喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

梅雨の晴れ間

2014-06-07 | 喜久家の情報
 梅雨入り早々、昨日まで全国各地に記録的な大雨が降った。

こちら愛媛佐田岬半島もかなりの雨。夜には雷も。

 たらふく降った後、昨日から雨が上がり、太陽が顔をのぞかせた。

雨上がりの景色はきれい。

空気中のちりも落とし、緑の汚れも洗い落とし、おまけに鼻につくほどの雨上がりの香り。

命がわきたつような。

 写真は、夕方のそんな1枚。

いつものようにお気に入りの釜木湾をのぞむ。

 いい景色だ。



                      岬人(はなんちゅう)

 

名児耶君の旅立ち

2014-06-06 | 喜久家の情報
 今日、喜久家の仲間、名児耶君が北九州へ旅立つ。
東京出身の彼にとっては新しい生活の場となる。

 三崎から大分県佐賀関へフェリーで渡り、
ヒッチハイクで北九州をめざすとのこと。

 何とも若者らしく、
実におもしろい。

 名児耶君の旅立ちにエールを送る。




                               「写真はシーロンの送別会」


                   岬人(はなんちゅう)

喜久家の仲間、名児耶君

2014-06-05 | 喜久家の情報
 昨夜、東京出身の名児耶君と橋本おやじさんといっしょに飲んだ。
名児耶君は、初めて喜久家ボランティアとしてやって来てから3度目となる。
ただし今回は、アルバイトとして、3月から来てくれている。


                            (写真は、5月中旬のシーロンの送別会)

 早いもので、喜久家国際ワークキャンプをはさんで3ヶ月経つ。
特にネパール出身のシーロンとは長く生活し、親友となった。

 人手不足の時期に力仕事をがんばってくれ、特に良あんちゃんから喜ばれた。
名児耶君がいなかったらこの収穫時期、どうなっていたことやら。
来年もぜひ来てほしいとお願いしていた。
期待されることがここにはある。

 平礒、喜久家を愛してくれる名児耶君。
うれしいことだ。
 明日、北九州へ旅立ち、しばらくゲストハウスで働くようだ。
これからの活躍を願っている。

                     岬人(はなんちゅう)
 
 

 

 

東京で喜久家の集まり

2014-05-27 | 喜久家の情報


 喜久家は今、シーロンが出発してから名児耶くん一人。
名児耶くんもあと10日後に旅立つ。

 1年を通して、さまざまな若者たちがここを訪れ、そして旅立って行く。
そんなことがもう7年続いている。

 喜久家がスタートした最初のボランティアである純子ちゃんは、
今フィリピンで語学の勉強をしている。
人生に前向きなすごい若者たちがいっぱい。


 今日から弟が東京に仕事で行くことになっている。
そこで東京周辺に住むかつての喜久家メンバーに連絡をとり、28日(水)に集まることになったらしい。
社会人となり働いているメンバーも多い。
あまりに直前でありながら、7年前からのメンバーがたくさん集まる。
東京喜久家会だ。


 中には、1時間30分かけて。
または予定をキャンセルして集まるメンバーもいるとか。
すごいことだ。

 活動した期間が違うため、実際に会ったこともないメンバーも多い。
それなのに喜久家という合い言葉のもと、弟の声かけのもと集まるのだからすごい。
 さぞ、いろいろな話に花が咲くことだろう。



 細々と続いている喜久家プロジェクトだが、
関わった人たちにとっては忘れられない活動と時間となっている。

 喜久家プロジェクトには、夢がある。
言いかえるとふるさと平礒には、夢がある。


                      岬人(はなんちゅう)




気になる シーロン  ~CELON SHERCHAN~ 

2014-05-24 | 喜久家の情報
 気になる喜久家ボランティアがいる。
ネパール出身のシロン。

 3月1日から喜久家ボランティアとして活動してくれた。
そしてちょうど1週間前の5月17日(土)に旅立っていった。

 ずっといっしょに生活してきた東京出身の名児耶(なごや)くんといっしょに、
3月の喜久家国際ワークキャンプのメンバーであったベトナム出身のミンに会うために別府へ。

 ワークキャンプが終わった後もメンバーどうしで、こんなつながりが続くことはとてもうれしい。

 ミンに再会した後、シロンは、ぜひヒッチハイクをして東京へ行きたいと言っていた。
実におもしろい。

 世界から集まってくる若者たちに、いろんなことを気づかせてもらえる。
ひと昔前なら日本人の中にもヒッチハイクする若者はいたが、今ではそんな考えや勇気をもつ人はほとんどいない。
逆に車に乗せてくれる日本人も外国人と言うことで警戒する人も増えているだろう。
 そう考えるとシロンの東京へのヒッチハイクはどうなることやら。

