・・・昨夜はTVで「フランシスコ・ザビエル」を見たけれど・・・布教で使った「神(デウス)」が「大日(ダイニチ)=Dainichi」様・・・「盧遮那仏=Mahavairocana=Vairocana(ヴィローチャナ)」、「大日如来=Tathagata(mahaavairocana)」・・・「神」は「人間社会の倫理・道徳」なんでしょうッ・・・「心の中に存在する」のだから・・・「心の中=In the mind=in your heart=deep inside your heart」、「mindは脳で行われるthought」、「理性・精神・判断・感情」・・・「You will live in my heart and mind forever」・・・
↓
「win the heart of 」、
「合衆国独立宣言(1776年)」
"We hold these truths to be self-evident,
that all men are created equal,
that they are endowed
by their Creator(神)
with certain unalienable Rights,
that among these are
Life,
Liberty(自由) and
the pursuit of Happiness(幸福の追求)."」
「オバマさんの演説」
「". . . all are equal,
all are free,
and
all deserve a chance
to pursue
their full measure of happiness."
(スベテの人々(万人)は平等であり、
スベテの人々(万人)は自由であり、
スベテの人々(万人)は限度いっぱいの
幸福を追求する機会に値する)」
・・・たった「萬人=万人」・・・「2011年10月31日に世界人口が70億人に到達したと推計」されているのに・・・「太安万(萬)侶」に訊きたい・・・「万(萬)葉集」、「万(萬)葉仮名」ってのも、・・・「番人=つがいジン=対人」なんだろう・・・「ヤコブ」・・・
「We are a nation of
Christians
and
Muslims,
Jews and Hindus,
and
non-believers.
(われわれは
キリスト教徒と
イスラム教徒、
ユダヤ教徒と
ヒンドゥー教徒、
そして
非信仰者からなる国だ)」
・・・「仏教徒・多神教徒」が抜けている・・・そして「悪魔崇拝主義者」も・・・
↓
「それ如来の説法は必ず
文字による。
文字の所在は六塵其の体なり。
六塵の本は
法仏の
三密即ち是れなり。
(如来の説法は必ず文字によっている。
文字のあるところは、
六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)
の対象をその本体とする。
この六種の対象の本質は、
宇宙の真理としての
仏の身体・言語・意識の
三つの神秘的な働きこそがそれである」
「身口意業は虚空に徧じ、
如来の三密門
金剛一乗甚深教を演說す。
(大日如来が
身・口・意で起こす
三つの業は虚空に遍在し
、三つの業の秘密において
仏と平等の境地に
ひたる仏の教えを演説する)
↓
密教坊主の元祖(鼻祖)=空海=弘法大師
佐伯眞魚
さえきまお
サエキのサカナ
↓
ピューリタンの
丸刈り頭が
円頂党(Roundheads)
(round head=ラウンドヘッド)
円頂党(Roundheads)
イングランド内戦において
議会を支持した人々
円頭派とも
彼らは
議会派(Parliamentarians)とも呼ばれ、
絶対君主主義や
王権神授理論を標榜する
イングランド王
チャールズ1世と
その支持者である
王党派(騎士党)と敵対した
円頂党の政治的な目標は、
議会(立法府)による
行政組織の完全な支配を実現させること
↓
議会派に属する清教派の一部は
頭を短く刈り上げていたが、
この髪型は
ロンドン宮廷の男性たちに
流行していた
長い巻き髪とは対照的であった
このピューリタンの丸刈り頭が
円頂党(ラウンドヘッド)の語源
イングランド内戦最中と
そのしばらく後まで、
円頂党という言葉は
侮蔑的なニュアンスであった
このため、
議会派の率いる
ニュー・モデル軍
(New Model Army)では、
同僚の兵士を
「丸刈り頭(ラウンドヘッド=円頂党)」
と呼ぶと、罰が与えられた
これは
長髪の王党員(キャバリア)
王党派の呼び名である
騎士党(Cavaliers)
という語の扱われ方とは
異なっていた・・・
「ラウンドヘッド(Roundheads)は侮蔑、蔑称」である
↓
だが、
議会派である
清教徒(ピューリタン)から
「長髪の王党員」に対する、
「騎士党(Cavaliers・キャバリアス)」は
侮蔑のコトバであった
それは、
エリザベス1世女王治世下で
ネーデルラントの
プロテスタントを迫害していた
スペイン人の騎士(Caballeros)たちと
重ね合わせるために
議会派の用いた侮蔑の言葉だった
だが、
「王党派」はこれをよし、とした。
