喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

藤物語

2014-04-29 | ブログ
 先日、母家の庭の藤をバックに、両親と娘たちとの写真を撮った。
それを見て、タイのYuiやロサンゼルスのりえちゃんから驚きと心配のコメントがあった。

「お母さんは、やせたましたね。体はだいじょうぶですか?」

確かに3年前の写真と比べるとすごい。
一目瞭然。



                                     「2014(平成26年)4月」



                                     「2011(平成23年)4月」

 昨年から母は、本格的に食事療法をはじめた。
食べたい物を、食べたい量をがまんし、健康のために。
頭が下がる思いだ。

 娘たちもずいぶんとお姉さんになった感じ。

 1年に1度、藤の花の下で撮る写真。
藤の花は、全て知っている。
来年は、どんな写真が撮れるのだろうか。
 藤物語。

 ふるさとには、自分の足跡をふり返ることができるものがある。
ふるさとを出た人たちは、時にそれを思い出すのだろう。

 たまには、それを確認に帰ってほしい。
ふるさとは、変わらないまま残っている。


                  岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎に藤の花

2014-04-29 | ブログ
 4月に入り、桜、ハナミズキと花シリーズが続いている。
日本の原種は、外来種に比べると、大ざっぱに言うと花が小さく、色も淡く繊細という感じがする。
日本の四季折々の自然がそんな美しい花を生んだのだろう。

 ハナミズキは、嫌いではないが、桜に比べると心に残るものは少ない。
そう言った面では、日本古来の「藤」はとても美しい。
古より万葉集にも歌われている。

 花にあまり興味をしめさない父が、桜と藤には思い入れがあるのもうなずける。
わが家の母家の庭に植えた藤が見頃をむかえ、毎年そのつるを伸ばしている。



 父は、そのつるを塀にそって伸ばしたいようだ。





 平礒の人は、農業が忙しく、なかなか花木に対する意識は高くないが、
花木は心に潤いを与えてくれる。
 平礒の春の美しい風景になってほしいものだ。



 愛媛の俳人正岡子規が次のような短歌を残している。


「瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ 畳の上に とどかざりけり」 

 
 日本の藤だからこそできた短歌なのだろう。

 ふるさとに花を。

                            岬人(はなんちゅう)  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い藤の花が幸せをもたらす

2014-04-23 | ブログ



 窓ぎわや玄関先に花を飾るということは、とてもすばらしいことだと思う。
もちろんその家が華やかになるし、道行く人たちの気持ちをもさわやかにさせてくれる。

 わが家の庭に私が生まれるはるか前から根付いている藤の木がある。
それは、ちょうど今紫色の花をぶどうの房のように咲かせ、見ごろとなっている。
塀を乗り越え、道路側にたれ下がり、道行く人を楽しませてくれている。

 先日74歳になった父はその藤の花が大好きで、毎年写真に撮ってほしいと私にことづける。
あわせて娘たちもいっしょに撮ったらどうかとすすめる。
 こんなやりとりがもう何年続いただろうか。
毎年、この時期に写真撮影している。

 今年は、父と母も入って4人で撮影も。



 4人ともとてもうれしそうだ。
あと何年、こんな写真が撮れるだろうか。

 そんなことなど気にもせず、古い藤の木は毎年きれいな花を咲かせるのだろう。
この花を見るたびに大切な人を思い出す。
そんな古い藤の花。

                     岬人(はなんちゅう) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハナミズキ」という歌にこめられた思い

2014-04-17 | ブログ
 関西の後輩から前回のブログについて続きが寄せられた。
初めて知ることにビックリ。

「ハナミヅキ♪ (関西の後輩)より

『ハナミズキ』
のご紹介をありがとうございました。
コメントが苦手なので上手く説明できなかったのですが伝わってよかったですf(^_^;)

