喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

宇和海に伸びる絶景の佐田岬 ~中之浜からの眺め~

2017-11-15 | 佐田岬の風景
 午前中仕事で、愛媛県伊方町中之浜のみかん山をどんどん上っていった。
みるみる視界が開け、宇和海の感動の風景が広がる。


 午前中は、少し雲が多い。


 西日がさす夕方、再び訪れると、まさに絶景。
手前から室鼻、その向こうに女子岬、そして遥か遠くに名取の梶谷鼻が見える。


 まぶしくて、目を大きく開けられない。




 宇和海に伸びる絶景の佐田岬。


          岬人(はなんちゅう)

 

 

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愛顔の愛媛「辻水産」からのお届け物 ~あなたが笑顔になりますように~

2017-11-14 | 感動
 伊方中学校2年生が職場体験を受け入れてもらっている地元の辻水産。

 愛情をもって育てた魚と一緒に届けられるのは‥


辻水産【あなたが笑顔になりますように】

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愛顔の愛媛「辻水産」の感動物語

2017-11-14 | 感動
 11月13日から15日まで、
愛媛県の伊方町立伊方中学校2年生が職場体験をしている。

 その職場の一つが、地元の辻水産。
プロモーションビデオを観て、グッときた。

 辻水産の感動物語。


辻水産【企業理念】
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伊方町中之浜のみかん

2017-11-13 | 佐田岬の風景
 愛媛県伊方町中之浜に大切な知り合いがいる。
ふるさと、そして土を愛する彼は、とびっきりおいしいみかんを作っている。

 そのみかん畑をのぞいてみた。



 晴天の空に、幸せの黄色いみかん。
見ているだけで幸せな気分になる。



 彼は、
「ここのみかんは、おいしいですよ。」
と言って、はさみでちょんと摘んで差し出してくれた。

 お言葉にあまえて、いただく。
薄い皮をむくと、甘酸っぱい柑橘の香りがはじける。
 そして一房食べてみる。
酸味と甘さのバランスが絶妙。

 やはり本物の味は違う。



 いつまでもそこにいたい気分だったが、
後ろ髪を引かれる思いで、後にした。

 
 眼下に見える水ヶ浦小学校。


 別の知り合いが、運搬用モノラックを修理していた。


 宇和海の照り返しが、まぶしい。
佐田岬の段々畑には、3つの太陽があり、とびっきりおいしいみかんを育む。
 

 未来に残したい佐田岬の風景だ。

            岬人(はなんちゅう)

  
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息子へつなぐ

2017-11-12 | 感動
 10日(金)、2ヶ月ぶりに息子が松山から帰ってきた。
私が20歳頃に使っていたバイクに乗っての帰省。
 松山市の白水台にあるガソリンスタンドのバイトが終わってから出発し、3時間かかったらしい。

 名車ホンダXLRの調子は、すこぶるいいようだ。
乗れば乗るほど動きがよくなる。

 30年の時を超えて、父から息子へ乗り継がれるバイク。
 バイトしたお金で新車を買うのもいいが、乗り継がれるバイクには、
到底かなわない感動というものがある。

 感動を手にしたとき、モノのすばらしさが本当によくわかる。
そして大切にしたくなる。
息子はそれを少しは、感じてくれていることだろう。




 昨夜、親子で酒を飲んだ。
私は、サントリー「オールド」ウイスキー。
息子は、新潟南魚沼市湯沢の銘酒「上善水如」(じょうぜん、水のごとし)。

 人間の最高の生き方は、水のように様々な形に変化する柔軟性をもち、
他と争わず、自然に流れるように生きること。
 これは、古代中国の哲学者である老子の言葉。

 飲みながら、いろいろな話に花が咲いた。
好みのタイプの女性、田舎暮らし、農業、どんなやり方で農業をやっていくか‥。
共通する大切なことは、まさに上善水如のような生き方。

 親子で酒を飲みながら、こんな話ができることをうれしく思う。
田舎で生まれ、育った幸せを感じる。



 昨日は、卒業したら来年から作業していく柑橘畑に、祖父母と一緒に肥料をまいたようだ。
今回の帰省の目的はこれだった。
祖父母から孫へとつながれていく。


 今日、昼過ぎ、いつものように母家の神様、仏様に手を合わせ、出発。



 キックし、バイクをかける。
調子よく吹き上がるエンジン。
 思わず、自分が乗っていた20歳の頃と重なって思えた。


「ありがとう。じゃあ行ってくるけん。」
「ん、気をつけての。」
バイクは、勢いよく走り出していった。


 ゴーロの道を白いヘルメットが通過した。
それが見えなくなるまで、見送った。
 これもまた、30年前私の祖母が、福岡へ行く私を見送ってくれた様子と同じだ。
祖母はもういないが、見送る者の思いはつながっている。



