僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

子供の成る木

2008-04-17 | Weblog

今週の月曜日から水曜日まで茨城県に出張に行ってきました。

茨城県は農地占有面積が日本一というなんとものどかな田園地帯。
平野がほとんどで同じような風景が続き、目印になりそうなものもほとんどないの
で、初めてこの地を訪れた人が目的地に辿り着くにはかなり苦労するらしい。

そんな茨城県の、取手という駅から県庁所在地である水戸へJRで移動中のこと。
何気なく車窓から外を見ていたら、ものすごく大きな木が見えた。
最初は大きい木やなぁ、と思ってただけやったんやけど、よく見るとその枝(といっ
ても直径30センチくらいはありそう)は上下に大きく揺れていて、その先に何か大
きな実がなっているように見える。うん?と思ってなお目を凝らしていると、なんと
それは二人の小学生くらいの子供たちだった。枝が大きく揺れていたのは、この
子たちが、その太い枝の先に登り、枝のしなりを利用してシーソーを楽しんでいた
からだったのだ。でもいくら太い枝とはいえ、枝のある位置はおよそ地上3メート
ルくらいはありそう。下は草地やけど、もし折れて落ちたらかなりの怪我はする
やろう。
それでも、何の根拠もないんやけど、この子たちとこの大きな木を見ていたその
時の俺には、この木の枝は「絶対折れない」という確信のようなものがあった。

それは、この時はなんというんやろう、「木の思いやり」があるような気がしたんや
ね。大自然に抱かれてこんなに元気に遊ぶ子供たちを"俺は"絶対に怪我させたり
しない、というなんか木の意志のようなものがあるような気がしたのよ。

昨今はとにかく訳の分からない事件があちこちで起こって、安心して子供を外で
遊ばせることもできないという時代。子供たちもそんな背景の中、暗くなるまで
外で遊ぶ子供はほとんどいないと聞く。
そんな殺伐とした時代に見かけた巨木と子供たちの大いなる自然に、なんか涙が
でるほど感動してしまった。

科学以外のものは99%信じない俺やけど、逆にいえば科学以外のものも、1%は
信じることがあるということ。

茨城には木の神様がいるんだね。