喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

佐田岬の少年たちへ贈る言葉  ~少年式 校長式辞より~

2014-02-28 | ふるさと
 2月4日、愛媛県内の中学校では少年式が行われた。
四国最西端の伊方町立三崎中学校でも。
 
 その時の校長の式辞が、学校だよりに掲載されていた。
とてもすばらしい贈る言葉。



「 2年生の皆さん、今日は少年の日の目標『自覚・立志・健康』の三つの言葉の中から「立志」という言葉を手がかりに、
少年式を迎える皆さんに私からのメッセージを伝えたいと思います。

「立志」とは、将来の目標を定めてこれを成し遂げようと志すこと。
先ほどみなさん一人一人が発表した言葉・志のことです。
 

 ところで、みなさんは文部省唱歌「ふるさと」という歌:「うさぎ追いし」で始まる歌をを知っていますね。
立志:志というと、私はこの「ふるさと」という歌の3番に出てくる歌詞
「志を果たして いつの日にか帰らん」を思い出します。

 これは、立志:自分がたてた志を成し遂げた後、いつの日かふるさとに帰ってこようという、
正に今、旅立ちの時の気持ちを表していると思います。

 私はこの、ふるさとを大切にした気持ちに加え、
一文字代えて「志を果たしに いつの日にか帰らん」という気持ちも持ってほしいと思います。
 なぜなら、みなさんが今日たてた志、そして今後持つであろう、
より大きな志の源は、みなさんの家族やみなさんが育ったふるさとに元があると思うからです。

 
 先日行われたPTAシンポジウムで、みなさんの先輩達・7名の若者が、
それぞれ進路選択の時の不安や現在就いている仕事のやりがいに対する熱い思いを語ってくれました。
 彼らの中には、中・高校生時代、将来についてはっきりとした目標が定まっていなかった方もいました。
 
 しかし、外の広い世界で生活したり、家族と離れた新しい環境で暮らしたりしたことで、
自分の良さやふるさとのすばらしさ、家族や地域との絆について、
あらためて気づくことができたという話をされました。
 そのことが、より大きな志につながり、その志に向かって今、努力を続けられています。

 

 また、本校は、3年前におきた「東日本大震災」直後から、気仙沼:大谷中学校との交流を続けています。

 先日送られてきた大谷中学校生徒会長:尾形さんの手紙には、
「現在大谷は、復興に向け少しずつではありますが、一歩一歩あゆみを進めています。
今も仮設住宅が残る校庭で、地域の方々を招き運動会を実施することができました。
今後も、わたしたちは地域の復興に貢献できるように頑張っていきます。」
と書かれていました。

 この手紙から、地域や支援してもらった人達・その他たくさんの人達との絆を大切にしながら、
将来自分が成し遂げていきたい夢や希望、そして、ふるさ大谷、復興に向けた力強い志が伝わってきました。

 
 立志とは、目標を定め、その志を成し遂げることだけでなく、
志を成し遂げるために努力すること、
そして、その志を時間をかけてより確かなものに育んでいくことだと私は思います。
 他人と比べたり、成し遂げようと急いだりする必要はありません。

 今日定めた志をこれからもしっかりと持ち続け、じっくりと時をかけて育んでいってほしいと思います。
そうすることで、今日の少年の日の志はより磨かれ、より大きな志へとつながっていきます。
 
 今後、みなさんの生活の場や人とのつながりは、より広く、より複雑になってくることでしょう。
しかし、どこで活躍するにしろ、みなさんの志の根っこは、
みなさんの家族、そしてこのふるさと三崎にあります。

 
 今日の少年の日の志が、みなさんの新しい出発点となり、
この集団をさらに大きく、たくましく成長させてくれることを願って式辞とします。」


                      岬人(はなんちゅう)
  
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サスケさん(カツさん)の新たな挑戦

2014-02-27 | ブログ


 2月24日(月)、三崎中学校を訪問し、ライブを行ってくれたサスケさん(カツさん)。
夜は、中村敏彦さんのはからいで居酒屋千鳥にて交流会。

 その席で、カツさんから2つの感動の言葉を聞いた。

 1つ目は、「武蔵君は元気ですか。もっと大きくなったでしょうね。」
3年前咲歩、健太、息子の3人が学校の総合的な学習の時間の取組として、サスケさんと交流のきっかけをつくった。
それ以来、いつも気にかけてもらっているのだが、未だに名前まで覚えていてもらっていた。
つながりのすばらしさ。