 でもそんな勇気ある一歩がうらやましい。
そして爽快。

 出発前夜、良あんちゃんもいっしょにわが家でいっしょに飲んだ。
そしてあるプレゼントをした。





「シロン、ヒッチハイクで日本人から警戒されないよう、このジャンパーをプレゼントするよ。
きっとこのジャンパーが夢をかなえてくれるよ。」



 あれからシロンと連絡がとれていないが、
「幸せの青いジャンパー」となってほしい。

              岬人(はなんちゅう)
 

喜久家ボランティア  ~帰って来た愛ちゃん~

2014-01-23 | 喜久家の情報
 昨年の4月下旬から5月下旬までの1ヶ月間、喜久家ボランティアとして活動してくれた早川愛ちゃん。
テレビ番組ふるさと絶賛バラエティー「いーよ」に出演するなど大活躍。

 愛ちゃんは、将来教員をめざしている大学3回生。
もっとさまざまな経験を積み、幅広い人間性を育てたいということで1年間の休学を行った。
その始まりが喜久家プロジェクトだった。
 その後、栃木県、福岡県でのワークキャンプを終え、
昨年末からはタイへ渡り、多くの学びを手にして帰国。
 そして千葉へ帰る途中に、原点となった愛媛県伊方町平礒へ寄ってくれたのだ。
本当に、うれしくて、うれしくて。

 19日から今日23日までいて、柑橘の選果作業の手伝いをしてくれた。
その後の話を聞きたくて、多くの質問をした。
 なかでも聞きたかったことは、
「この1年間でどんなことが変わった?」
ということ。

 すると愛ちゃんは、素直に答えてくれた。
「たくさんのいろいろな出会いがありました。
それが私の1番の宝物。自分の知らなかった新しい自分に出会えるきっかけになりました。」

 年末のタイからのレポートで次のようなことを感じていた。
「去年の今はまだ、まさか自分がこんな1年を過ごすことになろうとは思ってもみなくて、ただもやもやしていて漠然と不安でしたが。

 居心地のいい場所を飛び出してよかったなって思います。
嬉しいことに、帰れる場所が増えたんだもの。

そして、私はなんにも知らないんだなーって実感。

 いろんな場所でいろんな人がいろんな問題に向き合っていて、全部が同時にすっきり解決することなんてないんだろうけど。
それを考えると果てしないんだけど。
それでも自分にできることをやるしかないし、実際やってる人たちがいる。
 私に何ができるかはわからないけど、その気づきは大切にしたいなと思います。
出会った人たち、支えてくれた人たち、みんなに感謝です。

 全部の出来事を忘れないなんて無理だけど、きっと私のなかに蓄積されてるはず。」


 これほど変われるものなのか。
田舎には、農業には、ボランティアには、たくさんの可能性が秘められている。

 昨晩は、最後の夜。
娘たちもお世話になった愛姉ちゃんにあいさつ。
その姿をしっかりと脳裏に焼きつけたことだろう。
この子たちにも未来への種をまいてくれた。

 

 弟にも。



 そして私にも。



 今日の昼1時。
三崎発の伊予鉄バスに乗り千葉へ向けて帰って行った。
もしかしたら新しい旅立ちかもしれない。

 バスの中から笑顔で手を振る愛ちゃんを弟いっしょに見送った。
やはり寂しさがこみ上げてきたが、ぐっとこらえて手を振った。
「行ってらっしゃい。」


                  岬人(はなんちゅう)

