喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家国際ワークキャンプ交流会 2017

2017-03-31 | 喜久家ボランティア
 喜久家国際ワークキャンプが始まって1週間。
3月4日(土)、恒例の交流会を我が家で開いた。

 おいしい持ち寄り料理とおいしいお酒。

 日本人と外国人。
若者とさまざまな世代。
都会出身と田舎出身。
学生と様々な職業についている大人。

 昨年の参加者、みなみちゃん。


 今年の元気な若者たち。
 

 急にピアノ演奏が始まった。


 エストニア出身のクリスタの弾き語りに周りも歌い始める。


 そして地元の増田さんも。


 広も松山から参加。


 息子の武蔵も松山から帰り、地元農家のタカと農業話。


 
 話はどんどん盛り上がる。
ぐちはなく、夢が語られる。

 まさに違いは豊かさにつながる。


 最後は、一本じめ。


 
 喜久家国際ワークキャンプ交流会 2017



         岬人(はなんちゅう)

 

世界の料理が食べられる喜久家国際ワークキャンプ2017

2017-03-29 | 喜久家ボランティア
 喜久家国際ワークキャンプが始まって1週間。
3月4日(土)、恒例の交流会を我が家で開いた。

 この交流会の楽しみの一つは、
料理は、それぞれが持ち寄りのため、いろいろな料理が味見できるということ。

 香港のローレンスが、本場の調味料でマーボ豆腐をごちそうしてくれた。
料理人のまりーな亭の圭が味見。


 ベトナムのフエーはベトナム風の野菜炒めを作ってくれた。


 エストニアのKristaとMarisも郷土料理をごちそうしてくれた。



                          
 こちら日本も負けじと、伊予市の片岡さんは、自家製のパパイアを使ったサラダを。
まるで白い大根の千切りのような。
パパイアもこんな食べ方ができるのだ。そして栄養満点。


 まりーな亭の圭は、ハマチ等のカマ焼きを差し入れしてくれた。
これも絶品。

 
 弟の洋海は、串の漁師から差し入れしてもらったハマチを手際よくさばいて、刺身にしてくれた。
さすがはもと料理人。


 この他、数々のデザート。
料理に合った飲み物。

 みなさんの心がこもったおすそ分けの気持ち。
本当、幸せ。
最高のぜいたくな食。

 これだから盛り上がらないはずがない。
 愚痴や後ろ向きな言葉は全くない。
夢のある話、前向きな話で盛り上がる。





 未来は、明るい。


        岬人(はなんちゅう)

 
 

 

喜久家国際ワークキャンプ 交流会

2017-03-26 | 喜久家ボランティア
 喜久家国際ワークキャンプが始まって1週間。
3月4日(土)、恒例の交流会を我が家で開いた。

 途中、入ったり、出たりと。
今年も総勢40人を超す大交流会。
平礒の人口が40人少しなので、この夜は、人口が倍増。


 エストニア出身のマリスとクリスタは、魚を使った郷土料理を作ってくれた。
漁師の木嶋さんも大喜び。


 伊予市から初めて来られた
片岡さんや伊藤さん。
OGのじゅんぺいのことをとても感心されていた。


 娘や高校生の友達も初参加。
わくわくしていたようだ。


 料理の鉄人、まりーな亭の圭も、料理を作って来てくれた。


 あちらこちらで、さまざまな話で盛り上がっている。
この雰囲気の何とすばらしいことか。
新たなつながりを作り、絆を深める。
そんな場所であり、そんな時間だった。


 初参加、伊予市地域おこし協力隊の渡部さん(赤い服)も大いに盛り上げてくれた。


 早めに終わるつもりが、終わるはずもなし。
夕方6時頃から、集まり始めた交流会も12時前に終了。

 ずっと裏方をしてくれた妻に増田さんから感謝の言葉。
こうして、おもてなしいっぱいの温かく、楽しい交流会は幕を閉じた。
 ふるさとの未来に残したい風景だ。

                   岬人(はなんちゅう)

 