 2つ目は、「亡くなったタカとは、中学校の頃からいつも2人で音楽をやってきました。
まもなく60歳なので、もうずいぶん長い時間。
喜びも辛さもいつも2人で。
今までは、恥をかくのも2人だったけど、これからは1人で恥をかく人生となります。
 1人でやっていくことに不安がありましたが、
今日、三崎中でやってみて自信がわきました。」


 常に前を向き、歩もうとする気持ちにぐっときた。

 やはり、ふるさと佐田岬(松)の人は、ねばり強い。
自分もそんな人生を歩みたいものだ。

                       岬人(はなんちゅう)
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サスケさん、お帰りなさい。

2014-02-24 | ブログ
 今日2月24日、ふるさと松出身のサスケさん(カツさん)が三崎中学校へ来てくれた。
昨年亡くなったタカさんのお別れ式のお礼とまたふるさとの中学生に会いたくなったとのこと。
 うれしいことだ。

 ホールでサスケさんの登場を待つ。
そして入られると当時に、全校で「きみの笑顔に逢いたくて」の合唱。
いつになく、大きく美しくホールいっぱいに響きわたった。
 この曲は、サスケさんが三崎中学校と気仙沼市立大谷中学校との交流を歌にしてくれたもの。
3年前からずっと歌いつがれている。



 サスケのカツさんは、感極まった様子で、目頭をおさえられ、天井を仰いだ。

 カツさんから心のこもったお礼の言葉。
その気持ちが痛いほど伝わる。
「双子の弟タカにも聞かせてあげたかったなー。」
という心の声が聞こえてくるようだった。

 まずは、「八幡浜ちゃんぽん物語」 





 次いでサスケさんを「先生」と尊敬し、いつもいっしょに来てくれる
山口県下関市出身の「きみよ」さんが、今の時期にピッタリの「なごり雪」をしっとりと歌ってくれた。
 その後、「みすゞ潮騒 風の駅」を。
金子みすゞをモデルにした曲。
きみよさんも子どもの頃に書いた詩を披露。





 4曲目は、「生きてりゃいいこときっとある 高田の一本松」
陸前高田の応援ソング。
カツさんの被災体験をふくんだ歌には、魂がこもっていた。





 5曲目は、「きみの笑顔に逢いたくて」を一人で熱唱。
これが原曲。
歌い終わると、天井を仰いだ。



 6曲目は、「がんばれ岬アジ、岬サバ君」
毎年運動会で踊られている、とっても元気な歌。



 そして最後7曲目もふるさとを思い出す歌、「麦ふみ」
麦を踏むようなテンポのいい歌。
手拍子も盛り上がり、だんだん早くなる。
会場は最高潮に。



 楽しく、感動的な時間はあっという間に終わり、
生徒会長がお礼のあいさつをした。
彼は、サスケさんと同じ松出身。
 あたたかく彼を見つめる2人のまなざしが印象的だった。



 今日、この会場にいた全ての人が共通に思ったことがある。
それは、「ふるさとは、本当にすばらしい」ということ。

 さあ、今から居酒屋千鳥でふり返り。

                  岬人(はなんちゅう)




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過去最多の訪問者数、閲覧数

2014-02-24 | ブログ


 先週の2月16日~22日の訪問者数が過去最多の1679人。
1日約240人が見てくれたことになる。

 閲覧数も過去最多の4197件。
1日約600件が開かれたことになる。

 これからもできる限り、顔が思いつく人を想像しながら、
ていねいに綴っていきたい。

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私たちの後輩へ ~ふるさとで生きるということ~ 2部

2014-02-20 | ブログ
 先月1月22日(水)、三崎中学校に19歳から26歳までの7人の若者たちが訪れ、
中学生や保護者のみなさんに熱く語ってくれた。
 聞いていて、心が熱くなるのを感じた。

 演題は、「私たちの後輩へ ~ふるさとで生きるということ~」

 まずは、それぞれの自己紹介。
中学時代の様子やなぜ今ふるさとで暮らすようになったかなど。

 たくさんの失敗談も飛びだす。
「中学時代は、何かつっぱることがかっこよく思えていました。」
「将来の目標は、まだ全然考えられていませんでした。」
「勉強は、あまりしませんでした。」

 そんな話を聞いて、中学生たちは似たところがある自分と重なる。
先輩たちの話に、一気に引きこまれていく。

 
「ふるさとで好きな場所はどこですか?」という中学生からの質問にもこたえる。
「友だちとよく行った伽藍山です。」
「夕日がきれいな赤灯台です。」
「もの思いにふけりたいときによく行ったムーンビーチ」



