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喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

伽藍山からの眺め

2013-01-29 | ブログ
 写真を整理していたら、お気に入りの1枚が出てきた。

三崎地区で一番高い伽藍山414㍍からの眺め。

 時間があると、小回りのきくバイクに乗り、故郷散策をする。

手前が三崎集落。

三崎小学校と中学校が見える。 

右手に海の向こうへと伸びる佐田岬半島。

そして九州が見える。

 大好きな景色。

 昔も今も海と共にある。

                岬人(はなんちゅう)

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大洲てくてく

2013-01-27 | ブログ
 昨夜は、大洲で元職場の総会があった。
2年に一度の楽しみ。
なつかしいみなさと再会できた。

 東京から北野さん、高知から竹身さん。
生き生きとしている。

 人のつながりって、ありがたい。
まちがいなく、幸せの大きな一つ。

 今朝は、せっかくなので、大好きな大洲の町並みてくてくした。








昭和の雰囲気ただよう美容室


そして大洲のシンボル大洲城。


 自分の故郷の景観についても考えてみた。
やはり石垣かな。
時間をみつけて歩いてみよう。

                  岬人
 
 
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高校生レストランの奇跡  岸川政之さん講演会

2013-01-26 | 地域づくり


 先日1月19日、誕生日。
この日、誕生日ながらぜひ聞いてみたい講演会があった。

 それは、「高校生レストランの奇跡 ~まちの宝の見つけ方と磨き方~」
という岸川政之さんの講演会。

 あのとても有名な高校生レストランの仕掛け人。
岸川さんは、三重県多気町職員。
地域の農業振興とともに、
「地元の三重県立相可(おうか)高校の生徒が活躍するステージをつくりたい。」
と、地元農産物を使い、食物調理科の高校生がその調理の腕前を披露できるレストランを企画。


 平成17年、「まごの店」として誕生。
これは、高校生レストランとして話題を呼び、全国から観光客や研修員が集まる。

 平成20年には、相可高校卒業生による「せんぱいの店」をオープン。

 この取組もさることながら、
岸川さんの語りにとてもひかれた。
 やさしい語りでありながら、その言葉にはすごく力強さが感じられた。

 我が故郷の愛媛県立三崎高校の存続(分校化)が気になっているので、
いてもたってもいられない。

 岸川さんは、まちの輝きについて力強く言われた。
「まちのいいところだけをとにかく見つけましょう。感じましょう。
すべては、そこから始まります。」

 自分のふるさとのよさを感じられなければ、ふるさとはよくなんてならない。
好きになること、誇りに思えること。

 別に無理にそう感じようとしなくても、ふるさとをよく見つめるだけでいい。
 以前似たようなことを、尊敬する双海町の若松進一さんから言われた。




 
 第2部は、その若松進一さんがコーディネーターをつとめ、
地元愛媛県で活躍する、「伊予農業高校希少植物保全プロジェクトチーム」
「東温高校商業科(企業と連携した東温石っけん開発)」
「長浜高校水族館部」
のすばらしい活動報告と意見交換。



 最後に若松進一さんと岸川政之さんの応援メッセージ。

 会場は、定員をはるかに超える150人もの若き高校生やまちづくり人の情熱で燃えていた。

 ふるさとを輝かせていきたい。





 
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イル・デ・パン  Île des Pins (Isle of Pines)

2013-01-26 | ブログ
 まちを歩きながら、町並みを感じたり、個性的な店に立ち寄るのが好き。

愛媛県伊予市の国道56号線沿いに、大きなログハウスのレストランがある。



木造の家に興味があるので、料理は二の次で入ってみることにした。



「お一人様ですか?」
「はい。」
「あちら薪ストーブの前の席へどうぞ。」

床が周りよりも一段低くなっていて、仕切られている。
テーブルは2つ。
目の前に、冷えた体を温めてくれる薪ストーブが置かれている。



メニューにこだわりはないが、この店のオリジナルを食べてみようと思った。
特製ソースのとんかつを注文。



もうしぶんない味。

 落ち着きのあるくつろげる空間。
大人の隠れ家。

 この店の名前が気になったので、調べてみた。
イル・デ・パンとは、フランス領ニューカレドニアの島の一つ。
オーストラリアのそばで、南太平洋の宝石箱とたとえられる。

 1774年、探検家ジェイムズ・クックがニュージーランドへの2度目の渡航の際に発見した。
背の高いこの島独特のナンヨウスギ科の植物が自生しているのを目撃したことにちなんで、
「松の島」(現在の英名 Isle of Pines)と名づけたようだ。
 簡単に言うと「松の島」

