喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

三崎八幡神社の輪ぬけ

2011-06-30 | ブログ

 
三崎八幡神社で輪ぬけがあり、中学1年生たちといっしょに行きました。
写真は、すべて中学生たちが思い思いの視点で撮影したものです。
 地域の人たちにインタビューして、貴重な話や輪ぬけに対する思いを聞くこともできたようです。
宮司さんいわく
「今年の輪ぬけは、中学生の参加でずいぶんと盛りあがりました。」
とおだやかに言われました。

 輪ぬけは、正式には大祓(おおはらえ)と言われます。
 6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事。
犯した罪や穢れ(けがれ)を除きさるための祓えの行事で、
6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、
12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)といいます。

 6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいます。
なお、「夏越」は「名越」とも標記され、輪くぐり祭とも呼ばれます。



 夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。
これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うものです
茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力をもっている考えられてきました。

 また、茅の輪の左右に設置する笹竹に願い事を書いた短冊をぶら下げ、七夕に河川に流すといった信仰もあります。

 
 終わりに人を描いた紙をもらいました。
これを体の悪いところにこすりつけ川に流すと、その部分が治るとされています。

 迷信のようなことですが、なぜかそんなことが残っている
田舎に喜びも感じます。

久しぶりの太陽

2011-06-28 | ブログ
 

 今日は、朝4時過ぎに目が覚め、
やり残していた仕事を始めました。

 昨日までの雨は上がり、何となく湿っぽさもなくなったような。
そこで窓を開けて回り、空気の入れかえをしました。

 2時間ばかり地下室にこもり、仕事をした後
リビングに上がったところ、外は海からの霧で白くかすんでいました。
空気の入れかえどころか、さらに湿ってしまいました。

 ところが昼ごろからどんどん晴れ間が見え始め、
空気が乾いていくのが感じられました。

 やはりいいものですね。
太陽は。

映像詩「里山」のテンプレート

2011-06-27 | ブログ


 雨がよく降ります。
そして、気温も高い。
 今朝、二名津と明神の間で崖崩れが起こり、
全面通行止めになりました。
 したがって、明神、泊、松地区のみなさんは、
伽藍山の道を通って行き来しなければなりません。

 さて、気分を入れかえるために喜久家プロジェクトブログの
テンプレートを変えてみました。
 いろいろと探していて、パッと目に飛びこんできたのがこれです。
NHK制作の傑作映像詩「里山」のテンプレート。

 さっそく、これについて調べてみました。
どんどんと引きこまれていきます。
構成、ストーリー、映像など、これぞホンモノ。

 里山について、深く考えるきっかけになりそうです。
里山とは、原生林のことでもなく、人間の手が入りすぎた人工のものでもなく。
人と自然がほどよく調和した日本の田舎ならではの場所。

 食料用の木の実や山菜、キノコをとります。
トチの実、木イチゴ、クリ、アケビ、カキ、ワラビ、タケノコ、シイタケ、シメジ・・・。
あげるときりがないほど、たくさんの食べ物があります。
 また、燃料や肥料用の薪や落ち葉を拾ったりします。
木材が貴重な燃料だった昔は、こどものお手伝いは、薪集め。
お風呂やご飯の煮炊きに、森の木々はとても大切な存在でした 。

 子どもたちにとっても、わくわくする居場所で、
木登り、木の実とり、昆虫採集、かくれんぼ、竹馬・竹トンボづくり、キャンプなど数えればきりがありません。
思いつくだけ遊びができます。

 ところが、日本の多くの里山は、40年前ほどから、急に人がいなくなりました。
その結果、草木が乱雑にしげった「やぶ」になり、場所によってはゴミ捨て場。
昔は、こどもの遊び場、地域に住んでいる人たちのいこいの場だったのに、今は誰もよりつかなくなっています。
 今の森はそんな状態です。
森は、掃除やかたづけと同じように、ちょっとずつ草をかったり、木を切ったりしながら、きれいにしなけばなりません。
今、徐々にですが、森をきれいで楽しい場所にしようという運動が広がっています。