 ハナミズキは街路樹としても有名な花で今はピンクと白の花を開花させて咲きます。
桜と同じくらい大好きな花です。



 もちろん岬に咲く桜や花たちと同じくらい…ヾ(^▽^)ノ

 書き忘れましたが、というよりコメントがくどくなるかなと控えていましたが

ハナミズキと聞くと
一青窈さんの歌
『ハナミズキ』
を想い浮べられる方も少なくないかもしれません。



 実は この曲…
一青窈さんは、
アメリカ同時多発テロが起こった時、ニューヨークにいた友人からのメールをきっかけに、涙しながら一週間ほどでこの歌詞を書き上げたものだったと耳にしことがあります。

歌詞を読むとラブソングでもあるのですが、

「100年続きますように♪ 」
という歌詞には

何年も何十年も何百年も世界が平和でありますように…
そして人を思いやる心、感謝する心、人と人との繋がりの大切さ…

色んな想いが込められた、奥深いメッセージソングなのかもしれません。


改めて 『ハナミズキ』を聴いてみたいと思います。
皆さんも是非…

度重なる真夜中のコメントで失礼しましたm(._.)m」


 うれしくなる。
 高校時代の後輩がこうしてコメントしてくれること。
ふるさと佐田岬の桜を思い浮かべ、アメリカから親善の証として贈られたハナミズキにまつわる話を聞かせてくれた。

 一青窈さんの「ハナミズキ」というすばらしい歌。
もう一度じっくりと聴いてみたい。

                    岬人(はなんちゅう) 

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハナミズキ」の物語

2014-04-16 | ブログ
 昨日のブログは、日本から贈られたアメリカ、ワシントンの桜について書いた。
それに対して、とてもすてきなコメントが寄せられたので紹介したい。
 
 コメントしてくれたのは、「関西の後輩」さん。
この人が誰かは、何となく予想がつく。
 母校、三崎高校の時の1つ下の後輩。
昔から先輩、先輩と慕ってくれているすてきな方。
今は、京都に暮らしている。



「こんにちは

こちらの桜もまだまだ満開のものも多く、子供の送迎時には桜並木を楽しんで歩いています。

桜は日本から贈ったアメリカとの友情の印でもあり、そのお返しにとアメリカら贈られた花が『ハナミズキ』なんですよね(*^_^*)
花言葉は『返礼』

ハナミズキはアメリカでもっとも愛されている花
桜の時期が終わると
今度はハナミズキが癒してくれますね。


そうです!毎日見ている桜の種類に
黄色から薄緑色の花を咲かしている木が二本見られるのですが

『御衣黄桜』

という珍しい桜だということを今日(正確には昨日)知りました。
日本では沖縄を除く地域で100本以上はあるようです。
四国(徳島、香川、高知は情報があるようですが…)愛媛にもあるのかなぁ(・・?


さて!今日も近所に咲く桜木からベランダに舞い散ってきた花びらの掃除です(*^_^*)
冬は枯れ葉が多くこれまた掃除が日課になりますが(笑)、
毎年こうして綺麗なものを見せてもらったお礼の気持ちで掃除させてもらってます。」





 ふるさとを大切に思う気持ちが伝わってくる。
そして、遠く離れていても岬の人らしく、自然に対する美しい感性と
感謝の心があふれている。
だからこそ豊かな生活ができているのだろう。

 改めてその大切さに気づかせてもらった。

                    (岬人 はなんちゅう)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄贈100年、米ワシントンの桜こそ日本の「ソフトパワー」

2014-04-15 | ブログ
桜のブログが続いている。
先日おもしろい記事を見つけた。



【3月22日 AFP】文化外交という言葉が世界中の政府の間で流行する100年も前に、日本はすでに素晴らしい成功を収めていた。
それが、今や人気名所となった米国の首都ワシントンD.C.(Washington D.C.)の桜だ。

