昨年母が死去してから、ブログを書いていなかった。
今思うと、母がいなくなったことで、考えさせらることが多すぎて、きっとブログどころではなかったんだろう。
先日五七日が終わり、今月末には四十九日も終わる。仏教の世界では、四十九日を境に、まだこの世にいた魂があの世へ行くのだと言う。特に信心が深いわけでもない私だが、四十九日と言うのは、ひとつの区切りとして、悲しみを乗り越えてきた残された人たちが、これから頑張っていこうと思えるようにあるのです、という僧侶の言葉になんとなく納得させられて(嫌なのではなく)、やっと新年がきたような気持ちになれつつある。
それでも何かにつけ寂しさを感じることが多くなっていて困る。
今までは「ああ仕方ないな」程度にしか思わなかったのに、「何かがこの世から消える」ということがやたら寂しい。
遠い存在では、三宅久一さんや大島渚さんの死、身近な話では、子供の頃からずっとあったおまんじゅう屋さんの閉店、いつもライブをさせてもらっていたライブハウスの閉鎖など。
「いかに生きていかに死ぬか」
これから生涯かけてこの大問題と取り組んでいかなければならないのに、こんな精神状態でどうするのかね。
まぁ、これも「仏心」ってやつということで、もうしばらくは無理せずにいようと思う今日この頃であります。
今思うと、母がいなくなったことで、考えさせらることが多すぎて、きっとブログどころではなかったんだろう。
先日五七日が終わり、今月末には四十九日も終わる。仏教の世界では、四十九日を境に、まだこの世にいた魂があの世へ行くのだと言う。特に信心が深いわけでもない私だが、四十九日と言うのは、ひとつの区切りとして、悲しみを乗り越えてきた残された人たちが、これから頑張っていこうと思えるようにあるのです、という僧侶の言葉になんとなく納得させられて(嫌なのではなく)、やっと新年がきたような気持ちになれつつある。
それでも何かにつけ寂しさを感じることが多くなっていて困る。
今までは「ああ仕方ないな」程度にしか思わなかったのに、「何かがこの世から消える」ということがやたら寂しい。
遠い存在では、三宅久一さんや大島渚さんの死、身近な話では、子供の頃からずっとあったおまんじゅう屋さんの閉店、いつもライブをさせてもらっていたライブハウスの閉鎖など。
「いかに生きていかに死ぬか」
これから生涯かけてこの大問題と取り組んでいかなければならないのに、こんな精神状態でどうするのかね。
まぁ、これも「仏心」ってやつということで、もうしばらくは無理せずにいようと思う今日この頃であります。