 そして山場に入る。
「これからの夢や目標は何ですか?」という質問に、
「結婚して、子どもがほしいです。」
「もっとたくさんの人に出会って、成長したいです。」
「お客さまの笑顔がたくさん見られるよう、仕事をがんばっていきたいです。」
「妻や子どもを守っていきたいです。」など

 中学生にとっては、先輩たちへの見方がどんどん変わっていく。
 夢や目標がなく自分に自信があまりなかった先輩たちが、
今こうしてたくさんの人の前で自分をさらけ出して話してくれている。
 昔に比べ、成長した自分があり、夢や目標をしっかりと持ってがんばっている先輩たち。
 そしてみなさんふるさとが大好き。
ふるさとで暮らしていることを大切にしている。
   
 シンポジウム終了後、中学生たちがいろいろな感想を述べている。

 ○ シンポジウムに参加して、いろいろな将来の選択肢が増えました。
勉強が苦手でも本当にやりたいことがあったら頑張れると言っていたので安心しました。
その言葉を言ってもらって嬉しかったです。
都会に出るのは少し怖いイメージがあったけど、外に出るといろんな人との出会いもたくさんあるんだなとも思いました。
そして地元のすごいところをよそに広めていくのもいいなと思いました。
 父さんの仕事を継ごうかなと思ったりもしてますが、好きなことをやるのが1番と言っていたのでそうしたいです。
皆さんの話はすごく心に残りました。今やっていることを一生懸命頑張りたいです。




○ 小林さんの「形として残る仕事」をしている喜びや、
「守りたい人がいるから頑張っている」という言葉が心に残っています。
僕もいつかそう言ってみたいです。



○ やりたい仕事を見つけていくのは大変だと思いますが、
自分にあった仕事を見つけるまでにやってきた努力はとてもすごいと思いました。
 清水さんが言っていた「感謝の言葉をもらったときに仕事のやりがいを感じる」
という言葉を聞いて、どんな仕事でもどこかで人と繋がっていると思うので、
感謝の言葉をもらうとやる気が出ると思います。



○ 僕の心が動いたのは、宇藤さんのエンジン交換が終わって、エンジンが動いたときに達成感があったということです。
僕も将来やり遂げてよかったと思える達成感のある仕事に就きたいです。
そして、三崎というふるさとを大事にして、三崎を知らない人に自慢できるようなふるさとにしてきたいです。



○ 今日阿部さんのスピーチを聞いて思ったことは、
阿部さんの中学校の時の気持ちが、私の今の気持ちと同じだということです。



○ 7人の中で同じ趣味の人がいました。片岡さんです。僕も釣りが大好きで自分用の竿が2~4本あります。もう一つはマラソンです。マラソンを走っていると楽しくなるからです。片岡さんと一緒に釣りやマラソンをしてみたいです。



○ 僕にはまだ夢がありません。でも、「農業を継ぐ」と決めた話は印象的でした。
その人はみかんを食べさせてもらって、そのみかんがとてもおいしくて印象に残っていたので農業を継ごうと決めたそうです。


    「ふるさと三崎が、大好きなかわいい笹山さん」

○ 私にはいくつかの夢があります。いろんなものに興味があり、いろんなことをして働いてみたいです。
そして、働いてある程度お金がたまったら、父と母にプレゼントを買ってあげたいです。
もしくは旅行に連れて行ってあげたいです。

○ 先輩方の話を聞いて思ったことがあります。1つ目は中学生の時の過ごし方で、この先の人生が大きく変わってしまうということです。2つ目は、田舎だからといって、できないことはないということです。

 
 後輩たちへ熱く語ってくれた若者たち。
それを自分と重ね合わせて受けとめ、自分なりの思いをもった中学たち。

 本当にすばらしい出会いだった。
この出会いがこれからの自分の未来へつながっていきますように。

 大人も負けてはいられない。
しっかりとした背中を見せていきたい。

 ふるさとの未来は、明るい。

                        岬人(はなんちゅう)

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私たちの後輩へ ~ふるさとで生きるということ~ 1部

2014-02-20 | ブログ
 変化の激しいこれからの社会で、どんな若者を育てていけばいいのだろうか?
もちろん、そんなことを私みたいな者が考えなくても、若者たちは自然に育っていくのだろうが。

「ふるさとを生き生きと語れる若者」に育ってほしいと思っている。

 昔も都会へのあこがれはあっただろうが、情報が密に飛びかう今日、
さらに都会へのあこがれが強まっているような気がする。

 地方の街を車で走っていると、あることに気づく。
それは、プチ東京をめざすがごとく、似たようなチェーン店が道路の両側に連なっている。
日本のどこを走っても似たようなもの。
大洲をみてもそう。
 その土地ならではの特徴ある店や町並みはどんどん消えているような感じがする。
地方のプチ東京化とでも言えるだろうか。