台風一過の佐田岬

2013-09-05 | 喜久家の情報
 台風一過。
こちら四国最西端の佐田岬は、ぬけるような青空。
そして空が高ーーーい。


      「昨年の9月の写真、平礒の小径」

 昨日の台風は雨台風で、柑橘にとって恵みの雨となった。
しかし全国各地では、その雨が大きな被害をもたらし、
それを考えると喜んでばかりはいられない。

 こちらが、そんな状況ということは、なかなか全国のニュースではわからない。
そんななか、今年3月の国際ワークキャンプで活動してくれた尾崎涼子ちゃんから
昨夜メールが届いた。
「今四国で大雨被害がすごいようですが、みなさん大丈夫ですか?
ニュースで八幡浜市で浸水があったのを見ました。気をつけてください。」


      「昨年の9月の写真、釜木湾」

 うれしいメール。
離れた東京から伊方町のことを気にしてくれている。
こんなつながりができたこと。
そしてそれがつながっていることに、喜びがこみ上げてくる。

 涼子ちゃんには、次のように返信。
「ご存じ平礒は、斜面なので浸水はなし。
山崩れの心配はありますが、小さな石が崩れたり、枝が折れていたりした程度。 
今回の雨で、水不足も解消し、恵みの雨となりました。 
 柑橘は、今碧い実をつけています。
秋が深まるとともに色づいていきます。」

 すると涼子ちゃんから返事が先ほどあった。
「平磯ではそんなに大きい被害がないようでよかったです(*^^*)安心しました。
もう柑橘がなりはじめているんですね!」


      「昨年の9月の写真、喜久家」

 ふり返る場所があることは、幸せ。
そこは、自分の思い出がつまった場所。
一生懸命に生きた場所。
 そんな伊方町、平礒にしていきたい。

喜久家ボランティア 名児邪滋生 君

2012-06-18 | 喜久家の情報


 5月の連休が終わり、喜久家に新しい若者ボランティアが入ってきた。
東京生まれの東京育ち、名児邪滋生(なごやしげゆき)君。

 香りに興味があり、将来はそんな仕事がしたいと語ってくれた。
 
 平礒喜久家の印象は?と聞いたところ、
夜が静かで、真っ暗で驚いていますとの返事。
もしかしたらこの不便さ、不自由さ、自然さが彼を大きくゆさぶることになるかもしれないと思った。
 体格はそんなに大きくないのに、本当によく活動してくれた。

 昨夜は、出発前夜ということで、橋本さんもかけつけてくれ、
得意の料理に腕をふるってくれた。

 1ヶ月半の感動はどうだった?と聞いた。
「お母さんやお父さん、洋海さんや長武さん、みんなから
よく働いてくれて助かるって言われることがとてもうれしかったです。
今までたくさんの人からそんなふうに言われたことがなかったので。」
と、喜びの声を返してくれた。
 聞いていて本当にうれしかった。

 そして何度となく
「また帰ってきます。」
と生き生きとした顔でこたえてくれた。
 その顔を見て、うれしくてたまらなくなった。

 

 ふるさと平礒は、名児邪くんからとっても大きな元気をもらった。
再会を楽しみにしている。

 いってらっしゃい。

                 岬人

平礒のホームステイ

2012-03-23 | 喜久家の情報
 現在喜久家ではイタリアトリノ出身のフェデリカが活動してくれている。
たった一人だけの生活。
つい先日までは6人でのワークキャンプだったのに。

 心細いことは多いようだが、
初めての一人暮らしをがんばっている。

 作業もとってもまじめで、助かっている。
そんな彼女を私の両親も気にかけていて、大切に思っている。

 昨夜は、我が実家に招待し、夕ご飯をいっしょに食べていた。
そして何とその夕食を作っていたのは、弟だった。
大根料理だったが、日本料理を20年ほどしていたので、味はとてもいい。

 食事中に、
「今晩は泊まっていくといい。」
ということになり、ホームステイすることになった。
フェデリカもうれしそうだった。

 喜久家の若者ボランティアのおかげで
平礒が明るい。

喜久家 IN 松山

2012-03-18 | 喜久家の情報
16日金曜日の夜。
三崎中学校では卒業式があり、その謝恩会を松田旅館で行っていたころ、
松山では喜久家に関係する仲間の飲み会があった。

 1昨年の喜久家国際ワークキャンプのリーダー、鈴木恭平君が卒業を前に帰ってきた。
彼はもう何度目になるだろう。5度目?
それくらい平礒や喜久家のことを大切に思ってくれている。
「若者・よそ者・ばか者」だ。
こんな人たちが地域を元気にしていく。