 私のふるさと平礒もエネルギー革命や効率・利便性重視の流れにより、
足を踏み入れられない藪(やぶ)が多くなっています。
 そしてきれいに整備されていたみかん畑でさえ、
過疎化・高齢化により、放棄園が見え始めました。

 喜久家プロジェクトの活動の1つとしても取り組んでいきたい里山づくりです。
 実は、以前から息子と盛りあがっている話があります。
それは、釜木にある我が家の広葉樹の森に行ってみよう、というものです。
何かおもしろい発見がありそうです。

                   岬人

教員免許状更新研修スタート

2011-06-26 | ブログ
 昨年度から始まった教員免許状更新研修。
これを受けなければ教員免許が認められなくなるというもの。
 自民党政権のときに作られた制度で、
民主党がマニフェストでこれをなくすると言っていたので、
たくさんの人がそれに期待していたのではないかと思います。
 でも結局なくならず、私もいよいよ第1回目の研修がありました。

 自分で興味ある研修内容を選ぶことができ、
近くであったし、興味もあった国際理解教育を愛媛大学で受けました。

 受付で何と、野村中学校のときの同期新採であった中本華代さんに会いました。
久しぶりであったので、いろいろな話に花が咲きました。
そして指定された席に着こうとしたら、
何と席も隣であったことに、二人とも大爆笑。

 いよいよ講義が始まります。
大学生の時以来の大学の講義。
 内容は、国際理解教育の目的・意義・定義・位置づけなど、
理論的な内容が多く、午後からはグループでワークショップとなりましたが、
今ひとつ実践的でないもだったように思います。

 教員が自らの資質を高めていくために研修をすることは、
とても大切なことですが、研修内容を工夫改善し実りの多いものにしていかなければなりません。
そのためには、実践的な内容を多くしていくことが大切だと思います。

 研修の最後には、
約1時間の筆記試験があり、頭に汗をかいた1日でした。

 さあ、あと4回の研修です。

「さとうきび畑」 沖縄をおもう

2011-06-24 | ブログ
 6月23日は、「沖縄慰霊の日」
沖縄戦が終結した日。

 この日は、あんがい知られていないようです。
 私の祖父も太平洋戦争で亡くなりましたが、
沖縄では、ふるさとそのものが戦場となったのです。

 太平洋戦争最大の激戦地となった沖縄では、
沖縄県民の犠牲者は、沖縄県出身の兵士もふくめると、
当時の沖縄県の人口の約4分の1に当たる、
12万人以上と推定されています。

 ふるさとが戦場となり、
隣近所の多くの人が亡くなったという現実は
想像を絶するものです。

 歌手森山良子さんの「さとうきび畑」は、
まさに沖縄戦を歌ったもので、
のどかなさとうきび畑とは対照的に
悲しい歌詞となっています。

1.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   今日もみわたすかぎりに
   緑の波がうねる
   夏の陽ざしの中で

2.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   むかし海の向こうから
   いくさがやってきた
   夏の陽ざしの中で

3.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   あの日鉄の雨にうたれ
   父は死んでいった
   夏の陽ざしの中で

4.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   そして私の生まれた日に
   いくさの終わりがきた
   夏の陽ざしの中で

5.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   風の音にとぎれて消える
   母の子守の唄
   夏の陽ざしの中で

6.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   知らないはずの父の手に
   だかれた夢を見た
   夏の陽ざしの中で

7.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   父の声をさがしながら
   たどる畑の道
   夏の陽ざしの中で

8.ざわわ ざわわ ざわわ
  広いさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   お父さんて呼んでみたい
   お父さんどこにいるの
   このまま緑の波に
   おぼれてしまいそう
   夏の陽ざしの中で

9.ざわわ ざわわ ざわわ
  けれどさとうきび畑は
  ざわわ ざわわ ざわわ
  風が通りぬけるだけ
   今日もみわたすかぎりに
   緑の波がうねる
   夏の陽ざしの中で

10.ざわわ ざわわ ざわわ
  忘れられない悲しみが
  ざわわ ざわわ ざわわ
  波のように押し寄せる
   風よ悲しみの歌を
   海に返してほしい
   夏の陽ざしの中で