「円頂党=ラウンドヘッド(Roundheads)」
という言葉は、
1641年末に
主教制廃止法案(Bishops Exclusion Bill)
をめぐって議会が紛糾していた最中に、
ウェストミンスターで起きた暴動に際して
初めて侮蔑語として使用
暴動群衆について
「この者どもの中で
髪の毛を
耳より
長く伸ばしているものは
非常に少なく、
このため
ウェストミンスターでの騒ぎに
参加していた者たちのことを
丸刈り頭(ラウンドヘッド)」
と呼ぶようになった・・・
暴動にはロンドン市の
徒弟身分(Apprentice)の若者も参加しており、
ラウンドヘッド(丸刈り頭)というのは、
徒弟たちが
ギルドの規定に従って
短く刈った髪型を
蔑んで呼んだ言葉であった・・・
↓
クロムウェルの秘書官
ジョン・ラッシュワース(John Rushworth)
によれば、
「ラウンドヘッド(Roundheads)」
という言葉が
最初に用いられたのは
1641年12月27日
ウェストミンスターでの暴動鎮圧のために
現場に来たある士官が、
剣を抜いて
「主教に向かって
吠え回る
丸刈り頭のイヌどもの
喉をかっ切れ
( "cut the throat of those round-headed dogs
that bawled against bishops")」
と叫んだのが始まり・・・
ピューリタンの論客
リチャード・バクスター(Richard Baxter)は、
「ラウンドヘッド」
という言葉の発明者は
王妃ヘンリエッタ・マリアだとする
王妃は
1641年春の
初代ストラフォード伯爵
トマス・ウェントワースの裁判の際、
ストラフォード伯を陥れた
ジョン・ピムを指して、
「あの
丸刈り頭の男は誰か?」
と臣下に尋ねた・・・
チャールズ2世の
首席顧問だった
初代
クラレンドン伯爵
エドワード・ハイドは
「…これらの争い以後、
ラウンドヘッズ(円頂党)
と
キャヴァリアーズ(騎士党)」
という
2つの単語は
対の存在として語られるようになった
国王の忠実な家来は
「騎士党員」
そうでない者たちは
軽蔑すべき
下賤の者たちと一緒くたにされて
「円頂党員」と呼ばれた
↓
王党派の
カンタベリー大主教
ウィリアム・ロードが
1636年に定めた法令によって、
イングランド国教会の
全ての聖職者が
髪を短く切るように指示されると、
多くのピューリタンは
ロードの権威への
反抗を示すために
髪の毛を伸ばし始めたが、
依然として
「円頂党員」と呼ばれていた
円頂党のうち、
「独立派」かつ「上流階級」に属する
ピューリタン
(クロムウェルもその一員)
たちの間では、
護国卿
政権末期までには
髪を長く伸ばすことが一般的となったが、
「長老派」や
議会派の一般兵士たちは、
長髪を忌み嫌い続けた
王政復古直前には、
独立派のピューリタンが
長老派のピューリタンを
「ラウンドヘッド」と
侮蔑的に呼ぶようになった・・・
↓
「ラウンドヘッド(Roundheads)
円頂党」という言葉は、
1678年~1681年にかけて
王位排除法案をめぐり、
議会主義・共和主義的傾向をもつ人々を
指す語として使われた。
王位排除危機の最中に、
彼らを指す言葉として新たに登場した
「ラウンド・ヘッド」から
「ホイッグ」にとって代わられた。
王党派も同じ時期に
「騎士党」から
「トーリー」へと呼称が変わった
トーリーとホイッグの語も
互いを侮辱して使う言葉として定着・・・
roundhead
包茎手術をしたペニス
roundhead(英語の俗語)
cavalier(対語)
cavalryman
trooper〈総称〉
cavalry
「騎兵」=knight・・・・奇兵隊(高杉晋作)
文久三 (1863) 年
長州藩で結成
奇兵とは不正規軍隊
フランス語
cavalier. cavalier. cavalier
horse=馬
↓
のこひき台・ひき枠
horsepower
虎(とら)の巻
訳本(翻訳本)
ヘロイン(麻薬)
中石・挾石=断層面に挟在する
岩石塊のこと
中盤、馬石とも呼ぶ
鉱床の中で鉱石や脈石と
混ざって含まれる
母岩の大きな塊で
脈の中に含まれているもの
大きな中石を特に
馬石と呼ぶ
ナゼ、「馬石」?・・・馬の脇腹を両足で挟んで乗馬するから?・・・「馬頭観音(バトウかんのん=めづかんのん)=赤観音」・・・馬頭大王・・・「牛頭、午頭」大王は地獄の「番人」だが・・・祇園(祗園・ギオン)祭・・・「擬音」の祭(まつり・サイ)・・・纏りの「差異・歳・才・採」・・・であるかな・・・聖書の「瑪拉基・馬(瑪)太・(瑪)馬可・羅馬」・・・
ーーーーー
roundhead(俗語)
包茎手術をしたペニス
round-headed
↓
割礼(かつれい)
サーカムシジョン
circumcision
包茎
phimosis
包茎の
phimotic
仮性包茎
false(pseudo‐)phimosis
・・・「新約聖書」に於ける「割礼派キリスト教徒(ユダヤ人律法派)」と「異邦人派キリスト教徒(パウロ宣教師派)」の対立に似ている・・・「清教徒(ピューリタン)革命」は何だったのか・・・
「マルティン・ルター」の