 言葉というのは、おもしろい。
日本語で「松の島」と名前をつけてもピンとこないレストランが、
「イル・デ・パン」というフランス語にすると、
何となくおしゃれ。

 言葉を自由に、美しく、使いこなしたいものだ。
故郷平礒のあちこちにもいろんな呼び名をつけてみようと思う。

                     岬人(はんちゅう)
 
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45歳の誕生日

2013-01-20 | ブログ
 昨日、1月19日で45歳になりました。
メールやフェイスブックを通じ、50人ほどの方から
お祝いメッセージをいただきました。
 本当、その言葉一つひとつに、その方の顔が思い浮かび、
ありがたい気持ちになりました。




 満45歳。
 数え年は、46歳。
 数え年は生まれたときに1歳です。
次の年の元旦に1歳増えます。
したがって、12月31日に出生した場合、出生時に1歳で翌日(1月1日)に2歳となります。

 また1月1日に出生した場合は、2歳になるのは翌年の1月1日になります。
 多くの場合は満年齢と比べ、誕生日前なら2歳違い、誕生日後なら1歳違いです。

 今でもこの数え年を使うことがあります。
厄年には数え年を使い、「満年齢」を使うことはほとんどありません。
 なお葬祭の際に記す「享年(行年)」は仏式や神道では数え年が使われます。
ただし近年では満年齢が使用されつつあるようです。
「一周忌」を除く、「年回忌」の数え方は現在も、数え年を使っています。

 世界の国別で見ると、東アジアの国で数え年が残っていて、
特に韓国ではほとんどが数え年。
 喜久家に来てくれた若者たちに年齢をたずねると、数え年でこたえて、
「日本では、○○歳です。」
という言い方をよくしてくれます。

 これは、数のゼロという考え方が、なかったためのようです。



 男45歳。
 この年齢になったからこそ、できることも多くあると考えます。
着実な一歩を進めるような時を過ごしていきます。

                         岬人(はなんちゅう) 
 
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田舎の小正月

2013-01-16 | ブログ
 昨夜、帰宅し、いつものように母家へ
「ただいま」のあいさつをしに行った。

 すると父が、母が料理したものを神様へお供えしていた。

「今日は、何かごと?」
と尋ねると、
「今日は、小正月。お十五日。」
とのこと。

 昼間には、正月飾りを浜へはやしに行ったようだ。
はやすとは、焼くということ。
 地方によっては、「どんど焼き」とも言う。
 そのときに鏡餅などもいっしょに焼き、食べる。
これを鏡開きと言う。

 私が小学生の頃は、このおはやしは、子どもの役割になっていた。
 平礒地区の子どもたちが、それぞれの家々から門松やしめ縄などの正月飾りと
鏡餅をほぼろに背負い浜に行く。
 そして火をおこし、鏡餅を焼き、塩水につけて食べる。
ちょっとした子どもの楽しみだった。



 小正月とは、
1月1日を「大正月(おおしょうがつ)」と呼ぶのに対して、1月15日を「小正月(こしょうがつ)」と言う。
元日から14日まで(現在では7日まで)を、正月の松飾りがある間という意味で「松の内」と言う。

小正月のどんど焼きの火を、年神さまを天に送り返す火と考えるようになり、
これをもって正月の終わりと位置づける見方も生まれた。

 我が家では、元旦から数えて6回ものお正月行事の最後となった。
 子どもたちにもそんなことを伝え、
子どもたちはみんな母家の神棚や仏壇に手をあわせに行った。

 昔ながらの、故き良き日本がまだ残っている。

                        岬 人

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えひめ人権・同和教育  「希望の虹を架けよう 」 5

2013-01-14 | ブログ
 カーナビでは、大谷中学校まであと少し。
ところがカーナビで示す地図と実際の風景が大きく違う。
あるはずの建物や線路がない。
ここでも津波の大きな爪跡が残ったままになっている。





 白砂青松で有名な大谷海岸は、日本の渚100選として、夏には多くの海水浴客でにぎわっていたそうだ。
砂は津波にさらわれ、臨時の防波堤が積まれていた。
大谷の人たちが愛した風景は、今はない。





 海岸から1㎞ほどなだらかな丘を上っていくと、ついに大谷中学校があった。
ここに顔も名前も知らない友がいる。
 校舎を訪れる私たちに生徒からの明るく元気なあいさつ。
あの歌のようにたくさんの笑顔に出会えた。