 地方の基幹産業は、がんばっているのだが、なかなかきびしい。
佐田岬の柑橘農業、漁業も例外ではない。
 親や大人は、本心ではないだろうが、
「仕事がないので、地元に残ってもしかたない。都会で就職するしかない。」
と言って若者たちを送り出す。

 そんな言葉を聞いた若者たちも
「親や大人がそういうのだから、そうなのかな。都会は便利で、刺激的で、夢があるかも。」
と思ってふるさとから出て行く。

 このような先には、どんな暮らしがあるのだろう。
ふるさとの田舎では。都会では。



 しかし、それとは正反対の様子も見られる。

 先月1月22日(水)、三崎中学校に7人の若者たちが訪れ、
中学生や保護者のみなさんに熱く語ってくれた。
聞いていて、心が熱くなるのを感じた。

 その様子は…   (2部につづく)


                 岬人(はなんちゅう)
 
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明るい農村  じいちゃん・ばあちゃん思いの孫

2014-02-19 | 感動
 昨日2月18日のブログ「ふるさとを生き生きと語れる若者 ~今僕がここに居る理由~」が大好評。
常に人生を前向きに生きる彼の生き方が、多くの人に感動を与えている。

 幸徳君は、考えていたとおり、間もなく三崎高校を卒業し、農家の道を歩み始める。

 そんな彼のことを平礒の人はもちろん、多くの人が気にかけ応援している。




 写真は、昨年のお盆行事である孟霊(もうりょう)の様子 。
幸徳君は、感心なことに毎年じいちゃんといっしょにこの行事に参加し、先祖の霊を敬っている。

 中央で笹の葉をみなさんから集めているのが、彼のおじいちゃんの春原おっちゃん。
年齢は、80歳になる。
黒いTシャツを着ているのが幸徳君。

 白い体操服を着ているのは、私の息子。
息子は2つ年上の幸徳君を尊敬していて、仲良し。
平礒では、2人だけの貴重な高校生。


 うちに収穫作業の手伝いに来てくれている二名津の石井のおばちゃん。
石井さんは、二名津で理髪店をしていて、幸徳君のことを次のように話している。



「幼い頃からじいちゃんに連れられて散髪に来てくれていた幸徳君が、今日も来てくれました。
卒業式に答辞を述べることになったそうで、そのために散髪に来てくれたんです。
 幸徳君、答辞を任せられるなんてすごいなー、と言うと照れながら、
だからきちんとしておかなければいけないと思い散髪をお願いしますと言ってくれました。

 幸徳君、晴れ舞台やけん、じいちゃんとばあちゃんに卒業式に来てもらわんといけんな。
と言うと、みかん取りで忙しいけん言えません、とのこと。

 本当、じいちゃん、ばあちゃん思いの感心な子です。」



 みかんの収穫は、今が最も忙しいとき。
ほとんどの農家は誰かを雇って進めているが、春原おっちゃんはおばちゃんと2人だけで重労働をこなしている。
それを充分分かっている幸徳君は、自分の晴れ舞台でさえも来てほしいと言えないのかもしれない。

 このような若者が、ふるさとをもっともっと魅力あるものにしていくだろう。

 いっしょに手をとり合い、ふるさとを盛り上げていきたい。

                            岬人(はなんちゅう)






 

  
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ふるさとを生き生きと語れる若者 ~今僕がここに居る理由~  

2014-02-18 | ブログ
 先日2月14日(金)、愛媛県総合教育センターでパネルディスカッションを行った。
テーマは、「これからの社会に生きる愛媛の若者をどう育成していくか」

 育ってほしい若者像を思い描いてみた。
考えついたのが、「ふるさとを生き生きと語れる若者」。

 そこで思いあたる若者がいる。
彼は、私と同じ平礒生まれ。
三崎高校2年生の時に書いたスピーチが感動的だった。


 

 『 今僕がここに居る理由

あなたを一番やる気にさせるものは何ですか?
ボーイフレンドやガールフレンド?友達?それとも将来の夢?
僕の場合、それは僕の祖父母です。
祖父母は僕に生きがいを与えてくれるのです。
 
 どうして祖父母かって?
僕は6歳のときに父を、11歳のときに母を無くしました。
13歳までは母方の祖父母と一緒に暮らし、その後、父方の祖父母のところに引越しました。
それ以来ずっと、父方の祖父母が僕の面倒をみてくれています。

