・・・「親孝行」とは・・・「自立」し、尚且つ「親の世話」が出来るような「余裕」を持てるようになること・・・TVの「ダーウインが来た」を観れば、生物界の「親子関係」の本質は「子育て」で、歴然のように思うのだが、「家族(親、子、兄弟姉妹、孫)」での「共同(協同)の相互扶助生活」も歴然のようだ。昆虫も、サカナも・・・「孝行」と特殊に呼ばれるコトバがある「人間界」では例外も多い・・・
「親の気持ち」は親になってみないと解らないが・・・宗教対立とか、思想対立とか、人種対立とか、部族対立とか、キリストの時代以前も、以後も、敢て「汝の隣人を愛せ」であったのだから、「汝の隣人は身内の者のようには愛せなかった」のだ・・・そして、「身内の争い」は「人間界」にのみあるようだ。そう簡単には「子羊」にはなれない・・・「無目的(?)」にヒトをアヤメル奴もいる・・・
「家畜」はいずれ喰われてしまうが、「餌」を与えてもらう限り、「狭い囲われている枠内」で、生きている間は「身内のトラブル」は起こさないだろう・・・
ほとんどの子供達、知らないだろうな、牛が涙(泪・涕)を流すのを・・・家畜動物たちの「現場」を知らないで「美味しい肉」を食べている・・・動物園や水族館に生息している「生き物」は、子供たちに「愛」されているのか・・・TVで放映される野生動物の過酷な生き方を「子供達」は観させてもらっているのかな・・・
ーーーーー
以下のスベテは「ウイッキペデア」の原文から抜粋参照、参考にしたモノ・・・
↓
二十四孝(孝行)の人物
↓
陸績
六歳の時に
袁術(えんじゅつ)
という人の所に居た。
袁術は
陸績のために、
オヤツとして
蜜柑を与えた。
陸績はそれを
三つ取って帰ろうとすると、
袖から蜜柑がこぼれてしまった。
袁術は
「陸績君は
幼いのに
泥棒のようなことをするのかね」
と言ったところ、
陸績は
「あまりに
見事な
蜜柑なので、
家に持ち帰って
母に食べさせ、
恩に報いようと思いました」
と言った。
袁術はこれを聞いて
「幼いのに何という
親孝行な子供であろうか、
過去現在において稀な心がけである」
と褒め称えた
・・・盗むことが「親孝行」とは思えないが、「親が飢えて餓死しようとする寸前」の条件があれば・・・しかし、「親」が食うかどうかは別である・・・小説「大地」では飢饉で難民となって「家族」が南下し、都市の貧困生活の中で子供の「盗んできた肉」に怒って泣いたのは「車夫」として働いていた父親の「王龍」だった。妻の「阿藍」は現実的で「肉は肉です」と云って「王龍」が路に捨てた「肉」を拾って、料理し、子供たちとそれを食べた・・・「王龍」は喰わなかった・・・
↓
田眞兄弟
田眞(でんしん)
田廣(でんこう)
田慶(でんけい)
三兄弟は、
親亡き後に
財産を
三等分したが、
庭に
大きく繁り
花を咲かせた木があった。
兄弟はこれも
三等分しようと
徹夜で考えた。
夜が明けたので、
木を切ろうと
庭に出てみると、
昨日まで繁っていた
木が急に枯れていた。
田眞はこれを見て
「草木にまで心があって、
切られようとして
枯れたのであれば、
人間ではなおさらである。
なんと至らないことであっただろうか」
と言い、切らずにおくと、
木はまた元のように見事に繁った。
・・・「切るか切らないか」は「木(き)」に対する「その状況的な時のヒトの利用度」ではある。「無駄なコト」はしないのが原則だろう・・・「薪(まき)」するか、「建材(ケンザイ)」するか、「花見の木(き)」とするか・・・
↓
剡子(ぜんし)
彼には年老いた両親がおり、
眼を患っていた。
鹿の乳が
眼の薬になると聞いた両親は、
剡子に欲しいと願った。
剡子は鹿の皮を身にまとい、
鹿の群れに紛れて入った。
そこへ猟師が
本物の鹿と間違えて
剡子を射ようとしたが、
剡子が
「私は本物の鹿ではありません。
剡子と言いまして、
親の願いを叶えたいと思い、
こうやって
鹿の格好をしているのです」
と言うと、
猟師は驚いてその訳を聞いた。
孝行の志が篤いので射られずに帰り、
親孝行をすることが出来た。
・・・「訳を訊く前」に猟師は「人間」であると確認していたならば「射らない」のが鉄則であるが、「戦争」ともなれば、「射る」だろう・・・「鹿(しか・ロク)の乳(ちち・ニュウ)」が「目(め・モク)の薬(くすり・ヤク)」になるだか、どうなんだか・・・「鹿鳴館」・・・蝦夷鹿が増えすぎて射殺され「鹿肉の缶詰」が売れているらしい・・・「鹿」は「王」であり、「神」だったのに・・・「バンビの肉」は「エキス」として大陸中国では売れているらしい・・・
↓
蔡順(さいじゅん)
王莽の時代
天下は乱れ、
また飢饉が訪れ、
食べる物もなかった。
蔡順は母のために
桑の実を採り、
熟していない物と
熟した物に分けていた。
その時、
盗賊(赤眉の盗賊?)が現れ