「人の姿となられた
神の言葉としてのイエス・キリストにのみ従う」
が原点・・・「聖書」のみが信仰の唯一の源泉・・・彼は草原で激しい雷雨にあい、落雷に遭遇・・・まるで、「パウロ」である・・・そして「塔の体験」・・・「善行の義よりも、信仰での義」・・・?・・・言い換えれば「道徳での義よりも、倫理での義」・・・「贖宥状=免罪符」への疑問・・・「死後に対する保険」・・・「生きている間のリスク」だろう・・・結局、彼も権力に加担した。階級社会の枠内で「宗教改革を実現するためには、世俗の権力と金力が必要」な存在であった・・・「キリスト」も「パウロ」も「世俗階級権力」を否定していないし、「聖書」自体の記述もそれを肯定しているのだから。「ドイツ農民戦争(1524年~1525年)」で、ルターの支持を得た権力者は「徹底的に農民暴動を鎮圧し、首謀者たちを殺害した」・・・プチブル意識を払拭出来ないで、イイこと云う奴は「裏切り者」になるのだ・・・
↓
ピューリタン(Puritan)は、
イングランド国教会の改革を唱えた
キリスト教の
プロテスタント(カルヴァン派)のグループ
1642年~1660年
清教徒革命
(ピューリタン革命・Wars of the Three Kingdoms)
議会と国王派の内乱
国王派(騎士党)と
議会派(円頂党)の内戦
議会派が勝利
1648年~1649年
第二次イングランド内戦
国王チャールズ1世の処刑
1660年
王政復古によって
清教徒革命失敗
1688年から1689年
権利の章典により
国王の権利が制限され、
議会政治の基礎が築かれた・・・
↓
ーーーーー
旧約
創世記
第36章
36:1
エサウ、すなわち
エドムの系図は次のとおりである。
36:2
エサウは
カナンの娘(女)たちのうちから妻をめとった。
すなわち
ヘテびと
エロンの娘(女)
アダ
と、
ヒビびと
ヂベオンの子
アナの娘(女)
アホリバマ
とである。
36:3
また、
イシマエルの娘(女)
ネバヨテの妹
バスマテをめとった。
36:4
アダは
エリパズ
を
エサウに産み、
バスマテ
は
リウエル
を産み、
36:5
アホリバマは
エウシ、
ヤラム、
コラ
を産んだ。
これらはエサウの子であって、
カナンの地で
彼に生れた者である。
36:6
エサウは
妻と子と娘(女)と
家のすべての人、
家畜と
すべての獣、
また
カナンの地で獲た
すべての財産を携え、
兄弟ヤコブを離れて
ほかの地へ行った。
36:7
彼らの財産が多くて、
一緒にいることが
できなかったからである。
すなわち
彼らが寄留した地は
彼らの家畜のゆえに、
彼らをささえることが
できなかったのである。
36:8
こうして
エサウは
セイルの山地に住んだ。
エサウは
すなわち
エドム
である。
36:9
セイルの山地におった
エドムびとの先祖
エサウの系図は次のとおりである。
36:10
エサウの子らの
名は次のとおりである。
すなわち
エサウの妻
アダの子は
エリパズ。
エサウの妻
バスマテの子は
リウエル。
36:11
エリパズの子らは
テマン、
オマル、
ゼポ、
ガタム、
ケナズ
である。
36:12
テムナ
は
エサウの子
エリパズ
のそばめで、
アマレク
を
エリパズに産んだ。
これらは
エサウの妻
アダの子らである。
36:13
リウエルの子らは次のとおりである。
すなわち
ナハテ、
ゼラ、
シャンマ、
ミザであって、
これらは
エサウの妻
バスマテの子らである。
36:14
ヂベオンの子
アナの娘(女)で、
エサウの妻
アホリバマの子らは
次のとおりである。
すなわち
彼女は
エウシ、
ヤラム、
コラ
をエサウに産んだ。
36:15
エサウの子らの中で、
族長たる者は
次のとおりである。
すなわち
エサウの長子
エリパズの子らは
テマンの族長、
オマルの族長、
ゼポの族長、
ケナズの族長、
36:16
コラの族長、
ガタムの族長、
アマレクの族長である。
これらは
エリパズから出た族長で、
エドムの地におった。
これらは
アダの子らである。
36:17
エサウの子
リウエルの子らは
次のとおりである。
すなわち
ナハテの族長、
ゼラの族長、
シャンマの族長、
ミザの族長。
これらは
リウエルから出た族長で、
エドムの地におった。
これらは
エサウの妻
バスマテの子らである。
36:18
エサウの妻
アホリバマの子らは
次のとおりである。
すなわち
エウシの族長、
ヤラムの族長、
コラの族長。
これらは
アナの娘(女)で、
エサウの妻
アホリバマ
から出た族長である。
36:19
これらは
エサウ
すなわち
エドムの子らで、
族長たる者である。
36:20
この地の住民ホリびと
セイルの子らは
次のとおりである。
すなわち
ロタン、
ショバル、
ヂベオン、
アナ、
36:21
デション、
エゼル、
デシャン。
これらは
セイルの子
ホリびとから出た族長で、
エドム
の地におった。
36:22
ロタンの子らは
ホリ、
ヘマムであり、
ロタンの妹は
テムナであった。
36:23
ショバルの子らは
次のとおりである。
すなわち
アルワン、
マナハテ、
エバル、
シポ、
オナム。・・・?