11.ざわわ ざわわ ざわわ
  風に涙は かわいても
  ざわわ ざわわ ざわわ
  この悲しみは 消えない

「風に涙はかわいても、この悲しみは消えない。」
胸にせまる最後の言葉です。

             岬人(はなんちゅう)

沖縄慰霊の日

2011-06-24 | ブログ
 昨日、6月23日は沖縄慰霊の日でした。
今から56年前、太平洋戦争が終わる1945(昭和20)年3月。
アメリカ軍は、いよいよ沖縄に上陸し、3ヶ月間にわたり、壮絶な戦いがくり広げられました。
 その模様については、先日のブログにも何度か書いてあるとおりです。

 ただし、今もアメリカ軍基地などが多数残されており、
沖縄の人々に大きな苦痛と負担をかけています。

 15年前、新婚旅行先として沖縄を選びました。
 公私混同であったのですが、
ぜひ沖縄をもっと知りたいと思ったからです。

 宿泊先のホテルの警備員さんに当時の沖縄戦について聞かせてもらったことが、
今でも心に強く残っています。

「もっともっと沖縄について知りたい」
そう思った今年の慰霊の日でした。

時代遅れの田舎は、時代の最先端かも

2011-06-22 | ブログ
 
 
 6月19日の内容「高速道路千円の波紋」について、
双海町の若松さんが書きこみをしてくれました。
 それに対して何回かの楽しいやりとりがありました。
紹介します。

1「高速道路千円の波紋」 
 まもなく12時で、高速道路1000円の政策が終わる。
何をしても、喜ぶ人の裏には悲しむ人はいる。
この政策が終わって残念な人。
この政策が終わって安心する人。 
 今日、松山の道後温泉も県外客で、かなりにぎわっていたようだ。

2 高速道路千円の波紋 (shin-1さんの日記)
 私もその一人かも知れません。
 昨日は高速道路千円最終日とあって、各地は賑わったようです。
私たちも孫3人を連れて金比羅さんへお参りに行きました。
私が12時から四国中央市で講演を頼まれたついでの遠出でした。
金比羅さんも県外の車が沢山来ていました。
夕方孫たちと温泉、夕食を済ませ、夜8時に松山~伊予の無料区間を走り最後の恩恵を受けました。
今日からなくなるため、高速道路は控えようと思っています。
それにしてもラッキーで、昨日は金比羅さんのお参りの間雨が止んでいました。ご利益です。
偶然にも大洲市田処の西田和子さんたち一行に出会いました。田舎者はこんなものです。

3 若松さんのご意見 (岬人)
 有意義な金比羅参りとなりましたね。
しかもそのときだけは雨が上がり、
田処の西田さんご一行さまと出会うとは。
 さて、高速道路など交通網が便利に整備され、
人々の移動が容易になることでもたらされる地域への影響はどんなことがあるのでしょうか?
 ちなみにご存じ平礒は、陸の孤島で道路整備など忘れ去られたようなところ。
対向車がすれ違うときには、ぎりぎりの道幅で、どちらかが広いところまでバックしなければならないことも多いです。
でも最近は、道のこの細さが、曲がりくねりがよくも思えたり。
 平礒へ来る人も少なければ、出る人も少ない。
こぢんまりとまとまっているような気がします。

4 一周遅れはトップランナー (shin-1さんの日記)
 道の狭さを嘆いているうちは、いい地域はつくれません。
 実盛様や大わらじなどの伝統行事は、外から見れば羨ましいほどの伝統文化です。
気付かない足元にお宝が眠っているのです。
これらのお宝をこれからは外の人に見せびらかせてやろうじゃないですか。
 道の狭さは外からの悪しきことの侵入を防ぎます。
またいい文化の散逸を防ぎます。道が狭いから残った残ったです。
 一度実盛様を見に行きたいですね。来年こそは。