「何故桑の実を
二つに分けるのか」
と尋ねたところ、
蔡順は
「私には一人の母親がおりますが、
熟した物は母親に、
熟していない物は自分に
と思っていたのです」
と言った。
盗賊も
蔡順の
孝行の心を知り、
米と
牛の足
を与えて去って行った。
蔡順はその
米と
牛の足も
母親に与えた。
・・・「盗賊」には「余裕」があった・・・「親」もいた・・・
↓
閔子騫(びんしけん)
孔子の弟子の
閔子騫(子騫は字・諱は損)は
幼い時に母を亡くし、
父が再婚して
異母弟二人ができた。
継母は
実子二人を愛したが
継子の閔子騫を憎んで、
冬になると実子には
綿入りの着物を与えたが、
閔子騫には
蘆の穂を入れた着物を与えた。
閔子騫が寒さに凍えているのを見て、
父が継母と離縁しようと言うと、
閔子騫は
「母上が去られては、
三人の子供は凍えます。
私
一人が凍えていれば、
弟
二人は暖かいので
どうか
離縁しないで下さい」
と言った。
継母はこれに感激し、
以後は
実母のように
閔子騫を可愛がったという。
・・・「自己犠牲」以前に「父親の問題」ではあるナッ・・・一般的に「継母」は「継子いじめ」をするのは「サラ(アブラハムの妻)の時代」からアタリマエである・・・「イシュマエル(アブラハムと奴隷女ハガルの子)」を苛(虐・いじ)めた・・・「イスラム教徒」の母は「ハガル」であるらしい・・・「恨み」を払拭出来ない人間・・・
↓
黄香(こうこう)
彼は母を亡くし、
残された父によく仕えた。
夏の暑い時には
枕や椅子を
団扇で扇いで冷やし、
冬の寒い時には
布団が冷たいのを心配し、
自分の身体で暖めた。
これを知った
安陵の太守
劉讙(又は劉護)は、
高札を立てて
黄香の孝行を褒め称えた。
・・・この時代、「黄香」のような人物はいなかった・・・もちろん、クーラーも暖房機も無かった・・・
↓
呉猛(ごもう)
彼が
八歳の時、
家は貧しく、
蚊帳を買う金もなかった。
呉猛は考え、
自分の着物を親に着せ、
自分は
裸になって蚊に刺された。
それを毎日続けると、
蚊も呉猛だけを刺し、
親を刺すことはなくなったと言う。
・・・「酒を彼の身体に振り撒いた(?)のハナシ」がココにはないが、「福沢諭吉」には同感である・・・むかし、絵本で「福沢諭吉」が父のために、酒屋に酒を買いに行ったハナシを読んだコトがあるが・・・頬かむりしてか、どうかは記憶が定かでない・・・
↓
楊香(ようこう)
彼には一人の父がいた。
ある時、
父と山に行った際に
虎が躍り出て、
今にも
二人を食べようとした。
楊香は虎が去るように願ったが
叶わないと知ると、
父が食べられないように
「天の神よ、
どうか
私だけを食べて、
父は助けて下さいませ」
と懸命に願ったところ、
それまで猛り狂っていた
虎が
尻尾を巻いて逃げてしまい、
父子共に命が助かった。
・・・作りハナシか、虎が「飢え」ていなかったか、「不味い」と思ったか、それとも、虎には状況的なそこから離れる事情があったのか・・・虎に訊いてみないコトにはネッ・・・「尻の尾を巻いて逃げた」か、どうかは「本居宣長」に訊いてみたい・・・
↓
張孝兄弟
張孝(ちょうこう)
張禮(ちょうれい)の兄弟は、
飢饉の時に
八〇歳を超えた母を養っていた。
木(き・モク)の実(み・ジツ)を
拾いに
行ったところ、
盗賊が現れて
張禮を食おうとした。
張禮は
「私には一人の年老いた母親がいます。
今日はまだ母が食事をしていないので、
少しだけ時間を下さい。
母に食事をさせればすぐに戻って来ます。
もしこの約束を破れば、
家に来て
一家もろとも殺して下さい」
と言って、
母親の食事を済ませて
盗賊の所に戻って来た。
張孝はこれを聞き、
走って盗賊の所に行って
「私の方が弟より太っています。
私を食べて、
弟を助けて下さい」
と言う。
張禮は
「これは
最初の約束なので、
私が食べられます」
と言って死を争った。
それを見た
非道な盗賊も
兄弟の孝行心に打たれ、
このような兄弟は見たことがないと
二人の命を助け、
さらに
沢山の
米と塩を与えた。
兄弟はそれらを持って帰り、
さらに孝行を尽くした。
・・・「非道な盗賊」の「心情の方」をカタルべきだろう・・・
↓
丁蘭(ていらん)
丁蘭の母が亡くなると、
丁蘭はその死を悲しみ、
母の
木像を作って
生きている時のように尽くした。
丁蘭の妻がある夜、
母の木像の
顔を火で焦がしてしまうと、
木像は腫れて血が流れ、
二日経つと
妻の髪の毛が
全てなくなってしまった。
妻は
何度も詫びをするが
一向に変わらないので、
丁蘭は驚いて
木像を大通りに移し、
妻に
三年間詫びをさせた。
すると、
一夜のうちに
風雨の音がして、
木像は元の場所に戻ったと言う。
