之石高校女子バレー部に多くのことを学ばせていただきました。
 実に明るく・さわやかでねばり強いチーム。
彼女たちが練習の終わりに、大きな声でイメージトレーニングしていた言葉があります。
それは、みごとにゆれ動く心をあらわしたものでした。
 少しアレンジしましたが、
それ以降、関わった子どもたちにずっと伝え続けている言霊です。


私はできる!
負けそうだなと思うと 私は負ける
もうダメかなと思うと そこからダメになる
できると思う心のどこかに 無理かもしれないという心がある
そして次から次へ 無理かもしれないという心が出てくる
失敗しそうだなと思うと 私は失敗する
不安が不安を生み 焦りが自信を失わせる

夢をつかんだ人をみてみよう
最後まで夢を追い続けた人だけが 最後まで自分を信じ続けた人だけが
夢をつかんでいるではないか
すべては 私の「心」が決めるのだ
もし私が願い続けるなら 私はそのとおりの人になる

さあやろう 強い人が夢をつかめるとは限らない
頭のいい人が夢をつかめるとも限らない
「私はできる!」
そう信じ続ける私だけが 夢をつかめるのだ

 
 オバマ大統領も演説でよく言っていましたね。
Yes,Ican. 
Yes,We can.

 夢をかなえるカギは、私の中にあるのです。

                        岬人
 

四国最西端の小さな学校ドラマ

2010-03-27 | ブログ
 私は、四国最西端の佐田岬半島にある伊方町立三崎中学校で教師をしています。

 写真は、先日三崎港から撮った夕日の写真です。
オレンジ色に染まる空と海。
尾根には、風車が悠々と回っています。
九州大分県佐賀関には、手が届きそうです。

 自然も感動的ですが、三崎中学校の78人の子どもたちも輝いています。

 今日は、担当している女子ソフトテニス部の大会がありました。
八幡浜・西宇和地域の大会で、その歴史は何と50回。
親子2代でこの大会に参加する人もいるのです。

 結果は、2チームとも予選リーグは通過しましたが、
決勝トーナメント初戦で負けてしまいました。
 部活動を指導していて最も難しいのは、技術指導もさることながら、
心を強く育てることです。
 
 この心ひとつで、プレーが全くちがってきます。
そのため、生活指導とは両輪の関係。
良い結果でも戒めなければならないときもあるし、
思わぬ結果でも大いにほめたいこともあります。
試合結果だけで、一喜一憂しません。
 今日の試合は、心の弱さが顔をのぞかせました。

 純粋なソフトテニス部の子どもたちも
そのことはよくわかっていて、月曜日からの春合宿を一生懸命がんばろうとしています。
もちろん指導者は、それ以上にがんばらなくてはいけません。

 一番の敵は、コートの向こうにいるのではなく、
自分の中にいるのです。

                        岬人

 

鳥と山桜

2010-03-26 | ブログ
 写真は、三崎港から八幡神社鎮守の森を見たものです。

 鎮守の森は、てつかずのまま残されていて、貴重な自然博物館。
愛媛新聞社発行の「日本列島 鳥の旅」で佐田岬は、次のように紹介されています。

「緑の中に点々と霞むヤマザクラの花の群れ。
微妙に異なるさまざまな緑と薄紅色が、
モザイク模様になって山をひときわ輝かせています。
こんなに美しい配色を誰が考え出したのでしょうか。」
 
 佐田岬半島は、知る人ぞ知る渡り鳥のルートとして、全国的に有名なポイントです。
圧巻は秋、数百羽のヒヨドリが群れなす渡り。
そして春、やがてツバメが帰ってきます。

 「美しく咲いているヤマザクラや緑の木々は、
半島に渡って来た小鳥たちが落とした種から育ってきたのではないか。
ハヤブサの鋭い爪から逃れ、
生き続けた鳥たちが落とした無数の種から…。
その小さな種が土にもぐり、雨をうけて伸びたのだ。
そして、いつの間にか葉を茂らせ、花を咲かせて実を結んだにちがいない。
 鳥たちはその実を食べて命をつなぎ、その鳥たちをハヤブサがねらう。
ヤマザクラが咲いて、ハヤブサにヒナが生まれ、花が散って緑が萌える頃には、
ヒナは力強く巣立っていく。

