喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家ボランティア クラウディアの美しい着物姿写真

2013-08-31 | ブログ
喜久家ボランティア クラウディアの美しい着物姿

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霧の森大福の秘密

2013-08-31 | ブログ
 この夏、初めて有名な「霧の森大福」という和菓子を食べることができた。
 私が所属している年輪塾のメンバー大西さんが、新宮村にある関係の職場で働いていて、
そのすばらしさはよく聞いていた。

 

 包み紙ごしにも抹茶の色と香りが感じられる。
包み紙を開けると、抹茶のいい香りがさらに鼻をくすぐる。
 そして、一口。
口に入れた瞬間の抹茶のほろ苦さ、ひとくち噛んだあとのこしあんとクリームのほどよい甘さがとけ合っている。



 霧の森菓子工房の説明によると、
「大福の主原料である「新宮わきの茶」は、30年間農薬を一滴も使用せずに栽培されたお茶。
これは全国を探しても希な存在。新宮村をおいては、ほかにほとんど見当たりません。

 大規模なお茶どころだと病害虫が発生したときにすべてにひろがりお茶が全滅する危険があるため、
どうしても農薬に頼らざるを得ない側面がありますが、新宮村の茶畑はほぼ全戸にあるかわり、どれもとっても小さなものばかり。
だから仮に病害虫が発生しても被害はごく一部にとどまります。
作り過ぎないのがコツ、ということでしょうか。

 さらに、30年間も農薬を使わなければ茶畑には自然の生態系がよみがえり、
害虫も多ければ逆に天敵も多いため、少々の害虫発生にはビクともしません。

 その分、収量は農薬を使う場合に比べて3割も減ってしまいますが、安全には代えられません。
考えてみればお茶は葉っぱを煎じて飲むもの。
安全なほうがいいに決まってますよね。

 そしてこの農薬に頼らない栽培は、お茶にとって命ともいえる「香り」をさらに強くします。
なにせ、農薬を与えられなければお茶の木は自分自身でがんばって虫害や病害から身を守るしかありません。
そんな生命力に満ちあふれたお茶の葉の香りが弱いわけはありません。
 香気日本一とも称される新宮茶の秘密はここにあったのです。
クスリ漬け、あるいは過保護に育てることがよくないのは、人間もお茶の木も同じというわけです。

 かぶせそして大福に使うお茶は「かぶせ抹茶」とよばれるもの。
茶摘みのおよそ10日ほど前から黒い布(寒冷紗)をかけて、日光を遮って作られたお茶のことです。

 こうすることでお茶は、さらなる光を求めてグングンと鮮やかな緑色を帯び、えぐみや苦みが抑えられ、
お菓子に使うのに最適な抹茶となるのです。」



 さらにその製法でも
「なんとこの大福は4重構造。
中心にクリーム、そのまわりにこしあん、そしてそれらを抹茶を練りこんだ餅でくるんだうえ、さらに1個ずつ抹茶をまぶしています。

 通常は粉つけ機とよばれる機械で粉をまぶすのですが、それでつけられる抹茶はほんのわずか。
これではよくある抹茶大福になってしまいます。

 そこで1個ずつ丁寧に手作業で抹茶をまぶす製法を採用。
機械とはまるで異なり、これでもかといわんばかりに抹茶がたっぷり。
通常なら原価を気にして申し訳程度にうっすらまぶす抹茶ですが、お茶の産地だからこそできる贅沢な抹茶の味わいをお届けします。

 大きさはこれくらいです1個50gの小さめ一口サイズ。
実はこれ以上大きくなると、抹茶、こしあん、クリームがそれぞれに自己主張をはじめてしまい、ハーモニーが楽しめません。
大きさにもおいしさのヒミツがあったんです。」

 この秘密を知ったとき、故郷の柑橘栽培においても大きなヒントがある。
消費者が何を望んでいるか。
安心・安全な柑橘。深い味わい。
 見た目は少し悪くなるが、そんな喜ばれる柑橘をお届けしたい。

 農家は、農業への考え方の岐路に立っている。

                       岬人(はなんちゅう)