・・・「夫の問題」であるだろうが、「妻の脱毛」は彼女の無意識の「深層心理」であるだろうカモ・・・それで、その後、「妻の脱毛」はどうなったんだろう・・・「盗んだ仏像」はどうするつもりなんだ・・・「文化財」なのか、「金になる骨董品」なのか・・・
↓
王裒(おうほう)の父
王義(おうぎ)が
時の皇帝の怒りに触れて、
罪も無いのに亡くなった。
王裒はこれを恨み、
皇帝の居る方角には
決して向かないで座った。
王裒は
父の墓の前で礼拝し、
傍らにあった
柏の木にすがって泣き続けたために、
柏の木は枯れてしまうほどであった。
母は雷が怖い人であったが、
その死後も雷が鳴ると、
王裒は母の墓に急ぎ行った。
死後の孝行もこれほどであるから、
生前の孝行は計り知れないであろう。
・・・「墓前礼拝」は当たり前だが、「生前の孝行」は「?」である・・・「親離れが出来ない男のハナシ」かも?・・・
↓
王祥(おうしょう)
彼は母を亡くした。
父は後妻をもらい、
王祥は
継母からひどい扱いを受けたが
恨みに思わず、
継母にも大変孝行をした。
実母が健在の折、
冬の極寒の際に
魚が食べたいと言い、
王祥は河に行った。
しかし、
河は
氷に覆われ
魚はどこにも見えなかった。
悲しみのあまり、
衣服を脱ぎ
氷の上に伏していると、
氷が少し融けて
魚が二匹出て来た。
早速獲って帰って母に与えた。
この孝行のためか、
王祥が伏した所には毎年、
人が
伏せた形の
氷が出るという。
・・・「自然現象」の後付けモノガタリ・・・「継母のハナシ」ではなく、「生きていた時の実母のハナシ」である・・・「元正女帝(680~748)」は第四十四代天皇(在位715~724)だが、名は「氷高(ひだか)」だった。草壁皇子の皇女で、母は元明天皇(阿閉)。「養老律令」や,「三世一身法の発布」をしたらしいが、貴族豪族の「私有欲」には勝てなかった・・・
↓
姜詩(きょうし)
彼の母は、
いつも
綺麗な川の水を飲みたいと思い、
魚を食べたいと言っていた。
姜詩と妻は、
いつも
長い距離を歩き、
母に
水と魚を与えてよく仕えた。
するとある時、
姜詩の家のすぐ傍に
綺麗な川の水が湧き出て、
毎朝
その水の中に
鯉がいた。
姜詩と妻の孝行を感心に思って
天が授けたものであろう。
・・・砂漠や草原の生活では遠距離の水汲みと水の運搬は「家族」の日常性であろう・・・生活空間の近くには「井戸」が必要である・・・それにしても「鯉(こい)=魚(まな・うお・ギョ)+里(さと・リ)」なんだか・・・
↓
孟宗(もうそう)
幼い時に父を亡くし
年老いた母を養っていた。
病気になった母は、
あれやこれやと食べ物を欲しがった。
ある冬に筍が食べたいと言った。
孟宗は竹林に行ったが、
冬に筍があるはずもない。
孟宗は涙ながらに
天に祈りながら
雪を掘っていた。
すると、
あっと言う間に
雪が融け、
土の中から筍が沢山出て来た。
孟宗は大変喜び、
筍を採って帰り、
熱い汁物を作って母に与えると、
たちまち病も癒えて
天寿を全うした。
これも深い孝行の思いが
天に通じたのであろう。
・・・問題は「母の天寿を全うする寸前」の「彼の行動」である・・・「戦争」がなければ、アタリマエの行動だが・・・「母の臨終」への立会・・・「タケのコ」・・・
↓
郭巨(かくきょ)
彼の家は貧しかったが、
母と妻を養っていた。
妻に子供が産まれ、
三歳になった。
郭巨の母は孫を可愛がり、
自分の少ない食事を分け与えていた。
郭巨が妻に言うには
「我が家は貧しく
母の食事さえも足りないのに、
孫に分けていてはとても無理だ。
夫婦であれば
子供はまた授かるだろうが、
母親は
二度と授からない。
ここは
この子を埋めて母を養おう」
と。
妻は悲嘆に暮れたが、
夫の命には従う他なく、
三歳の子を連れて埋めに行く。
郭巨が涙を流しながら
地面を少し掘ると、
黄金の釜が出て、
その釜に
文字が書いてあった。
「孝行な郭巨に天からこれを与える。
他人は盗ってはいけない」
と。
郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、
子供と一緒に家に帰って、
さらに母に孝行を尽くした。
・・・「間引き」は日常茶飯の時代だった・・・今現在は・・・「黄金(こがね)の釜(かま)」は「藤原鎌足」、「郭巨(カクキョ)=「郭(くるわ・カク)」の「巨(おおきい・キョ・ゴ)」で、「郭務悰」と「巨勢」だろう。「巨勢=許勢・許世・居勢・己西・既洒」の当て字があるらしい。意味深長である・・・「姓は初め、臣(おみ)」であり、天武天皇十三年(684年)の「八色(やくさ)の姓(かばね)」制定で「朝臣(あそみ・あそん・チョウシン)」となった・・・先祖は「武内宿禰」・・・
「巨勢 人(こせ の ひと)」
飛鳥時代の人物
名は
比等・・・「不比等」ではない?「比等=人」とは
ならば「不比等=不人」で人にあらず?