喜久家国際ワークキャンプ 2017

2017-03-26 | 喜久家ボランティア
 2月26日(日)、3月15日までの18日間にわたる喜久家ワークキャンプが始まった。
この期間中、毎年恒例のOB、OGたちが何人か帰って来る。
たっちゃん、じゅんぺい、なっちゃん、みなみ、ゆいこ、オウちゃん、きみちゃん、キュー、関西ナイス職員のんちゃん、いとこの慶悟、息子の武蔵。
すごい盛り上がり。

 リーダーの伊藤君。
さまざまな経験をもつ。


 ベトナムのハノイからKhue(フエー)


 香港からローレンス


 東京の遥ちゃん


 今回初めて名古屋から瑛美ちゃん


 横浜の真央ちゃん


 今回初マカオからソー


 この他、愛知一宮から美沙稀ちゃん、大阪から美希ちゃん、埼玉から志保ちゃん。
エストニアからMarisとKrista

 そしておなじみのOG、夏ちゃん


 受け入れの貴光


 受け入れの齋藤くん


 日本語と英語が交じり合う。


 違いは、豊かさ。
人口40人過ぎの平礒に、楽しい時間が始まった。


          岬人(はなんちゅう) 

カラフルでヘルシーなふるさと佐田岬

2017-03-18 | 農業
 2月12日(日)。
 久しぶりの柑橘収穫の手伝い。


 カンクボに続いて、ヒラバヤに。
風は強かったが、空と海の青さがさわやかだった。


 母と二人で。
久しぶりに間近で見ると、やはり歳をとったかな。


 それでも手さばきはよく、全くついていけない。
どんどんコンテナがいっぱいになっていく。


 一つデコポンを食べてみた。
採れたてなので、少し酸っぱいが、瑞々しさがたまらなくいい。
ここでしか味わえないものだ。


 ヘルシーでカラフルなふるさと佐田岬だ。

         岬人(はなんちゅう)


幸せな柑橘の風景

2017-03-18 | 農業
 2月12日(日)。
久しぶりに柑橘収穫の手伝いをした。

 場所は、カンクボ。
母と二人で。


 モノラックで上って行く。


 瑞々しい清見タンゴール。
この風景を見ていると、幸せな気分になる。


未来に残したいふるさとの風景だ。


            岬人(はなんちゅう)

 

2017喜久家交流会で平礒の人口が倍増

2017-03-05 | 喜久家の情報
 3月4日、土曜日。
毎年恒例の喜久家交流会が開かれた。

 今年も新たな参加者があり、つながりが広がった。

 平礒の人口42名。
交流会参加者45名。
この夜は、郷の人口が倍増。


 楽しく、熱い夜だった。



 ふるさとの未来に残していきたい風景だ。

           岬人(はなんちゅう)

なごり雪舞う、愛媛県立三崎高等学校 卒業式 校長式辞

2017-03-02 | 感動
 昨年の感動的シーンをふり返る。


 平成28年3月1日。
息子が愛媛県立三崎高等学校を卒業した。
校長式辞が感動。



 「桜の木々の芽も、日ごとにふくらみ、春の訪れを覚える今日の佳き日に、
えひめ国体推進局国体競技力向上対策課 主幹 松野 勝利 様
伊方町長 山下 和彦 様 をはじめ、多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、
ここに、第65回卒業証書授与式を盛大に挙行できますことは、
卒業生・在校生はもとより、私たち教職員にとりましても、大きな喜びであり、厚く御礼申し上げます。

 また、保護者の皆様、本日は、お子様の御卒業、誠におめでとうございます。
たくましく成長されたお子様の姿に、お喜びも、ひとしおかと存じます。
心より、お祝い申し上げますとともに、これまでの本校への、温かい御支援・御協力に、感謝申し上げます。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました、38名の皆さん、
皆さんは、入学以来の、たゆまぬ努力が実を結び、ここにめでたく、卒業の栄誉を得られました。
心から皆さんの御卒業を祝福したいと思います。



 さて、ここで、本校の校歌にも歌われている 宇都宮誠集翁 について、お話しします。
皆さんは、郷土の偉人として、よく御存じだと思いますが、
今年度にふさわしい、卒業のはなむけにしたいと思います。