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健康な心と体

2013-08-30 | ブログ
 昨日は、午後から平礒の恒あんちゃんの見舞いに松山へ行った。
父が大けがをしたとき発見してくれ、救急車を呼んでくれた命の恩人。

 私も普段から消防団などいろいろな面でお世話になっている。
建て替えを終えた病院は、とてもきれいで設備が整っていた。
聞いた病室を探し訪ねた。

 4人部屋で、ちょうど夕方のテレビを見ていた。
私たち親子の姿にベッドから起き上がり、病状や経過などを話してくれた。
 病院に来たときには、体が十分に動かない状態だったようで、
今は院内を散歩したりできるまで回復している。

 85歳をこえる母親も別に入院していて、将来に対してさまざまな不安や悩みがあるようだった。

 昨日は、この他お悔やみのお知らせもあった。
大学時代のサークルのとても仲の良かった女性友だちから
「昨日夫がガンで亡くなりました。」
という知らせ。
 その人も私と同じ歳で、その知らせを聞いてとてもショックを受けた。

 同じ連絡は、サークル仲間からも入り、
その時に2年前心臓疾患で命の危険があったとか、
今脳に腫瘍が見つかっているとか、
大切な仲間の健康に関するたいへんな様子を聞いた。

 とても仲の良かったサークルの仲間だが、
しばらく連絡をとりあっていなかった間に、みんなそれぞれたいへんな思いをしていたようだ。

「久しぶりに集まれる時に、集まれる者だけでも福岡に集まろうや。」
親友のカマちゃんとサークルの会を開くことを約束した。

 45歳を超えると健康に対する悩みが増えるようだ。
 私は、今のところ心も体も健康だが、
昨日は健康について考える1日となった。

 ふるさと平礒のばあちゃんたちは元気だ。
背中が曲がりながらも、今日も朝からホボロを背負い仕事をしていた。
 心身ともに健康であるための理由が、
田舎にはあるのかもしれない。

                         岬人(はなんちゅう)
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若松進一さんの気配り

2013-08-29 | ブログ
 昨日、午前中の仕事が終わり、携帯電話を見ると着信履歴があった。
「夕日の双海町」のまちづくりをすすめた尊敬する若松進一さんからのもの。

 たまにこのような電話がある。
すぐにかけ直すと、つながらず。
しばらくして若松さんからかかってきた。

「今年は、暑いな~。元気にしよるかな。
今から大分で講演会。さっき三崎港からフェリーに乗るのに、時間があったので、
都合があえば顔でも見ようかなと電話したんよ。」
とのこと。

 うすうす感じてはいた。
と言うのも若松さんは講演会のために全国をあちらこちらと歩かれる。
 三崎港からのフェリーを使って九州に行く時には、
様子をうががうためによく電話をしてくださる。

 ありがたい気配り。
逆の立場であったら、そういつもできることではないから。

 人は、誰かに気をかけてもらっていることで、うれしくなったり、元気になったりする。
しかも若松進一さんというたいへん忙しく、有名な方。
そんな方が、私のような岬の田舎者に。

 昨日は、都合が合わず会うことはできなかった。
また近々会いたいと思っている。
 人と人とのつながりは、こんな些細なやりとりがとても大切だと思う。

 ほんの少しの時間でもかまわない。
「元気にしていますか。」
のひと言がかけれるようになりたいものだ。

                 岬人(はなんちゅう)
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岡山シーガルズ バレー教室 in 伊方

2013-08-27 | ブログ
 伊方町、毎年恒例、岡山シーガルズのバレーボール教室が8月23日(金)に行われた。



 2017年の国体成年女子のバレーボール会場になっている。
そのためムードを盛り上げるために毎年、プレミアリーグ岡山シーガルズのバレーボール教室が行われている。
監督を含めチーム全員でバレーボール教室が行われることは、ものすごくめずらしく、うれしいこと。

 河本監督自らが中学生を指導。
全日本女子の監督をしてもおかしくない人。
 隣でボール渡しをしているのは、背番号20番の丸山選手。
全日本のリベロに登録されている。



 ポールの向こう側には、背番号11番の元全日本エース栗原選手。



 三崎中学校バレー部のコートでは、
背番号2番の新キャプテン山口選手や背番号5番の副キャプテン福田選手の指導の場面。
山口選手は、昨年ロンドンオリンピックで銅メダルをもらった全日本メンバーの一人。