36:24
ヂベオンの子らは
次のとおりである。
すなわち
アヤ
と
アナ。
このアナは
父ヂベオン
のろばを飼っていた時、
荒野で
温泉を発見した者である。
36:25
アナの子らは
次のとおりである。
すなわち
デション
と
アホリバマ。
アホリバマは
アナの娘(女)である。
36:26
デションの子らは
次のとおりである。
すなわち
ヘムダン、
エシバン、
イテラン、
ケラン。
36:27
エゼルの子らは
次のとおりである。
すなわち
ビルハン、
ザワン、
アカン。
36:28
デシャンの子らは
次のとおりである。
すなわち
ウズ
と
アラン。
36:29
ホリびとから出た族長は
次のとおりである。
すなわち
ロタンの族長、
ショバルの族長、
ヂベオンの族長、
アナの族長、
36:30
デションの族長、
エゼルの族長、
デシャンの族長。
これらは
ホリびとから出た族長であって、
その氏族に従って
セイル
の地におった者である。
36:31
イスラエルの人々を
治める王がまだなかった時、
エドムの地を治めた
王たちは次のとおりである。
36:32
ベオルの子
ベラはエドムを治め、
その都の名は
デナバ
であった。
36:33
ベラが死んで、
ボズラのゼラの子
ヨバブ
がこれに代って王となった。
36:34
ヨバブが死んで、
テマンびとの地の
ホシャム
がこれに代って王となった。
36:35
ホシャムが死んで、
ベダデの子
ハダデ
がこれに代って王となった。
彼は
モアブの野で
ミデアンを撃った者である。
その都の名は
アビテであった。
36:36
ハダデが死んで、
マスレカのサムラ
がこれに代って王となった。
36:37
サムラが死んで
ユフラテ川のほとりにある
レホボテ
の
サウル
がこれに代って王となった。
36:38
サウルが死んで
アクボルの子
バアル・ハナン
がこれに代って王となった。
36:39
アクボルの子
バアル・ハナンが死んで、
ハダル
がこれに代って王となった。
その都の名は
パウ
であった。
その妻の名は
メヘタベル
といって、
メザハブの娘(女)
マテレデの娘(女)であった。
36:40
エサウから出た族長の名は、
その
氏族と
住所と
名に従って言えば
次のとおりである。
すなわち
テムナの族長、
アルワの族長、
エテテの族長、
36:41
アホリバマの族長、
エラの族長、
ピノンの族長、
36:42
ケナズの族長、
テマンの族長、
ミブザルの族長、
36:43
マグデエルの族長、
イラムの族長。
これらは
エドムの族長たちであって、
その領地内の
住所に従っていったものである。
エドムびとの先祖は
エサウである。
ーーーーー
・・・
・・・本日は「四月バカ(April Fools' Day)=万愚節・愚人節(中国)=揶揄節(印度)=プワソン・ダヴリル(Poisson d'avril)=四月の魚(仏蘭西)」ですか・・・何で「魚(まな・さかな・ギョ)」なのか?「魚の種類はサバ(maquereau)」らしい。「サバをよむ?」・・・
・・・「魚座=双魚宮」の時代・・・ノアの方舟のハトの帰還が「4月1日」・・・「臍で茶を沸かす・臍が茶を沸かす・臍が宿替えする・臍が西国する・臍で茶を挽く・踵が茶を沸かす」・・・「臍=へそ=毘→荼毘(だび)→毘=田(囗十)+比」・・・1564年、「フランス王シャルル9世」の暦改正で抗議トラブルがあり「13歳の少女を処刑」、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、「その日を一日中全く嘘をついてはいけない日」になった・・・2015-1534=481→481÷13=37・・・正午(正馬)まで「嘘・詐欺・詐偽・偽証・うそ」をついてもイイ日なら「馬鹿の日」ではなく、「詐欺の日」、「嘘の日」だけれども、日にちを限定しなくても毎日が「詐欺の日」である・・・「鷽(うそ)」は鳥の名前、「鷺(さぎ)」も鳥の名前・・・当然、「笠鷺(かささぎ)」も、「白鷺(しらさぎ)」鳥の名前・・・「白鷺(ハクロ・しらさぎ)城」は姫路市街北側の姫山(日女路の丘→桜木山→鷺山)に築かれた・・・「姫路城」の異称だが、「出世城・不戦城」・・・「しらさぎ城」で、熊本「八代(やつしろ)城」の異称でもあるらしい・・・