 きっとたくさんの悲しみや辛さを経験しているのに、前を向いて乗り越えようとしている姿に感動した。
きっとこの子たちが新しい歴史と故郷を築いていくだろう。

 

 校内の壁には、1年前に三崎中学校が送った千羽鶴とメッセージが今も掲示されていた。
私たちの支援が、少しでも大谷中学校のみなさんの勇気と希望につながっているならば、これほどうれしいことはない。
 

 
 そして今回は、地域の人からいただいた折り鶴と全校で撮影したビデオレターを子どもたち同士で受け渡しすることができた。
最初はお互いに緊張していたようだが、笑顔も見られるようになり、新たな絆を感じた。



 被災地を訪れ、多くの人たちから、希望の虹を架けようとする姿を感じた。
故郷を愛し、思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていく姿。
このことは、私の故郷を見つめ直す大きなきっかけになった。
 私の生まれ、育った故郷には、誰もが安心して暮らしていける希望の虹が架かっているだろうか。
これからも自分に何ができるかを問い続けたい。


 愛媛への帰り道、3人の我が子が
「来てよかった。」
とつぶやいた。
この子たちの心にも希望の虹が架かったにちがいない。

 最後に、心より亡くなられたみなさまのご冥福をお祈りするとともに、
復興に向けがんばるみなさまに寄り添い続けることを誓う。」


 
 終わり
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えひめ人権・同和教育  「希望の虹を架けよう」 4

2013-01-13 | ブログ
そんな中、私は、被災地の現実を知り、生きるたくましさと喜びを分かち合いたいという思いが強くなっていった。
そして真夏の8月、車を走らせ、中学3年の息子と小学6年の娘2人と一緒に東北へ向かった。
かつて甚大な震災を経験し復興した神戸、新潟を通り、
今まさに復興に向けがんばっている福島、仙台、気仙沼、南三陸、石巻へと。

 東北自動車道を下り、山を越え三陸海岸の街へと下っていく。
突然辺りがひらけた。
しかしよく見ると建物の土台が無数に続き、鉄筋やコンクリートの建物だけが所々に無残な姿のまま残っている。



 ここには、かつてにぎやかな街があったのだ。
私たちの口からは、ただただ驚きとため息しかもれなかった。
津波が襲った直後は、さまざまな物が入り交じり変わり果てた街になっていたであろう。
今はそれらの撤去が進み、これまでとは違った何もない風景が広がっている。



 今までそこにあったものが無い、生まれ育った家が、町並みが、田畑が、故郷が……。
リアス海岸が続く入り江の街すべてが同じような風景。



 3階建ての校舎は屋上まで津波に飲みこまれ、無残な姿を残していた。



そっと教室をのぞいてみると黒板に
「僕たちは負けない。みんながんばろう。」という子どもが書いた文字。
 その深い悲しみと、前を向くたくましさに胸が熱くなった。







 また気仙沼では、さら地になっていく故郷を見つめていたお年寄りに声をかけた。
返ってきたのは、
「私は、ここで生まれ、ここで育った。これからまたがんばりますよ。命だけは取り戻せませんが、他のものなら何とかなります。」
の言葉。



津波によって多くのものが奪われたが、このお年寄りの心の中の故郷は奪われずにあったのだ。


つづく
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えひめ人権・同和教育  「希望の虹を架けよう」 3

2013-01-12 | ブログ
12月に入り、大谷中学校から「大谷っ子米」が届いた。



あの大津波により塩水に浸かり、土砂や瓦礫が散乱した田んぼをみんなの力で復活させ、
米を収穫したという取組に大きな感動と勇気をもらった。



大谷中学校との交流をとおして、お互いが感謝の心でつながっているような気がする。
できたてほかほかの大谷っ子米は、1人ひとりにつぎ分けられた。
それを口にした生徒からは一様に
「おいしい!」
という声があがった。

この大谷っ子米には、夢と希望がつまっていることをかみしめながら味わったことだろう。
 
これら様々な取組は、新聞等にも多く取り上げられた。
それを見た地元出身の双子の歌手サスケさんがとても共感され、生徒たちの新聞投稿をもとにして
「きみの笑顔に逢いたくて」という歌を作ってくださった。