毘登・・・「毘登(びとう)」→尾藤→尾張を問う?
とも
姓(カバネ)は臣
小徳位
巨勢大海の子
天智天皇に仕えて御史大夫
672年
壬申の乱で
大友皇子(弘文天皇)側の将軍
内訌をおこして敗れ、・・・内訌(ナイコウ)=うちわもめ
訌=「言+工」?
乱後は流罪
↓↑
天武天皇十三年(684年)冬十月の条(日本書紀)
「詔して曰はく、
更
諸氏の族姓を改めて、
八色の姓を作りて、
天下の
万姓を
混(まろか)す。・・・「混(まろか)す」って?
一つに曰く、真人
二つに曰く、朝臣
三つに曰く、宿禰
四つに曰く、忌寸
五つに曰く、道師
六つに曰く、臣
七つに曰く、連
八つに曰く、稲置」
・・・それとも「五稜郭」に立て籠もった
「榎本武揚(釜次郎)」・・・
↓
董永(とうえい)
彼は幼い時に母と別れ、
家は貧しく、
いつも雇われ仕事の小銭で日々暮らしていた。
父も足が悪かったので、
小さな車を作って父を乗せ、
田んぼのあぜまで連れて行き、
農作業をしていた。
父が亡くなると葬式をしたいと思ったが、
貧しいのでお金がない。
そこで、
身売りをしてその金で葬式をした。
身請け主の所へ行こうとすると、
途中で一人の美女がいた。
美女が言うには
「私は董永の妻となるべく、
絹を織って
身請け主に届け許されました」
と。
そして董永の妻となり、
最後に
「私は天の織姫ですが、
貴方の孝行な心に感じて
天が私にお命じになりました」
と言うと、
天に帰って行った。
深い孝行の心が起こしたことであろう。
・・・「鶴の恩返し」・・・「夕鶴」・・・「おつう(お鶴)→お通」ッ、「よひょう(与兵)→与評」ッ・・・
↓
舜(しゅん)
彼は大変孝行な人であった。
父の名前は
瞽叟と言い頑固者で、
母はひねくれ者、
弟は奢った能無しであったが、
舜は
ひたすら孝行を続けた。
舜が田を耕しに行くと、
象が現れて田を耕し、
鳥が来て田の草を取り、
耕すのを助けた。
その時の
天子を
堯と言った。
堯は舜の孝行な心に感心し、
娘を娶らせ
天子の座を舜に譲った。
これも
孝行の心が起こしたことである。
・・・「社会保障・福利厚生」・・・なぜ「象」と「鳥」が「舜の耕作」を助けたんだか・・・父は何に「頑固」だったのか、母は何に「捻(ひね)くれ」ていたのか、弟は何に「奢(おご)って」いたのか・・・「象」は群れとして「母権社会」を形成し「死んだ象」に対して生きている象は「家族・一族」として「弔いの如く」の「儀礼・儀式」の行為をする・・・コレはTV記録番組で観たモノだが・・・
↓
漢文帝(劉恒)
漢の
文帝は
高祖の子である。
名を
恒(こう)と言った。
母の
薄太后に孝行を尽くし、
食事の際は
自ら毒見をするほどであった。
兄弟も沢山いたが、
文帝ほど
「仁義・孝行」な皇子はいなかった。
そのため、
陳平、
周勃
などの重臣が皇帝に推戴した。
孝行とは
誰もが知っているが、
実際に
行うことは難しい。
だが、
高貴な身分で
孝行を行ったことは
神の如き志である。
であるから、
文帝の世は豊かになり、
民衆も住みやすくなったのである。
・・・「誰もが知っている孝行」、「行うことは難しい」、ナゼか、「高貴な身分の人物」は「孝行」はしなっかった。「文帝の孝行」は稀なコトだったらしい・・・単なる「カミの如くの文綴(ブンテイ)」のハナシか・・・「親孝行」って、「親の我儘」に堪(こた)えるコトなのか、「親の自立できなくなった身体的、精神的な不自由」を助けるコトなのか・・・「世話面倒見」とは何なのか・・・
↓
山谷(さんこく)黄庭堅(こうていけん)
宋の詩人
詩人の祖といわれている。
使用人も多く、
妻もいたが、
自ら母の大小便の便器を取り、
汚れている時は
素手で洗って母に返し、
朝から夕方まで
母に仕えて怠けたことはなかった。
一をもって万を知る。
その他の孝行は
推して知るべしであり、
山谷の孝行は
天下に知られることとなった。