 岡山シーガルズには、全日本登録されている選手が4人。
セッター宮下、センター川島、センター関、リベロ丸山選手。
このうち宮下・川島選手はすでにグラチャンに参加のため今回のバレーボール教室に姿はなかった。

 一流選手たちに声をかけられ、ボールを打ってもらい、指導してもらえる。
これは、とても幸せなこと。
 心に灯がともる子どもたちもいることだろう。
将来が楽しみになる。

 

 関係者のご尽力と岡山シーガルズ河本監督のご理解に
心から感謝したい。

                    岬人(はなんちゅう)
 
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子どもたちの富士登山4

2013-08-25 | ブログ
 今日8月25日、「24時間テレビ 愛は地球を救う」をちょこちょこ見ている。
 世界の果てまで行ってQでおなじみのイモトさんが、原発事故で離ればなれになっていた福島県浪江町の小学生たちを
集め一緒に富士山に登るドキュメントがあった。

 2週間前に富士登山をしたばかりだったので、家族で興味深く見て、応援した。
今日の富士山は、雨が降り、霧もかかり、風と寒さでたいへんきびしい登山の様子。
でもみんな元気に登頂を果たし、がんばりをたたえあった。
 これからもあの子たちの未来を応援したい。

 さて、私たちも2週間前、全員登頂し、先頭と最後では4時間の差ができたが、
がんばりと感動を共にした。



 今年の正月に義兄の哲ちゃんと飲みながら富士登山を計画。
その時には、富士山火口でテント泊をしようという話だった。
 7月に世界遺産に登録され、さすがにそれは取りやめたものの、
哲ちゃんは、思い出に朝食を食べる準備をしてくれた。
水、携帯ガスバーナー、レトルト食品、そして日本酒を背負い登山。

 人目につかず、美しき富士山を汚さないように食事の準備。
その前に日本酒で登頂にかんぱーい。



 すぐにいい気分になる。
 同時にレトルトご飯、カレーをあたためていく。



 気圧が低いため、100度になる前に沸騰。
その他、大きくふくれあがったスナック袋やパッケージ。
子どもたちは、自然の不思議さを感じる。
生きた体験。





 味は、富士山頂という気分もあり、最高。
哲ちゃんも私たち夫婦も子どもたちの様子に大満足。

 一生忘れることない楽しい思い出、
そしてこの子たちは、いつか必ずまた日本一高いこの場所をめざすだろう。
その時は、友だち同士かもしれない、恋人同士かもしれない、家族でかもしれない。
 私たちは、そんな種まきをしたのだ。



 私も一生のうちであと何度、富士山頂へ登るだろう。
そのたびに、この時のことを思い出すことだろう。

                        岬人(はなんちゅう)
  

 


 
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サスケ(タカさん)のお別れ式

2013-08-24 | ブログ
 伊方町松出身の双子歌手サスケの弟タカさんのお別れ式が傳宗寺で行われた。





 梅雨明けした7月中旬。
再び歌いたいという懸命な闘病生活も叶わず亡くなられた。

 故郷や愛媛の曲を数多く歌われ、心にしみいる。

 三崎中学校の被災地宮城県気仙沼市立大谷中学校への支援・交流の様子を歌にして、
三崎中学校を訪問し披露してくれた。
「きみの笑顔に逢いたくて」というすばらしい歌。
それを保護者が3部合唱にしてくれ、三崎中学生が歌うようになった。

 お別れ会では、三崎中学校もほぼ全校で参加し、タカさんに向かい歌わせてもらった。
そしてサスケの代表曲「がんばれ岬アジ岬サバ君」を傳宗寺の講堂で踊った。
まるで供養の盆踊り。






 会場には、みかん一座の戒田節子さんや3人のメンバー、
地元佐田岬でフォークソングを歌い活動している松本・中西・山本さんの「才蔵」、
ご詠歌のみなさんなど多数がつめかけ、タカさんを偲び、盛り上げられた。






 故郷を想うタカさん。
亡きタカさんを想う故郷のみなさん。
つながっている。
 
 人はみな故郷を背負っている。


 
 
