僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

自分を選択

2012-06-22 | Weblog
人生の岐路に立ったり、大きな問題を抱えた時はいつも頼りにさせていただいている大先輩がいる。

その方は、まず、状況を把握する洞察力が驚異的で、ある程度話をさせていただいた時点でほぼ100%近く、こちらの状況を把握しておられる。そして恐ろしく早い頭の回転で、今何をするべきかと、将来を見据えて何をするべきかを同時にご教授くださるのである。
そして何より驚くべきは、今まで何度となく相談させてもらった中で、アドバイスに従って行動してうまくいかなかったことがただの一度もないことだ。もちろん強制など一切されないから、最終的な責任は当然私がとらなければいけないようにしてくださっている。
最近も、ひとつ相談をさせていただいたが、アドバイスを聞いたとたん、目の前がパッと開け、自分の歩むべき道がはっきり見えるくらいに問題が解決した。

まったく、ここまでその人の教え通り動いて何もかもがうまくいったら、オウムの高橋容疑者が今だに麻原を信じている、という心境がわからなくもないな、なんて思えてくる。

私には、「人を、いくらどんなに頼りにして信頼していても、最後は自分しか信じない。どんな時も冷徹でいる」という信念があるから、おかしい、と思うことを信じたり、そういう人についていったりすることが絶対にないが、それができない人は、きっとそのまま、わけの分からない宗教にでも陶酔してしまうのだろう。

この先輩も、自分しか信じていないだろうし、そういう人の相談しか、受けておられないはずである。
自分に陶酔するか、他人に陶酔するか。前者以外の答えなんかあるはずがないのに、どうしてこんな単純な選択を間違える人がいるのか。

問題の最初の岐路で、自分を選ぶ。人を頼るのはそれからだと思う。