↓
姫路城
1346年
(南朝元号=正平元年
北朝元号=貞和二年)
赤松貞範による築城とする説
城郭に相当する規模の構築物としては
戦国時代後期に
西播磨地域で勢力を持っていた
小寺氏の家臣、
黒田重隆(父)
黒田職隆(子)
の
1555年(天文二十四年)
~
1561年(永禄四年)
による築城を最初とする説
戦国時代後期から安土桃山時代
1555年(天文二十四年)
~
1561年(永禄四年)
による築城を最初とする説
戦国時代後期から安土桃山時代
黒田氏
1573年(天正元年)まで
黒田孝高
(官兵衛・如水)・・・「シメオン」である
が城代
や
羽柴氏(秀吉)
(木下藤吉郎)・・・猿・針鼠・日吉丸である
が城代となり
姫路城は
城郭に拡張され、
関ヶ原の戦い
1600年(慶長五年)
の後
池田輝政によって
大規模な城郭へ拡張
↓
千姫の居城・・・・「千姫」である
元和二(1616年)
桑名藩主
本多忠政の嫡男、
本多忠刻と結婚
この時、
津和野藩主
坂崎直盛が輿入れの行列を襲う
坂崎家は改易処分(千姫事件)
元和三年(1617年)
本多家
播磨姫路に移封
八月二十八日
桑名を発って姫路城
「播磨姫君」と呼ばれる・・・・
「ハリマの秘めの訓」である
元和四年(1618年)
長女、
勝姫
(池田光政の正室、
池田綱政の生母)
元和五年(1619年)
長男・幸千代
元和七年(1621年)
幸千代が3歳で死没
寛永三年(1626年)
夫・忠刻、
姑・熊姫、
母・江
が次々と死没
本多家を
娘・勝姫と共に出る
江戸城に入り、出家
天樹院と号・・・・・「天樹院」である
出家後は娘と2人で
竹橋の邸で暮らした
寛永五年(1628年)
勝姫が
父・徳川秀忠の
養女として
池田光政の元へ嫁ぐ
寛永九年(1632年)
父・徳川秀忠が薨去
寛永十六年(1639年)
池田光政と勝姫の嫡男
池田綱政(千姫の外孫)が誕生
↓
明治時代には
陸軍の
歩兵第「10連隊」が駐屯
↓↑
八代城(やつしろじょう)
熊本県八代市(肥後国八代郡)
↓
八代城=白鷺城(しらさぎじょう)
建武二年(1335年)
名和長年の子・・・「名和」である・・・
名和義高は
肥後国
八代荘の地頭職を獲得し、
地頭代として
八代に下向した一族の
内河義真が
八代城(古麓城)
を築いた
正平十三年
(延文三年、1358年)
名和長年の孫
名和顕興が八代に下向
永徳元年(1381年)
九州探題の
今川了俊が
九州の南朝勢力の
菊池氏の本拠地
隈府城を陥れると、
後
征西将軍宮
良成親王
菊池武朝
らは
名和顕興を頼り、
八代が
九州の
南朝方の
最後の拠点となった
元中八年
(明徳二年、1391年)
八代城陥落
名和顕興は幕府方に降る
15世紀の後半
八代進出を目指す
球磨郡の
相良氏と
名和氏との抗争
文亀三年(1503年)
名和氏は北の
木原城
に退き、
以後
相良氏が
八代城を拠点として
肥後南部の戦国大名となる
名和氏・相良氏は、
古麓の山岳地帯に
山城を築いて拠点し
名和氏の時代には
飯盛城・丸山城・
鞍掛城・勝尾城・
八丁嶽城
があり、
相良氏の時代に
鷹峰城・
新城
が築かれた
八代は
古麓の城下町、
妙見宮の門前町、
徳渕津(とくぶちのつ)の貿易港
を合わせた
肥後最大の都市として繁栄
天正九年(1581年)
薩摩の
島津氏が
相良氏を降して
八代を支配
天正十五年(1587年)六月
豊臣秀吉の九州征伐
佐々成政が
古麓城など
肥後国を領した
麦島城
佐々成政
肥後国人一揆で
翌年改易
球磨郡を除く
肥後国は
加藤清正
と
小西行長
が半国ずつを領有
宇土城主となった
小西行長
は古麓城を廃し、
家臣の
小西行重
に
球磨川の北岸に総石垣造りの
麦島城を築城させた
豊臣秀吉の直轄地は
貿易港
徳渕津
天正二十年(1592年)六月
文禄の役の間
梅北一揆が
麦島城に攻め寄せた