・・・「山谷」は立ちんボウの「ドヤガイ」だった・・・「黄庭堅」には「使用人」も「妻」もいたけれど・・・「山谷での孝行」は、日雇いで「母親に仕送りするカネ」もなく、「焼酎をアオッて生きているコト」、それ自体・・・?・・・今や「焼酎」は高級品・・・
↓
庾黔婁(ゆけんろう、ゆきんろう)
南斉の人で、
孱(せん)陵県の役人になっていたが、
着任して
十日も経たないうちに、
胸騒ぎがしてならなくなった。
父の病気かと思い、
役人を辞めて家に帰ると、
案の定、大病を患っていた。
庾黔婁が医師に病状を尋ねると、
病人の便を舐めて、
甘く苦ければ良かろうと言う。
庾黔婁は
簡単なことだと言って舐めてみると、
味が違ったので父の死を悟り、
北斗七星(北極星)に
身代わりになることを祈り続けた。
・・・「父の病気の原因」が「ウンこの味」でわかる・・・「糖尿病(?)」は、「便臭が甘酸っぱい」らしいから、当然「ウンこの味」も甘いカモ・・・「甘く苦い味」以外は「死期が近い(?)」・・・「伝染病菌」ならば「舐めているウン」は「身代わり」どころか、「心中の運」である・・・「北斗七星」の御利益はない・・・
↓
朱壽昌(しゅじゅしょう)
七歳の時に
父母が蒸発してしまったので
母をよく知らないことを嘆き、
五十年が経った。
ある時、
朱壽昌は役人であったが
職も妻子も捨て、
自らの血で
お経を書いて
天に祈っていると、
秦という所に母がいると告げられ、
遂に母に会うことができた。
これも志が深いからである。
・・・「職も妻子も捨て」て、「母親に会うコト」が「親孝行」とは・・・「霊的なテレパシー」みたいなモノを否定するワケじゃぁないけれど・・・
↓
曾參(そうしん)
孔子の弟子の曾参は、
ある時
薪を取りに山に行った。
母が留守番をしている所に
曾参の親友が訪ねて来た。
母はもてなしたいと思ったが、
曾参は家におらず、
元々家が貧しいのでもてなしもできず、
「曾参、急いで帰って来てくれ」
と指を噛んで願った。
曾参は山で薪を拾っていたが、
急に胸騒ぎがするので
急いで家に帰ってみると、
母が事のいきさつを話してくれた。
指を噛んで願ったのが
遠くの曾参に響いたのは
孝行の心で、
親子の情が深い証拠である。
・・・「指(指の爪)をかむ」のは「悔しい時」か「落ち着きたい時」などの時の「癖(無意識な行為)」・・・
↓
唐夫人(とうふじん)
姑の
長孫夫人に
歯がないのでいつも乳を与え、
毎朝、
姑の髪を梳いて、
その他様々なことで仕え、
数年が経った。
ある時、
長孫夫人が患い、
もう長くないと思って
一族を集めて言うには
「私の嫁の
唐夫人の、
これまでの恩に報いたいが、
今死のうとしているのが心残りである。
私の子孫たちよ、
唐夫人の孝行を真似るならば、
必ず将来繁栄するであろう」
と言った。
このように
姑に孝行なのは
過去現在珍しいとして、
皆褒め称えたと言う。
やがて恩が報われ、
将来繁栄するのは当たり前のことである。
・・・「姑と嫁」の関係での「孝行は過去現在も珍しい」のである・・・
↓
老莱子(ろうらいし)
両親に仕えた人である。
老莱子が
七十歳になっても、
身体に派手な着物を着て、
子供の格好になって遊び、
子供のように
愚かな振る舞いをし、
また
親のために食事を運ぶ時も
わざと転んで
子供が泣くように泣いた。
これは、
老莱子が
七十歳の年寄りになって
若く美しくないところを見せると、
息子もこんな歳になったのかと
親が悲しむのを避け、
また
親自身が
年寄りになったと
悲しまないように、
こんな振る舞いをしたのである
・・・「福沢諭吉」が「ガクモンノすすめ(八)」で批判しているらしい・・・「親孝行のあり方」・・・
ーーーーー
日本聖書協会(1955年)
旧約聖書
創世記
第46章
46:1
イスラエルは
その持ち物をことごとく携えて旅立ち、
ベエルシバ・・・・・
に行って、
父イサクの神に
犠牲をささげた
46:2
この時、
神は夜の幻のうちに
イスラエルに語って言われた、
「ヤコブよ、
ヤコブよ」。
彼は言った、
「ここにいます」
46:3
神は言われた、