5 足元のお宝 (岬人)
 若松さんと出会い、足元のお宝を
「ここ掘れ、ワンワン」
とばかりに掘り起こしている今日この頃です。
「へき地だからこそ、残った残った。」
まさにそうだと思います。
 そして何よりもそれを昔から今まで引き継いできているところにすばらしさを感じます。
その営みこそ、田舎、ふるさとの誇りと思います。
 いつも端的なお言葉をありがとうございます。

 
 時代遅れの田舎は、
実は時代の最先端なのかもしれません。
「時代遅れの男になりたい」
そんな歌がありましたね。


伊方町三崎の実盛様

2011-06-21 | ブログ


 初めて実盛様(虫送り)という伝統行事に参加しました。



 おっちゃん、おばちゃんたちが、じいちゃん、ばあちゃんたちが
誠実に取り組んでいました。

 今とても注目されている故宮本常一の言葉を思い出しました。

 「日本人が忘れたもの」
 進歩の中で失われてゆきつつあるもの、
その中に人間にとってかけがえのない大事なものがある。

「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」

2011-06-20 | ブログ
父の日の贈り物は、毎年本を贈る。
田舎に住んで大した趣味もない父は、テレビと読書により、新しい知識を得るのが喜びのようだ。
その向上心は、年々高まっているところがすごい。

 今の時代、情報に関しては田舎にいても大きな遜色はない。
ただし、知識はインプットするだけではだめで、いかにアウトプットしていくかが重要なところ。

 そこで、大きな役割をはたしてくれているのが、喜久家の若者たち。
今、オーストラリアと台湾の女性が来てくれていて、父のよき話し相手となっている。
さて、父に贈った本、「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」に興味深いことが書かれていた。

『日本好きといえば、まず台湾があげられる。
あなたの最も好きな国はどこですか?の質問を台湾の20代から70代の男女1000人におこなった。
 その結果、中国2%、アメリカ5%、台湾31%、そして日本は38%。
自国よりも日本好きが多かったのには、驚くほかない。

 日本のイメージとしては、
①自然の美しい国、が最も多く、
②経済力や技術力の高い国、③きまりを守る国、④豊かな伝統と文化を持つ国、と続いた。

 全体の51%が伝統文化、49%が現代文化、ポップカルチャーの分野に興味があると答えていることに注目したい。』

 さて、喜久家では、台湾出身のテイ、ゴー、シュウ、ティニー、そして今いるモニカ
の5人が来てくれました。
 フランス出身も5人で台湾出身と同じ数。 
 これは、韓国出身11人につぐ多さ。

 これからも魅力的な日本、魅力的な平礒、魅力的な喜久家にしていきたい。

 

高速道路 1000円の波紋

2011-06-19 | ブログ
まもなく12時で、高速道路1000円の政策が終わる。
何をしても、喜ぶ人の裏には悲しむ人はいる。
この政策が終わって残念な人。
この政策が終わって安心する人。 