 誠集翁は、伊方町の松に生まれ、明治4年、16歳の時に、勉学のため、大阪に出ました。
2年後に故郷に帰ってからは、独学で法律を勉強する傍ら、
村に寺子屋を開いて、若者達を指導しました。

 そして、小学校ができれば小学校教員、郵便局が開設されるや、
全国最年尐の若さの郵便局長になるなど、常に前向きに地域の発展に貢献しました。

 誠集翁は、佐田岬半島に初めて夏柑栽培を導入しましたが、
これは、単なる思いつきではありませんでした。
 大阪での交流や、宇和島等への出張を通して、夏柑を知り、
夏柑以外にも、たくさんの種類の柑橘の苗を取り寄せ、試行錯誤して、
夏柑が、この地域での栽培に適していることを確信して、本格的に導入したのです。

 しかし、当時、夏柑の苗木は大変値段が高く、
また、あまり冒険はしたくないという地域の雰囲気もあり、なかなか夏柑栽培は広がりませんでした。
 しかし、誠集翁は、自分で高価な苗木を購入したり、
地域の若者たちに、熱心に夏柑栽培を勧めて回ったりして、困難を乗り越え、夏柑栽培を半島全域に広めました。

 その後、半島の夏柑栽培は、大いに発展し、大阪や東京へも出荷され、
この半島に大きな富をもたらしました。

 そして、この大きな富が、今から65年前の昭和26年、
この地に、愛媛県立三崎高等学校が創立されたことにつながったのです。




 本校では、今年度、地域課題解決学習「三崎おこし」を始めました。
テレビ・新聞などで取り上げられた「みっちゃん大福」の商品開発や、
サイクリングロードの開拓、裂織の研究など、大きな成果が上がったと思っています。

 しかしながら、この「三崎おこし」は、この佐田岬半島という地域を愛し、三崎高校を愛し、
地域を発展させようという気概を持った方々の御支援・御協力があったからこそできたのです。
 たくさんの現代の「宇都宮誠集翁」がいたからこそできた取組なのです。

 卒業生の皆さんは、今日まで勉学、部活動、学校行事に、
そして「三崎おこし」に、精一杯努力し、立派な成果を上げてきました。
 皆さんの若さあふれる活躍が、地域や学校に、元気と勇気を与えてくれました。

 卒業生の皆さん、本校の卒業生であることに自信と誇りを持ち、
新しく行く先々で、「三崎高校を大切に」と頑張った日々を思い出しながら、
一生懸命、努力を積み重ねていってください。

 皆さんが、それぞれの場所で、それぞれの「宇都宮誠集翁」となられることを期待します。
そして、直接に、また、間接に、ふるさと「佐田岬半島」や母校「三崎高校」の発展に貢献していただければ幸いです。


 皆さんが、新しい生活を送る町にも、やがて、温かい春がやってきます。
また、ここ佐田岬半島の山々の桜も満開となって美しい風景を見せてくれることでしょう。

 巣立ち行く皆さんの限りない可能性と今後の御活躍を祈念すると共に、
御多用の中、御臨席を賜りました御来賓の皆様、保護者の皆様に重ねてお礼を申し上げ、式辞とします。

            平成28年3月1日
                愛媛県立三崎高等学校長 近藤 実 」


なごり雪が降るなか、三崎高等学校を息子が卒業

2017-03-02 | 家族
 昨年の感動のシーンをふり返る。


「3月1日朝。
昨日から降り続いている雪は、今朝も止まず、辺りはうっすらと雪化粧。
今日は、息子の高校卒業式。

 

 息子は、最後の日をいつも通った自転車で行くかどうか、迷っていた。



 結果、大事をとって車で送って行ってもらうことにしたようだ。

 高校生活最後の登校。
30年前、私と同じ時間を息子が再び過ごしている。
何かその年月に不思議な感じがする。

 

 「行って来ます。」
いつもの元気な声で、私と父が見送るなか出て行った。

 雪の卒業式。
それもまた思い出深い。

 春3月。
なごり雪も降る時を知っている。」

         岬人(はなんちゅう)