通勤帰りの駅前、マイク(拡声機)から聞こえてきたのはこんな声だった。
「難病の○○ちゃんを救うための募金をお願いしま~す」
まず初めに、私は絶対に信用できて、自分自身に必然性を感じない限り、募金はしない主義である、ということをお伝えした上で、次の話である。
今回の募金は、“それが本当なら”可哀そうだと思う。我が子・孫に例えて考えると、なんとかして救ってやりたい、と思うのが人情だし。でも、私がそれより先に感じたのは、ヘッドセットというのか、DJがよく使っているようなマイクをつけて、募金をお願いとはなんやねん!ということである。
尊い命を救うための募金活動。必死であるはずだし、必死になれる人にしかやる資格がない。でも拡声機はまず「小さな声」でのアナウンスを可能にしてしまう。大きな声を出せば必死だということは成立しない場合もあるだろうが、必死になれば大きな声になる、ということはほぼ成立する条件だろう。それを考えると、「小さな声でアナウンス」することを選んだ時点でそこに必死さが感じられないし、連鎖的に信用性も感じられなくなるのはごく自然なことだ。
皆苦労して必死に生きている。募金は、そんな人たちからお金を集めようとする行為である。悪いと言っているのではない。それだけの覚悟と努力をしろ、ということだ。
「そんなバカな募金ならやめてしまえ」と拡声機を使って言ってやりたい。
「難病の○○ちゃんを救うための募金をお願いしま~す」
まず初めに、私は絶対に信用できて、自分自身に必然性を感じない限り、募金はしない主義である、ということをお伝えした上で、次の話である。
今回の募金は、“それが本当なら”可哀そうだと思う。我が子・孫に例えて考えると、なんとかして救ってやりたい、と思うのが人情だし。でも、私がそれより先に感じたのは、ヘッドセットというのか、DJがよく使っているようなマイクをつけて、募金をお願いとはなんやねん!ということである。
尊い命を救うための募金活動。必死であるはずだし、必死になれる人にしかやる資格がない。でも拡声機はまず「小さな声」でのアナウンスを可能にしてしまう。大きな声を出せば必死だということは成立しない場合もあるだろうが、必死になれば大きな声になる、ということはほぼ成立する条件だろう。それを考えると、「小さな声でアナウンス」することを選んだ時点でそこに必死さが感じられないし、連鎖的に信用性も感じられなくなるのはごく自然なことだ。
皆苦労して必死に生きている。募金は、そんな人たちからお金を集めようとする行為である。悪いと言っているのではない。それだけの覚悟と努力をしろ、ということだ。
「そんなバカな募金ならやめてしまえ」と拡声機を使って言ってやりたい。