 ワシントンの国立公園ナショナル・モールに、東京市(当時)から贈られた桜の苗木の最初の1本が植樹されたのは、
1912年3月27日。
 現在は桜並木となっているポトマック川沿いの入り江、タイダルベイスンの周りはそれまで殺伐としていた。
今では毎年1か月にわたって「桜祭り」が行われ、花見シーズンには100万人以上が訪れる観光スポットだ。

「桜のことは本で読んで知っていたけれど、実際にこの目で見て圧倒されたよ」と、デラウェア州から来た夫婦。
オーストラリアから来た観光客は、「まるで雪が積もっているみたい」とうっとりしながらカメラのシャッターを切っていた。「春の到来を告げる新しい発想で、その美しさははかない。まさに日本的だ」

 日本人にとって桜といえば花びらの舞う中での宴会がつきものだが、ワシントンでは違う。
国立公園内での飲酒はご法度だ。
 それでも、ここで見られる花見という日本の伝統への称賛は、
世界各国政府が「ソフトパワー」によって影響力を強めようと多額の予算をかけて自国文化の輸出に躍起になる現代においては、まさに夢が現実となった姿だといえる。

 桜寄贈100周年を迎えるにあたり、藤崎一郎駐米大使は次のように述べた。
「桜は、日本の精神の象徴であると同時に、日米友好の象徴でもある。将来もそうあり続けるだろう」

 日本は当初、タイダルベイスンに日本風の石庭を造るなどして100周年を祝う計画だった。
だが、東日本大震災のため計画は遅れ、桜祭りの期間中は事業計画を発表するだけになった。
その代わり、アイドルグループ「AKB48」や歌手のミーシャ(Misia)さんら人気アーティストが訪米し、
震災後の米国からの多大な救援に感謝の意を示す。
 また、ニューヨークやロサンゼルス、シカゴなど全米数十の都市にも日本の桜を植樹する予定だ。



                                      
                                       「メロディーラインの桜」

■受難の歴史越え咲く桜、「人生へのメッセージ」

 100年前に贈られた桜にも、日露戦争を終結に導く仲介役を果たした米国への感謝が込められていた。
しかし実は、最初に贈られた桜は花を咲かせる機会がなかった。

 1910年、日本から最初に贈られた桜2000本は、到着すると害虫が発生したり病気にかかっていたため米農務省が焼却を命じた。当時のフィランダー・ノックス米国務長官は日本に宛てた書簡の中で「辛い決断だった」と述べている。
しかし2年後、日本は改めて3020本の桜を贈った。
ヘレン・タフト大統領夫人が開催した式で植樹されたこの桜は、今度はしっかり根付いた。

 ワシントンの桜が次なる受難に出会ったのは1941年、日米開戦の時だった。
ハワイ・オアフ島の真珠湾を日本軍が攻撃した後、何者かによって4本の桜が切り倒された。
 第二次世界大戦が終わるまで、桜はただ「東洋の木」と呼ばれたが、
その裏で密かに桜を守る行動を米国人たちは組織していた。

 戦後、桜祭りの人気はあっという間に広まり、日本は1965年、さらに3800本を寄贈した。
桜祭りに関する著書があるアン・マクレランさんは、ワシントンを訪れる人々はまず日本の影響を思い浮かべるが、
桜には「大事なメッセージ」も込められていると語る。

「タイダルベイスンのほとりに寝転び、花の下を歩く人たちの話し声を聞いていると、
人生がどんなにかはかなく、美しく、だからこそ精一杯生きなければいけないことに思いをはせます。
それこそが日本人の信条で、それを今わたしたち(米国人)も迎え入れているのです」(c)AFP/Shaun Tandon


 
                                
                                         「メロディーラインの桜」
 桜は、やはりすばらしい。
喜久家に来てくれたワシントン出身のセーラに様子を聞いてみたい。

                             (岬人 はなんちゅう)

