喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

伊方実践農学校にまつわる話 ~「Boys be Ambitious.少年よ大志を抱け!」、「土を愛せよ」、「実践」~

2019-01-29 | 教育
 伊方町立伊方中学校は、かつての伊方実践農学校の跡地に建てられている。



 伊方中学校の中庭に「土を愛せよ」という石碑がある。
これは、伊方実践農学校の初代校長、小島喜作(きさく)の言葉。



 どんな人物なのだろう。

 今から142年前の1876年(明治9年)、
クラーク博士はアメリカから北海道大学の前身である札幌農学校に教師としてやって来た。
そして日本にいた8か月間で、教育にかける自らの使命を燃えるような情熱で成しとげた。
強い意思が未来を創ると考え、志をもって努力することの大切さを伝え続けた。


 ちょうど同じ1876年、小島喜作という青年は、
北海道にある札幌農学校に入学するために、東京を旅立った。
日本の近代的農業を学ぶためだった。
つまり小島喜作は、クラーク博士と出会い、教えを受けていた。

 卒業後、喜作は日本各地で教師をしながら、農業や生き方について多くの若者たちを導いた。
きっとクラーク博士の「少年よ大志を抱け」の言葉を胸に秘めていたにちがいない。

 
 晩年、喜作は、伊方村の佐々木長治(ちょうじ)のうわさを耳にした。

 長治は、一生懸命に働き資産を作り、その財でふるさとに農学校をつくる準備をしていた。
落ち着いて農業を営み、郷土の発展に尽くす若者を育てようと考えていた。


 喜作は、長治のそんな考えに感動し、学校を作るための協力を申し出た。
そして1914年(大正3年)、伊方実践農学校がスタートし、喜作は初代校長として12年もの間若者を育てるために力を尽くした。




 クラーク博士の「少年よ大志を抱け」と小島喜作の「土を愛せよ」、
そして佐々木長治の「実践」というメッセージ。

 未来を拓く若者たちには、ピッタリの言葉。


 土を愛し、農業を気づき・考え・実践し、未来への大いなる夢を抱く。

 農業には、夢がある! 


              岬人(はなんちゅう)

「えひめ地域づくりアワードユース2018」の輝き 

2019-01-27 | 地域づくり
 1月26日(土)に行われた「えひめ地域づくりアワードユース2018」をふり返り、
三崎高校の羽田先生がその感動を伝えられている。


「えひめ地域づくりアワードユース2018」が愛媛県庁で行われました✨

一次審査を通過した5校が最終審査に臨み、プレゼンを行いました。

アワード?((((;゚Д゚)))))))?
なにそれ?((((;゚Д゚)))))))?

ちょっとお堅いですがアワード開催の趣旨をお知らせしておきますね!

※ 若者らしい自由な発想で、地域づくりに取り組んでいる高校生の活動を顕彰することで、
 若い世代が地域への愛着と誇りを養い、将来の地域を担うリーダーとして成長していくことを目的としている。

※ 愛媛県内の高校生が地域活性化のために取り組んでいる内容や成果を発表する熱きプレゼンバトル。
 どの学校もめちゃくちゃ内容が濃いし、プレゼン方法も工夫されていて「発表会」というより「試合」に近かった(笑)

『プレゼンボーイズ』
『プレゼンガールズ』

書籍化、ドラマ化、映画化してもいいレベル。

 
【 最終審査結果 】

最優秀賞:南宇和
優秀賞:大三島、三崎
特別賞:松山商業、丹原

 
最優秀賞を受賞することはできませんでしたが、三崎高校のプレゼンを聞きながら(内緒にしといて欲しいのですが……)
不覚にも泣いてしまいました(笑)

「ふるさとのバトンをつなぐ」

というテーマのもと、先生、先輩、地域の皆さんから回ってきたバトンを全身全霊を懸けて伝えようとする高校生の姿に胸が熱くなりました。

お世辞抜きでめちゃくちゃ素敵なプレゼンでした✨
「せんたん部」おつかれ!!!