 ここまでは、悲しい話に聞こえるかもしれません。
ええ。確かに、辛いこともありました。
しかし、この話は決して、最初から最後まで全て悲劇なわけではないのです。


 
 僕の祖父母はみかん農家を営んでいるのですが、もう結構な歳です。
僕が初めて祖父母のところにやってきたとき、祖父は僕にこう言いました。
「80になるまではがんばらないけんな。」
それはつまり、僕が高校を卒業するまで働き続けるということを意味していました。
驚きました。
祖父はすでに引退してもおかしくないほどの歳だったのに、それでも働き続けることを決意してくれたのです。
僕を育てるために。


 僕は今年、高校2年生になりました。
先生たちは僕に進学を薦めます。まぁ…僕はデキるやつなのでね。
でも、僕の夢は一刻も早く祖父母と一緒に働くことです。
彼らの生活を楽にしてあげたいですから。
そして、難しいことはわかっていますが作りたいのです。
自分たちの手で、新しいブランドみかんを。
もちろん大学が大切だということはわかっています。
けれど、僕の心が言うのです――祖父と一緒に山に行きなさい、と。



 これは成長の物語です。
選択の物語でもあり、愛と尊敬の物語でもあります。
僕の祖父は厳格な人で、叱るとき以外に、あまり多くを話しません。
けれども、祖父は一生懸命働くことの大切さを僕に身をもって教えてくれます。
 やればやるほど成長する。
力を注げば注ぐほど良いみかんができる。
これって人生も同じじゃないですか?

 祖父は、学校では学べないことを僕に教えてくれます。
それは数学のテストで高得点を取ることでも、英文法を覚えることでもありません。
 土や、太陽や、雨に関すること―自分の手でものを育てることについてです。
それは大地を敬い、愛し、感謝の念を持つことです。
大地だけではなく、僕を育ててくれた人々にも。

 

 じいちゃん、ばあちゃん。
ほんとにありがとう。
俺、じいちゃんばあちゃんの孫でほんとに良かった。
もうすぐだからね。
今度は俺がじいちゃんばあちゃんを支えるよ。』 




 このスピーチは、平成24年度全国商業高等学校英語スピーチコンテスト愛媛県大会の最優秀賞を受賞し、
全国大会でも述べられた。

 本当、すばらしい若者。
彼は今高校3年生。
卒業まであとわずか。
 卒業後は、おじいちゃんとおばあちゃんを支えるために農業をする。

 ふるさとには、夢がある。

                    岬人(はなんちゅう)
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The Reason I Am Here

2014-02-18 | ブログ
「What motivates you most?
Your boyfriend or girlfriend?
Your friends?
Your future dream?
For me, it's my grandparents.
They give me power to live a meaningful life.

Why my grandparents?
I lost my father when I was six, and then I lost my mother when I was eleven.
I lived with my mother’s parents until I was thirteen.
Then I moved in with my father’s parents and they have taken care of me ever since.
This may sound like a sad story.
And yes, I've had some hard times.
But this story is not all about sadness.

My grandparents are orange farmers.
They are very old.
When I came to them, my grandfather said to me, “I will keep going until I'm 80 years old.”
That meant he would continue working until I graduated from high school.
I was shocked.
He was old enough to retire and yet still had the will to continue farming in order to support me.



This is my second year of high school.
Teachers tell me that I should continue school after graduation because I’m a good student.
But my dream is to work with my grandparents as soon as possible.
I want to make their life easier.
And although it is difficult, I want to make our original-brand oranges.
Yes, college is important.
But my heart is telling me to go to the mountain with my grandfather.

This is a story about growing up.
A story about making choices.
A story about love and respect.
My grandfather is strict.
Apart from scolding me he doesn't say much.
But he shows me the importance of working hard.
Trying more means growing more.
Putting a lot of energy into oranges means making better oranges.
Is it not the same with life?

There are things I will learn with my grandfather that I can’t learn in school.
These things are not about getting good scores on math tests.
Or remembering English grammar.
These things are about soil and sun and rain.
About growing things with my hands.
These things are about working out of respect and devotion and gratitude to the land.
But also, to the people that raised me.



Grandpa, grandma, thank you for everything.
I’m very happy to be your grandson.
It’ll be my turn to support you soon. 」

Yukinori ABE Misaki High School


He lives in Hiraiso which is my home country.

Now, he is a twelfth grade student.
If he graduates, he will work agriculture.

