僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

犬をめぐって

2006-03-26 | Weblog
犬が好きで、今も2匹飼っている友達家族がいる。
男女二人の子供はどちらも成人していて、まだ家にはいるものの、もう手がかかる年齢ではない。つい数日前、そこの今年成人式を
迎えた娘がちょっとしたヘマをやってしまった。それがあまりに微笑ましいので、その話をしようと思います。
2匹も飼っているのだから、家族は皆当然犬好きで、その娘もとても犬を可愛がっている。ある日、何気にペットショップへ立ち寄ったところ、そこに、押尾学がなんぼのもんじゃいの勢いで、その娘のハートを奪った犬がおったそうな。
そういうシュチュエーションに出くわした時、人生多くのものを捨ててきた大人たちであれば、欲しいなぁ…けどお金もないし、第一3匹も育てられへんしなぁ…みたいなことで諦める。
しかも彼女の場合は、犬を育てることはほとんど親任せの、「子供」の立場で考えないといけない訳で、欲しければ自分の考えより先に、親に相談するのが当然なのだが、
そこは何と言っても二十歳。親に相談したら反対されるに決まってるということだけは、年期をかけてきっちりと理解していた。ところがその娘、さすがに二十歳、正論ほど彼女達にとってつまらないものはない。「チッチキチー!」と言ったかどうかは知らないが、
とりあえず、買っちまえばこっちのものみたいなノリで、晴れてローンまで組んでその犬を買ってしまった。自分の部屋で育てれば親にばれずに飼えるはずだと、永○議員も真っ青な根拠のないルートの自信を振りかざし、自分への説得をあっと言う間に済ませて。色々な手続きがあって、その日は連れて帰れないということで、その犬が来るのを心待ちにしていたそんなある日、彼女の矢田亜希子感をいとも簡単に吹き飛ばす出来事が起きてしまった。犬より先に、家に血統書が届き、運悪く、というか、ものすごく当たり前にそれをお母さんが受け取ってしまったのだ。
当然お母さんは、???何これ???てなことになり、これまた当たり前にペットショップに電話。娘の悪行を知ることになった。
当然、これ以上犬を飼えるはずもないので、押尾には気の毒だが、即キャンセル。普段は、一円でも安くと値切り倒し、少々のことでは
ムダ金を払わないやり手お母さんも、手付金は戻りませんという店員にかるーくうなずき、はいそれでけっこうです。そこから先は想像に難くない。二十歳を過ぎたその娘は、まるで小学生のように両親にこっぴどく叱られ、そこはやはり、ワンワンと泣いて諦めたらしいこういう時よく聞く論評に「ちょっと考えたら分かるやろう」というのがある。
確かに、彼女は社会人で、昼間自分が家にいない訳やから、自分の部屋で親にバレずに飼うなんてことが無理なことはちょっと考えたら
分かるはず。でも、ちょっと考えれば分かりそうな間違いをするときは、得てして分かってしているものであり、ちょっと考えてホントに分からない人は人の道を外れていく人なのである。
つまり、彼女の場合、自分の部屋で親にバレずに飼える訳がないということはもちろん分かっていた。でも飼っているのがバレた時、自分の両親ならきっと育ててくれるだろうという、両親に対する絶対の信頼感が、彼女を“ちょっと考えさせた”のだと思う。彼女のシュミレーションはこうだ。
犬をこっそり連れて帰り、一夜を過ごす。・・・ここまではノープロブレム。
さて翌朝、犬を部屋に置いて会社に行かなければならない。どうしよう?そうだ、お母さんには「私がでかけている間、決して部屋を覗かないで下さい」と言っておけばいい!鶴の恩返しを読んでくれたお母さんなら約束を守ってくれるはずだ。万が一お母さんが部屋を空けて犬を発見したとしても、2匹が3匹になったくらいじゃ分からないに決まってる。

「あらー、今日はどうしたの?いつもと顔つきが違うじゃなーい」
「しかも、小さくなったみたいね、色も違って見えるし・・・」
「あら、3匹いるように見えるわ、最近ほんと目が悪くなって、やーねー」
そして・・・・・「え゛ーーーーー!!」という内場の叫び。とまぁ、こんなとこ。で、こうなってしまえばお母さんは犬を手放すなんてことは絶対にしないので「こっちのもん」なのである。少々叱られようが、犬のウンチ片付け専門係りに任命されようが、「大成功」というドッキリカメラのプラカードを心の中で掲げて済ませるつもりだったんだろう。
「家族」は一緒に暮らしている。そこに「ある」ものは、全て家族のものだ。
親、時計、冷蔵庫、嘘、秘密、愛、裏切り、我儘、虫、お化け、先祖、かじりかけのパン、文化らしきもの、シロアリ、甘え、犬のウンコ、1円玉、コンドーム…そのすべては言葉になり、呼吸し、嫌でも家族に触れてくる。家族の中では、淋しさや悲しさも皆の「持ち物」なので、時には、それを自ら求めることさえ許される。

家族は正論ではない。狂おしいまでに求め合い与え合い、
信頼であれ裏切りであれ、幸せであれ不幸であれ、それを皆で味わい尽くすまで
決して離れない、矛盾だらけの生きる構造体なのだ。彼女はブランド商品を欲しがったのではなく、一緒に生きてゆく「命」を欲しがった。その点には「心の豊かさ」を感じる。がしかし彼女の行動はやはり我がままだ。だから家族はそれを通してはいけない。
でも、その我がままが息づくのが家族なのである。
家族は本当に難しく、そして楽しい。だからこそ、俺はこの家族を心から尊敬したい、そう思うのだ。