喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

気心の知れた人たちとの時間 ~代官町別邸「橙」にて~

2018-01-30 | 感動
 田舎者の私に松山でお気に入りの店がある。
代官町別邸「橙」。
 


 地下に広がる別世界。
そしてこのネーミング。

 柑橘農家の我が家ではかつて橙が生業の中心だった。

 橙は、暖地で栽培される常緑低木。果皮を乾燥したものが橙皮で、芳香性健胃に、また香料・調味にも用いる。
冬になると果実が橙黄色になり、夏を過ぎた頃から緑色になって、果実が2~3年は落ちない。
次の年も代々、果実がついているのでダイダイの名がついた。
 こうして縁起担ぎとして新年に飾られるようになった。

 酸味があまりにも強く食べられたものではない。
ほとんどが甘夏に切り換えられ、今や橙は残っていない。

 だから「橙」という響きに、そんな懐かしさがこみあげてくる。



 平成30年1月27日(土)に、お気に入りの店「橙」で、
気心の知れた人たちと新春の会をもった。

 雰囲気のみならず、創作料理もいい。
まずは、サラダ。
今年は、野菜の不作により値段がとても高い。ほうれん草がうまい。


 魚は地元佐田岬のものが美味いと思うが、寒ブリの刺身。


 創作料理で、あなごを湯葉で巻き、チーズをたっぷりとかけている。
これは初めての味。かなり美味い。


 次はすき焼きを餃子の皮で巻いたようなもの。
濃い味で、ビールにはよく合う。


 飲み物は、ビールや超辛口の日本酒「石鎚」を呑みながら、満たされた気分。


 顔なじみの小林店長が、気づかいしてくれながら、
注文や様子をうかがいに来てくれるのもありがたかった。

 酒良し、料理良し、おもてなし良しの三方良し。

 だから話も途切れることなく盛り上がる。
笑いも絶えない。


 ふと、思った。
橙という店の空間で共にする時間。

 話のなかみは大したことではない。
25年を超す、気心の知れた者たち同士だからできあがる、この雰囲気がたまらなくいい。

 こんなつながりができていることを、幸せに思う。
これからもずっと大切にしていきたい。


 この後、まだまだ松山の夜は続いた。


         岬人(はなんちゅう)

 

 

 
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パンはごはん?それともお菓子? ~自家製酵母パン Coccinelle (コシニール)~

2018-01-29 | 
 パンはご飯?
それともお菓子?

 田舎生まれで、農家の息子の私にとっては、
「パンは食事」という感覚があまりない。
何か物足りなさを感じる。

 27日(土)、松山での予定の時間までには、まだゆとりがあったので、
ふだんあまり行かないパン屋を訪ねた。
店名は、Coccinelle (コシニール)。
 この日は、昼食をとっていなかったので、昼食代わり。

 目をひく店の外観。
そして窓が多い、明るい店内に入る。

 たくさんの珍しいパンが並んでいる。
選ぶのに困る。

 決めかねていると、店員さんの声が聞こえた。
「焼きたてのパンができあがりました。」
 ふり向くと、店員さんと目が合い、
いかにもおいしいですよ、と目で訴えてくる感じ。

 迷わずそれに決めて手に取る。
ズシッとくる重さ。
そしてチョコレートたっぷりで、あまーい香りが漂う。

 


 初めての味わいだった。
 コシニールのおいしいパンを味わいながら、
昔、田舎にもトラックで音楽を鳴らしながら売りに来ていた「ロバのパン」をなつかしく思い出す。

 そしてそれ以上に最も食べているだろう、
二名津の「田村のパン」を思い出す。

 まちで人気のパンと
引き継がれてきた田舎パンの昔からの変わらない味。

 そんなことを考えながら食べていたら、
お腹も心も大きく満たされていた。

 また食べに来たいパン屋さんだった。

          岬人(はなんちゅう)
 
