喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家に新しい仲間

2013-04-25 | ブログ
 今日、喜久家に新しい仲間が増えた。
その人の名は、早川愛さん。

 大学を休学し、NPOナイスが募集したボライヤー9期生として、
これから1年間日本を中心に活動される。

 それにしてもうらやましい。
こんな考え方とその思いっきりの良さが。

 東京から夜行バスで今日到着。
平礒に到着するやいなや、さっそく柑橘の作業をしてくれたようだ。

 会うのが楽しみ。
また新しい春風が吹き始めた。

                  岬人
          
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喜久家ボランティアのその後

2013-04-23 | ブログ
 以前、喜久家ボランティアとして活動してくれた埼玉出身のメンバーから電話があった。
久しぶりの声に話がはずむ。

 近況を聞くと、大学卒業後、知的障害施設で働いていたが、辞めて
今年の4月から佐川急便で働いているとのこと。
 そして夜は、希望していた理学療法士の資格を取るために専門学校に通っているとのこと。

 朝5時30分に家を出て、帰宅するのが夜12時を過ぎる。
体力には自信のあった彼だが、すさまじい生活。
こんな生活がこれから4年間続く。

 彼いわく、「佐川急便で3年間働いたらたいしたものですよ。」
そんなことを言う彼の声は、弾んでいた。
すごい。
頭が下がる思いだ。

 私自身、年度初めで多忙な毎日を送っているが、
彼のがんばりを聞いたら、
「自分ももっとやれる。がんばろう。」
という気持ちになった。

 喜久家を旅立った若者が、がんばっていることがとってもうれしい。
 




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春の名残の花 ~ 藤 ~

2013-04-20 | ブログ
 わが実家の庭から塀ごしに咲く藤の花。
大好きな桜のあとに咲き始め、5月まで見られます。
そのことから春の名残の花と言われているようです。



 日本原産で、古来より日本人の心と共に藤の花は
万葉の時代から詠まれています。

「ふるさとの 池の藤波 誰植えて むかし忘れぬ かたみなるらむ」
                      金槐和歌集 源実朝

「しはらくは 花の上なる 月夜かな」
             松尾芭蕉
 
そして愛媛県松山出身の俳人 正岡子規も
「瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ 畳の上に とどかざりけり」


                        
 今日は、昼過ぎからしとしと春雨が降っています。

 昨日の朝、双子の中学生に写真を撮らせてもらいました。
この子たちにもこの藤のことを話してあげようと思います。



                                 「my twins daughter」

                         岬人

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藤の花

2013-04-18 | ブログ
藤の花


 今年も咲いた、わが家の藤の花。
庭から塀を越え、道路に向けて垂れ下がっている。
まるでぶどうのような鈴なりの紫の花。
行き交う人の目を楽しませてくれる。



 両親は、この藤をこよなく愛しているようだ。
それはそのきれいさだけではなく、別に理由があるような気がする。

 私も覚えている。
わが家の母家が建てかえられたのは、私が5歳の頃。
幼心ながら、昔の古い家の記憶がわずかながら脳裏に残っている。

 あの時のものはすべて無くなってしまった。
そんな中、唯一残っているのがこの藤の花。
 昔は、赤い戸の玄関を入るとすぐ左手に像の足のような大きくて、
曲がった木があった。
「じゃまだな~」
と思いながらも、この季節になると紫色の花をたくさんぶら下げていた。
それがおもしろいのときれいなのと。
記憶に残っている。



 私が覚えているくらいだから、両親にとってはかけがえのない花のように思う。
だから家を建てかえたときも、塀にせりだし邪魔になるのだが切らずに残したのだろう。
 それも年月を重ねるごとに朽ちて元気がなくなってきた。
それでも毎年この時期に花を咲かせる。
今年も咲いたか。



 わずかな期間だが、昔の思い出もあわせて見ることができる。
今まさに見ごろをむかえている。

                 岬人(はなんちゅう)
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故郷、平礒の春祭り前日

2013-04-14 | ブログ
 明日4月15日は、平礒の春祭り。

それに先立ち、今日のぼりを立てた。

その手伝いをすることができた。



 強風だったため、けっこうたいへんだった。

毎年、お世話役の方には、このようなご苦労をおかけしている。

ちょうど息子もいたので誘ったところ、いっしょについてきた。

 地域に生きるということは、たいへんなことが多い。

でも地域活動に参加すると満足感も多い。



 自分の最後を迎える時、ここで生まれてよかったと思えたら幸せ。

そしてさらに、もう一度生まれてくる時もここに生まれたいと思えたら幸せ。

 そんな故郷にしていきたい。

                 岬人



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第11回南レク杯ソフトテニス大会

2013-04-14 | ブログ
 昨日、4月13日(土)、津島プレーランドにて第11回南レク杯ソフトテニス大会(個人)があった。
オフシーズンが終わり、いよいよテニスシーズンのはじまり。

