喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

バレーボールを語る

2011-10-31 | ブログ
 昨日は、三崎中学校に通う息子のバレーボールの試合を観戦に行った。
我が子の試合を観るのは、初めて。

 見ていると不十分なところが目につく。
身長は170㎝あり、ジャンプ力も低くはないが、
スパイクの打ち方が手打ちなため、なかなか得点できない。
 レシーブでは、腰高なためはじいてしまう。

 大会結果は、子どもたちにとっても期待とはほど遠いものだっただろう。
この悔しさを生かしたいと思い、息子に話しかけた。
「スパイクは、左手をひねり体に引きつけることで、腰の回転力を生み出す。
その力で打つんよ。 意識は、左手。」
 体の使い方を手を取り教えた。

 いつもは淡々とした態度をとる息子が、
熱心に聞いていた。

 父と息子とのさわやかな良い時間だった。

 

10月31日、ハロウィン

2011-10-31 | ブログ
 10月31日、今夜はハロウィン。

 日が暮れるのも早くなり、こちら愛媛でも午後5:45には、
もう暗がりです。
 夜空には、怪しげな三日月。

 今夜は、霊がさまよいます。
悪霊よけのカボチャランタン。

 わが家は、そんな話で盛りあがります。



 

夜を照らす「ハロウィンかぼちゃ温温(ぬくぬく)」

2011-10-29 | ブログ


 すてきな想いがたくさんつまった「おかけや」酒井あいさんからの
ハロウィンかぼちゃ温温(ぬくぬく)。

 それを平礒のわが家に1個と三崎中学校に飾るものとして1個を贈っていただきました。
そして、酒井あいさんのもう一つの想い。
それは、東北の被災地の方々に利用してもらい、
楽しんでもらったり、海外文化の学びにつなげてもらったりして、
明るい笑顔の花を咲かせてもらいたいということです。

 その想いを聞いて、私には思いあたる人がいました。
 その人は、8年前日米若手教員交流事業で3ヶ月間、アメリカで生活をともにした
浦山正幸君。
 彼は、今、塩竃第一小学校に勤務していて、
国際理解教育や外国語学習を熱心に進められています。
少年のようなのびのびとした心を持ち、柔らかい発想力と確かな行動力があります。
 
 ハロウィンかぼちゃの話を持ちかけたところ、即答。
「うれしいですよ。ありがたいですよ。
子どもたちとジャコランタンを作りを楽しみ、それを贈ってくださった方々の気持ちも考えていきたいです。」
との返事。
 酒井あいさんと浦山正幸君の想いが、ここにつながりました。
きっとすばらしい活動になるであろうし、
これからもすてきなつながりができていくだろうと思います。
 ハロウィンかぼちゃ温温は、昨日宮城県塩竃市の塩竃第一小学校に届きました。

 「想いは、かなう。」ですね。  Dreams come true.



 酒井あいさんは、宮城県塩竃第一小学校に届いた知らせをうけ、
「秋の夜長に、ランタンの灯りはどんなに美しいことでしょう。
想像するだけで、幸せになります。」
とこたえられました。
 
 鎮魂と祈りに。
あたたかさと明るさに。
人を集め、道を照らす。未来を照らす。
そんな灯りが灯るのです。

 平礒のわが家でも、夕方、子どもたちと一緒にジャコランタンづくりをします。
そして今夜、玄関に置き、闇夜を照らしたいと思います。

 田舎のすてきな時間になりそうです。 

                 岬人(はなんちゅう)

ハロウィンカボチャへの想い ~東温市「おかけや」~

2011-10-29 | ブログ


 ハロウィンを飾るカボチャとしては、ピッタリのもの。
昨日、わが家に届きました。
贈ってくださったのは、東温市の「おかけや」代表酒井あいさん。
「おかけや」については、この喜久家ブログのブックマークにはりつけているのでごらんください。

 社会的に弱者になりがちな障害がある人たちや解決の難しい悩みを抱えいる人たちの
活動の場としてつくられたのが、「おかけや」という卵かけをメインメニューとしたお店。
その代表が、酒井あいさん。
 このようなとてもすばらしい理念を持たれていて、
社会と「おかけや」スタッフをつむぐ取組をされています。

