山岸俊男さんの「安心社会から信頼社会へ」には、確かこうあったと思う。
『我々が信頼だと思い込んでいるものは、じつは不確実性の小さい関係内での「安心」なのだ』と。
「卑弥呼を信頼していたわけではないけれど、卑弥呼と聞いて安心した」のかも知れない。
バカバカしい騒動の中にも、学ぶべきことはある。
『我々が信頼だと思い込んでいるものは、じつは不確実性の小さい関係内での「安心」なのだ』と。
「卑弥呼を信頼していたわけではないけれど、卑弥呼と聞いて安心した」のかも知れない。
バカバカしい騒動の中にも、学ぶべきことはある。