最優秀賞の南宇和は僕の母校であり、10年間、スカイブルーのPRIDEをもって子どもたちと共に駆け抜けた大切な学校。

もう1つの優秀賞の大三島は僕の初任校で、教員生活をスタートさせた忘れられない学校。

自分のルーツの学校、自分のアイデンティティを構築した学校、そして三崎高校。

こんな素晴らしい学校と縁がある僕は本当に運がいいなと思います✨

アワードは次の言葉で締めくくられた。


 
「青は藍より出でて藍より青し」

未来は僕らの手の中



 今どきの高校生はすごい!
未来を拓いてゆく。

        岬人(はなんちゅう)

三崎高校の「えひめ地域づくりアワードユース2018」をふり返る1

2019-01-27 | 地域づくり
 1月26日(土)、愛媛県庁において行われた「えひめ地域づくりアワードユース2018」。
 このアワードは、県内の高校生が、自分たちの取り組んできた地域活動について、その研究成果を競い合うというもので、
今年が2回目。

 担当の津田先生が、以下に感動と希望を交えてふり返っている。


 ※画像をクリック



「自分たちの地域を盛り上げるだけでなく、ここにいるみんなで世界を変えていきましょう。」
と呼び掛けるみさこう生の姿に感動。


       岬人(はなんちゅう)

愛媛県立三崎高等学校が、「えひめ地域づくりアワード・ユース2018」において優秀賞に輝く

2019-01-27 | 地域づくり
 愛媛県立三崎高等学校が、「えひめ地域づくりアワード・ユース2018」において優秀賞に輝いた。

 娘たちも入念なプレゼンの準備をし、自信を持って臨んだ。
もちろん、最優秀賞を目指し。

 したがって、結果については残念だったようだ。

 この悔しさや学びが、人を成長させる。





狐の恩返し!?

2019-01-26 | 自然環境
 1週間前の出勤途中、釜木地区からメロディーラインへ車を走らせていた。
するとコイの浜の上で、道路わきを動物が歩いていた。
犬かと思って通り過ぎようとしたら、長い尾、ピンと立った耳を見て、
「きつね!」
思わず車をバックさせ撮影した。



 慌てて逃げようとせず、こちらの様子をうかがっている。



 近づくと、階段を軽々と上って行き、
上からまたこちらの様子をうかがっている。
 しかもあくびをしながら。




 キツネの子が神秘的能力をもつというのは、稲荷の神の使いとして親しまれてきたキツネが、
元来は農耕神として信仰され、豊穣や富のシンボルであったことに由来するものらしい。

 狐婚姻の類話には、正体を知られて別れたキツネの女が、農繁期に帰ってきて田仕事で夫を助けると、
稲がよく実るようになったという話がある。

 キツネの恩返しは期待できないが、何かいいこと起こりそう。


 改めて思う。
 佐田岬半島には、猪、狸、ハクビシン、キジ、山鳥、そして狐など、
野生動物の宝庫だ。

             岬人(はなんちゅう)

 3年前(H28)の大寒の大雪

2019-01-25 | ふるさと
今年の大寒は、温かい。
雪の気配もない。
 いつもの年なら、雪景色になることが多いのに。

 3年前の平成28(2016)年は、近年ないほどの大雪だった。
そして水道パイプが破裂することも起こった。

 今年は、温かい。




 3年前の記事をふり返って、違いを感じてみる。

23日土曜から降り続いた大雪。
しかも気温も低く、佐田岬ではめずらしく氷点下となり、水道も凍った。

 ここまでになると柑橘農家にとって
「雪景色がきれい」
などと悠長なことを言っている場合ではない。



 年を明け、収穫が本格的に始まったばかりで、
みかんの木にはまだたくさんの柑橘がなっている。
サンフルーツ、デコポン、そして清見タンゴールなど。

 

 雪が柑橘に積もり、長い時間が経ったり、凍ってしまうと、
柑橘の皮や中身の細胞が壊され、腐ってしまったり、味が苦くなってしまう。

 昨日、弟が表面の皮が雪にやられ、凍ったものをサンプルとして取って帰っていた。
どこまででくい止められるか、そして回復できるかが非常に気になっていた。
1年かけて育てた柑橘がたった1日の雪でだいなしになることさえある。



 あとは天(自然)にまかせるしかない。
今朝もまだ雪が積もり、伊方や瀬戸では臨時休校となった。
 その後昼にかけて日差しも見え始め、夕方には柑橘に積もった雪はほとんど溶けたようだ。
これにより、最悪の事態はまぬがれた。



 自然には勝てない。
ただ受け止めるだけ。
 それでも悪い事態をさけるため、農家の工夫は続く。 
農家のねばり強さは、ここにある。

 そんな物語があり、農家の逸品は消費者に届けられる。
ぜひ知ってほしい物語だ。


              岬人(はなんちゅう)