 四国最西端の三崎中学校から会場までは1時間45分。
朝6:30に出発。
最も時間のかかる場所にある。

 早い家庭では5時前に起き、子どもたちの弁当を作ってくれたことだろう。
中には、自分でおにぎり弁当を作ってきた子どももいたかもしれない。

 三崎中学校ソフトテニス部女子では、自立をめざすために自分で弁当を作ることをすすめている。
消化をよくし、腹持ちをよくするためにはおにぎりが最適。
昔から引きつがれてきたおにぎり弁当だ。



 会場に着くとすでに熱の入った練習が行われていた。
3年生が出場する女子Aでは、84組のエントリーで三崎中からは3組が出場。
2年生が出場する女子Bでは、54組のエントリ-で三崎中からは1組が出場。

 三崎中学校の子どもたちも練習の成果を出すべく、
勝利をめざしがんばった。
 もちろんどのチームも同じ思い。

 ベンチとしては、選手が小さくならないよう厳しいアドバイスはひかえ、
練習通りのプレーを思い出すよう声をかけた。
 わずか1分の時間で選手のプレーが増すようなどんな声かけができるか。
非常にむずかしい。いつも悩む。

 結果は、2組が初戦敗退。
2組が2回戦で敗退という満足のいくものではなかった。

 いつも悩む。
試合後、どんな声を選手にかけたらいいのか。
 まじめな三崎中学校の子どもたちは、自分のふがいなさを感じ落ちこんだ様子。
そんな時に子どもたちを責めてもどうしようもない。
顔をあげ、前を向き続ける子どもたちであってほしい。



 この日最後のミーティングで次のような話をした。
「今日最後まで負けないペアは、何組いる?
それはたったの1組だけ。3年生であれば残りの83組は、負ける。
負けるのが早いか遅いかのちがいだけ。
みんなに勝った組も次々に負けているじゃないか。
負けた組の中には、そのくやしさをバネにしてすでに次の試合へと思いを整理している人だっている。
大切なのは、負けから何を手に入れるかだ。
今日の負けを必ず次に生かそう。」

 真剣に聞く子どもたち。 
子どもたちの目に輝きが増したように感じる。

 日本一細長い佐田岬半島の田舎者たち。
私たちは、あきらめず、前向きに生きていく。

                   岬人(はなんちゅう)



 
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 桜への娘の思い

2013-04-11 | ブログ

 ワクワクした桜の季節。
そして雪のような散り模様。
今は、さわやかな葉桜となって夏にむかっている。

 桜は人ぞれぞれの経験や考えによって、さまざまな印象を与える。
私と父は違うだろうし、我が子たちはまた違った思いがあるだろう。
それが知りたくて、先日中1の娘に桜について聞いてみた。
次の日、以下のような思いをメモ帳に書いてくれた。



「桜は、冬の終わりを告げ、春のおとずれを感じさせるなくてはならない存在。
 しかし桜は咲いているときこそきれいで、心を和ませてくれるけど、
春がやってくると、役目を果たし再び眠りにつくかのように散っていく。
 およそ1週間の間に桜の花は満開になり、道ばたに陰をつくる。
365日の中の7日間、桜は咲き続ける。
 残りの358日、どのような生き方をしているのか姿は見えないけど、
必ずどこかで見守ってくれているにちがいないと感じる。
 桜は春の象徴であり、時代を見続けてきた「物知りな木」なのだと思う。」



 へー、こんなふうに感じているのか。
娘に聞いてみた。

「小学校の先生が桜についてお話ししてくれたことも心に残っていたんよ。」
とのこと。

 桜ってすばらしい。
 

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愛媛県立三崎高等学校 入学式

2013-04-09 | ブログ




 今日4月9日、愛媛県立三崎高等学校の入学式が行われた。
私の母校でもあるこの学校に、息子も入学することになった。

 四国最西端の高校に41名が入学。
これから3年間は、巣立ちの準備期間となる。
 子は、親離れ。
親にとっても子離れが必要。
そんな思いであたたかく見守っていきたい。

 学校長式辞や学年主任、学級担任のお話でも同じようなことを強調されていたように思う。

 入学式前の待ち時間から2・3年生の態度は立派だった。
椅子に深く腰かけ、背筋をピンとはって座っている。
物音ひとつ聞こえない厳粛な雰囲気。
 そうかと思えば、校歌斉唱の時は、口を大きく開け、力強い熱唱がとても印象的だった。