 生徒たちは自分たちの活動や思いがつまった歌をとても感慨深げに聴いていた。
 
 遠く離れた友の笑顔に会うために、大谷の街に希望の虹を架けよう。

 今年6月、この歌を町内音楽発表会で歌いたいという声があがり、
すぐにPTA副会長さんが合唱用に編曲をしてくださった。

 語りかけるように、歌詞の意味を考えながら、たくさん練習した。
日に日に歌に深みが出ていき、自分たちの思いを伝えるすてきな合唱になったと思う。

 発表会では、多くの町民に向かい、今の自分に何ができるかを伝えることができた。



 自分には何ができるかを問い続けることの大切さ。
ひとりができることは小さなものだが、どんな営みのもとにも希望の光があると感じた。



つづく
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えひめ人権・同和教育  「希望の虹を架けよう」 2

2013-01-12 | ブログ
 この手紙は、私たちの心を大きく揺さぶった。

遠く離れた大谷の街に希望の虹を架けたい。

 すぐに平和と勇気のシンボルである千羽鶴を送ろうという
「おりづるの旅プロジェクト」が生徒会を中心にして立ち上げられた。



 学校ではいたるところで、それぞれの思いをこめて鶴を折る姿が見られた。
そして7月中旬には、家族に協力してもらったり、
地域の人が届けていただいたりしたものも合わせ、5千羽もの折り鶴ができあがった。
 
 この折り鶴は、全校生徒の応援メッセージと一緒に大谷中学校へ送られた。
今も鶴を折る活動は続いている。
 これら折り鶴の送料として、地域の方の支援があてられた。



           「二名津郵便局長 磯崎さんが送料を支援」
 
 10月、三崎中学校の取組を知った地域の人たちから、
特産物のサツマイモを一緒に収穫して被災した大谷に送ろうという誘いが持ちかけられた。
この活動に全校生徒が参加した。
 
 地面にひざまづき、掘り残しや、傷つけることがないようにていねいに掘っていった。
 それらを食べてもらえる喜びを思い描きながらの充実した活動となった。


 
 11月の文化祭では、多くの人たちに被災地支援の取組を伝え、協力をお願いした。
サツマイモを入れるためのビニール袋に応援メッセージを書いたり、送料のために販売も行った。
多くの人がつめかけ、心温まる協力をしていただいた。



 故郷の秋の実りは、ビニール袋に書かれたメッセージとともに、
大谷中学校とグランドに建てられた186棟の仮設住宅へ送られた。

 このようにして「自分には何ができるか。」
という思いを持った人たちとの絆が強まっていった。



つづく
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えひめ人権・同和教育  「希望の虹を架けよう」 1

2013-01-11 | ブログ
 年に3回発行される愛媛県人権教育協議会会報「えひめ人権・同和教育 No.121」
の2013年1月号に原稿が掲載された。

 この会報は、愛媛県の全ての家や役所に配布される
 昨年の9月が原稿〆切りで、何を書こうかとずいぶん悩んだ。
そして決めたテーマが、東日本被災地と故郷に関すること。

 紙面の都合で、原稿を少しカットしたので、原文を次につづる。


『 「希望の虹を架けよう」

 忘れられない言葉がある。
10年ほど前、同和教育推進主任をしていた頃のこと。
時間のゆるす限り地区に足を運び、地域のこと、地域に住む人たちの思いを知ろうとした。
いろいろな話を聞かせてもらった。

 そんな中、一度都会に出て帰ってきた保護者が、次のように語ってくれたことが今も心に強く残っている。
「故郷に錦を、という言葉があります。僕も都会に出て、そんな思いでがんばってきました。
でも帰ってきて気づいたのは、故郷が錦だということです。」
 私たちの原点は、故郷にあり、生きる喜びや勇気・希望を与えてくれるのだと思う。
 
 私が勤務する伊方町立三崎中学校は、日本一細長い四国最西端の佐田岬半島にある。
宇和海と瀬戸内海に囲まれ、アジ・サバ・伊勢エビ・てんぐさなど、
故郷の海は私たちの生活を支え、文化を創ってきた。
 そんな故郷の海が、東北では大津波を引き起こし、多くのかけがえのない命や財産、思い出を奪っていった。
 
「自分には何ができるか。」を問い続ける日々。
震災後すぐに三崎中学校からは、毛布や衣類、義援金などと一緒に中学生の応援メッセージも送られた。
6月、それらを受け取った気仙沼市の大谷(おおや)中学校から手紙が届いた。

「3月11日、東日本大震災の時、私たちは体育館で卒業式の準備をしていたところでした。
地震から30分くらいした後、一瞬で今までとは違う大谷の街になっていました。
校庭には、たくさんのごみが流れこんで1階の床まで海水が入り現実を見られない状況でした。」