暖かい大寒

2019-01-25 | ふるさと
大寒は二十四節気の最終節で、最も寒い時期という意味。
一年の最低気温もこの時期に記録されることが多いようだ。

2019年の大寒(だいかん)は、1月20日から2月3日。

 二十四節気の最後が大寒。
二十四節気の24番目が大寒で、次の立春が1番目となり、立春を迎えると暦のうえでは春になる。
大寒の最終日(立春の前日)が、豆まきでおなじみの節分。
旧暦のころは、立春が新しい年の始まりを意味していたので、節分の豆まきは年越しの行事にあたる。

小寒 → 大寒 → 立春

 なお、二十四節気は、季節の移り変わりを知るために1年を約15日間ごとに24に分けたもので、
毎年、太陽の動きに合わせて1年を24等分して決められるため、日付が固定されているわけではない。
また、大寒といっても、大寒に入る日をさす場合と、大寒から次の立春までの約15日間をさす場合がある。


 大寒は寒中見舞いでおなじみの「寒中」にあたる。
二十四節気の小寒と大寒の期間(1月5日頃から2月3日頃までのおよそ30日間)を
「寒」「寒中」「寒の内」と呼び、小寒に入る日を「寒の入り」と言う。

 寒中に出すのが「寒中見舞い」で、立春を過ぎると「余寒見舞い」となる。
寒さの厳しい寒の時期に鍛錬すると心身共に向上するとされたため、
「寒稽古」「寒中水泳」などをするようになった。



 毎年、この時期はかなり冷え込み、雪が積もることもあった。
今、大寒の時期だというのに、佐田岬は暖かい。
 
 サンフルーツの収穫で忙しい時期だが、
作業がしやすいようだ。



 青空と橙色。
幸せな気持ちになる。
 
 いいふるさとだ。

        岬人(はなんちゅう) 

誕生日に感じる幸せ

2019-01-19 | 生き方
 今日、1月19日は、私がこの世に生まれ出た日。
全ては、両親、先祖のおかげ。

 下の記事は5年前のもの。
この思いは、ますます強くなっている。

 そしてつながりある多くのみなさんからのお祝いメッセージ。
感謝しかない。
そんな幸せを心いっぱいに感じている。


 ※画像をクリック




           岬人(はなんちゅう)

愛媛県立三崎高等学校と公営塾「未咲輝(みさき)塾」のパートナーシップ ~日本仕事百貨より~

2019-01-16 | 教育
 日本仕事百貨は、仕事の「あるがまま」を紹介する求人サイト。
職場のいいところだけでなく、大変なところや働く人の思い、葛藤なども紹介している。

 今回の記事は、公営塾「未咲輝(みさき)塾」の講師の募集について。
愛媛県立三崎高等学校に通う高校生たちの成長を支援する仕事。

 最西端から最先端へ。
佐田岬半島の先端で希望を掴む高校生と大人たち。

 ここには、夢がある。


                       「平礒から眺める初日の出」

 ※以下をダブルクリック



           岬人(はなんちゅう)

大洲シネマサンシャインでの感動 ~映画「永遠のゼロ」を観て~

2019-01-11 | 感動
 先日1月6日(日)、大洲シネマサンシャインが20年間の幕を閉じた。
いくつかの思い出がある。
5年前、2014年(平成26年)の「永遠のゼロ」を観に行った時のこともその一つ。

 以下のようなことがあった。



1月11日(土)午後2:30から、遅ればせながら話題の映画「永遠のゼロ」を息子と観に行った。
ぜひ観に行きたかった、息子に観せたかった。

 私の祖父に思いをはせる。
祖父金太郎は、終戦間近の5月、乗りこんでいた船を攻撃され海の底へ沈んでいったとされている。
そしてわだつみとなる。
 ただこれに関しては、どこで、どんな状況だったかは分かっていない。
父さえ、幼すぎて祖父のことはほとんど覚えていないという。


 家族4人で撮った唯一の写真。




 また戦地から家族に何通かの手紙や写真を送っている。





 祖父は、どんなにか残された家族のことが心残りだったことだろう。

 祖母にすれば、どんなにか帰ってきてほしかったことだろう。

 そんな状況が、映画の主人公宮部久蔵と残された妻松乃とひとり娘清子と重なって思えてならない。
映画に引きこまれながらも、常に亡き祖父金太郎と残された妻ミチエ、武久、千鶴子とを重ね合わせながら観ている自分がいた。
 若くして戦死した祖父であったが、祖父がいなければ父も私も武蔵ら子どもたちもいない。