「私(わたし・ム・よこしま)は神、
あなたの父の神である。
エジプトに
下るのを恐れてはならない。
私(わたし・ム・よこしま)は
あそこであなたを
大いなる
国(くに・コク)民(たみ・ミン)にする
46:4
私(わたし・ム・よこしま)は
あなたと一緒にエジプトに下り、
また必ずあなたを導き上るであろう。
ヨセフ
が
手ずから
あなたの
目を閉じるであろう」
46:5
そして
ヤコブは
ベエルシバを立った。
イスラエルの子らは
ヤコブを乗せるために
パロの送った車に、
父ヤコブと
幼な子たちと
妻たちを乗せ、
46:6
また
その家畜と
カナンの地で得た財産を携え、
ヤコブとその子孫は
皆ともにエジプトへ行った
46:7
こうしてヤコブはその子と、
孫および娘と孫娘など
その子孫をみな連れて、
エジプトへ行った
46:8
イスラエルの子らで
エジプトへ行った者の名は
次のとおりである。
すなわち
ヤコブとその子らであるが、
ヤコブの長子は
ルベン・・・・
46:9
ルベンの子らは
ハノク・・・・
パル・・・・
ヘヅロン・・・・
カルミ・・・・
46:10
シメオンの子らは
エムエル、
ヤミン・・・・
オハデ・・・・
ヤキン・・・・
ゾハル・・・・
及び
カナンの女の産んだ子
シャウル・・・・
46:11
レビの子らは
ゲルション・・・・
コハテ・・・・
メラリ・・・・
46:12
ユダの子らは
エル・・・・
オナン・・・・
シラ・・・・
ペレヅ・・・・
ゼラ・・・・
エル・・・・
と
オナン・・・・
は
カナンの地で死んだ。
ペレヅの子らは
ヘヅロン・・・・
と
ハムル・・・・
46:13
イッサカルの子らは
トラ・・・・
プワ・・・・
ヨブ・・・・
シムロン・・・・
46:14
ゼブルンの子らは
セレデ、
エロン、
ヤリエル
46:15
これらと
娘デナとは
レア
が
パダンアラム
で
ヤコブに産んだ子らである。
その子らと娘らは合わせて
三十三人
46:16
ガドの子らは
ゼポン・・・・
ハギ・・・・
シュニ・・・・
エヅボン・・・・
エリ・・・・
アロデ・・・・
アレリ・・・・
46:17
アセルの子らは
エムナ、
イシワ、
イスイ、
ベリア
および妹
サラ・・・・
ベリアの子らは
ヘベル・・・・
と
マルキエル・・・・
46:18
これらは
ラバンが
娘レアに与えた
ジルパの子らである。
彼女はこれらを
ヤコブに産んだ。
合わせて
十六人
46:19
ヤコブの妻
ラケルの子らは
ヨセフ・・・・
と
ベニヤミン・・・・
とである
46:20
エジプトの国(くに・コク)で
ヨセフ
に
マナセ・・・・
と
エフライム・・・・
とが生れた。
これは
オン・・・・
の祭司
ポテペラ・・・・
の娘
アセナテ・・・・
が彼に産んだ者である
46:21
ベニヤミンの子らは
ベラ・・・・
ベケル・・・・
アシベル・・・・
ゲラ・・・・
ナアマン・・・・
エヒ・・・・
ロシ・・・・
ムッピム・・・・
ホパム・・・・
アルデ・・・・
46:22
これらは
ラケルが
ヤコブに産んだ子らである。
合わせて
十四人
46:23
ダンの子は
ホシム・・・・
46:24
ナフタリの子らは
ヤジエル・・・・
グニ・・・・
エゼル・・・・
シレム・・・・
46:25
これらは
ラバンが娘
ラケルに与えた
ビルハ・・・・
の子らである。
彼女はこれらを
ヤコブ
に産んだ。
合わせて
七人
46:26
ヤコブと共に
エジプトへ行ったすべての者、
すなわち
彼の身から出た者は
ヤコブの子らの
妻をのぞいて、
合わせて
六十六人であった
46:27
エジプトで
ヨセフに生れた子が
ふたりあった。
エジプトへ行った
ヤコブの家の者は合わせて
七十人であった
46:28
さてヤコブは
ユダ・・・・
をさきに
ヨセフ
につかわして、
ゴセン・・・・
で会おうと言わせた。
そして彼らは
ゴセンの地へ行った
46:29
ヨセフは車を整えて、
父イスラエルを迎えるために
ゴセン・・・・
に上り、
父に会い、
