先月末、仕事で車を運転中、事故にあってしまった。
相手のわき見による不注意でこちらに非はなかったんやけど、同乗者と
俺が軽い怪我をする、というまぁまぁ大きな事故やった。それでも怪我は
大したことないし、相手は誠意のある人できちんとしておられるので、な
んとか人身扱いにはせず物損事故で済ませてあげることができそうな感
じや。
まぁ、それはそれでええんやけど、今回俺が書きたいのは事故直後の
被害者心理について。
その時運転していたのは俺。自分でいうのもおこがましいが、自他共に
認める運転上手なので、基本的に俺が安心してまかせられる、と思う運
転者がいない限り、俺が運転することが多い。
その時は他に3名の同乗者がいたが、1名は外部スタッフで、あと2名は
俺がまかせられない、と判断した2人やった。
ところが、その事故で俺は右腕を強打したため腕が痛く、仕方なく残った
2人に運転を代わってくれ(事故代車)、と頼んだんやけど、その時の2人
の反応がこうや。
「いやいや、こんな事故にあった後怖くて車なんかよう運転しません」
俺は例によって、「ふーん」やったね。気持ちは分からんことないし、何も
責めるつもりもないけど、俺は極端な確率重視論者なので、今まで免許
をとって30年以上、こんな大きな事故に合ったことがなかった訳やから、
今日こんなことがあったら、もう2度と起こらんやろう、というふうに考える
から。
結局安心してまかせられない彼らにそんな不安な気持ちで運転させるぐ
らいなら、腕が痛くても俺が運転したほうがよっぽどマシや、と思ってまた
続けて代車を運転して帰ることになった訳やけど、俺はその確率重視論か
ら、恐怖心なんていうのは全くと言っていいほどなく、いつも通りに運転し
ていた。
同じ考え方では、阪神大震災の後もそう。あんな大地震、俺が生きてる間
にもう一度くる確率なんて、ほとんどないやろうと考えるので、逆に地震は
もうこない、という安心感を持ぅている。ただ、これは俺1人の問題やないの
で、最小限の家の防災対策はしてるけどね。
転ばぬ先の杖、というが、俺は1度転んだことがあっても、2度転ぶ確率の
低いところでは、杖をつこうという気になれない。もしそれで転んだら、それ
はその時。起こり得る確率が極端に低いことに用心したり怯えたりして、
無事な時間を楽しく過ごせない、というのでは、人生豊かでないと思うのだ
が、どんなもんなんでしょうねぇ。