 静かな涙がほほを伝い、流れ落ちる。
戦争により、映画「永遠のゼロ」のような物語だけではなく、亡くなった人の数だけさまざまな悲しい物語があったのだ。

 エンディング曲はサザンオールスターズの「蛍」。
それを聞きながらまた亡き祖父や祖母のことを重ね合わせていた。

 となりに座った息子はどんなことを思っただろう。
あえて聞くことはしなかった。
「お父さん、感動したなー。」
という声で充分だった。


 エンディング曲が終わり、1号館を出るとき、思いもよらない感動が待っていた。
出口へ向かう人の流れの中に、私の前を歩く2人の男女。
 1人は、杖をつき足を引きづりながら歩くご老人。
年齢は80歳をゆうに超えているように思えた。
 もう1人は、そのご老人を横で支えながら歩く60歳過ぎの女性。
たぶん娘さんだと思われる。

 娘さんとご老人の会話が感動的だった。
「若い人がこんなに観てもらえてうれしいね。」
という娘さんの声に
「そうじゃな。」
というご老人のひと言。
 きっと戦争を体験した方なのだろう。
そして生きぬいてこられた。

 頭を下げ、礼をしたくなるような気持ちになった。
「本当におつかれさまでした。ありがとうございました。」と。 

 大洲シネマサンシャインの外に出ると、
ちょうど西の空が夕日に染まっていた。
仏教でいうところの浄土がある方向。
 
 その夕日に照らされ、階段を下りていく先ほどのご老人の姿がまぶたに焼きついた。
私にとって永遠のワンシーンとなった。
                    

  岬人(はなんちゅう)

第3回地域教育実践南予ブロック交流集会に集いませんか!

2019-01-06 | 地域づくり
 核家族が多くなり、子育てで母親がストレスをため、社会性のない子が増えたのは、近代になってから。
大家族、近所みんなで子育てしていた時代にはなかった問題。

 そのことから子どもを地域で育てようという考えが広まっている。
昔と形は違うが、登下校する子どもを年配の方が見守ったり、コミュニティーで情報交換したり、地域で子どもを育てる活動は起こっている。

 近所付き合いが苦手な人もいるだろう。
 でも、利点がたくさんあることを理解し、社会性を持つ子を育てるためにも、
地域とふれあいながら子どもを育てていこう!

 子どもにとっても、家族にとっても、地域にとっても喜びや幸せにつながる。


 そんな思いをこめて、交流集会が開かれる。

「地域教育実践南予ブロック交流集会」
 
1 日 時 : 平成31年2月9日(土) 13:00~16:30

2 場 所 : 愛媛県歴史文化博物館(西予市宇和町)

3 参加費 : 500円

4 交流会 : 17:30~ 冨士廼家(ふじのや) 参加費4500円
 (希望者)

 ぜひ、交流し、共に明るい未来を考えていきましょう。

参加希望者は、下記に申し込むか、私まで連絡をください。





平成31年、新年の誓い ~孫娘から祖父への思い~

2019-01-04 | 家族
しばらくインターネットを触っていなかった。
久しぶりにフェイスブックもチェックしてみると、娘が以下のような記事をあげていた。
うれしくなるような内容だったので、記録しておきたい。


「明けましておめでとうございます。☀️
2019年は、何よりも人との繋がりを大切にし、謙虚に学習に取り組みます。
1月1日、祖父について語りますので、最後まで読んでいただけると幸いです。



 例年同様、祖父と共に初詣に行きました。
神社、お墓、お寺の順番でお参りをし、全ての場所で祖父は般若心経を唱えます。
その時、まるで祖父が別世界にいるように思えるため、私はその最中には決して声をかけないようにしています。
(私も祖父の後に続いて唱えてみたものの、ブレスのタイミングが掴めず息切れした)

 毎年、盆と正月には、妹のさやかさんを含め3人で墓掃除をし、一緒に手を合わせに行きます。
私が幼い頃は、祖父の作業を見ているだけでしたが、今では私たちも多くのことを手伝えるようになりました。
 今日、ロウソクの火を隣の墓石の線香に移した時、ふと気が付きました。
幼い頃は、火傷をするのが怖くて火は扱わないようにしていたのに、いつの間にか火を移せるようになったんだなぁ。
こんなに小さなことでも、祖父の役に立てると思うと嬉しい気持ちになります。