 今日、松山の道後温泉も県外客で、かなりにぎわっていたようだ

天空の里 ~伊方町平磯~

2011-06-18 | ふるさと
雨がよく降る。
もうけっこう、というくらいよく降る。

平磯の道路脇の崖も少し崩れてきた。
普段は、見落としてしまう溝のような川も、ものすごい勢いで流れている。
まるで、滝のようだ。

 水が濁っておらず、きれいなのは、雨が地下にしみこまず、そのまま流れてくるからだろう。

 平磯をゴオロという場所から撮ってみた。
レースのカーテンをかけられたように見える。

 天空の郷だ。

佐田岬、伊方町大江

2011-06-16 | ブログ


 雨上がりの夕方。
伊方町風車公園から大江を見下ろした。

 この春、久しぶりに訪れた時
花がいっぱい咲いていた。
また行きたい地域だ。

 そんな大江から霧が沸き立つようにあがっていた。

 海の向こうは、日の光で明るく照らし出され、
瀬戸内の島々がはっきりと見えた。

 雨上がりって、いいものだ。

佐田岬半島、伊方町三机を望む

2011-06-15 | ブログ

 
 先日、雨上がりの夕方。

 雨が、空気中のほこりをきれいに洗い落とし、
瀬戸内の向こうの島までよく見えた。

 もっとよく見たいと思い、
伊方町三机の権現山に上ってみた。

 写真は、そこからの景色。

 緑が、雨で潤い、濃さを増していた。
 大きく深呼吸すると、
体に力がたまっていくようだ。

 ちょっと得した気分の夕暮れだった。


沖縄 月桃の花を見て 

2011-06-14 | ブログ
「月桃」は、沖縄に自生する4月から盛夏にかけて白に紅色を帯びた
可憐な花を咲かせる植物です。

 先日、観た映画「GAMA ~月桃の花~」の感想を
しずかちゃんが送ってくれましたので紹介します。 

『私も、「月桃の花」を見て、ひかるちゃんの言うとおり、
本当に生きてることはすごいことだと、感じました。
 
 すさまじい当時の様子が描かれた映画であるのに、
生きることの幸せを感じ、命に感謝する気持ちがわきました。
 
 この映画を見てから、何だか、毎日が幸せです。
 「生きる力がわいた」などの言葉を、映画や本の感想で聞いたことがあるけれど、
今回、その感覚が初めて分かった気がします。
 
 私の大事な映画になりました。
また、もう少し大人になったとき、見たいです。』

 66年前の1945(昭和20)年、6月。
沖縄では、壮絶な戦いをくりひろげていました。

 6月23日、今年も間もなく「慰霊の日」がおとずれます。

「GAMA ~月桃の花~ へのメッセージ」 旧沖縄県知事  大田昌秀

2011-06-14 | ブログ

 昭和20年6月18日、沖縄では連日うだるような酷暑が続いていました。
この日、私は、鉄血勤皇隊の一員として戦闘に参加、
沖縄戦最後の激戦地摩文仁の自然洞窟-ガマ-の中にいました。
 そこに南西諸島守備軍(第32軍)の地下司令部で、死傷者が狭い通路を埋め尽くし、
壕内暑気と悪臭に蒸れ返り、文字どおりの断末魔の様相を呈していました。

 陸・海・空からの敵軍の激しい攻撃になす術もなく、
あまつさえ、食物や水はおろか医薬品もなく、
逃げ道も閉ざされたまま、ただ死を待つよりありませんでした。
 
「GAMA-月桃の花」のモチーフとなった「GAMA(ガマ)」は、
この悲惨な沖縄戦を象徴する鍾乳洞のことです。
 また 「月桃」は、沖縄に自生する4月から盛夏にかけて、
白に紅色を帯びた可憐な花を咲かせる植物です。 
 ガマは、沖縄戦において、県民の避難壕としての役割を果たすとともに、
米軍の攻撃の標的ともなり、
また、日本軍のによる強奪や虐殺といった惨劇の舞台となりました。
 
 この映画は、一人の母親をとおして沖縄戦を見つめ、
この悲惨な実相を映画化したばかりでなく、
戦争とは、平和とは、家庭とはといった
普遍的なテーマを私たちに投げかけ、深く問いかけています。
 
 私は、昨年、沖縄戦終結の地、摩文仁の平和祈念公園内に、
国籍を問わず敵味方の区別も、軍人、非軍人の別もなく
沖縄戦での戦没者すべての名前を刻んだ記念碑「平和の礎」を建設しました。
 
 これは、戦争を知らない世代が我が国の人口の半分を超え、
戦争の風化が叫ばれる中、沖縄の地から
世界の恒久平和を願う波を全国に発進したいがためです。

「GAMA-月桃の花」をご覧になる全国の多くの皆様には、
映画を通じて沖縄戦実相に触れられ、
改めて戦争に醜さと愚かさ、平和の尊さ、
そして家庭愛の深さを考える一つの契機としていただきたいと思います。
 
 終わりに、「GAMA-月桃の花」の制作に当てられました関係の皆様の熱意と御苦労に、
心から敬意を表しますとともに、
この映画から、世界に訴える心が力強く発進されるよう心から期待申し上げ、
私のメッセージといたします。
        
                          平成8年9月
                                  沖縄県知事  大 田 昌 秀
                           映画 「GAMA-月桃の花」パンフレットより