僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

2012-03-26 | Weblog
「言葉はその生成において、最も根源的であるのに、なぜかものごとの皮相な部分をしか捉えようとしていない」とは、大岡信さんの持論である。

昨年の漢字に選ばれてから、「絆」という言葉をよく目に耳にする。私の仕事においても、キーワードは「絆」、という案件がいくつかある。

でも、まさしく大岡さんの言われる通り、「絆」という言葉が皆の共通認識として世に認められた時、すでにその根源的な意味は失われていて、絆を表現するために、絆という言葉を使おうものなら、それはもう表現ではなくなっている。

先日、いきつけのライブハウスの仲間たちのライブがあった。私たちもゲスト出演させてもらったのだが、大雨の中、交通の便の悪い場所で開催されたライブには満員のお客さんが来てくれた。音響トラブル等で決して条件的にも恵まれなかったのに、最後はアンコールでとても盛り上がった。

別に皆、絆を意識していたわけではないはずだ。音楽好きの仲間が集まるから行く。皆それだけで楽しいから。それ以外に理由などないだろう。でも、そこには確かに絆があった。

絆に花は咲かない。絆は高く伸びる幹も持たない。ただただ、その根を深く広く伸ばし、私たちは水や土としてそこで繋がる。

咲くこともなく、枯れることもない命。それが絆だと思う。