慶長五年(1600年)
小西行長
が関ヶ原の戦いに敗れ
小西家は改易
球磨郡・天草郡を除く
肥後五十二万石を与えられた
熊本城主
加藤清正は、
重臣
加藤正方を城代として
麦島城に入れた
元和の
一国一城令
熊本藩内の
南関城・内牧城・佐敷城
などが取り壊たが
麦島城は例外的に存続
元和五年(1619年)
大地震のために倒壊
松江城
麦島城の倒壊後
加藤清正の子
加藤忠広は
前川の北岸、
松江の
徳渕の近くに新たに城を築いた
城は
元和八年(1622年)に竣工
麦島城時代に認められた
一国二城体制は継続
寛永九年(1632年)
加藤氏改易
豊前
小倉藩主だった
細川忠利が
熊本藩主
忠利の父
細川忠興(三斎)が
八代城の北の丸を隠居所とした
忠興は
四男の
立孝を本丸に住まわせたが
正保2年(1645年)閏5月
細川立孝は死没
忠興も同年12月死没
八代城には
立孝の子
宮松(細川行孝)が残されたが、
藩主細川光尚は
これに
宇土郡・益城郡内から
3万石を与えて
宇土支藩とし、
筆頭家老でかつ将軍直臣の
松井興長を
八代3万石の城主とした
以後明治三年(1870年)
廃城
城の石垣には
石灰岩が用いられ、
その色から別名
「白鷺城(しらさぎじょう)」
とも呼ばれた
寛文十二年(1672年)
落雷
天守・櫓・長塀を焼失
寛政九年(1797年)
落雷
本丸大書院・三階櫓等を焼失
大書院は再建されるが、
天守・櫓は再建されなかった
月見櫓跡石垣等で、
修復の痕跡を見ることができる。
明治の廃城後、
大書院を除き取り壊され、
学校として使用
↓
一国一城令(1615年)の中、
熊本藩内に
二つの城
熊本城、八代城
が存在した理由は、
薩摩藩への備え
島原の乱での
天草の
キリシタン弾圧の備え
異国船への備え
などで
江戸幕府より
特例が与えられた
しかし、
麦島城時代にすでに
一国二城体制が
特別に許され
島原の乱を契機とする
キリシタン弾圧の備えは
後に付与されたものである・・・後付け?
だが、
熊本城と麦島城の
一国二城体制が・・・「一国二城」
「位置古句二乗」?
認められていなければ、
八代(やつしろ・ハチダイ)城は
築城されずに存在しなかった・・・「逐条・知句上」?
ーーーーー
旧約聖書
創世記
第34章
34:1
レアが
ヤコブに産んだ娘
デナ・・・・・・・・出名
は
その
地の女たちに・・・・知の音名?
会おうと
出かけて行ったが、
34:2
その地のつかさ、
ヒビびと・・・・・・日比
ハモル・・・・・・・葉漏(洩・盛)留
の子
シケム・・・・・・・試験・私見・詞懸(縣)
が彼女を見て、引き入れ、
これと寝てはずかしめた。
34:3
彼は深くヤコブの娘
デナ
を慕い、この娘を愛して、
懇(ねんごろ)に・・・年頃
娘(女)に語った。・・音名・音納・音拿
34:4
シケムは
父ハモルに言った、
「この娘をわたしの妻に
娶(めと)ってください」。
34:5
さて
ヤコブはシケムが、
娘デナを汚したことを聞いたけれども、
その子らが家畜を連れて野にいたので、
彼らの帰るまで黙っていた。
34:6
シケムの父
ハモルは
ヤコブと話し合おうと、ヤコブの所に出てきた。
34:7
ヤコブの子らは野から帰り、この事を聞いて、
悲しみ、かつ非常に怒った。
シケムがヤコブの娘と寝て、
イスラエルに
愚かなことをしたためで、
こんなことは、
してはならぬ事だからである。
34:8
ハモルは彼らと語って言った、
「わたしの子シケムは
あなたがたの娘を心に慕っています。
どうか彼女を彼の妻にください。
34:9
あなたがたは
わたしたちと婚姻し、
あなたがたの娘を
わたしたちに与え、
わたしたちの娘を
あなたがたに娶(めと)ってください。
34:10
こうして
あなたがたと
わたしたちとは
一緒に住みましょう。
地はあなたがたの前にあります。
ここに住んで取引し、
ここで財産を獲なさい」。
34:11
シケムはまた
デナの父と兄弟たちとに言った、
「あなたがたの前に恵みを得させてください。
あなたがたが
わたしに言われるものは、
なんでもさしあげましょう。