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田舎者の道後散策

2014-02-15 | 感動
 2月14日(金)。
世の中は、バレンタインデーということでうきうきしている日。
松山で愛媛県内から集まった150人の前で、プレゼンをすることになっていた。

 道中、長浜・双海あたりでは北西の風がきびしく、護岸に打ちつけられた波しぶきがあがっていた。
そして見上げれば、山の上のあたりはうっすら雪化粧。





 プレゼン内容を巻き返しくり返し、シュミレーションし準備した。
何とも重いバレンタインデー。
 でもその甲斐あってか、本番ではあまり緊張することなく、
かえって熱くなるような場面さえあった。
 こうして何とか務めを終えることができ、肩の荷もおりた。

 その夜は、関係者といっしょに松山の夜を満喫した。
昼間の延長のような熱い時間だった。
 そのせいか、いつものように酔うことなくベッドに。
そして疲れのせいか、ぐっすり。

 翌朝は、さわやかな目ざめだった。
天気も落ち着き、プチ旅行気分を味わいに道後を散策することにした。
まず向かったのは、一度行ってみたかった「石手寺」。
 四国八十八カ所51番札所で、境内ほとんどの堂塔が国宝、国の重要文化財に指定されている壮観さ。
それに寺宝を常時展示している宝物館を備えており、四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院。

 それらに見とれていると、ひとりのおばあちゃんに声をかけられた。
「お接待、いただきませんか。」
地元のお大師さん信者のみなさんが、白装束に身をつつみ、お接待をしていた。
何とこの日は、お釈迦様の命日ということだった。
 
 せっかくなので、お接待のあられをいただき、お参りをした。
信者のみなさんは、それからもお参りに来られた多くの人に声をかけ、お接待。




 お堂の中から鉦の音色といっしょにご詠歌が聞こえてくる。
それに心ひかれたのか、一人の女性が見入っていた。
その女性におばあちゃんが何やら話しをされている。
背中には「南無大師遍照金剛」の尊い文字。
おばあちゃんの話しにうなづきながら耳を傾ける女性。
ふたりの女性の美しい光景だった。


 そんな温かい思いで、寺の隅々、回廊にいたるまで歩いた。
次に向かったのは、伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)。



 下から見上げる美しい階段。
国の重要文化財に指定されている社殿は、全国に3例しかない八幡造。
 その後、昨年の夏の火災でなくなってはいたが、一遍上人が生まれた宝厳寺にも足をのばした。

 かなり歩きお腹も減ったところで、これまた一度行ってみたかった「道後やや」のお昼をいただくことにした。



 全てを愛媛県内の地産地消にこだわりつくしたもの。
ビュッフェ形式を取り入れているのだが、デザートの柑橘だけでも
みかん、伊予柑、デコポン、はるみ、清見…など8種類ほどあった。
器は、砥部焼。

 少しずつ取って食べてもお腹いっぱい。

 心もお腹も満たされた道後散策。
前日のプレゼンのごほうびのようだった。

 私のふるさとも、このような温かい、こだわりのあるふるさとにしていきたい。 


                       岬人(はなんちゅう)

 
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人生はチョコレートの箱のようなもの  ~ Life is like a box of chocolates. ~

2014-02-14 | 感動
 2月14日、バレンタインデー。
歳を重ねるごとに、その日のわくわく、どきどき感が薄らいでいくような感じがする。

 それなのにプレゼントされると、とてもあたたかい気持ちになる。
今年は、いつもの年になくプレゼントをいただいた。



 毎年の妻と娘たちからのもの。
ホテルフロントの方からのもの。
中学生からのもの。
日赤の前田さんからのもの。
知り合いからのもの。

 わざわざ準備をしてプレゼントしていただいた気持ちがとてもうれしい。
そう思うと食べるのがもったいなく思える。
すてきなラッピングやデコレーションも目を楽しませてくれる。
そのうちゆっくりと味わっていただこうと、いまだにある。

 チョコレートと言えば、昔観た映画「フォレストガンプ」を思い出す。
とってもすばらしかった。
調べて、ふり返ってみた。




『人生はチョコレートの箱

 チョコレートはその甘さと食感ゆえに映画の中では人生を豊かに彩る菓子として描かれることが多い。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」 (1994)はそんな作品の代表格である。

 守護天使の落し物と思しき白い羽根が上空から風に乗って主人公フォレスト・ガンプ(トム・ハンクス)
の足元に舞い降りるまでをワンカットで捉えたシーンで始まる。
 彼がバスを待つベンチで居合わせた人々にこれまでの半生を語り聞かせる回想形式で進行する。
その最初の一人である黒人女性にチョコレートを薦めていうのが次のセリフである。


“Life is like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.”