                               
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐田岬半島の山桜

2014-04-13 | ブログ
佐田岬半島が誇る山桜。
ずいぶんと岬の春を感じさせてもらった。





 集落や沿道には、植樹されたソメイヨシノが咲いている。
多くが散っていったなか、何とか残っていた桜も今日の雨で終わりとなるだろう。





 知り合いに八幡浜在住の水本孝志さんがいる。
NGOさんきら自然塾を運営され、佐田岬の自然を保護し、そのすばらしさをPRされている。
知らないものはない。
佐田岬の牧野富太郎、ファーブル、シートンとでも言おうか。

 水本さんがブログに山桜のことを書かれていたので、引用させていただく。

★佐田岬半島圏の野生桜は4種・・・

①つくしやまざくら(筑紫山桜・半島先端部)特に瀬戸内側に点在し、ふるさと平礒でも多く見られる。
②やまざくら(山桜・半島全域)
③えどひがん(江戸彼岸・出石山)
④しでざくら(四手桜:采振木とも・半島全域)

 園芸桜にはない素朴な美しさを誇る郷土産桜を大切に保全しつつ愛で仰いで見られませんか?(NGOさんきら自然塾)





 
 今は萌える葉桜。
そして実を結び、その種を落としていく。



 こうして佐田岬の山桜は、少しずつ増えていく。

                 岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

廃校の桜

2014-04-11 | ブログ
 時代の変化とともに、田舎では少子化が激しく、
あいついで統廃合が進んでいる。

 こんな時代がくることを誰が予想しただろうか。

 私の入学した釜木小学校も統合した二名津小学校も
そして二名津中学校も統廃合してなくなった。

 旧三崎町には3つの中学校があったが、今は1つに統合されている。
ところが衝撃的な数字がある。

 三崎中学校の生徒数の変化について。
昨年平成25年度の全校生徒数は、81人。
今年度26年度は、67人。
27年度は、66人。
そして娘たちが卒業する28年度は、43人に激減。
29年度は、38人。
30年度は、33人。



 4年後には、今よりも48人が減る。
となりの瀬戸中学校も同じ傾向。

 この数字を時代の変化だからと悠長なことを言っていてはいけない。
もっと本気で行政や住民が考えていかなければならない。


 先日、旧二名津小学校に立ち寄った。




 同じく10年ほど前になくなった旧二名津中学校。



 様子が大きく違っている。
集落のはしにある小学校と集落の近く、そして最も通行量が多い道路のそばにある中学校。
中学校の運動場は、お年寄りのゲートボール場としてひんぱんに使われていて、草引きなどの整備もされている。
5月のこどもの日には、地域の人たちによる「こいのぼり祭り」会場としてもにぎわう。

 学校は、位置的にも集落とともにあることがどれほど重要なことかが、
小学校と中学校を比べてみて今まさによくわかる。

 そんなことなど関係なく、両校の校庭には今年もきれいな桜が咲いた。
社会がどんなに変わっても変わらないものがある。
 ふるさとの宝物のひとつだ。

                     岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰もいなくなった二名津小学校の桜

2014-04-10 | ブログ
 2011(平成23年)の今日のブログをふり返ってみた。

 半年間、月に1度愛媛新聞「伊予弁」コーナーに掲載を依頼されていた。
4月のテーマは、「佐田岬の桜」


『「佐田岬の桜」

 朝ウグイスやメジロたちのさえずりで目が覚める。
 その姿を追い山々に目を向けると、辺り一面ピンク色に染まっている。
ついこの前までは、清見タンゴールなどでオレンジ色に彩られていた山々。
 
 ふるさと佐田岬半島に自生する素朴な山桜は、
伊方町内だけでも約十一万本あり、年々増えている。
 渡り鳥のルートとして全国的に有名な佐田岬には、多くの鳥たちが集まる。
その鳥たちによって山桜の種が広い範囲に蒔かれていきこれほど増えているのだろう。
 大自然の悠々たる営みによって今の美しさがある。
 
 ふと、校庭の桜が見たくなり、入学した釜木小学校に久しぶりに足を運んだ。
三年間過ごした学舎は、廃校となり今はない。
 当時の面影を残すものは、校庭の桜と通る度にあいさつした二宮金次郎の像のみ。
寂しさとなつかしさが入り交じった。
 