 卒業式前日、中学3年生は、卒業していく寂しさを感じながらも新しい進路に胸をふくらませ、
翌日の卒業式に思いをはせていたことだろう。
そんな時に突如襲った大震災。
希望を抱く子どもたちが失ったものはあまりにも大きかった。
そんな状況で懸命に立ち上がろうとがんばり続ける日々。

「掲示されている三崎中学校からのメッセージを読む度に、安心感と勇気がわいてきます。
みなさんにもたいへんなことがあると思いますが、お互いにがんばっていきましょう。」

といったお礼や力強い言葉がつづられていた。

 
つづく
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がらるっど

2013-01-04 | ブログ


 元旦。
 日頃お世話になっている良あんちゃんを招いて、
我が家の母家で新年会。

 そのときに、良あんちゃんがめずらしい焼酎を持って来てくれた。
鹿児島国分酒造の芋焼酎「がらるっど」。

 おもしろいネーミング。
おそらく方言だろう。
 良あんちゃんが教えてくれた。

「正月、焼酎をあんまい飲んすぎっと、がらるっど。」
なつかしい鹿児島の方言。
大親友の指宿出身の橋口君を思い出す。

「がらるっど」とは、「おこられるよ」の薩摩弁。
鹿児島でお酒といえば、焼酎のことをさす。
だから、正月などの祝いの酒は、焼酎を贈る。

 良あんちゃんとは、昔話や喜久家ボランティアの話に花が咲いた。

 ゆっくりと楽しみながら飲んだので、おこられることはなかった。
年明けの楽しいひとときだった。

                              岬人
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故郷のおせち料理

2013-01-01 | ブログ
「おせち」は「御節供(おせちく、おせつく)」の略で、中国から伝わった五節供の行事に由来するようだ。
もともとは五節句の祝儀料理すべてをいったが、のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになった。

 お節料理の基本は、祝い肴三種(三つ肴、口取り)、煮しめ 酢の物、焼き物。
今はお店でできた物を買うことも多いようだが、我が家では、母や妻の手作り。



 黒豆、数の子、ごまめ、かまぼこ、くり、焼きエビ、塩サバ、にんじん、竹の子、
れんこんの酢物、あまぎの酢物、昆布巻き、しいたけ、豆腐、こんにゃく、そして子どもたちの好きな揚げ物など。
 おめでたい理由の数々がならぶ。




 一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり味を濃くするなど、日持ちする物が多い。
これは、歳神様をむかえて一緒に食事を行う正月の火を聖なるものとしてとらえ、
神様と一緒に食する雑煮をつくるほかは、
火を使う煮炊きをできるだけ避けるべきという風習に基づくらしい。

 また、家事から女性を解放するためという説もあるようだ。



 こんな一つ一つの意味のこもった日本の伝統、文化、慣習。

 未来に残していきたい一つ。

                 岬人(はなんちゅう)

 
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嵐の大晦日

2013-01-01 | ブログ


 昨日、大晦日。
朝起きると雪が舞っていた。
道路にも雪が積もり、普通タイヤでは走れない。

 それでも年越しのために、我が家は大忙し。
まず、父が夜なべで作ったしめ縄飾りを家、倉庫、車などに飾り付け。
1㎞ほど離れた倉庫と清水の山小屋に向かう。

 帰ってくると、玄関に大きなしめ縄飾り。
玄関わきには、門松飾り。
そのための梅の枝を取りに行く。

 そして庭にある屋敷の神様と地神様をきれいにする。
祠を温かいお湯でふき、基礎石をたわしで磨きあげる。
今年は、中3の息子が、自分がすると申し出てまかせた。
雪が舞う寒い中の2時間近くの大掃除。
 大切なものが、こうして受けつがれていく。

 台所では、おせち料理作りが進んでいる。

 すべての準備が終わり、年越しとなったのが、夕方6時。
すがすがしく、神々しい気持ちで迎えることになる。

                    岬人(はなんちゅう)


 

 

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2013 明けましておめでとうございます

2013-01-01 | ブログ
2013 明けましておめでとうございます


今年もよろしくお願いします。

昨年は、妻の父が亡くなり、年賀状をひかえさせてもらいました。



 

 我が家の屋敷の神様。

我が家には、9つの神様をまつっている。

 その一つ一つにお供え物とお光りをあげ、昨年の感謝と
今年の家内安全をお願いする。

 新しい年の幕開け。
心と体が引きしまる思いがする。

 故きよき日本の伝統と文化。
いつまでも残していきたい。

                   岬人


 
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