(人生はチョコレートの箱のようなもの、開けてみるまで中身はわからない)


 フォレストは生まれつき知能指数が低く、背骨が歪んでいるため脚装具を付けないとまともに歩けなかったが、
母はそんな彼を特別扱いせずに女手ひとつで育て上げた。
チョコレートのセリフは、その母の息子への励ましの言葉の一つである。

 アメリカではミルク、ナッツ、ヌガーなどいろいろな味のチョコレートのランダムな詰め合わせが売られていることが多い。
ここで言うチョコレートの箱とはそれのことで、
開けて食べてみないと中身がわからないことを先読みのできない人生のたとえとして、
ハンディキャップを背負ったフォレストにも希望があることを教えていた。

 彼の人生はこのセリフに象徴される波乱万丈の軌跡をたどる。

 母の愛情を受けて天真爛漫に育ったフォレストは、ある日いじめっ子に追いかけられていると、
突然脚装具が外れて信じられないスピードで疾走し始める。
 走りながら脚装具が外れていく様子をスローモーションでとらえた映像は、
彼を拘束し束縛していたものから解放されて眼前に拡がる自由な世界に跳躍して行くかのように見える。

 彼はその俊足を生かして大学ではフットボール選手として活躍し、
従軍したベトナム戦争では銃弾飛び交う戦場を駆け抜けて命拾いし、
復員後にビジネスで成功した後はアメリカ大陸を走って何往復も横断して一躍時の人となるのである。



 そんな彼とは対照的な人生を送るのが彼の幼馴染で運命の人であるジェニーである。
 フォレストと小学校のスクールバスで出会った彼女は、母以外に彼をバカにしなかった唯一の味方として、
フォレスト曰く「豆とニンジンのようにいつも一緒」の関係になる。
これはアメリカの家庭料理ではシチューなどを煮込む時に豆とニンジンは必ず入る定番の食材であることから、
切っても切れない関係を示す諺である。

 しかし彼女は幼児期に父親に性的虐待を受けた事件がトラウマとなり、
「鳥になってここではないどこかへ逃げ出したい」と願うようになる。
「PLAYBOY」のモデルになって女子大を退学になった後は、ストリップ小屋の歌手やヒッピー暮らしと転々とし、
ブラックパンサー党(Black Panther)の反戦闘争に関わった後に麻薬に手を染める。

 実は冒頭のシーンでフォレストはジェニーに久しぶりに会うためにバスを待っていて、
黒人女性に薦めたチョコレートは彼女へのプレゼントなのである。
それをつまみ食いしてしまうあたりが天真爛漫なフォレストらしいのだが、
 彼は大学時代にも彼女にチョコレートを贈っており、
それは人生に苦悩する彼女にも母の教えをわかって欲しいという彼なりの愛情表現なのだろう。』



 この映画は、一歩踏み出す勇気を教えてくれる。
人生って歩いてみないとわからない。

 そうチョコレートとは、喜びと希望の食べ物。
どんなものが入っているか、チョコレート箱を開けて、食べてみないとわからない。

 自分の未来、ふるさとの未来と重なる。

 

 いただいたチョコレート箱をいつ開けて食べようか。
その時を楽しみにしたい。

                  岬人(はなんちゅう)



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喜久家ボランティア、ちあきちゃんの郷帰り  

2014-02-11 | ブログ
 以前、喜久家プロジェクトに参加してくれた神戸出身のちあきちゃんが3度目の帰省。
これほど平礒、喜久家のことを大切にしてくれていることにとてもうれしくなる。

 今は、倉敷のイオンに就職して、社会人1年生としてりっぱに働いている。
そんないろんな話も聞いた。
そして、選果の手伝いを一生懸命してくれ、両親はとても助かったようだ。

「ちあきちゃんは、学生の頃とちがって、しっかりしてきた。」
というのが、母の言葉だった。

 そんなちあきちゃんが、9日(日)の朝、神崎口から伊予鉄バスに乗って倉敷へ出発した。
またまた「行ってらっしゃい。また帰っておいで。」



 そして夜次のようなメールが届いた。

『倉敷に無事に帰ってきました!
バスは、岡山行きのバスが今日の朝まで欠便みたいだったので、ラッキーでした(*^^*)

 今回は、急な訪問の中、温かく迎えて下さって本当にありがとうございました。
本当におかあさんをはじめ、皆さんに感謝してます。
 今日も、朝はやくから、皆さんが見送って下さって申し訳ありませんでした(>_<)
ありがとうございました。