 そんなおかけやで今年から、
まちおこしとして、また、農業・産業振興として東温市の支援を受けて、
ハロウィンカボチャを販売し始めました。
 1年目ということもあり、東温市からの支援といっても補助金はなく、
実際は、カボチャ作りに賛同してくれている農家のみなさんの想いが大きいようです。
自分たちで出資金を出してチームを作り、
試行錯誤しながら栽培されたようです。



 チームのホームページは、おかけやボランティアの若者が、
作業所の休みをぬってつくってくれたそうです。
 荷作りや発送は、緊急雇用の障害があるスタッフが、一生懸命に取り組んでいるそうです。
 このように「おかけや」に関わるたくさんの人たちの想いがつまったものなのです。

 写真のカボチャは、そんなすてきなものなのです。

Halloween ハロウィンって何?

2011-10-29 | ブログ


 ハロウィンは現在イギリスとなっている地域に住んでいた、
ケルト人の収穫祭が基となっています。

 ケルト人にとって10月31日は大晦日であり、一年のしめくくりの日です。
その日をさかいに冬が訪れるので、収穫のしめくくりでもあり、
その年にできた野菜などを捧げ、神や精霊に収穫を感謝する行事が収穫祭です。

 それに伴って、その日は祖先の霊や悪霊もやってくる日と考えられており、
悪霊から身を守るために、こちらも怪物に化けたり、
怪物をまねたランタンを作って、霊達の目をごまかすわけです。

 だから、その収穫祭と悪霊への対処が混ざってできたのがハロウィンなので、
カボチャなどの野菜で、ああいった物を作ったりするのです。

 このカボチャというのも後からできた物で、
もともとはカブで作ったランタンを飾っていました。
なぜカボチャに変わったかというと、
カボチャの方が見た目もいいのもあるかもしれませんが、
なによりはカブなどよりも工作しやすいからだそうです。

 ハロウィンの発祥の国はイギリスですが、
現在盛んなのはアメリカです。
カブからカボチャに変えたのもアメリカ人だそうです。

 日本でいうと、
収穫祭である「秋祭り」と
先祖の霊をお迎えする「お盆」とがあわさったようなものでしょう。

 そんなふうに考えると、
日本風にアレンジして楽しむというのもおもしろいかも。
以前からそんなことを考えていました。

 そんな時、
グッドタイミングにも写真のようなハロウィンカボチャが、
知り合いの酒井あいさんから贈られてきたのです。

 その裏には、感動の想いがありました。

佐田岬小学校の学校通信 ~福沢諭吉の心訓~

2011-10-27 | ブログ
 

 四国最西端の学校は、伊方町立佐田岬小学校。
20人足らずのとってもすてきな学校。
 関岡校長のすばらしい学校通信を目にしたので紹介する。

 幕末から明治にかけて生きた福沢諭吉のことについて書かれていた。

『 時は明治維新。
 福沢諭吉は、数多くの明治政府の官職を得るチャンスがあったにもかかわらず、
これら全てを断り、あくまでも教育者として生きることにこだわった。
 日本の独立を守り、他国と比肩しうる力を持つためには、
まず教育が必要であるとした見識の確かさと、それを貫き通した不動の信念。

 諭吉の精神は「心訓」の中にこめられている。
 
「一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事をもつということです。
 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のないことです。
 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のないことです。
 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむことです。
 一、世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して決して恩にきせないことです。
 一、世の中で一番美しいことは、全ての物に愛情をもつことです。
 一、世の中で一番悲しいことは、うすをつくことです。」

 はるか百数十年も前の「心訓」ではありますが、
真理をついた「心訓」は、現代においても十分に通用する「心訓」であるとも感じました。』

 ちなみに福沢諭吉は、吉田松陰の松下村塾で学び、自分の生き方を考えていきました。
教育の大切さ。
 このふるさとでしかできない、田舎でしかできない、
そんな地に根を張った人づくりをめざしたい。