 何千年、何万年をかけて自然は黙々とその営みをくり返している。
海と空の間を悠久の時が流れていく。
生命が生命に受けつがれていく。」

 岬の尾根に立ち、ふとっ、こんなことを思いました。

                        岬人(花んちゅう)

 

佐田岬半島を染める11万本の山桜

2010-03-25 | ブログ
 ピンク色に化粧する佐田岬半島

 西宇和郡伊方町に自生するヤマザクラが間もなく見ごろをむかえます。
この土・日曜日あたりにいかがですか。

 このヤマザクラの本数を1本1本3日かけて、
カウンターで数えた地元の人がいます。
その数、何と11万本!
10年前、同じように数えた時の倍ほどに増えているらしいです。

 70年ほど前までは、木ろうをとるために育てられたハゼの木が多かったようです。
産業が移り変わり、薪を切らなくなったことから、
ヤマザクラが増えたのではないかと言われています。

 また、メロディーライン沿いには、
この国道を桜並木にしようと願った地元の有志の人たちによって植えられた
ソメイヨシノの桜もみごとに咲いています。

 公園で見る桜も良いですが、
佐田岬半島の桜を見に来られませんか。

 こちらが故郷の人も久しぶりに里帰りしてみませんか。

                         岬人(花んちゅう) 
 
 

佐田岬の山桜

2010-03-24 | ブログ
 佐田岬の山桜をぜひ見に来ませんか。

 そのときのために、少し山桜についてお話しします。
 昨日の本居宣長の和歌
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」

 本居宣長は、江戸時代後期の国学者でした。
したがってこの教えが、幕末の「尊皇攘夷」という考えにつながっていきます。
 昭和の時代、太平洋戦争。
昭和19年10月25日に神風特攻隊が始まり、終戦の昭和20年8月15日にいたるまで、出撃機数2,367機、乗員2,530名を数えました。

 その最初の出撃で戦果を上げ、軍神と讃えられたのが、
愛媛県西条市出身で霞ケ浦海軍航空隊教官でもあった、「関行男中佐」率いる五機からなる「特攻敷島隊」だったのです。

 この敷島隊という名は、実は本居宣長の和歌からとったものです。
その後も和歌の名詞から、
「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」という特別攻撃隊がつくられたようです。

 映画「男たちの大和」の中で良寛の歌が出てきます。
「散る桜、残る桜も散る桜」

 というわけで、桜と言えば「散りゆく美学」のようなイメージが
強くなっているようです。
 
 しかし、散るということは、「いかに生きたか」、という生き方を大切にしていると
思うのです。

 そんな思いももちながら、
佐田岬の山桜をごらんください。

 ちょっと、しんみりしましたね。

                           岬人  
 

桜 ☆

2010-03-23 | ブログ
 山桜が、佐田岬半島に咲き始めました。

 知り合いの柴崎あいさんからすてきな和歌を教えてもらいました。
 柴崎さんは、ボランティアのすばらしさを深く勉強されていて、
知的で行動力とやさしさのあるとてもすてきな方です。

 「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
 「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」

 作者は、18世紀後半の国学者本居宣長(もとおりのりなが)。
「大和心(魂)」とは、いうならば「朝日に匂ふ山桜花」のようなものと言っています。
つまり、日本人の心とは、山桜のようなやさしく、やわらいだ心のこと。

 「敷島の」とは、和歌で特定の言葉の前に付ける決まり文句である枕詞(まくらことば)で、これといった意味はなく、「大和心」をよりすてきに言いあらわす枕詞です。


 佐田岬に咲き誇る山桜は、私たち日本人の心をあらわしているようです。 


                            岬人(はなんちゅう)

春分の日

2010-03-22 | ブログ
 昨日は、黄砂の嵐でした。
 そして3月21日(月暦二月六日)、春分の日。
今日は、おだやかな天気で、お墓参りをするには絶好の日です。