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冷えこんだ女子岬

2018-01-25 | 佐田岬の風景
 佐田岬も今朝は冷えこんだ。
氷柱も見られたり。

 出勤途中に止まって見た亀ヶ池。



 女子岬の向こうから朝日が昇る。



 ふるさと佐田岬の冬の景色。


           岬人(はなんちゅう)
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ホーリーから、ちょっとしたアドバイス

2018-01-21 | 生き方
 1月4日(木)の早朝に、27歳の女性がガンで亡くなった。
女性が亡くなる前に残した手紙を、ご遺族の方がFacebookに公開。

 生きるってことを、もっともっと感じたい。



『ホーリーから、人生のちょっとしたアドバイス』



26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは少し珍しいことかもしれません。

なぜなら、多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は当たり前のように過ぎていきます、まるでそれがずっと続くかのように。



私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。

他の多くの人がそう考えるように、たくさんの子どもに囲まれ

愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。

しかし人生は儚く、貴重で、予想できないものです。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく贈り物なのです。



私は27歳です。

まだこの人生を終わらせたくない。

私は自分の人生を愛していて、とても幸せなのです。

でも、もう私にはコントロールすることはできません。



私はただみんなに、些細で意味のないようなことにあまり心配しないで欲しいのです。

そして覚えておいて下さい。

最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

なのであなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。



些細なことには寛大でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に悪い影響を与えないようにしてください。

イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮なオーストラリアの空気を

胸いっぱいに吸い込んで下さい。

そして空の青さを、木々の緑を見てください。それらはとても美しいものです。

考えてみてください。

呼吸ができること、その素晴らしさを。



もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし

変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。



しかしそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないと断言できます。

人生全体で見れば、これらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが

私の願いは、もう一度だけ家族と誕生日を過ごしたい

もう一度だけクリスマスを迎えたい

もう一度だけパートナーと過ごしたい

それだけです。

たったもう一度だけでいいから。



仕事がどれだけ大変だったか、エクササイズがどれだけハードだったかなどの

不満を訴える人がいますが、まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること

身体が機能すること、それだけで素晴らしいことなのです。

食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。



そして、お互いを助け合いましょう。



与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。

私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。

とても返しきれるものではありません。

そのことを私は一生忘れないでしょう。




あなたが死ぬときにお金を持っていてもなんの意味もありません。

自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。

あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。

何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。

その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。



自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。

ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。

自然を感じてください。

携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。

大切な人との血の通う時間を大切にしてください。



早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。


音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。


犬を抱きしめてください。


携帯を置いて、友達と話をしましょう。


旅をしたいならしましょう。


生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。


心が幸せに感じることをしてください。


ケーキだって食べていいのです。何の罪悪感もありません。


やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。


他の人が考える理想の人生にプレッシャーを感じなくても大丈夫です。


平凡な人生を望んでも全く構いません。


愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。



そして覚えていてください。

もし何かが、あなたを惨めな気持ちにさせているなら

ーそれが仕事や恋愛など何であれ

あなたにはそれを変える力があります。

変える勇気をもって下さい。


この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから

そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。



とにかく、これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。

覚えていてくれても、忘れても、私は構いません。



あと最後に一つだけ、もし可能なら定期的に献血をしてください。

見過ごされがちだけど、一回の献血で3人の命が救えるのです。

これはすべての人が持つとても偉大な力です。


献血のおかげで、私は一年間も長く生きることができました。

大切な人たちと過ごすことができたこの一年間を、私は一生忘れません。

それは、私の人生で最も素晴らしい一年でした。



それでは、また会う日まで。



ホーリー
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誕生日は、親としての誕生日

2018-01-20 | 生き方
 1月19日(金)は、私の50回目の誕生日。
いつものように朝、母家の両親にあいさつに行く。

 「今日、おかげさまで50歳になったよ。ありがとう。」

 77歳になる父から
 「早えのー。早そげなるかや。
われが大学ぬけて就職する時にトラックで荷物運んだの。
 あの頃は、みかん仕事に一生懸命やった。」

 と私が就職したときのことが、強く思い出に残っているようだ。



 自分の人生をふり返るということは、
両親にとっても親としての時間をふり返るということ。
 自分の誕生日は、親としての誕生日ともいえる。

 自分が豊かな生き方をすれば、親としても喜ばしいことになるのではないか。
すてきな生き方をしていきたいものだ。


 歳とともに誕生日に対する考えが変わってきたことを感じる。


         岬人(はなんちゅう)