 鈴木君は、今回平礒に帰る前に、
松山にいる3人の女性仲間と会うことにしていたようだ。
しずかちゃん・ゆめちゃん・まりちゃんだ。
彼女たちもまた鈴木君といっしょに2年前のワークキャンプに参加してくれた後、
ずっと平礒や喜久家を大切にしてくれている。

 そんな集まりがあるということで弟やYGPの浜田君、
そして喜久家プロジェクトに興味ある新しい若者も参加して、
かなり盛りあがったようだ。

 喜久家プロジェクトが始まって5年目。
こんな集まりがあちこちで開かれることは、本当にうれしいことだ。

喜久家お別れ会

2012-03-15 | 喜久家の情報
 今日、喜久家を旅立った若者たちがいる。
大阪の千晶ちゃん、韓国のミナ、フランスのゾエ。
昨夜のお別れ会のために急きょ松山からかけつけてくれた南ちゃんも、そのお供をする。
明日は、ドイツのヘンドリックとアメリカのリタも出発。
 私は仕事のため見送りには行けないのが残念。

 毎年のことながら、別れは悲しい。
わずか2週間の出会いなのに、一生のつながりができそうなくらい深く心に残る。
日常に返れる安心感ともっと一緒にいたいという思いが入りまじることだろう。

 昨夜は、国際ワークキャンプメンバー最後の夜。
一緒に汗を流し、語り合った受け入れ農家のみなさんも集まった。
少し緊張していた2週間前とはまったくちがう表情。
大佐田の木野本さんが、笑いの渦に引きこんでいく。 
二名津の村市君は、おだやかに若者たちの声に耳をかたむける。
いいなー。この雰囲気。

 最後にこの2週間のスライドショーを観る。
笑いあり、涙あり。
千晶ちゃんの涙にもらい泣き。

 時計は真夜中12時を過ぎた。
お別れの時だ。
みんなが見送ってくれるなか、
最後のあいさつをかわし、かたい握手をする。

 若者たちのこの手が地域に元気を与えてくれた。
ありがとう。
また会おう。

 行ってらっしゃい。

喜久家交流会

2012-03-10 | 喜久家の情報
 釜木の方角から朝日がまぶしくリビングにさしこんでくる。
今日は久しぶりにいい天気。
 
 朝食をすませ、お気に入りの朝風呂に入る。
 ゆったりとつかって耳を澄ませていると、
鳥の鳴き声がにぎやかに聞こえてくる。
なかに鴬の鳴き声も聞こえ、暖かい春がもうすぐそこまで来ていることを感じた。

 昼間は、現在開かれている喜久家国際ワークキャンプのメンバーを連れて、
岬巡りに出かける。
リニューアルオープンした二名津の田村菓子舗にも寄ってみようと思う。

 夕方6時からは、喜久家交流会を開く。
平礒内の若者やそれ以外のところからもさまざまな方が来てくれることになっている。
おそらく20人を超えると思われる。

 楽しい1日になりそうだ。

 ちょうど今、息子が同級生3人といっしょに亀の首という場所に探検に出かけた。
どうやらツリーハウスを作るのが目標らしい。
なかなかおもしろいことを考える子たちだ。
大人は、ただやさしく見守るだけだ。

                        岬人

 

「のんびり、ゆったり路線バスの旅」 の反響

2012-03-08 | 喜久家の情報
 2月25日(土)、NHK総合番組「のんびり、ゆったり路線バスの旅」の舞台が
佐田岬半島だった。
 俳優の平岳大さんが岬めぐりの路線バスに乗り、
さまざまな出会いと体験をするというもの。

 そのなかの一つに平礒がとりあげられ、
喜久家ボランティアのアメリカのリタとドイツのフレデリック、代表浅野洋海と
交流を深めた。

 平礒に初めてNHKが取材に入った歴史的できごとだった。
全国放送だったため、放送を見たという人も多く、
ごていねいになつかしくて、うれしくてという気持ちで連絡をしてくれた人もいた。

 そして昨日、名古屋の50歳後半のご夫婦から
「会社のリフレッシュ休暇を使って、平礒で柑橘作業のお手伝いをさせてもらうことはできないでしょうか。」
という問い合わせがあった。

 交流人口を増やしていくことで、郷の新しいカタチをつくっていきたいと考えている。