高田引越センター

2011-10-27 | ブログ
 伊方町教育研究大会で、高田引越センターの会長「高田吉盛」さんの
講演を聞いた。

 引っ越しセンターは、ほんのわずかな時間であるが、
別れと新たな出会いをとりもつことになる。

 高田さんの43年間にわたる経験から出た言葉には、
心にしみわたるものがあった。

『人生は、出会う旅。
より多くの出合、自分から逃げてはもったいない。
好き嫌いも全て財産。人生に無駄なし。
回り道したから見える花がある。

 人生は、二者択一の連続。
常にどちらか一方を選択しなければならない。
それならば、「少ししんどい道」を選ぶべし。
それが人として成長できる唯一の証』

 私は旅が大好き。
それは、出会いが大好きだからでもある。

 今日は、大洲市で開催される愛媛県南予地区人権・同和教育研究協議会に参加する。
人権が大切にされるまち・ふるさとをめざす。

伊方町教育研究大会

2011-10-25 | ブログ
 今日は、一日伊方町教育研究大会。

 会場校の瀬戸中学校、三机小学校以外は、学校が休み。
他の子どもたちにとってはラッキーな1日だ。

 伊方町の子どもたちの明るい未来について、
考えてみたいと思います。

 

大好評のポリライス

2011-10-23 | ブログ


 日常生活から火がなくなってきたので、
煙というものを味わったことがない人も増えてきた。

 涙が出てくるあの煙たさ。
どことなく落ち着く煙のにおい。
 やがて分かってくる。
不完全燃焼のときに煙が多くなることも。
すべては、体験からくる学び。

 さて、写真の答えは、


 ポリライス。
ポリ袋で作るライスを略して、「ポリライス」

 ポリ袋に無洗米と水を入れる。
空気を追い出し、輪ゴムでしばる。
あとは、どんな水ででもいい(川の水、プールの水、風呂の水、海水など)ので、
沸騰させる。
 その中に先ほどのポリ袋ライスを入れるだけ。
沸騰してから待つこと30分。
 普通のご飯のできあがり。

 子どもたちは、
「こんな方法でご飯がたけるのかな?」
といった不思議な気持ち、そしてできあがった時の感動の嵐。

 このポリライスは、
今回の東北大震災のような自然災害救急処置にピッタリ。
 最も大切な水をむだなく使えること。
袋ごとにぎれば、おにぎりのできあがり。
梅干しや昆布を入れれば、おいしさは広がる。
 衛生的で、配給も手間がはぶける。

 こんなすご技を伊方町の連合1年生は体験した。



 

キャンドルナイトで過ごす日

2011-10-23 | 田舎暮らし
 日常の生活からどんどん火がなくなっている。
 調理、暖をとる、風呂、灯りなど
火は私たちの生活になくてはならなかったもの。
 でも今やオール電化によって、炎を見なくてもそれらができるのだ。
あるときからそんな生活に危機感となつかしさを覚え、
機会があればできるだけ、火を使うようにしている。

 

 昨日まで1泊2日で伊方町の中学1年生が集まって、
合同宿泊野外体験活動があった。
 夜は、キャンドルサービス。
77名の子どもたちが、火の神から分け与えられた火を手にし、
燭台に立てていく。
 暗闇に照らされた燭台を飾るキャンドルの炎。
とても幻想的で、
「わー、きれい。」
という声があがった。

 炎は、実用的なことばかりだけではなく、
私たちの心を癒す効果もある。
 以前、我が家では、キャンドルの夜を定期的にもうけていた。
子どもたちもそれを楽しみにしていた。
秋の夜長、久しぶりにまた「キャンドルで過ごす夜」を復活させたいと思っている。


田舎の景観について ~安藤さんのメールより~

2011-10-20 | ブログ
 東京大学で農村の景観づくりについて研究していた安藤さんからの
興味深いメール。
これからの平礒にとっても大いに参考にしたい。



『■都会にはない価値
 地方には都会にない価値があるけど、それはお金ではかれるものじゃなくて、
別の軸で測るべきものなのかな、ということをお話ししまた。
 それは一つには時間軸のようなもので、
長い時間の中歴史を受け継いでそこに暮らしているというような価値なのかな、
ともおぼろげに思います。

 というのも哲学者の内山節さんという方の著作を読んでそういうことを考えるようになりました。
 内山さんは現在平日は東京に暮らし、週末は群馬県の上野村という人口3000人ほどの村に暮らしていて、
何回か僕も上野村に遊びに行ってお話しを聞いたことがあります。

 例えば、内山節『「里」という思想』 (新潮選書)という本などがいいと思います。
グローバルになりすぎる世界に対し、
「里」というローカルな世界の中でかつて人々が持っていた(そして今でも一部の地域に残る)共同体のあり方を描いています。
時間がありましたらぜひ読んでみて下さい。
(また、内山節『共同体の基礎理論 自然と人間の基層から』という著作もおすすめです。)