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浅野農園~太陽と潮風の恵み~ の贈り物

2018-01-18 | 農業
 こちら愛媛県最西端の佐田岬半島。
太陽と潮風の恵みを受けて育った柑橘。
 我が家族の愛情もいっぱい注いで。

 これからが本格的な収穫時期。

 まずはポンカン
オレンジ色を見ると幸せな気持ちになる


 前季の清見(きよみ)ジュース
熟成され、味がまろやかになている。




 ふるさとの宝物


 
 こんな柑橘を贈りたい人がいる。
気に入ってもらえるとうれしい。

 幸せをのせた柑橘。
幸せが広がりますように。

 
     岬人(はなんちゅう)
 
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佐田岬の豊かさがギッシリとつまった「えびすや旅館」

2018-01-10 | 佐田岬の風景
 昨夜、母校愛媛県立三崎高等学校の未来について、極秘のミーティングが開かれた。
場所は、三崎の「えびすや旅館」

 久しぶりに昭和の雰囲気がぷんぷん漂う路地を歩き、
ガラガラとガラス戸を開ける。
「こんばんは~」
中から
「はーい」
という大女将さんの元気な声が響いた。

 息子と大女将さんの孫娘は同級生で、先日成人式を迎えたばかり。
そんな話でも盛り上がり、中へ通された。

 大三島に住む有名な画家が、えびすやに泊まり、とても気に入り描いたもの。
 





 古くて新しい雰囲気だ。

 すでに一人は来られており、間もなく二人も到着。
初対面の人もいて、簡単にあいさつし、早速乾杯。
そして美味しい料理。
 ご覧いただきたい。













 途中、差し入れしていただいたアワビの刺身。
これには、4人とも大喜び。
そしてこのおもてなしに感激。



締めは、これまためずらしい、美味しい料理。



 佐田岬で捕れた新鮮な海の幸。
その素材を引き立たせる創作料理とその腕前。
 そして何よりもえびすやのみなさんのおもてなしの心。

 みんなお腹も心もいっぱいにふくらんだ。

 田舎のあたたかさとぜいたくさがつまっている。


             岬人(はなんちゅう)

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息子とにごり酒(桜うづまき)を呑む

2018-01-08 | 歴史・伝統・文化
 日本という国は本当すばらしい。
歳とともにそれを感じる。
 生活に欠かせない「衣・食・住」のどれをとっても逸品ばかり。
長い歴史と伝統に培われ、人々はそれを引き継ぎ、新たに工夫を加えてきた。

 先日、平礒の親分こと恒あんちゃんからにごり酒をもらった。
弟は呑まないので、日本酒好きの息子が帰っているわが家へプレゼント。

 ふだんあまり呑むことのないにごり酒ってどんな酒なのだろうか?
 もちろんお酒(日本酒)は、もともと神様と関係の深い飲み物ということが、
他のビールやウイスキーなどの海外から伝わったアルコールと違うところ。

 濁り酒(にごり酒)を調べてみた。
「普通、日本酒を造るときは発酵されてドロドロになっているお米を酒袋に入れてギュッとしぼって液体を抽出します。
その液体を寝かせてそこに溜まっている澱(おり)を取り除き、さらにろ過します。
なので、澄み切った色をしているのですね。

にごり酒は、発酵したお米をしぼる時、酒袋の目をわざと荒くして澱を残したままにされたもののことなのです。
なので、名前にあるにごりとは、澱のことを指します。

 にごり酒の味を一言で言うと「お米そのものの味が生きている」につきます。
日本酒がすっきりとしたさわやかな飲み口なのに対して、にごり酒はどっしりと濃厚で飲み口がとろりとしています。
 また、種類によってクセや特徴が大きく異なるのもにごり酒の味わいの一つ。