 先生方も若く、熱気が感じられた。
息子の学級担任は、女性で、保健体育が専門。
言葉の一つ一つに張りがあり、とてもさわやかな先生。



 こんなすばらしい環境で3年間を過ごせることは幸せなこと。
ぜひ夢と希望を高くかかげ、充実した日々を送ってほしい。

 今年の桜は昨年よりも早く散ってしまった。
今は、さわやかな葉桜。



 写真は、雨で潤いを増す満開の桜。



                   岬人


 
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また会おう  Botaliev Bekzat (ボタリーエフ ベクザット)   

2013-04-07 | ブログ
Botaliev Bekzat (ボタリーエフ ベクザット) 物語  



 今年1月26日から喜久家ボランティアとして来てくれていたキルギス出身のボタリーエフ・ベクザット。
2ヶ月半の活動を終え、今朝9時過ぎに出発。
今夜7:20の東京行き夜行バスに乗り、明日の朝7:20に新宿西口に到着。
昼頃、成田空港を飛び立ちモスクワに向けて10時間のフライト。
乗りつぎのため6時間待ち、4時間かけて故郷キルギスへ。

 ベックは、それくらいの時間をかけて、東京でも大阪でもない小さな平礒へ来てくれた。
私たちがこうして出会ったことはまさに奇跡といえる。

 故き良き日本人を感じさせる。
日本人以上に日本人らしかった。



 明るく、まじめで、やさしく、働き者。
たくさんのエピソードがある。
 1週間休みなく農作業をしてくれたので、母が
「ベック、明日は休んでください。」
と言ったら、
ベック:「お母さんも休みですか。」
母:「私は、忙しいので休んでいられないのよ。」
ベック:「それなら、僕も手伝います。休みがなくてもだいじょうぶです。」



 またこんなこともあった。
ある朝、小雨が降る中、妻が両手にゴミをかかえ、ゴミ出しへ。
通りかかったベックは、すれちがいざまにすぐ、
「ゴミを持ちます。」
と言って、手助けしてくれたとのこと。



 昨夜は、恒あんちゃんが銀河で送別会を開いてくれた。
よくいっしょに作業した石井さんも出席してくれ、
ベックをねぎらい、思い出話に花を咲かせてくれた。



 みんなに愛されたベック。
いよいよ旅立ちの朝。
 良あんちゃんや谷さんも見送りにかけつけてくれた。
ベックの目からは涙があふれ出し、止まらない。
 最後はいつものあいさつ。
「ベック、いってらっしゃーい。また帰っておいでよ。」

 

 私たちは、たくさんのことをベックから教えられた。
出会いが人を変える。
 再会の時までに、もっと成長していたい。

                 岬人(はなんちゅう)
 
 

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春は別れと出会いの季節

2013-04-03 | ブログ
 春は別れと出会いの季節。
もう一週間前になる、3月23日(土)。
いつもより早い夕方の帰宅。
すると家の前のベンチに思いがけない人の姿。
 以前、喜久家ボランティアとして来てくれていた名児耶(なごや)君が座っていた。
ビックリしたが、うれしくて再会の握手。
「いやー、ビックリした-。どうしてここにおるん?」
「洋海さんとの話で、しばらくバイトでお世話になります。」
とのこと。



 名児耶君は、東京の出身で香りを学ぶために専門学校に通っている。
春休みらしいのだが、東京でバイトするよりも、田舎でゆったりと大らかに過ごすことが好きらしい。
喜久家プロジェクトがこんな形でも必要とされていることをうれしく感じた。



 そして翌日、24日(日)には、2011年喜久家国際ワークキャンプのリーダー、かわばたちあきちゃんが訪ねてきてくれた。
卒業旅行でポルトガル・スペインを旅し、卒業式を終えたばかりだが、就職前にぜひ平礒に来たかったとのこと。
27日まで他のメンバーと喜久家で生活しながら、農作業も手伝ってくれた。
 ちあきちゃんは、昨年も来てくれたので今回で3回目。
このように何度も平礒に帰って来てくれることがどれほどうれしいことか。
 特に恒あんちゃんは、今回も大喜びで、みんなを銀河へ飲みに誘ってくれた。



 ちあきちゃんは、27日の夜行バスで神戸へ帰って行った。
28日朝に到着した時、フェイスブックで次のようなコメントをしてくれていた。

「さっき、神戸ついて、今朝マック(^^)/
4日間は短すぎるわ~(>_<)
もっともっとみんなとおりたかったな(>_<)
ほんま、寂しい(;_;)
山桜もめっちゃ、きれかったし、みかんもおいしかったし、皆さんともう一度会えたし、新しい出会いもあったし、ほんまに行って良かった!
 行く前は、スケジュールきつくていくか迷ってたけど、やっぱ迷ったら行動しなって改めて思ったわ!
ありがとうございました。また行きたいな~!!! 」

 こんな田舎が、若者たちの生きる喜びや肥やしになっている。
田舎には、農業には、大きな可能性が秘められているような気がする。

                      岬人(はなんちゅう)
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