 ふるさとの田舎には、つないでいきたいものが多くある。

              岬人(はなんちゅう)

 

 


 

 
 

 
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犬のいる暮らし ~名前はまだない子犬たち~

2017-11-12 | 田舎暮らし
「我が輩は、犬である。名前は、まだない。」

 私の両親が飼っている柴犬のボンと弟が飼っている平礒の犬神?ガロとの子ども。
4匹いたが、そのうちの雄1匹は、1週間前に万平さん宅にもらわれていった。
残る3匹ももらわれる人が決まっている。

 したがって名前は、まだない。

 すくすくと成長し、やんちゃにもなってきた。
共通して感じるのは、柴犬はけっこうやんちゃ、ということ。
しょっちゅう、うなり声をあげて喧嘩している。
 

 そうかと思えば、仲良くしていることもあり。


 1匹で、もの思いにふけることもある。


 初対面の息子にも抱かれ。


 そして、まだまだ母犬が恋しい。





 犬のいる暮らしは、おもしろく、あたたかい。

 田舎では、気がねなく人と犬との暮らしができる。


             岬人(はなんちゅう) 

 

 

  
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「お父さん、お母さん、生んでくれてありがとう」 娘たち17回目の誕生日

2017-11-07 | 家族
11月7日(火)。

 双子の娘たちの17回目の誕生日。



「お父さん、お母さん、生んでくれてありがとう。」



この一言が親子の絆を強くする。


          岬人(はなんちゅう)
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佐田岬のツワブキ

2017-11-06 | 佐田岬の風景
この時期ふるさとを彩るのは、素朴だけれど、黄色い可憐な花「つわぶき」。
真っ青な空と海とその花の黄色の対照はあざやか。



 常緑の葉に艶がありフキに似ていることから、その名がついたのだろう。
「艶葉蕗(つやばふき)」からきたものとも言われている。
花期は10~12月。
半日陰でもよく育ち花の少ない時期に咲くため、庭植え用としても人気が高いようだ。
 ちなみに実家の門の側にも父が植えています。


 
 葉には強い抗菌作用があり、古くから身近な薬として利用されてきた。
もんだり火であぶって軟らかくし、腫れ物や湿疹、やけど、しもやけなどの患部に貼る。

 幼い頃、山に手伝いに行き、大便をしたいときに、つわの葉でお尻をふいていたことをなつかしく思い出す。
全て両親が教えてくれたこと。
破れにくいのと抗菌作用まであったのだと感心する。

 春に摘み取った茎はフキと同じように食用になる。
ゆでてアク抜きしたものを煮物や炒め物、胡麻あえ、酢味噌あえなどに。
花やつぼみも天ぷらや酢の物になる。




 伊方町は、つわを町の花に制定している。
 
 九町出身で現代俳句の代表作家の一人である坪内稔典さんが、ふるさとの母を慕った句を作られている。

 「つわぶきは 故郷の花 母の花」

                        岬人(はなんちゅう)
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犬のいる暮らし ~人と犬の絆~

2017-11-05 | 田舎暮らし
 わが家の飼い犬であるガロ(雄)と柴犬のボン(雌)の子どもができてから
1ヶ月ほどが経つ。
4匹の子犬もすっかり大きくなり、たくましく育っている。

 そして家族はもちろん、訪ねてくる人にも人気もの。



 犬は3万年前から人間の最良のパートナーとして、人と共に暮らしてきた。
今日、アメリカ人の半分の家庭が犬を飼っているそうだ。




 犬は人間と嬉しさや悲しさを共有できる動物らしい。
人間が悲しそうな気配をすれば、それを感じ同じように悲しそうにする。
逆に人間がうれしそうにすれば、同じように尾を振ったり、飛び跳ねたりして喜びを表現する。




 そして驚くことが、
犬は人間との絆を特に大事にするということ。

 犬は、霊長類以外では、人間の目を見つめる唯一の動物らしい。
これは10年前、オオカミを家畜化する研究において発見されたことで、
人間と犬との独特の行為である。

 と言うのも、犬は人間とのアイコンタクトは求めるが、
生みの親である親犬とは行わないらしい。

 犬は他のペット以上に人間との絆を大切にしている。




 犬と一緒にいると癒やされるのは、こんな理由があるからだろう。

 4匹の子犬は、3匹が平礒の人に、
1匹は名取の人にもらわれていくことになっている。

 犬のいる暮らし、田舎暮らしの良さの一つだ


           岬人(はなんちゅう)