 にごり酒の飲み方をご紹介します。
にごり酒は冷か常温でいただくのが一般的な美味しい飲み方です。
上澄みと白濁した下層部の二層になっている時は、入れる前に瓶をゆっくりと振って澱を絡めていきましょう。
澱と絡まることで、お酒のクリーミーな口当たりと味わいが楽しめます。

また、注いでからしばらく時間をおいて再び二層に分かれさせ、
まずはさっぱりとした上澄み部分を楽しんだあと、
再度まぜてトロリとした味わいのメリハリを楽しむのもオススメです。

 有名なにごり酒としては、
もちろん安倍総理もお勧めの山口県の獺祭(だっさい)。
獺祭は、スパークリングのにごり酒です。シャンパンのようなきめ細やかな発泡性は、
にごり酒が初心者の方でもすいすいと飲めるやさしい口当たりとまろやかさです。
 日にちがたって炭酸が抜けても、にごり酒として、また違った楽しみ方が出来るユニークなお酒です。

 獺祭と同じような物として、有名な八海山。
 古き良き日本古来のにごり酒を楽しみたい方に断然オススメなのが菊水。
 息子と呑んだのは、桜うづまき


 

 旨いと言って呑む息子だが、お腹がすいていたのか、何と娘が作ったハヤシライスに、しかもトンカツまでのせて食べながら、
にごり酒を呑むという考えられないような組み合わせ。

 私は枝豆をつまみながら呑んだ。
ところが調べてみると、以外にも

「基本的に、にごり酒はいわゆる日本酒の酒のつまみのような食材と一緒に飲むよりは、
シャンパンなどに合う料理といただくのがオススメとされています。

おつまみ系ではチーズや、パテなど口当たりがクリーミーなものを選ぶのがポイントです。
料理は発泡していないにごり酒は、お肉料理や中華料理など、味が濃い目のがっつりした料理がオススメです。
スパークリングタイプは素材の味を生かした料理や魚料理が良く合います。」


とのこと。
つまり、息子のトンカツをのせた牛肉入りハヤシライスは相性ピッタリの食べ物だった。
何事も試してみないとわからないということだろうか。

 働いた後の父と息子で呑むにごり酒。
田舎暮らしは、いいものだ。
 こうして楽しい時間は、ほろ酔いとともに過ぎっていった。


            岬人(はなんちゅう)

 
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愛媛県立三崎高等学校のすばらしい教育 ~植松努さんの考える、個性を大切にする教育~

2018-01-07 | 教育
 正月明けの3連休で息子が再び松山から帰省。
我が子が3人そろったので、教育について考えている。

 双子の高校2年の娘たちは愛媛県立三崎高等学校で、実に様々な学びをしている。
 姉は、校内スピーチコンテストの原稿書きや
2月に計画している県内外の個性的な高校を集めての「高校生サミット(仮称)」の企画で忙しそう。

 妹は、昨夏推薦してもらい、体験させてもらった「高校生トビタテ留学ジャパン ~カンボジア国際ボランティア~」の
大量の報告書作成で忙しそう。

 言わば、三崎高校では、普通の高校とは違ったやり方で、個性を伸ばす教育活動が行なわれている。
これは実におもしろい。
 世間一般的に多いのは大学受験に向けて、つめ込みの勉強、勉強また勉強。
国際化、情報化、少子高齢化など変化の激しい今の社会に、これらの勉強で自分のどんな未来が描けるだろう。

 自分で考えて、自分で試してみて、身に付いた経験が個性。
答えがいくつもある課題。または答えが見つけにくい課題が多いこれからの時代。
だからこそ、自分を総動員した個性が重要になるだろう。