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平成25年 平礒のお盆行事(もう霊)

2013-08-21 | ブログ
平成25年 平礒のお盆行事(もう霊)


 お盆からはやくも1週間が過ぎた。
お盆は、盆の行事やよそから帰ってきた人たちとの再会のため、
あっという間に過ぎていく。

 そんな佐田岬半島の小さな郷、平礒のお盆行事、孟霊(もうりょう)
この字については、はっきりとはしていないが、私の父がこの字ではないかといっているので、
記すことにする。

 8月14日、午後3:30。
フクロイセの浜に各家々から集まる。
なぜか男性のみということになっている。
各家で1人でいいのだが、私のように父そして息子、あわせて3人が参加ということも認められている。

 この日は、喜久家ボランティアのポタも参加。
そして何と喜久家(きくや)の持ち主、河野喜久雄さんとの出会いがあった。
 喜久家が今あるのは、喜久雄さんが自分の家を無償で貸してくれているからなのだ。
その名をとって、喜久家(きくや)と名付けた。



 浜におりるとまず笹舟を作り、海へ流す。
まるでおしょろい船。
精霊流しのようなもの。

 次に、鉦(かね)と太鼓にあわせて、口上をとなえながら時計回りで輪になって回る。





 それが終わると持っていた笹を責任者に渡し、海へ流す。



 最後は、天神崎の方へ向かい、まなご石を自分の歳の数だけ拾い、
神様に捧げる。

 



 私も1つずつ数えながら。
昔はすぐに拾い終え、手にのせられた石も
今では、数えるのもたいへん。
そして、手にのせるのもこぼれ落ちそう。





 最後は、お酒とお菓子をいただき終わりとなる。

 町見郷土館の高嶋さんが取材に来られていて、少し話をしたなかで心に残った言葉がある。
「高嶋さん、この孟霊の由来や意味などよくわからないことが多いんですよ。」
「浅野さん、そんなことよりも今こうして永きにわたり残されている。
地域の人たちが残している。そのことが何よりも大切なことなんです。」

 故郷の先人たちや今暮らしている人たちの心にふれた気がした。
小さな郷のキラッとした輝き。
未来へ残していきたい一つだ。

               岬人(はなんちゅう)

 

 
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子どもたちの富士登山 3

2013-08-19 | ブログ
 5年前、家族で富士登山に挑戦したとき、
小学校2年生の娘たちは、富士宮ルート8合目でご来光を拝んだ。
「寒い。眠い。しんどい。」
の連発。
 夜が明けて、頂上が近づくと元気に登って行ったものの、
かなりしんどい思いをした。

 ところが今回は大きく違っていた。
6合目を全員で出発してからは、さやかといとこの杏由美の意気込みが強かった。
「今回は、絶対に頂上でご来光を拝みたい。」
2人で楽しくおしゃべりしながら、どんどん登って行った。
「よし、行けるところまで行け。頂上に登ったら、神社の近くにおれよ。」
と2人にまかせた。

 それに続き、武蔵といとこの良太も。

 とは言ったものの、子どもたちだけで登らせるのは不安になり、
後を追いかけたが、なかなか追いつけない。
たくましくなったものだ。
 私の後ろには、妻と娘のひかる、義兄の哲ちゃんが続いていた。

 結局、頂上でご来光を拝めたのは、
登頂順に武蔵と良太が4時15分。
杏由美、そして少し遅れてさやかがご来光10分前の4時45分。
 頂上でのご来光の様子を驚きと感激の声で話してくれた。
「誰かの音頭で、君が代が歌われ、万歳三唱があったんよ。すごかった。泣きよる人もおったで。」
頂上の写真は、さやかが撮影。









 その頃私は、頂上真下の9合目で、妻とひかる、哲ちゃんは8合目でご来光を拝んだ。
 私が登頂したのは、5時30分。
子どもたち4人は、寒くて震えていた。 
 続いて、思い荷物を背負ってくれた哲ちゃんが7時30分。
ひかるが8時。妻が8時30分。

 何と4時間の差。
子どもたちのたくましさを感じた富士登山となった。
これをきっかけにまた一皮むけただろうか。
 子どもは、挑戦をしてたくましく成長する。

                        岬人



 
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故郷、佐田岬を愛する友人

2013-08-18 | ふるさと
 昨日、同級生の木野本忠志君に誘われて、瀬戸アグリトピアで行われた交流会に参加した。
彼は、自然な暮らしを大切にし、私の考えとよく似ている気がする。

 無添加、無農薬の食材。
それを作り出す農業。
 歴史や伝統、精神を大切にした清掃活動。
おだやかな自分らしい暮らし。

 このようなことを大切にし、故郷にも頻繁に帰っている。
お母さん曰く、
「やさしい息子です。」

 弟や喜久家ボランティアのクロ、ポタもいっしょに参加させてもらった。
仕事を終え、夕方7時前に到着。
 会場は、海鮮バーベキューで大盛り上がり。



 知り合いの田中さんは、焼き係長として岩牡蠣(かき)などを
汗だくだくになりながら焼いて、開けてあげていた。

 大藤君は、愛キャンのつながりで参加していて、
障害がある子どもと風呂に入ったり、いっしょに行動したりと、
あいかわらずのやさしさ。

 木野本君といとこの大石君も裏方として、汗をかきながら動いていた。
喜久家ボランティアの2人にも気さくに声をかけてもらった。



 ネパールの山奥で橋の架設などの支援を長い間されている池田さんのお話しは、
日本人としてとても尊敬できるものだった。

 そんななか、20歳前の若者との出会いが心に残った。
 お母さんとおそろいでオレンジ色のさわやかなシャツを着て、
とても明るく、周りを楽しい雰囲気にしていた。

 残りのお米でおにぎりづくり。



 大人たちと楽しげに。
おじさんが、醤油おにぎりをにぎってくれた。
初めて食べる醤油おにぎりに興味津々。
そして、「いただきまーす。」とうれしそうにパクッ。



「おいしー。こんなの初めて食べた~。」
おじさんもうれしそう。
そして作り方を教えてもらい、自分でも醤油おにぎりをにぎる。



 都会的でありながら、
「私、田舎が大好きなんです。」
と無邪気な笑顔がとってもかわいい。
 故郷の子どもたちも、これくらい故郷を愛してくれる子が増えたらいいなー、と思った。

 翌日、大学のある京都に帰らなければいけないということで、
泊まることはできず、松山に帰って行った。

 本当、あたたかい雰囲気の集まり。
そこでのすてきな人たちとの出会い。

 今年の夏のすてきな思い出になった。

                 岬人(はなんちゅう)

 


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子どもたちの富士登山 2

2013-08-16 | ブログ
「かわいい子には、旅をさせろ。」
とはよく言ったもの。

 今回の富士登山は、
「かわいい子には、しんどい思いをさせろ。」

 今の時代、かわいさあまって我が子にしんどいおもいをさせることがしずらい親が増えている。
子離れできない親。
そして親離れできない子ども。

 わが家もその傾向が少なからずある。
そのため、今回の富士登山は、しんどいおもいをさせるいいきっかけとなった。
しんどさの向こうには、感動がある。

 

 須走口5合目を出発して1時間30分歩いた真夜中の12時。
ようやく6合目に到着。
 子どもたちは、絶好調。
リュックの中から水分や補助食のチョコやクッキーを取り出し仲良く食べる。
まるで夜のピクニック。

 歩いている時は、汗ばむくらいだが、止まると少し冷えてくる。
それぞれが、体調に合わせ着る物も調整。
長袖を取り出し、体を冷やさないように。

「もう行っていい?」
子どもたちは、行く気満々。

 15分くらいの休憩をとり、7合目に向けて出発。
うっそうとした林はなくなったが、低い木々の中を通っていく。
空がしだいに開けていくなか、
「あっ、流れ星。」
見下ろせば、御殿場市の夜景。
そして見上げれば、満点の星空。天の川。
富士山で見る流れ星。
忘れられない思い出のひとかけら。

 後でわかったことだが、この時ペルセウス座流星群が近づいていて、
流れ星が多く見られたとのこと。

 私も6個ほどの流れ星を見た。
その1つは、天頂から富士の頂に向けて、火の玉のように落ちていった。
あんな流れ星は、初めて見た。

 子どもたちにも私にも忘れられない思い出のかけらが、
1つずつ増えていった。

    
               岬人(はなんちゅう)