 毎年、お寺の参拝が終わったら「じゃあ先に帰っとくね~👋🏻」と言って早く帰っていました。
しかし今年は、少しでも祖父と過ごす時間を増やしたいと思い、祖父の歩幅に合わせてゆっくり帰りました。
 帰宅途中は、我が家の家紋やら、三崎高校の公営塾やら、神松名地域に多い苗字やらの話で盛り上がりました。
(ほぼ祖父が一方的に喋った)。
私は始終、「ふ~ん」の一言しか発しませんでしたが、その「ふ~ん」が去年の今頃より増えたことは間違いありません。



 あと3ヶ月で、大学進学のため、しばらくの間 祖父ともお別れしなければなりません。
毎日の「行ってきます」と「ただいま」に祖父が応えてくれることもなくなると思うと、寂しいです。
 朝補習に遅れそうな朝や、塾で疲れて帰宅した夜は、
正直この一言のために祖父母のもとに顔を出すのが億劫な時もありました。
(今思えば面倒くさがりもいいところ。祖父母宅まで7メートル)
それでも、特に高3になってからは、毎日欠かさず声をかけています。
その方が祖父母も嬉しいやろうし👍←上から目線



 祖父と話していると、自分が情けなくなる時があります。
最近はますますそうです。

 高2の春に言われた、「じいちゃんは、わがままなあんたらに、腹が立って腹が立って仕方ないんよ。」
という言葉が、ずっと心に引っかかっています。
祖父は何気なく言っただけだったのでしょうが、私はこの言葉を一生忘れないと思います。

 当時の祖父の目には、私はどんな風に映っとったんやろう……。
 今でも考えを巡らせますが、祖父がよく私たちにしてくれる昔の話を聞く限りでも、
そう言われるのも無理はないなぁと痛感します。

 私には想像もつかない程、祖父はたいへんな思いをしてきたということです。
 もっと頑張らんといけん、私は様々なことに恵まれ過ぎて、
努力することや 当たり前のことを当たり前にすることができなく(しなく)なったり、
人に感謝する気持ちが薄れたりと、とにかく周囲に甘えすぎているのだと大反省しました。
 それからは、少しでも ましな人間になれるようにと意識して生活してきました。


 あの時、祖父が例の言葉を言ってくれたおかげで、その時の傲慢な自分はいなくなった!
とまではいかないかも知れませんが、とりあえず私はあの言葉を言われた後の、今の自分の方が好きです。
 
 私が祖父ほどの苦労を味わうことは、おそらくこの先もないと思いますが、
今 自分の目の前にあることに、ただひたすら一生懸命に向き合いたいです。
 いつか、祖父の気持ちがほんの少しでも理解できる時がくると信じて、誠実に生きようと決めました。
大袈裟に聞こえるかも知れませんが、人間にとって最も大切な部分は その点だと私は考えています。




 大学生になり、追い詰められることが必ずあると思います。
そんな時は、まず祖父に電話をしようと思います。
情けない私に喝を入れてくれるはずです。

 両親や友だちに助けを求めてしまったら、きっと皆優しく励ましてくれると思います。
その優しさに再び甘えすぎてしまうと、私はどんどん弱い人間になってしまいます。
辛くなった際、泣いたところでどうにもなりません。
泣く暇があれば、次にどうするかを考えたいと思います。
(とか言いつつ必ず泣くことになるんやろうなぁ笑笑)

 祖父は、言葉の表現こそ厳しいものの、私にとって最も効果的な方法で私を鼓舞してくれます。

 『祖父のように、自立した強く優しい人間になる。』
もしかすると、私の一生の目標となるかも知れません。
ありがとう。


 18歳。あと少しで家を離れる。
 改めて、祖父と向き合った正月。
大学卒業後、少しでも成長し、祖父に認めてもらえるように今から頑張ります。


 今年は、自宅から初日の出を見ました。


 朝は、鳥のさえずりで目を覚まし、夜は満天の星空が広がる。
山と海が目の前にあり、波の音が聞こえる。
控えめに言って最高。
 こんなにも良い環境で暮らすことができる幸せを、本日もかみしめております。

今年も、よろしくお願いします。」




 孫娘と祖父の心のつながり。
私は、娘の親としても、父の子としても、これほどうれしいことはない。

 ふるさとの田舎には、こんな心豊かな暮らしがまだ残っている。

 この文を父に見せたらどうだろう?
79歳になる父の喜ぶ顔が目に浮かぶ。


           岬人(はなんちゅう)