 八日は、三崎中学校の入学式。
満開の桜の中、胸躍らせ子どもたちが入学してくる。
 それは、今も昔も変わらない姿だ。』



 1週間前、平成24年度をもって三崎小学校に統合した母校二名津小学校に一人で立ち寄った。
誰もいなくなった学校。
 校舎と校庭は変わらずあるが、掃除されないため、ゴミがたまっていたり、草が生えたり。
悲しい気持ちになった。

 校庭に植えられた桜だけが、いつものように満開の花を咲かせていた。
来年の桜の時期もまた見に来たい。












 4月8日は、三崎中学校の入学式。
フレッシュな1年生たちが入学し、新しい生活をスタートした。
これもまた、今も昔も変わらない姿。

                      岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐田岬の葉桜  実りの時期へ

2014-04-06 | ブログ


 自分が過去に書いたブログをたまに読み返す。
これもまたいいものだ。
 特にふるさと佐田岬に桜が咲く季節のものをふり返ることが多い。
昨年はどんな様子だったかな。

 2012(平成24年)の4月14日には、以下のようなことを書いていた。
写真は、今年平成26年、4月3日のもの。


「平礒から東方の釜木の山桜を見たものです。

 釜木の山々には、山桜がたくさんあり、みごとです。
愛媛新聞社発行の「日本列島 鳥の旅」で佐田岬は、次のように紹介されています。

『緑の中に点々と霞むヤマザクラの花の群れ。
微妙に異なるさまざまな緑と薄紅色が、
モザイク模様になって山をひときわ輝かせています。
こんなに美しい配色を誰が考え出したのでしょうか。』

 
 佐田岬半島は、知る人ぞ知る渡り鳥のルートとして、全国的に有名なポイントです。
圧巻は秋、数百羽のヒヨドリが群れなす渡り。
そして春、やがてツバメが帰ってきます。

 『美しく咲いているヤマザクラや緑の木々は、
半島に渡って来た小鳥たちが落とした種から育ってきたのではないか。
ハヤブサの鋭い爪から逃れ、
生き続けた鳥たちが落とした無数の種から…。
その小さな種が土にもぐり、雨をうけて伸びたのだ。
そして、いつの間にか葉を茂らせ、花を咲かせて実を結んだにちがいない。
 鳥たちはその実を食べて命をつなぎ、その鳥たちをハヤブサがねらう。
ヤマザクラが咲いて、ハヤブサにヒナが生まれ、花が散って緑が萌える頃には、
ヒナは力強く巣立っていく。

 何千年、何万年をかけて自然は黙々とその営みをくり返している。
海と空の間を悠久の時が流れていく。
生命が生命に受けつがれていく。』


 わが家のベランダに立ち、ふとっ、こんなことを思いました。

                        岬人(花んちゅう)」

 沿道や公園には、人が植えた多くのソメイヨシノの桜が豪華絢爛に咲いている。
一方で、佐田岬の山桜には、このような歴史と自然の物語がある。
私は、それが好きだ。

 今日も冬を思わせるような冷たい春の嵐が吹いている。
2・3日前まで、ピンク色に染まっていた山々の桜は散ってしまい、
やわらかい黄緑の葉桜へと変わっている。

 葉桜はこの後、実をつけ、その実を鳥たちがついばみ、
その種をまた散らしていく。
 年々増えていく、佐田岬の山桜。
生命が生命に受けつがれていく。

                  岬人(はなんちゅう)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐田岬の桜は最後の見ごろ

2014-04-04 | ブログ
 昨夜から雨が降り、桜吹雪。

 桜は、ずいぶんと散ってしまったが、
週末の土日が最後のみごろとなるだろう。

 ふるさと佐田岬の桜。
すばらしい。
ずっと残していきたい風景だ。

 
















          岬人(はなんちゅう)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする