喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ホテルカリフォルニアを思い出す 

2011-08-30 | ブログ
 
 
 写真は、佐田岬半島伊方町、大久展望台。
白亜のとてもすてき展望台。
そこに車を止めて写真を1枚。

 車の中からは、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」の曲が
流れている。
 お気に入りの曲だ。

http://hitspv.com/article/29697321.html

 以前、喜久家ボランティアでアメリカ出身のエバンに
この曲の意味を聞いたことがあった。
エバンは、抽象的でよくわかりづらいと言っていた。

 インターネットでいくつかの歌詞を調べてみたが、
本当むずかしい。
 そんな中から、わりあいわかりやすいものを紹介する。


『【ホテルカリフォルニア】

 夜の砂漠のハイウェイ
涼しげな風に髪が揺れて
コリタス草の甘い香りがあたりに漂う
はるか遠くに、かすかな光が見える
僕の頭は重く、目の前がかすむ
どうやら、今夜は休息が必要だ
礼拝の鐘が鳴ると
戸口に女が現れた
ここは天国か  それとも地獄か
僕は心の中でつぶやいた
すると、彼女はロウソクに火をともし
僕を部屋まで案内した
廊下の向こうで こう囁きかける声がした
ホテル カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ
(そして素敵な人ばかり)
ホテル カリフォルニアは数多くの部屋をご用意して
いつでもあなたの訪れを待っています

彼女の心は砂の様に微妙で
メルセデスのように優雅な身のこなし
彼女が友達と呼ぶ美しい少年たちは皆恋の虜だ
中庭では、人々が香しい汗を流して
ダンスを踊っていた
思い出を心に焼き付けようと踊る人もいれば
すべてを忘れるために踊る人もいる

『ワインを飲みたいんだが』と
ボーイリーダーに告げると1969年からと言うもの
ワインは一切置いてありません、と彼は答えた
深い眠りに落ちたはずの真夜中でさえ
どこからともなく、僕に囁きかける声が聞こえる

ホテル カリフォルニアへようこそ
ここは素敵なところ
(そして素敵な人ばかり)
どなたも人生を楽しんでらっしゃいます
アリバイでも作って、せいぜいお楽しみください
天井には鏡を張り詰め
氷の上にはピンクのシャンペン
『ここにいるのは自分の意思で
ここに囚われの身となっている人たちばかり』
と、彼女は語る
やがて、大広間では祝宴の準備が整った
集まった人々は、鋭いナイフを突き立てるが
心の野獣は誰にも殺せない

最後に覚えているのは
出口を求めて走り回る自分の姿
元の場所に戻る通路が
どこかにきっとあるはずだ
すると、夜警が言った
『落ち着きなさい
我々はここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトは出来るが
ここを立ち去る事は出来ない』


 さっぱりわからないといった感じだが、
この曲のメロディーが、哀愁ただよいとても気に入っている。

 さあ、大久展望台に来てみませんか?
 
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8月の蝉  ~蝉のBGM~

2011-08-30 | ブログ
 幼き頃の思い出として、
蝉とりはなつかしくよみがえる一つだ。
 大人になってからは、蝉とりこそしないが、
蝉の鳴き声は、田舎の夏になくてはならない音。
 最近、蝉の鳴き声をじっくりと聞いている。
朝、車で出るときも窓を開け、その鳴き声に耳を傾ける。
するとおもしろいことに気づく。

 平礒から二名津へ下る峠、ヒラバヤまでは、ものすごい蝉の声。
まるで蝉のオーケストラ。
こんなエリアはあまりない。
さまざまな樹木が繁っているのがその理由だろうか。
 峠から二名津に向けては、西向き斜面で日当たりがいいのでみかん畑が多くなっている。
 なるほど、あたりまえのことではあるが、蝉の多さは、樹木の豊かさと一致する。

 そして、大発見があった。
蝉の種類によって、鳴く場所や時間帯がちがうのだ。
 
①ニイニイゼミは、サクラの木に多い。
②ヒグラシは、ヒノキやスギの林に多く、朝夕の薄暗い時間帯に「カナカナカナ…」
という甲高い声で鳴く。その悲しげな鳴き声から晩夏のセミというイメージが強い  が、ニイニイゼミと同じく6月下旬には鳴き始める。
③ツクツクボウシは、ヒノキ、クヌギ、カキ、アカメガシワなどいろいろな木に止ま  る。晩夏に多く発生し、宿題に追われる子どもたちのBGMとなる。オスは午後の日が 傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴く。
④ミンミンゼミは、 やや標高が高いところにいる。
 和名通り「ミーンミンミンミンミー……」という鳴き声で知られる。
⑤アブラゼミは、いろいろな木に止まる。午後の日が傾きかけた時間帯によく鳴き、  「ジジジジジ……」という鳴き声は夏の暑さを増幅するような響きがある。
⑥クマゼミは、朝や雨上がりの日差しが強くなる時間帯に腹をふるわせながら     「シャンシャンシャンシャン……」と大声で鳴く。

 田舎の音は、奥深い。
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ふるさと佐田岬の空・海・山

2011-08-29 | ブログ
 いつもカメラをカバンにしのばせている。
珍しいものやすてきな風景に出会うと撮影できるように。

 昨日もカメラのシャッターを切った。
 空と海と陸のコントラストがとてもきれいだった。





 
 次の写真は、撮影場所の大久展望台。



 この展望台から撮影した。

 この日は、波のうねりが高く、白波が立っていた。
 名取の「馬の背」では、いつものようにサーファーが集い
波に乗っていた。

 日差しはきつかったが、風はさわやかで、
夏の終わりを感じた。
 田舎にいると、季節の移ろいを五感で感じることができる。
これって、とても幸せなことだと思う。

 
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ポリライスづくり  ~国立大洲青少年交流の家にて~

2011-08-29 | ブログ
 昨日は、最後の免許状更新講習が国立大洲青少年交流にてあった。

 テーマは、「体験活動」。
 頭でっかちになりがちな時代、
体験によって学ぶことはとても多い。

 午前中は、飯ごう炊飯。
ところがこれまでのものとは違う、「ポリライス」づくりをしてみた。
 これは、ポリ袋にといだ米を入れ、輪ゴムで締め、
それごと沸騰したお湯につけるというもの。
 言うならば、ラーメンを沸騰したお湯にしばらくつけ、
ほどよい固さになったところであげるのと似ている。

 この利点はいくつかある。
○ ポリ袋に入れているので、煮る水は汚れた水でもOK。
○ 準備・後片付けなど少量の水でOK。
○ ポリ袋に入っているので、持ち運びや配布が便利。

 つまりこのポリライスは、
東北大震災で大活躍したようだ。

 できばえは、上等。
これからの時代に便利なものだと思った。
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岡山シーガルズサイン会

2011-08-28 | ブログ


 ずらりっと並んだ岡山シーガルズ選手の前に、
お目当ての選手のサインをもらうために列ができる。

 一番人気だったのは、セッターの宮下遥選手。
16歳という歳の近さと、将来は全日本のセッターとして確実とされている
プレーのすばらしさ。

 

 双子の娘たちも吉田みなみ選手のサインからお願いし始めた。
もちろん、岡野弘美選手・福田舞選手・野口彩佳選手のサインははずせない。

 福田舞選手は、ものすごく記憶力がよく、
「2人とも去年よりもすごく身長が伸びたね。」
と言ってもらえた。

 佐田岬の子どもたちは、こうやって大きな夢をえがいていける。
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伊方町に岡山シーガルズが来る ~野口彩佳選手~

2011-08-27 | ブログ


 バレーボールプレミアリーグ「岡山シーガルズ」のみなさんとの
懇親会の様子。

 昨年とはひと味ちがい、佐田岬フォークソンググループ「才蔵」のみなさんが
歌で盛り上げてくれた。
松本さん、山本さん、中西さんの3人。

 途中で会場から野口彩佳選手が連れ出され、さらに盛り上がった。
アンコールの声も上がり、「同級生」という歌を歌った。
「同級生っていいなー。」
その歌詞に合わせ両肩を組む。
とてものりのいい選手。



 歌が終わり、あいさつに行った。
出身地佐賀のことや長崎県九州文化学園のことなどたくさんの話を聞かせてもらった。
野口彩佳選手の夢は、お母さんの夢でもあり、
「バレーボールで日本一になること」
「教師になること」だ。


 バレーボールで日本一になる夢は、
すでに九州文化学園にいる3年間で5度の全国優勝をするなど輝かしい成績を残している。
 広島大学に進学してからも、キャプテン、エースアタッカーとして
チームをひっぱってこられた。

 教師への夢については、今のところおあずけになっているが、
バレーボールの楽しさ・やりがいを伝えたいという熱い思いを聞かせてもらった。
 めざすは、「どろんこバレー」
九州文化学園の3年間で、常に仲間を意識し、思いやることを体にしみつくほど学んだという。
「この1本は、仲間がつないでくれた1本。
そして仲間の思いを叶える1本。
なりふりかまわず熱い思いでプレーする。」
 そんな心を子どもたちにも伝えたいと言われた。

 とってもすてきな野口彩佳選手。
今から、伊方町スポーツセンターへ応援に行こうと思う。

 
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岡山シーガルズ 伊方町へ来る

2011-08-26 | ブログ


 今日、明日の2日間、バレーボールプレミアリーグの
岡山シーガルズが伊方町に来て、バレー教室を開いている。

 今夜、今から懇親会があるので参加する。
顔なじみの河本監督、岡山選手、森選手、福田選手、中田コーチ他
みなさんと懇親を深めてきたい。

 その模様はのちほど。

 写真は、岡山シーガルズキャプテン岡野選手が着ていた練習シャツのバックプリント。
東日本大震災の復興応援メッセージが書かれていました。


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「愛媛産には、愛がある」 ~農家の汗~

2011-08-25 | ブログ
 おいしいみかんができるまでにどんな様子があるのか?
それを想像したり、知ることは、
よりおいしく食べるための大きなスパイスのようなものだ。

 平礒では、ここ最近朝早くから夕方遅くまで農薬散布が行われている。
弟の洋海も浜ちゃんと一緒に、汗だくだくになりながら柑橘に
低農薬と愛情を注いでいる。
 農家のみなさんの一生懸命に働く姿がたくさんある。
そんな姿をみるといつも思い出す文章がある。
それは、平礒出身で現在大学生の青年が、高校生のときに書いた文章だ。

『 愛媛産には、愛がある

 照りつける日差しと絶えず耳に入ってくるせみの声。
真昼の昼下がりに両親にたのまれ、倉庫に飲み水を持って行った時のことです。
そこには、夏にもかかわらずカッパを着ている両親の姿が。
汗は服を滝に打たれたように濡らし、長靴を水たまりにかえ…
その光景をよく覚えています。
その時でしょうか、私が農家を志すようになったのは…。

 それから数年が経ち、いつものように冬が来ます。
柑橘農家にとって猫の手も借りたい日々の幕開けです。
朝早く、人間の手を持つ私は梶原家の戦力として段々畑にかりだされます。
冬は、待ちに待った収穫の時季です。
今年も「愛媛産には愛がある!」
の売り文句に恥じないできばえです。
そして夜は、柑橘の出荷の準備を遅くまでやってのけます。

 みなさんが、こたつのお供としてなれ親しんでいる柑橘。
その柑橘の1つ1つには、決して語られることのない農家の方々の想い(ドラマ)が
つまっているのです。

 私の成長のそばには柑橘がありました。
働くことの意義や努力は1日では成り立たないこと、
そして苦労を幸福に昇華する、「おいしい!」のひと言…。
私はこの柑橘を守り、発展させ、後の時代に伝えていきたいと思っています。
私の祖先が今に残してきたように。

 農業は学歴や知識ではできません。
柑橘の1つ1つに思いをこめてこそ、
「愛媛産には愛がある!」
は語られるのです。

    
     平成21年度 毎日新聞農業記録賞 
           高校生部門(優良賞 中央入賞)

           梶 原 崇 裕
          (平礒生まれ 父:梶原孝一 母:美佐代)』

 この文章を読むと、農家のみなさんの汗がさらに輝いて思える。
現在、朝6時過ぎ。
すでに農薬散布の音が聞こえてくる。
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親孝行 ~草野健次ブログより~

2011-08-24 | 感動


 お盆が過ぎ、早1週間になる。
窓を開けて寝ていると、朝方は寒さで目が覚めるほどになった。

 お気に入りのブログに「自然体バレーボール塾」で有名な草野健次さんのブログがある。
朝日新聞の投稿からの引用らしいが、心に残る内容だったので紹介したい。 

『 父親とは・・・
 
 いつのころからか父親を超えていると思っていた。
体格では高校生の時に抜かしていたし、学歴でも勝っている。
社会での肩書でも私の方が受けがいいと思っている。
父は借家住まいで、私は持ち家。
父と違って酒にも飲まれない。
 
 その父がこの冬84歳で他界した。
亡くなる十日前に、入院した父を家族が交代で夜間の付き添いをした。
最後の付き添いとなったその夜、私は間違いに気づいた。
意識がもうろう状態の父に向かって私は言った。
「何不自由なく育ててくれてありがとう」。
父はベッドの中でわずかな力を振り絞って私の頭をなでてくれた。
その時思った。
私は父を超えてなんかいない。
私はいつまでもこの人の子供なんだと。
涙が流れた。

 それから3日後に父はこの世を去った。
この夏、初盆を迎える。
きっと日本の歴史にまったくその名を残すことのない父の人生に、精一杯の拍手を送る。
 
 オヤジ、あなたの孫となるこの子たち3人を嫁さんと一緒に、誰にも恥じない立派な大人に育ててみせます。
これからも少しでもあなたに近づいていきたい。』

 70歳を超えた私の父はまだ健在だが、
この気持ちはよくわかるような気がする。

 今夜、いつもよりも少し長く、
父とおしゃべりしてみようかと思う。 


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2010(平成22年) 平礒のお盆

2011-08-21 | ブログ
 新しい機能に挑戦。

 撮りためた写真をアルバムにしてみました。

 2010(平成22年)平礒のお盆には、
かつて喜久家で活動してくれた国内外の若者たちが何人も帰ってきてくれました。
 
そして、盆踊りにも参加してくれて、
国際色豊かな盆踊りとなりました。


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道後温泉のからくり時計

2011-08-21 | ブログ
 昨日は土曜日ということもあり、道後温泉は観光客で大にぎわいだった。
そんな中で30分ごとに動くからくり時計の前には、たくさんの人だかり。
小説坊ちゃんの登場人物が愛嬌たっぷりで登場する。
笑い声とともに写真撮影が始まる。

 時を刻む時計は様々あるが、一番記憶に残っているものは、平礒のばあちゃんちにあったゼンマイじかけの古時計。
一日に何度か脚立にのり、壁にかかったこの古時計のネジをキリキリと巻いていたものだ。

 あれから30年以上経つというのに、はっきりとよみがえる。
あの古時計はどこにいったのだろう?
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道後地ビールのうまさ

2011-08-21 | ブログ
 昨日は、愛媛大学で教員免許状更新講習だった。
あまりにもなかみが濃かったため、脳が低血糖をおこしそうになった。

 にぎたつの宿に着き、道後温泉の内湯でゆったりと体と頭を癒した。
その後、汗で出した水分をおぎなうために、道後麦酒館で地ビールをグーッと。
飲みなれたビールとはちがう味わいに一瞬日常を忘れた。

 つまみは、妻のふるさと奥伊予城川の大根巻きハム。
これまた、相性ピッタリ。

 都会とは縁遠い田舎者には、こんな至福の時がある。
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教員免許状更新講習

2011-08-20 | ブログ
 2年間で5コマの講習を受けなければ、持っている教員免許状はなくなってしまことになる。

 日本の教員は、外国の教員と比べるとスーパーマンのような働きぶりに感じる。
3ヶ月研修したアメリカなどにおいては、ほとんどが授業のみの職務。
学校の役割がしっかりと限定されている。

 日本ではそれに加え、生活指導、部活動、道徳、地域連携、事務会計などが加わる。
 
 そんな中での講習制度。
これを、余分なことと考えるか、資質を高めるためと考えるかで、学ぶ姿勢がちがってくる。
 何はともあれ、今朝佐田岬を6時30分に出発し、愛媛大学へ向かう。

 今夜は、ゆっくりと道後温泉にでも入ろうか。
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鳥人間コンテスト

2011-08-20 | ブログ
 昨夜たまたま見たテレビに
「鳥人間コンテスト」があった。
琵琶湖を会場として行われるこのコンテストは、ずいぶん昔から続いている。

 となりまち八幡浜市に
「二宮忠八」という人物がいた。
この人はライト兄弟よりも早く、「玉虫型飛行機」を発明した人物として知られている。

「鳥のように大空を飛びたい。」
というあこがれは昔から人間が描いてきた夢の一つ。
「人には、飛びたい理由がある。」のだ。

 今回のエントリーチームの中に、仙台市にある東北大学のチームがあった。
このチームも3・11東日本大震災で大きな被害を受け、
出場をあきらめることも考えていたという。
 しかし、たくさんの人たちの支えにより出場できた。
機体には、そんな人たちの夢と応援メッセージがはられていた。

 ペダルをこぐパイロットには、小型カメラが設置され
その様子が一部始終わかる。
 いよいよ離陸。順調に飛び立った。
 3キロを超したあたりから風にあおられ、
機体が大きく旋回し始め、岸に向かって飛び始めた。
伸びた記録が、マイナスになっていく。

 パイロットの大学生は、必死で方向転換しようとするが戻らない。
機体が水面に下降し、万事休す。
 しかしここからがすごかった。
ボートから大きな声で応援する仲間。
岸では、多くの仲間が大応援をしている。
それに応えようとするパイロット。

 機体は、みごと方向修正し、記録を伸ばし始めた。
5キロ・6キロ。信じられない距離。
 そんな中、再びピンチが訪れる。
ペダルをこぐパイロットの足が、疲労でつり始めた。
痛みをこらえながら、片足1本でがんばっている。
ものすごい形相で、気合いの声をあげがんばっている。

 彼にとっては、
「飛びたい理由がある。」というよりも
「飛ばなければならない理由がある。」のだ。
多くの人たちの期待と夢を一身に受けている。
 機体は、水面すれすれに落ち、
しかし再び浮き上がるのくりかえし。
そして何と8キロを超えた。

 胸がドキドキした。
胸が痛くなった。
私まで祈るような気持ちだった。

 ついに着水。
パイロットの青年には、携帯酸素マスクがかけられた。
自力では、ボートにあがれないほどの疲れきった様子。
我を取り戻した青年は、ボートの上で泣きじゃくった。

「人には、やらなければならない理由がある。」
「よし、自分もがんばろう。」
そんな力がわいてきた。
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「大洲青少年交流の家」合宿

2011-08-20 | ブログ
 お盆が過ぎたとは言えまだまだ猛暑が続く。
そんな中、18日・19日に四国最西端の三崎中学校ソフトテニス部は夏合宿を行った。

 国立大洲青少年交流の家がある大洲市は盆地で、
たびたび気温の高さでテレビなどでとりあげられる。

 熱中症対策のため、大きな水分補給タンクと塩飴の準備はバッチリ。
1日6時間の基本練習とパターン練習。
「試合のための練習」を意識して行った。
水を飲んでも飲んでもすぐに汗となり出ていく感じがした。
20~30分に1回の給水と時々塩飴の繰り返し。
たぶん一人につき1日5リットルの水は飲んだだろう。
これは、500ミリリットルのペットボトル10本分。
「人は水がなければ生きていけない」
ということを改めて感じた。

 佐田岬の田舎の子どもたちはよくがんばった。
中学生のときのこの汗は、きっと一生の力と思い出になると思う。

     岬人(はなんちゅう)
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