 お彼岸(ひがん)とは、日本独自の雑節で先祖の供養をする日。
3月18日(月暦では、二月三日)。
今日の春分の日をはさんで、前後3日ずつの7日間をいう場合もあります。

 写真は、平礒にある実家のお墓です。
平礒集落を見下ろすお墓の一番高いところにあります。
昨年、2カ所に分かれていたお墓を1つにまとめる大事業をしました。
移転のさいには、両親と墓を掘りおこし、お骨を取りだしました。
 
 そのときの驚きと感動の場面を。
 父の親は、太平洋戦争に出征し、帰らぬ人となりました。
東北沖で輸送船に乗りこんでいたときに撃沈され、遺骨はありません。
父がまだものごころつく前だったので、顔さえ覚えておらず、
明治生まれの祖父鶴松が親代わりとなったのです。
 
 父は高校の修学旅行で東京の靖国神社をお参りし、
2合入りの酒とっくりを鶴松のお土産に買って帰ったそうです。
それからわずか1年後父が高校3年生の秋、鶴松はこの世を去ります。
お墓には、お骨と一緒にそのとっくりを納めたそうです。

 それから50年の時が経ち、今回のお墓移転。
私が鶴松のお墓を掘りおこしていたときに、お骨と一緒にそのとっくりが出てきたのです。
「父ちゃんこんな物、出てきたで」
と手渡すと
父は、忘れていた50年前の記憶をよびもどし、
黙ったままそのとっくりについた土をていねいにはらい、じっと見つめていました。
70歳をまわった父が、18歳の高校生の姿と重なりました。
そして今の話をしてくれたのです。

 その時、強く思いました。
 「今、自分がここにいるのは、
先祖からの命のたすきリレーであり、
その一人がかけていても、自分は誕生していないのだ。」と。
そしてこの命のたすきリレーは、私の子どもたちへとつながれていきます。

 春分とは、
昼夜の時間がほぼ等しくなる日。
太陽は、真東から出て、真西に沈みます。
お墓の表は、だいたい西を向けています。
 仏教でいう西方には、亡くなった先祖の「浄土」があるのです。

                      岬人(はなんちゅう) 浅野長武



日本の未来は明るい!

2010-03-21 | ブログ
 鈴木恭平君、6ヶ月間のキセキ ★

 昨年10月から6ヶ月間、喜久家の顔として取り組んでくれました。
写真は、地元二名津の秋祭りに参加したときのものです。
(左:恭平、右:台湾出身のシュウ)
地元の若衆に飛びこみ唐獅子も踊りました。

 彼は、埼玉県出身の国士舘大学生。
1年間の休学をとり、国内ボランティア活動に励んでいました。
喜久家には、農水省「田舎で働き隊事業」の1人としてやってきました。
とにかく、「体で感じるタイプ」
考えるよりもまず行動。
農作業では、草刈り機やチェンソーまで使いこなすようになり、
耕作放棄地の再生にも取り組んでくれました。

 とても社交的で、喜久家にくる国内外のメンバーともすぐにうちとけ、
3月の国際ワークキャンプでは、リーダーをつとめました。
笑顔で仲間を盛り上げながら、小さな気配りでお互いをつなぎました。
 学校訪問では、子どもたちの人気者。
彼の周りには、いつも子どもたちが集まりました。

 この6ヶ月間の大きな収穫として、
「相手の心を感じて、想いを受け止めることができるようになった」
と言っていました。
本当、すごいです。
これは、人と人とをつないでいく最も大切なところです。

 彼のような若者がいるかぎり、
日本の未来は、まちがいなく明るいと思います。

 昨年お会いしたノンフィクション作家の佐野眞一さんが、
多くの聞き取りや調査をしていく中で、共通点をあげられていました。
「今まで社会を大きく動かしてきた人たちの共通点は、年齢が30歳前後の若者★」
とのこと。

 今夜は、お楽しみの「龍馬伝」
幕末の若き志士たちの情熱が、時代を動かします。

 昨日、鈴木恭平君は新たな夢に向かって旅立ちました。

                               岬人