 だから息子が通う「愛媛県立農業大学校」や
娘たちが通う「愛媛県立三崎高等学校」に魅力を感じる。



          「娘が参加した高校生トビタテ留学ジャパンの壮行会」


                    「知恵袋ばあちゃんとの作業」

 尊敬する植松努さんの考えがおもしろい。

『年末にテレビに出ました。
いろんな経営者が集まるテレビです。
悲しかったのは、みんな僕より若かった。
僕も、年を取ってるってことです。

いろんな仕事をしている経営者の集まりでしたが、
共通していたのは、
「ほかの人と同じ事をしない」でした。
同感です。

ほかの人ができることをやると、比べられます。
そして、やってることが同じなら、安い方に負けます。
だから、たいていは、安さ勝負になります。
利益率が低下するので、売り上げを増やさないといけません。
数を売ろうと思ったら、安くするしかなくなります。
どんどん、安くなっていきます。

安さ勝負に陥らないためには、「付加価値」が大事です。
そして、最強の「付加価値」は、ほかの人ができないこと、です。

植松電機は、現在まで、競合相手がいない仕事をし続けています。それは、新しい仕事です。
だから、植松電機は、基本的には、「誰かの図面」で物を作らないです。
自分で考えて、自分で作って、自分で提案してきました。
だから、自分の居場所を作れたのだと思います。


「なにをすればいいですか?」
「どうすればいいですか?」
おしえてもらえる事は、当然、教える人も知っています。
そして、自分以外の生徒もたくさんいます。
それは、もはや付加価値ではありません。
クラスメート全員が競合相手です。
そこで生き残るには、「自分で考えて、自分で試す」が
もっとも効果的です。


これから、人口減少に伴い、マーケットは縮小します。
そこでは、ほかの人と同じ事をしていたら、
今まで以上に安売りを強いられる可能性があります。
だから、今まで以上に、自分で考えて自分で試す必要があります。

それは、他人に理解されません。
でも、だからこそ、一人勝ちにつながります。
だから、他人に理解されないことで凹む必要はないです。
粛々と、すべきことをしていけばいいです。

個性とは、ものまねではないです。流行でもないです。
自分で考えて自分で試すことで得られる経験です。
自分の思考の結果、身につく経験が、本当の個性です。
それが、きっと、すごく求められる時代だと思います。』


 岬には夢がある。

              岬人(はなんちゅう)
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植松努さんの考え方と我が子育て ~トライ&エラーを経験させる愛媛県立三崎高等学校~

2018-01-07 | 教育
 年末年始、久しぶりに子どもたち3人がそろった。

 幼い頃のしつけを思いだす。
子どもたちが学校から帰り、天気のいい昼間から家にいたら、よく言ったものだ。
「天気がいいんやけん、外で遊べ。
宿題は夜でもできるんやけん、昼間しかできんことをやれ。」

 しつけのとおり、子どもたちは二名津の地域を遊び回った。
そして夕方帰って来て、バタバタと宿題に追われた。
 今でもそれはよかったと思っている。
要するに様々な体験をしてほしかったのだ。
山や海、川での自然体験。地域の人たちとの社会体験。
遊びや手伝いの生活体験。
 当然、失敗あり、感動あり。
失敗したら再挑戦したらいい。工夫を加えて。
トライ&エラーのくり返しをどれくらい体験できたかが、生きる力へとつながると思った。





 植松努さんという方の考えにすごく共感する。
その考え方の一つをみてみる。

『小学生の頃、忘れ物をしたりすると、先生に怒られました。
そして、「反省しなさい!」と言われました。

その先生の怒り方は特別で、
最初にビンタをはられます。
転倒するほどの威力です。
その後は、教室のうしろの壁に立たされて、
残りのクラス全員の子達が、
「なんで忘れ物したんだ!」
「反省しろ!」と、
かなり長い時間、忘れ物をした子に詰め寄る。
という方法でした。

後に、この方法は、シベリアに抑留された人たちが
洗脳として経験した「つるしあげ」という方法だと知りました。
それが、小学校の授業の中で行われていたことに恐怖を感じます。