  
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枕草子の思いと重なる ~秋は夕暮れがいい~

2017-11-04 | 感動
 台風が過ぎて、急に寒くなった。
暑かった夏が遠い過去のことのようだ。
 季節の移ろいを感じることが気に入っている。

 ふと、今から1000年も前に書かれた枕草子が頭に浮かんだ。
昔の人は、季節をどのように感じていたのだろう。


「秋は夕暮れ。
 夕日の差して山の端いと近うなりたるに、
烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
 まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。」


 訳すると
「秋は夕暮れがいい。
 夕日が落ちてきて山の端が近く感じるようになってきたころに、
烏が巣に帰ろうと、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいる様子にさえ心がひかれる。
 ましてや雁などが列をつくって飛んでいる様子が小さく見えるのはとても趣があってよい。
 日が沈んでしまってから聞こえてくる風の音や虫の音なども、言うまでもなくよい。」


 私も秋の夕暮れが気に入っている。
 初秋の頃、松山で飲み会があった。
夕暮れ時に始まったので、まだ辺りは明るかった。


 しだいに空が赤く染まり始め、


 山の端が近く感じるようになってきた。
 

 飲み会で盛り上がりながら、そんな夕暮れ時の景色を楽しんでいた。


 料理も昔のようにあまり食べられなくなったので、
めずらしい料理や盛りつけを楽しみむようになった。
 えびよりも料理に添えている花はが気になった。
食べられるのだろうか。一片ちぎって食べてみた。
パセリよりもくせがなく、あっさりしていた。

 
 暖色のライトに照らされると、よりおいしく見える。


 外はすっかり日が落ち、街の明かりを楽しむ。


 ライトアップされたチャペル。


 そしてあっという間に、しめの雑炊が出てきた。


 帰りぎわ、おもしろいものを見つけた。
何とこの花は特殊処理をしているため、しおれないらしい。


 この後も2次会へと続き、朝起きたら快晴。
まぶしすぎる。


 やはり、秋は夕暮れがいい。

              岬人(はなんちゅう)

 
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日本人として11月3日、文化の日を考える

2017-11-03 | 社会
 11月3日は国民の祝日である『文化の日』
その由来を調べてみた。

 「三崎の秋祭り 牛鬼と四ツ太鼓の鉢合わせH24」

「orange情報舎より」

 その趣旨は次の通りです。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」
ではなぜ11月3日が文化の日になったのでしょうか。

 この11月3日は1946年に日本国憲法が交付された日。
そしてこの日本国憲法は平和と文化を重視したものであるため
『文化の日』として国民の祝日に制定されました。

 ちなみに日本国憲法が施行された5月3日を記念して制定された祝日が『憲法記念日』です。

 「三崎の秋祭り 浦安の舞H24」

 しかし実はこの文化の日という名称もその趣旨も本来の意味とは全く関係の無いものなのです。
この11月3日は元々明治天皇のお誕生日であった『明治節』と呼ばれる祝日だったのです。
 
 明治天皇が崩御(天皇がお亡くなりになる事)された後、
明治天皇のお誕生日であった11月3日を祝日にしたいという国民の声が非常に多かったために
『明治節』という祝日になりました。

 「平礒の氏神様を祀る神社 H19」

 しかし日本が先の大戦で負けた後、GHQは日本の弱体化を狙い
天皇や神道に関わるものを徹底的に排除しようとしました。
 そして『明治節』も廃止されてしまうのです。

 ですが、明治天皇の『明治節』はどうしても残しておきたいという意図が日本政府にあったため、
日本国憲法の公布を意図的に11月3日にして、それを祝日にしたと言われています。

 つまり形式上は日本国憲法の公布日を祝ったものなのですが、
明治節の趣旨こそが11月3日の祝日の本来の意味なのです。


 「平礒の盆踊りH29」
 
 なるほど。
 明治という時代は、日本が近代国家として歩み始めた時代。
様々な困難と苦労があった。
 今は、その延長線上にある。

 先人たちの足跡を知ることは、とても大切なことだ。
知るとふるさとや日本がより大切に思えてくる。
 

「平礒の盆行事モウリョウ H29」



                岬人(はなんちゅう)
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