東京大学で農村の景観づくりについて研究していた安藤さんからの
興味深いメール。
これからの平礒にとっても大いに参考にしたい。
『■都会にはない価値
地方には都会にない価値があるけど、それはお金ではかれるものじゃなくて、
別の軸で測るべきものなのかな、ということをお話ししまた。
それは一つには時間軸のようなもので、
長い時間の中歴史を受け継いでそこに暮らしているというような価値なのかな、
ともおぼろげに思います。
というのも哲学者の内山節さんという方の著作を読んでそういうことを考えるようになりました。
内山さんは現在平日は東京に暮らし、週末は群馬県の上野村という人口3000人ほどの村に暮らしていて、
何回か僕も上野村に遊びに行ってお話しを聞いたことがあります。
例えば、内山節『「里」という思想』 (新潮選書)という本などがいいと思います。
グローバルになりすぎる世界に対し、
「里」というローカルな世界の中でかつて人々が持っていた(そして今でも一部の地域に残る)共同体のあり方を描いています。
時間がありましたらぜひ読んでみて下さい。
(また、内山節『共同体の基礎理論 自然と人間の基層から』という著作もおすすめです。)
■地方の景観について。
農村の景観についてはこんなことも思っています。
よい景観というと一般には電柱をなくしたり、広告看板をなくしたり、
という話で捉えられることが多いですが、
そういった物理的なものよりも、その背後に隠れた人々の暮らしが景観を作っており、
その暮らしを含めて景観があるのかなと思います。
宮本常一さんの弟子で香月洋一郎さんの著作も好きで、
農産漁村の景観を考える上でとても大切なことを書いていると思います。
オススメは香月洋一郎『景観のなかの暮らし 生産領域の民俗』(未来社)
香月さんは、「景観の維持とはそこに住み続けようという意志なしにはあり得ない」
「人の手の加わった景観からは、人々が群れ集まり、これまで住み続け、これからも住み続けようとする集団としての意志が読み取れるのではないかと思います。」と書いています。
都会の建物からは全くそういった意志は感じないですよね。
平磯(や佐田岬半島)に見られる石垣の風景は、
そういった人々の暮らし(あるいはかつての暮らし)を静かに物語っているのかなと思い、
(もっともその物語の半分も分かっていませんが、そういった長い歴史を受け継いでいるのかなという気配は感じます。)
とても印象に残っていました。
毎日見慣れているとそう思われないかもしれませんが、
佐田岬の石垣は他の違ってちょっと独特ですごく素敵に思います。
浅野さんもブログに書いてらっしゃいましたが、ぜひ石垣の写真集、期待しています!!
大学は卒業しましたが、自分としてはあちこちを旅しつつ景観のことについてはずっと考えて行きたいと思っているので、
またお話したり、情報交換したりする機会があればと思っています。
重ねて今回はどうもありがとうございました。
お元気で。』
とても参考になる安藤さんの考え。
今あるものに目を向け、その背景にあることを感じられる感性をみがきたいと思っている。
これからの農村は実に貴重で、おもしろい気がしている。
岬人