34:12
たくさんの
結納金と
贈り物とをお求めになっても、
あなたがたの
言われるとおりさしあげます。
ただ
この娘は
わたしの妻にください」。
34:13
しかし、
ヤコブの子らは
シケムが
彼らの妹
デナを汚したので、
シケムと
その父
ハモルに
偽って答え、
34:14
彼らに言った、
「われわれは
割礼を受けない者に・・・・割例・勝例
妹を
やる事はできません。
それは
われわれの
恥とするところですから。
34:15
ただ、
こうなされば
われわれは
あなたがたに
同意します。
もし
あなたがたのうち
男子が
みな
割礼を受けて、
われわれのようになるなら、
34:16
われわれの娘を
あなたがたに与え、
あなたがたの娘を
われわれに娶(め)とりましょう。
そして
われわれは
あなたがたと一緒に住んで
一つの民となりましょう。
34:17
けれども、
もし
あなたがたが
われわれに聞かず、
割礼を受けないなら、
われわれは
娘(女)を連れて行きます」。
34:18
彼らの言葉が
ハモルと
ハモルの子
シケムとの
心にかなったので、
34:19
若者は、
ためらわずにこの事をした。
彼がヤコブの娘を愛したからである。
また
彼は父の家のうちで
一番重んじられた者であった。
34:20
そこで
ハモルと
その子
シケムとは町の門に行き、
町の人々に語って言った、
34:21
「この人々はわれわれと親しいから、
この地に住まわせて、ここで取引をさせよう。
地は広く、彼らをいれるに
充分(じゅうぶん)である。
そして
われわれは彼らの娘を妻にめとり、
われわれの娘を彼らに与えよう。
34:22
彼らが
割礼を受けているように、
もし
われわれのうちの男子が皆、
割礼を受けるなら、
ただこの事だけで、
この人々は
われわれに同意し、
われわれと一緒に住んで
一つの民となるのだ。
34:23
そうすれば
彼らの家畜と財産と
すべての
獣とは、・・・・・家畜ではない獣(けもの)?
われわれのものとなるではないか。
ただ
われわれが
彼らに
同意すれば、
彼らは
われわれと
一緒に住むであろう」。
34:24
そこで町の門に出入りする者は
みなハモルとその子シケムとに聞き従って、
町の門に出入りするすべての男子は
割礼を受けた。
34:25
三日目になって
彼らが痛みを覚えている時、
ヤコブのふたりの子、
すなわち
デナ
の兄弟
シメオン・・・シメオン=シオン
誌目音 子音・詞音
と
レビとは、
おのおの
剣(つるぎ)・・・鶴来・釣義・釣戯
を取って、
不意に町を襲い、
男子(おとこ)を
ことごとく殺し、
34:26
また
剣(つるぎ)の刃にかけて
ハモルとその子シケムとを殺し、
シケムの家から
デナを連れ出した。
34:27
そして
ヤコブの子らは
殺された人々を
剥ぎ(はぎ)、・・・・・葉木・矧ぎ・脛
接ぎ・萩
町をかすめた。
彼らが
妹を汚したからである。・・イモ音
34:28
すなわち
羊、
牛、
驢馬(ろば)
及び
町にあるものと、
野にあるもの、
34:29
並びにすべての貨財を奪い、
その子女と妻たちを皆、
虜(とりこ)にし、
家の中にある物をことごとく
掠(かす)めた。
34:30
そこで
ヤコブは
シメオンとレビとに言った、
「あなたがたは
わたしをこの地の住民、
カナンびとと
ペリジびとに
忌みきらわせ、
わたしに
迷惑をかけた。
わたしは、
人数が少ないから、
彼らが集まって
わたしを攻め撃つならば、
わたしも
家族も滅ぼされるであろう」。
34:31
彼らは言った、
「わたしたちの妹を
遊女のように
彼が扱ってよいのですか」。
第35章
35:1
ときに神はヤコブに言われた、
「あなたは立って
ベテル
に上り、そこに住んで、
あなたがさきに
兄エサウの顔を避けてのがれる時、
あなたに現れた神に
祭壇を造りなさい」。
35:2
ヤコブは、
その家族および共にいる
すべての者に言った、
「あなたがたのうちにある
異なる神々を捨て、・・・・異なる神々を信仰していた?
異なる新人、深甚?