 毎回の美味しいご飯も、本当に幸せでした。
今回も得ることが多く、訪れる度にたくさんの刺激をもらっています。

 また機会があれば、ぜひ訪れたいです。
寒い日が続いてますが、皆さん、お身体に気をつけて下さいね。

 今後のワークキャンプが成功しますように! 』


 本当、うれしい便り。
こんなメンバーによって、喜久家プロジェクトは続けることができている。

 ありがとう。

               岬人(はなんちゅう)




















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建国記念の日  ~HAPPY BIRTHDAY 日本~

2014-02-11 | ブログ
 私が生まれたときの話を両親から聞いたことがある。
とても興味深く、愛情に満ちた話に幸せを感じたものだ。

 同じように思えば、今日は日本の生まれた日。
その誕生について知りたくなった。

 旧皇族・竹田家に生まれ、明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰さんの記事を調べてみた。

「2671年前の今日、橿原宮で、初代となる神武天皇が即位あそばされました。
旧暦の元旦を、グレゴリオ暦に換算したのが、二月十一日。
 これが我が国の建国です。

 世界193カ国中、建国からもっとも長い歴史を持つのが日本です。
日本は現存する世界最古の国なのです。
ちなみに、二番目はデンマークの千数十年、三番目は英国の九百四十年です。

 国が出来たことを記念する日は、どの国にとっても、とても大切な日で、国を挙げてお祝いするのが世界の常識です。
 たとえば、七月四日はアメリカの独立宣言が公布された独立記念日、
七月十四日はフランスでフランス革命が始まった日、
六月十二日はロシアがソ連邦から独立した主権宣言記念日、
十月一日は中国の建国式典が行われた国慶節(こっけいせつ)といった具合で、
毎年盛大な式典が行われ、国民がそろって建国を祝うのです。

 我が国の成立時期については諸説あり、2671年の歴史を否定する意見もあります。
でも、3世紀初頭に今の奈良県に前方後円墳が造られたのがヤマト王権成立の確固たる証であり、
以来一度も王朝交代は確認できないため、最も短くとも1800年です。
いずれにしても、我が国は世界最古の国なのです。」




 では、「建国記念日」ではなく、なぜ「建国記念の日」なのか。
日本の場合、建国があまりに古く意見がわかれるため特定できない。
したがって「の」を入れることで、「建国記念日を祝う」とか「日本が建国したという事実を祝う」との解釈としたようだ。

 しかし、世界さまざまな国が建国を祝う日を大切にしているのに、
いまひとつ日本では盛り上がらないのが不思議。

 先祖、ふるさと、日本のことをもっと知ることは大切であると思う。

                       岬人(はなんちゅう)
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ふるさとウォーク ふるさとの春

2014-02-09 | ブログ
 2月4日、少年の日。
四国最西端の三崎中学校では、毎年恒例のふるさとウォークが行われた。

 自分たちが暮らすふるさとを歩いて回る。
正野の野坂神社を出発し、串、与ぼこり、松、二名津、名取を折り返し、三崎中学校がゴールの31㎞。

 この日は、冷たい北風が強く、瀬戸内側は大荒れ。
それでもそこここに春の訪れを感じることができた。

 いざ、出発。



 途中、佐田岬小学校でトイレ休憩。
今年度いっぱいで学校がなくなります。このおもてなしに感謝。



 与ぼこり集落。 この日は、風車が勢いよく回っていた。



 瀬戸内の海は、大荒れ。



 風は冷たいが、明るい。



 そんななかにも春の訪れが感じられる。



 みんなまだまだ元気。松の集落を通過。



 明神(泊)の集落にある青石でできた波よけの波戸。



 途中、休憩所としてお世話になった名取の船山ドライブイン。



 宇和海側にある名取の集落は、おだやか。
ここを折り返し。出発してから約5時間。ゴールまであと7㎞。

 こうして午後5時過ぎ、ぞくぞくとゴール。
保護者も多く参加し、親子でふるさとや仲間のすばらしさを感じた。

 これからは、春の足音がだんだん近く、大きく聞こえてくるだろう。

                               岬人(はなんちゅう)

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少年の日、ふるさとウォーク

2014-02-09 | ブログ
 2月4日、少年の日。
少年式が終わり、記念行事「ふるさとウォーク ~明日に向かって~」が実施された。

 正野にある野坂神社を出発し、串、与ぼこり、松、二名津、名取、三崎中学校がゴールの31㎞。

 野坂神社で出発式。
円陣を組み、決意の声を高らかに叫んだ。






 そして神社に参拝し、いざ出発。



 

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