 
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子どもたちの富士登山 1

2013-08-16 | ブログ
 1週間前の今日、8月9日。 長崎原爆の日。
私たち家族と義兄家族8人は、富士山をめざした。
 
 哲ちゃんの親心。
「子どもたちにもぜひ富士山に登っていろんなことを感じてほしい。」
「それはいいですね。ぜひやりましょう。」

 高Ⅰ武蔵、中3良太、中Ⅰ杏由美、ひかる、さやか。
我が子たちは、5年ぶりの富士登山。
子どもたちもみんなやる気いっぱい。
いとこ同士での最高の思い出作り。

 行きの車中も盛り上がった。
9日夜10:30平礒を出発。
12時前に大洲で合流。
哲ちゃんと交代で車の運転。
富士山の麓にある御殿場市をめざした。
淡路島ルート、新名阪、伊勢湾岸道路、新東名へと。

 10日のお昼頃に到着予定だったが、安全第一でゆっくりと走ったため
午後3時前に到着。16時間のドライブ。
仮眠をとるために、御殿場温泉会館で温泉に入り、ご飯を食べ、休憩室でしばらく仮眠。

 夜8時過ぎに温泉会館を出発し、須走ルートの臨時駐車場へ。
夏の一定期間、マイカー規制されている。

 

 荷物を最終チェックし、夜9:30分シャトルバスに乗りこむ。
運賃は、1人往復1500円。
気分は、徐々に高まっていく。
 バスは、富士あざみラインを30分ほど登っていく。
夜10時、登山口に到着。
ここはすでに2000㍍の高さ。

 30分ほど体を気圧や低酸素にならし、夜10:30に須走口5合目を出発。

 

 このルートは、登山者は少なく、自分たちのペースで登っていける。
うっそうと茂った木々の中を蛍の光のようにライトが続く。

 子どもたちは、元気いっぱい、やる気いっぱい。
生涯忘れることのない最高の思い出づくりが始まった。
 
 

 このブログは、これから富士登山をめざされる人の参考に。
そして子どもたちには、将来思い出日記として読んでほしい。
親のできることは、体験のきっかけをつくること、そしてその様子を記録すること。

                     岬人(はなんちゅう)



 

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美しき富士山  

2013-08-13 | ブログ
富士山 登頂



 平成25年、世界文化遺産に登録された富士山。

 富士山は、遠くから眺めるのもいい。
そして登るのもいい。

 日本人にとって、富士山は特別な山。

 この山を愛してやまない。

 美しき日本の象徴の1つ。
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富士山 ライブ5 登頂

2013-08-12 | ブログ
9合目を通過したのが、4時30分
頂上は、すぐ上に見えている

ところが、登山者のすごい列。
山の渋滞。

この列に加わってしまうと、ご来光も良い場所で見られない。
そんな理由で9合目の良い場所で、ご来光を待つことにした。

雲海を見下ろしながら。





東の空が、紫色から明るい赤色、オレンジ色に変化していく。



そしてついにご来光







朝日の明るさが、雲海を染め上げ、そしてそれを待ち望んだ私たちの顔をも照らしていく。



こんなにも朝日に注目するものか。

この時間、富士山に登っているたくさんの人が待ち望んだもの



頂上では、君が代を一緒に歌ったり、万歳を多くの人が行ったようだ。

中には、涙を流す女性が何人も
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富士登山 ライブ4

2013-08-11 | ブログ
 八合目に到着
朝3時。



 その後、本8合目で登ってきた須走ルートと富士吉田ルートが合流。
登山者が、一気に増える。



 



 でもかなりしんどそうな人もいる。
酸欠によるしんどさと睡魔。
 
 登山者に「おはようございます。」
と声をかけながら1歩、1歩上へ。
「がんばりましょう。」



 この区間は、そうとうがんばった。

 汗をかかない程度で登るのが良い登り方。
休憩していると体がすぐに冷えるため、
給水、ストレッチを行い、すぐに出発。

 酸欠と寒さで、ブログを打つ指がよく動かない

頂上まであと100分
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