僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

父親にしかできないこと

2015-01-26 | Weblog
「お父さんも一緒に写ります」

なんかこれに近いコピーを見た覚えがある。
商品は確かカメラ(スチルかビデオか不明)だった。

今流行の自分撮りに近い機能があるんだろう。
でも、私はこういうのがとても嫌いである。
「その行為の大切さ」が何も分かっていない、単なるおせっかいだと思うからだ。

昔の家族写真には必ずと言っていいほど、父親が写っていなかった。
でも、被写体である私たちはそれを見て、「写ってはいないが撮ってくれている父親」を考えることができたのだ。

カメラを持つ父を見る。お父さんは写りたくないのかなぁと考える。
その目はその思いを宿し、レンズを通して写り込む。
カメラを自分に変わろうとすると、お父さんは笑いながら断る。
またその表情がカメラに写る。
写真に写っていないもの、ひいては、そこに現れていないものを想像して思いを馳せること。それがどれだけ豊かで素晴らしいことか。

父親とは決して写真の中にいる人ではなく、写真の外にいる人。
写真の中にいる人を守り幸せにしてあげる人。

写真は、父親の仕事・役割とはどういうものかを黙って教えてくれていた。
父親も一緒に写ることができたら、そんな大切なものが全てなくなってしまうのである。

私も父親だが、私以外の家族を撮るのが自分の仕事だと思っているし、どうしても全員で写る必要があるときには、三脚とタイマーを使う。なければ人に頼む。

「成長戦略」は便利なものをどんどん生み出していく。そして大切なものをどんどん忘れさせていく。

私ならこんなコピーの付いたカメラが欲しい。

「お父さんにしか撮れない写真が撮れます」



生きてるだけで

2015-01-26 | Weblog
音楽仲間が続いてこの世を去っている。
その中にはほぼ同年代の人もいる。

お一人は、なんども共演していただいた、素晴らしい個性と技術を持たれた夫婦バンドのご主人。
ほぼ同世代である。胃がんだったそうだ。
つい2か月前に共演させていただいた時には、ごく普通に元気で演奏していらしたのに、全く信じられない。
葬儀に参列した方に聞いたところによると、今までの中で一番の参列者数だったとのこと。
亡くなられたご本人にはもうどうにもなるものではないが、それはやはり残された家族の勲章であろうし、
友・知人の方々にしてもお付き合いをさせてもらっていたことが、なにものにも代えがたい感謝になったことだろう。

もうお一人は、お世話になっている、ライブハウスの通称「おかあさん」。
かなりのお年であったようだから、大往生だとは思うが、曲がった腰で甲斐甲斐しくおいしい料理を作ってくださった姿が忘れられない。

さらにもうお一人は、昔組んでいたバンドの応援団長。
この方は全くの同い年。急性白血病だったらしい。
バンドの旅行には一緒に来てくれ、ライブと言えば人を集めて応援に掛けつけてくれ、男前で男らしく人柄が良く…
しばらくお会いしてはいなかったが、きっと元気だと思っていたし、どう考えてもこんなに早く命を落とされる方だとは予想もできなかった。

皆さんのことは、ただただ残念でご冥福を祈ることしかできないが、せめて、これは故人が命を賭して残してくれた財産であると思わねば。

「生きてるだけで丸儲け」とはさんま師匠の名言だ。

納得できないことがあまりに多すぎるがこれもまた人生なんだろう。
とにかく今日も一日なんとか生きる。生きられたら感謝する。
しばらくはそれだけを考えて生きたい。

「死」はあまりにもむごくて正しい。
オチない文はとっても嫌いだが、たまにはそんなことがあってもいいだろう。