そのくびを抱き、
くびをかかえて久しく泣いた
46:30 時に、
イスラエルはヨセフに言った、
「あなたがなお生きていて、
私(わたし・ム・よこしま)は
あなたの顔を見たので
今は死んでもよい」
46:31
ヨセフは兄弟たちと父の家族とに言った、
「私(わたし・ム・よこしま)は上って
パロに言おう、
『カナンの地にいた
私(わたし・ム・よこしま)の
兄弟たちと
父の家族とが
私(わたし・ム・よこしま)の
所へきました
46:32
この者らは
羊を飼う者、
家畜の牧者で、
その
羊、
牛
および
持ち物をみな携えてきました』
46:33
もし
パロがあなたがたを召して、
『あなたがたの職業は何か』
と言われたら、
46:34
『しもべらは幼い時から、
ずっと家畜の牧者です。
我々(われわれ・ガガ)も、
我々(われわれ・ガガ)の
先祖もそうです』と言いなさい。
そうすれば
あなたがたは
ゴセンの地に
住むことができましょう。
羊飼はすべて、
エジプトびとの
忌む者だからです」
ーーーーー
・・・「エジプト人」は「すべての羊飼」を「忌む者」としていたのは何故か?・・・
・・・盲僧(鑑真)と孟宗の妄想と空想は尽きないと申(もう)そうか・・・ボク自身の妄想の白(もう)そう、デ、アルかな・・・
ーーーーー
孟宗(モウ ソウ)=孟仁(モウジン)
?~271年
中国
三国時代の
呉の人
字は恭武
荊州
江夏郡の出
「二十四孝」の一人
彼が冬に
母の為に寒中筍を掘り採った
「モウソウチク(孟宗竹)」の
名前の由来
↓
竹の幹は生長を終えると、
枝が毎年枝分かれしながら先へ伸びる
年輪の代わりに
この節数を数えるとその
竹の年齢を判定できる
稈の枝分かれ数が多くなり、
葉が増えた結果、
稈の頭が下がる
67年に1度、花が咲く
証明する記録は
2回あるダケ・・・らしい
↓
801年
(延暦二十年)
京都府
長岡京市
海印寺、
寂照院の開山
道雄上人が
唐から持ち帰った・・・
1228年(安貞二年)
曹洞宗の開祖
道元禅師が
宋から持ち帰った・・・
1736年
元文
元年三月
島津吉貴が、
琉球在番として
物頭
野村勘兵衛良昌に
「孟宗竹」の輸入を命じ、
勘兵衛は琉球滞在中に
清より輸入し、
1738年
元文三年
吉貴のいる
仙巌園に
「孟宗竹」を献上
(南聘紀考・下)の記録・・・
↓
孟宗竹の
竹の子(タケのコ)は
四月頃に地下茎から発芽
大型で肉厚(肉太)で
柔らかく、
えぐ味・・・・・あく(灰汁)味?
(渋味・収斂味
口中の
舌以外の
咽喉などへの
刺激に対応する
広義味覚を指して
苦味とは区別して用いる)
が少ないため食用に供される。
稈は繊細な細工物の素材としては
マダケに劣る
花器、
笊(ざる)、
籠(かご)、簾(すだれ)の竹細工、
箸の他、
建築材料、農業資材、漁業資材
などとして多様に用いられる
↓↑
孟宗・・・・孟(たけし)=子+皿
子=鼠→移鼠
皿=さら・ベイ
サラの子(義理の子)
イシュマエル
(奴隷女ハガルの子)
サラの実子
(アブラハムとサラの子)
イサク
お皿の子=処女の子
宗(むね・シュウ・ソウ)
宗=宀+示(二小)
若い頃、
南陽の
李肅(粛)・・・・李=木の子→鼠→則天武后
↓ 木材屋の
武士彠の次女(武照)
690年
周王朝女帝として即位
郭務悰の親戚・・・?
義理の甥は
武三思と武承嗣
郭威は五代後周の王
954年死亡
粛(つつしむ)→蕭淑妃←猫
蕭=蓬(よもぎ)・蕭艾
鞭聲粛粛夜過河( 山陽)
↓ 蕭氏は王皇后とともに
則天武に殺され、
「梟(フクロウ・不幸鳥・猫鳥
子が親を食う不孝の鳥)」
↓ と改姓された
長孫 無忌(无忌)は
武照皇后即位の反対派
長孫皇后(唐の太宗后)
の兄
高祖(李治)の外戚
「長孫無忌」は
↓ 「随書(俀国伝・邪靡堆・阿毎伝)」編纂
倭=俀(よわい・タイ・テイ)
俀=人+妥(おだやか・やすらか)
妥=爪+女
妥協・妥当
「𢼻=妥+攴」は妥の異体字
「攴(うつ・ボク)」=棒・杖
人が爪の女人を穏やかに「攻撃、叩く」?