■地方の景観について。
 農村の景観についてはこんなことも思っています。
よい景観というと一般には電柱をなくしたり、広告看板をなくしたり、
という話で捉えられることが多いですが、
そういった物理的なものよりも、その背後に隠れた人々の暮らしが景観を作っており、
その暮らしを含めて景観があるのかなと思います。

 宮本常一さんの弟子で香月洋一郎さんの著作も好きで、
農産漁村の景観を考える上でとても大切なことを書いていると思います。
オススメは香月洋一郎『景観のなかの暮らし 生産領域の民俗』(未来社)

 香月さんは、「景観の維持とはそこに住み続けようという意志なしにはあり得ない」
「人の手の加わった景観からは、人々が群れ集まり、これまで住み続け、これからも住み続けようとする集団としての意志が読み取れるのではないかと思います。」と書いています。
都会の建物からは全くそういった意志は感じないですよね。



 平磯(や佐田岬半島)に見られる石垣の風景は、
そういった人々の暮らし(あるいはかつての暮らし)を静かに物語っているのかなと思い、
(もっともその物語の半分も分かっていませんが、そういった長い歴史を受け継いでいるのかなという気配は感じます。)
とても印象に残っていました。

 毎日見慣れているとそう思われないかもしれませんが、
佐田岬の石垣は他の違ってちょっと独特ですごく素敵に思います。
浅野さんもブログに書いてらっしゃいましたが、ぜひ石垣の写真集、期待しています!!

 大学は卒業しましたが、自分としてはあちこちを旅しつつ景観のことについてはずっと考えて行きたいと思っているので、
またお話したり、情報交換したりする機会があればと思っています。

 重ねて今回はどうもありがとうございました。
お元気で。』

 とても参考になる安藤さんの考え。
 今あるものに目を向け、その背景にあることを感じられる感性をみがきたいと思っている。
これからの農村は実に貴重で、おもしろい気がしている。

                岬人

喜久家の仲間、安藤さんからの便り

2011-10-20 | ブログ
 

今から1ヶ月ほど前の9月半ば過ぎ。
なつかしい喜久家の仲間、安藤さんが平礒に来られた。
 
 出会いは、4年前に喜久家が始まって間もない頃、
安藤さんたち東京大学自転車部の6名が喜久家を訪れた。
わずか1泊のことだったが、安藤さんとの交流は今も続いている。
 安藤さんの感性と考え方が今の自分にとって刺激となっている。
農村の景観づくりにとても関心を持たれているので、聞きたいことがたくさんある。

 今回は2泊されたが、その間に日頃は人前になかなか出てこない父も含め、
さまざまなことを語りあった。
後日、とてもうれしいメールが届いた。

『先日はどうもありがとうございました。
 秋分の日の連休まで旅行を続け、
今週は1週間ぶりの仕事で作業がなまってしまっている今日この頃です。

 久々に訪れた平磯は天気はちょっとあいにくの空模様でしたが、
とても楽しく過ごすことができました。

 前回から4年半ぶりでしたね。
喜久家は一晩の短い時間過ごしただけでしたが、妙によく覚えていて、懐かしく思いました。
なんかすごく落ち着いた感じがしました。
 喜久家で変わっていたのは、訪れた人たちの色紙がとてもたくさんに増えていたことでしょうか(笑)

 突然訪れたにも関わらず、温かいもてなしをどうもありがとうございました。
仕事もいろいろ忙しいところを、そして台風でばたばたしていたところをいろいろとおつきあいいただきありがとうございました。
いろいろとお話しできてとても楽しかったです。

 両親のお二人にも大変お世話になりました。
いろいろな話を聞けて楽しかったです。
お父さんの博識さにはとてもびっくりしました。
 石垣の積み方から、日本の歴史まで、様々な話をどうもありがとうございました。
お母さんにはいろいろと美味しい料理をごちそうになりました。
温かくもてなしていただいてどうもありがとうございました。
軽自動車も貸していただき、大変助かりました。

 だんだんと秋らしい気候になってきましたね。
どうぞ体調にはお気を付けてお過ごし下さい。』

 4年前と比べてのなつかしい様子がつづられていた。
何かこんなつながりは、いいなーと心からそう思った。

 そして、メールの後半。
興味ある農村の景観について、考えを書いてもらっている。