そんな中、私は、被災地の現実を知り、生きるたくましさと喜びを分かち合いたいという思いが強くなっていった。
そして真夏の8月、車を走らせ、中学3年の息子と小学6年の娘2人と一緒に東北へ向かった。
かつて甚大な震災を経験し復興した神戸、新潟を通り、
今まさに復興に向けがんばっている福島、仙台、気仙沼、南三陸、石巻へと。
東北自動車道を下り、山を越え三陸海岸の街へと下っていく。
突然辺りがひらけた。
しかしよく見ると建物の土台が無数に続き、鉄筋やコンクリートの建物だけが所々に無残な姿のまま残っている。
ここには、かつてにぎやかな街があったのだ。
私たちの口からは、ただただ驚きとため息しかもれなかった。
津波が襲った直後は、さまざまな物が入り交じり変わり果てた街になっていたであろう。
今はそれらの撤去が進み、これまでとは違った何もない風景が広がっている。
今までそこにあったものが無い、生まれ育った家が、町並みが、田畑が、故郷が……。
リアス海岸が続く入り江の街すべてが同じような風景。
3階建ての校舎は屋上まで津波に飲みこまれ、無残な姿を残していた。
そっと教室をのぞいてみると黒板に
「僕たちは負けない。みんながんばろう。」という子どもが書いた文字。
その深い悲しみと、前を向くたくましさに胸が熱くなった。
また気仙沼では、さら地になっていく故郷を見つめていたお年寄りに声をかけた。
返ってきたのは、
「私は、ここで生まれ、ここで育った。これからまたがんばりますよ。命だけは取り戻せませんが、他のものなら何とかなります。」
の言葉。
津波によって多くのものが奪われたが、このお年寄りの心の中の故郷は奪われずにあったのだ。
つづく