僕はいろんな失敗をしてきました。
そりゃそうです。
失敗は、意図的にするものではないです。
失敗は「してしまうもの」です。
なぜ、「してしまう」のかというと、
行為の結果の予測が不十分だからです。
なぜ、予測が不十分なのかというと、
それは、情報(経験)が足りないからです。
だから、若い人や、子どもは、多く失敗します。
そして、それは酌量され、リトライのチャンスが与えられます。
まだ、経験が足りないであろう、ということが、明確だからです。

で、さすがに、大人になると、失敗すると責任を負うのですが、
でもね、大人だって、情報(経験)が足りなければ、
なんぼでも失敗します。
責任を負わないといけないのに、失敗するのはつらいですね。
だとしたら、大人は、大急ぎで、経験を積み情報を増やす必要があるでしょう。


で、経験を積む際には、やったことがないことをやる必要があったり、知らないことを知る必要があります。
当然、やったことがないことをやると、うまくいかないです。
その場合、「うまくいかない=失敗」とか「うまくいかない=だめ」だと思い込んでいる人は、やったことが無いことと関わりたくないです。
そして「知らない=恥ずかしい」とか「知らない=だめ」だと思い込まされている人は、知らないことに関わりたくないです。
だから、経験を増やせません。

経験が増えないと、失敗します。
でも、失敗しない方法はあります。
それは、なにもしない、です。
できることだけしていればいいのです。
なるべく、同じ事をしていればいいです。
でも、それでは、成長しないどころか、
年々、人間は老いていきますから、性能は低下し、
できることが減っていきます。
それは、おそらく、ストレスになるでしょう。

そして、ストレスがたまりすぎた人の中には、
「だれでもいいから」「なんでもいいから」
他人を批判し、悪口を言わなければ、自分を守れない人が生じます。
そういう人は、まわりの人たちの挑戦を阻害し、失敗を糾弾します。
だから、まわりの人たちも、失敗できなくなります。
これは悪循環です。


僕は、以前、失敗したときに、悔やみました。
自分を責めて、後悔しました。
眠れぬ夜が何日も続きました。
頭の中は「こまったなあ」「どうしよう」ばかりでした。
でも、よくよく考えたら、「何もしていません」でした。
時間の無駄でした。寝た方がましです。
ということに、気がつきました。

僕は、「反省」とは「再発防止策」だと思っています。
それは、思考です。
「反省した態度」とか「反省した表情」とかではありません。
ましてや、「正座」とかではありません。
ところが、すくなからずの大人は、
「反省しろ!」と言うばかりです。

以前、ロケット打ち上げで危険な事がありました。
その後の記者会見で、僕は、原因を考え、
次の打ち上げにはどういう事をするかをしゃべりました。
すると、新聞記者から「反省の色がない!」と怒られました。
「反省の色って何色ですか?」と思いました。
その記者は、再発防止策よりも、反省しているっぽい態度を要求したのです。
言葉で再発防止策を説明しても理解できない人が、
色塗る程度で反省と見なしてくれるなら、なんぼでも塗ります。

こういう間違った「反省」を要求されてしまった人は、
正しい反省ができないかもしれません。
すると、挑戦できないです。自信が増えないです。
もしかしたら、誰かの挑戦を阻害し、誰かの失敗を糾弾する人になるかもしれません。

だからこそ、「正しい反省」はとても大事だと思います。
原因を考え、再発防止策を考える。
これは、特許における発明の思考とまったく同じです。
もしかしたら、正しい反省とは、発明なのかも。

失敗してしまった人には、
「反省しろ!」という言葉ではなく、
「どうやったら、再発しないか考えよう」のほうが
はるかに大事な気がします。』


 
 息子は、愛媛県立農業大学校で、
娘たちは、愛媛県立三崎高等学校でトライ&エラーのくり返し。
両方の学校の共通点は、地に足の着いた教育活動を行っているということだ。
実におもしろい。
 この学校で新しい時代を切り拓く力を養っている。


             岬人(はなんちゅう)

 
 
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