身を清めて
着物を着替えなさい。
35:3
われわれは立って
ベテル・・・・・・・・・・
に上り、その所で
わたしの苦難の日に
わたしにこたえ、
かつ
わたしの行く道で
共におられた神に祭壇を造ろう」。
35:4
そこで
彼らは持っている異なる神々と、
耳につけている
耳輪をことごとく
ヤコブに与えたので、
ヤコブはこれを
シケム
のほとりにある
テレビンの木の・・・・・
下に埋めた。
35:5
そして
彼らは、いで立ったが、
大いなる恐れが周囲の町々に起ったので、
ヤコブの子らのあとを追う者はなかった。
35:6
こうして
ヤコブは共にいた
すべての人々と一緒に
カナンの地にある
ルズ、・・・・・・
すなわち
ベテル・・・・・・
にきた。
35:7
彼はそこに祭壇を築き、
その所を
エル・ベテル
と名づけた。
彼が兄の顔を避けてのがれる時、
神がそこで彼に現れたからである。
35:8
時に
リベカ
の乳母(うば)
デボラ・・・・・・出法螺?
が死んで、
ベテルの
しもの、
樫(かし)の木の・・・・
下に葬られた。
これによって
その木の名を
アロン・バクテ・・・・・
と呼ばれた。
35:9
さて
ヤコブが
パダンアラム
から帰ってきた時、
神は
再び彼に現れて
彼を祝福された。
35:10
神は彼に言われた、
「あなたの名はヤコブである。
しかしあなたの名を
もはや
ヤコブと呼んではならない。
あなたの名を
イスラエルとしなさい」。
こうして彼を
イスラエル・・・・・・・意素等得留
と名づけられた。
35:11
神はまた彼に言われた、
「わたしは
全能の神である。
あなたは生めよ、またふえよ。
一つの国民、ま
た多くの国民があなたから出て、
王たちが
あなたの身から出るであろう。
35:12
わたしは
アブラハムとイサクとに与えた地を、
あなたに与えよう。
また
あなたの後の子孫にその地を与えよう」。
35:13
神は彼と語っておられたその場所から
彼を離れてのぼられた。
35:14
そこで
ヤコブは
神が自分と語られたその場所に、
一本の
石の
柱を立て、
その上に
灌祭をささげ、
また
油を注いだ。
35:15
そして
ヤコブは
神が自分と語られたその場所を
ベテル・・・・・
と名づけた。
35:16
こうして
彼らはベテルを立ったが、
エフラタ・・・・・
に行き着くまでに、
なお
隔たりのある所で
ラケルは産気づき、
その産は重かった。
35:17
その難産に当って、
産婆は彼女に言った、
「心配することはありません。
今度も男の子です」。
35:18
彼女は死にのぞみ、
魂の去ろうとする時、
子の名を
ベノニ・・・・・
と呼んだ。
しかし、
父はこれを
ベニヤミン・・・
と名づけた。
35:19
ラケルは死んで
エフラタ、・・・・
すなわち
ベツレヘム・・・・
の道に葬られた。
35:20
ヤコブは
その墓に柱を立てた。
これは
ラケルの墓の柱であって、
今日に至っている。
35:21
イスラエルはまた、いで立って
ミグダル・エダル
の向こうに天幕を張った。
35:22
イスラエルがその地に住んでいた時、
ルベン
は
父のそばめ
ビルハ・・・・
のところへ行って、
これと寝た。
イスラエルはこれを聞いた。
さて
ヤコブの子らは
十二人であった。
35:23
すなわち
レアの子らは
ヤコブの長子
ルベン・・・・
と
シメオン、・・・・
レビ、・・・・
ユダ、・・・・
イッサカル、・・・・
ゼブルン。・・・・
35:24
ラケルの子らは
ヨセフ・・・・
と
ベニヤミン。・・・・
35:25
ラケルのつかえめ
ビルハ・・・・
の子らは
ダン・・・・
と
ナフタリ。・・・・名フタリ
35:26
レアのつかえめ
ジルパ・・・・
の子らは
ガド・・・・・
と
アセル。
これらはヤコブの子らであって、
パダンアラム・・・・
で彼に生れた者である。
35:27
ヤコブは
キリアテ・アルバ、・・・・
すなわち
ヘブロン・・・・
の
マムレ・・・・
にいる父イサクのもとへ行った。
ここは
アブラハムとイサクとが
寄留した所である。
35:28
イサクの年は
百八十歳であった。
35:29
イサクは年老い、
日満ちて息絶え、
死んで、
その民に加えられた。
その子
エサウ
と
ヤコブ
とは、これを葬った。
ーーーーー
・・・「Roundheads」って、「割礼」・・・
cut the Throat of those Roundheaded Dogs that bawled against Bishops.
・・・「Roundheads」は明日にしよう・・・