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今日、ふたつめの投稿です。ひとつ前もよろしく。
朝、蒲刈から大崎下島に行くだけの話なのにかなりひっぱっています。
とびしま街道の美しい景色を見ていただくためなのですが、豊島です。
バスのとおりは民家より上の畑を横切るように通っています。
ここからみる海も美しいです。
この日は、一日島にいてずっと写真を撮ってまわりたいような天気のよさでした。
大崎下島に到着して、腰と肩が痛いというお母さんの調整をしました。
そして昔話をいろいろと聞きました。
これは、聞かされたのではなくて、こちらが興味を持って質問したのです。
ひとつは無しが終わるとまた質問して聞く。この繰り返し。
こんな話、うちの息子は全然聞いてくれませんよと言われましたが、それ名なかなか興味深い話なのです。
戦時中は、兵隊さんに行く人は立花港から見送っていました。
大長のあたりから出る若丸という船で広島に向ったそうです。
50歳になる人が、家族を置いて兵隊に出るときに、この年で役に立てるかどうかわかりませんが行ってきます。
という挨拶してる情景が今でもしっかり焼きついているそうです。
そして、食べ物のない時代、学校でいもをふかして食べたそうです。
定期通信の試験というのがありまして、郵便局で働く試験ですね。
それを広島に受けに行く予定だったそうです。それが8月6日、原爆が投下された日でした。
その試験には行かなかったのです。行かなかったので今も生きているのですが、
どんな理由で行かなかったのかは聞かなかったのですが、生きる運命にあったのでしょう。
昔は、四国にものを売りに行く、また、買ってくるというので四国によく行っていたそうです。
その頃に海賊というものがよく出ていまして金品を奪われるのですが、それが、大浜の人は
力が強くて全然まけなかったそうで海賊がもう近づかないということになったそうです。
その目印に船の先にシュロの木をつけることで、海賊も近づかないことをしていたそうです。
仕事を終えて、いつものように大長まで行ってきます。
写真に見えている島は大崎下島からみる豊島です。たくさん住居がありますね。
ここの農協は品ぞろえがいいと人気のようです。
なぜ大長に向うかというと、写真をとる目的と両親に食べさせる魚を飼って帰るためです。
もともと人間の暮らしはそんなシンプルなものだったのでしょうね。
働く、それで食料を手に入れる。
それでは国際社会でやっていけませんよということで今のような時代になりました。
豊かになったのかどうなのか、疑問な点も多いですね。
整体院 身体均整 木村 のHP → ■
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