邪馬台=邪靡堆→靡(なびく)碓(うす)
阿毎(あまい・アブ)=阿倍(アベ)
阿倍仲麻呂は玄宗皇帝の図書館長
↓
の元で学問を学ぶ
彼の母は
厚く大きな
布団を作ってやった・・・布団=寝衾(ねぶすま)
衾は掛け布団
邇々芸が
天孫降臨時に
包まれた布団
母は
「わが子は
客人を招くような徳がなく、
学問を志す者には
貧しい人が多いでしょうから、
大きな布団を作り、
素性が似た人同士で
交友するようになるよう
願ったのです」
と・・・
後、
朱拠の軍吏となり、
母を連れて軍営で暮らした
それまで
志を得られず、
住まいが
雨漏りしたので、
孟宗は泣いて母に謝った。
母は
「今はただ励み勉める時です。
泣くほどの事でしょうか」
と言った
朱拠は彼を・・・・・・朱=牛+木・拠=扌+処
主居、葉、被、緒
塩池司馬に任命・・・・奄地→奄美(琉球・沖縄)
琉球の芝(柴)
遠地の伺馬(馬太・馬可)
遠地=遠州・遠江国・浜名湖
塩地=塩田→赤穂
あるとき
孟宗は自分で
網を作って
魚を捕らえ、・・・・・魚=まな→真名仮名
真名仮名=漢字
魚の漬物を作って
母・・・・・・・・・・母=はは・ボ・モ
葉々・簿・摸
ボ=戊・模・姥・慕
に食べさせようとしたが
母はそれを返し
「お前は
魚を管理する官なのだから、
私に
魚を送ってきては
嫌疑をかけられます」
と窘めた。
また母が
筍(竹の子)を好んだため、
冬で筍が採れる季節ではない時、
孟宗が竹林に入って哀嘆したところ、
筍が生えてきたため
母に食べさせる事ができた・・・
後、
孟宗は
呉県令に昇進
呉では
孫権により、
親が死んだ場合でも
長官は後任が来るまで
喪に服する事は出来ない事とされており、
違反ば死刑
しかし、
孟宗は
母の死に際して
その
禁を犯し、
県令の地位を捨ててまで
喪に服した
拘禁され
刑を執行されそうになった時
陸遜が彼を助命嘆願し
孫権は孟宗の罪一等を減じた
官に復帰し、
太平三年(258年)
光禄勲(地位)となった上で、
孫綝らによる
孫亮の廃位に加わった
永安五年(262年)
右御史大夫に昇進
孫皓が即位
孫皓の字が
元宗であったため、
「孟宗」は
その字を避けて
「孟仁」と改名
宝鼎三年(268年)
司空に昇進
建衡三年(271年)
死去
ーーーーー
どうやら「ヨセフ(誉世夫)」は「占い師(44:5&44:15」でもあったようである、が・・・「よせふ=寄せ夫・寄せ付」・・・「寄せ口=寄せコ=イタコ=エチコ・イタカ・イチコ・モリコ」・・・男の巫(みこ)の漢字は「覡(かんなぎ・こうなぎ・みこ・いちこ)=巫+見」・・・
ーーーーー
日本聖書協会(1955年)
旧約聖書
創世記
第42章
42:1
ヤコブは
エジプトに
穀物があると知って、
息子(むすこ・ソクシ)たちに言った、
「あなたがたは
なぜ
顔・・・・・・・顔=彦+頁
を
見合わせて
いるのですか」
42:2
また言った、
「エジプトに
穀物があるということだが、
あなたがたはそこへ下って行って、
そこから、
我々(われわれ・ガガ)のため
穀物
を
買ってきなさい。
そうすれば、
我々(われわれ・ガガ)は
生きながらえて、
死を免れるであろう」
42:3
そこで
ヨセフの
十人・・・・・・・・足人
の
兄弟は
穀物
を買うために
エジプトへ下った
42:4
しかし、
ヤコブは
ヨセフの
弟
ベニヤミン
を
兄弟たちと
一緒にやらなかった。
彼が
災(わざわい・サイ)・・・災=巛+火
わざ
「技・伎・芸・業
和座・態・倆」
の
わい
「話意・倭意・和意
Y・歪」
に会うのを
恐れたからである
42:5
こうして
イスラエルの子らは
穀物を買おうと
人々に
交じってやってきた。
カナンの地に
飢饉(キキン)が
あったからである
42:6
ときに
ヨセフは
国(くに・コク)
の
司(つかさ・シ)であって、
国(くに・コク)の
すべての
民(たみ・ミン)に
穀物を売ることをしていた。
ヨセフの兄弟たちはきて、
地にひれ伏し、・・・・知(字)に比例附して
ひれ伏=「鰭・簸」臥
彼を拝した
42:7
ヨセフ
は
兄弟たちを見て、
それと知ったが、
彼らに向かっては
知らぬ者のようにし、
荒々しく語った。
すなわち彼らに言った、
「あなたがたは
どこからきたのか」。
彼らは答えた、
「食糧を買うために
カナン
の
地
からきました」
42:8
ヨセフは、
兄弟たちであるのを
知っていたが、
彼らは
ヨセフ・・・・・寄せ譜
とは
知らなかった
42:9
ヨセフ
は
嘗(かつ)て・・・・嘗(なめ)る
臥薪嘗胆
彼らについて
見た夢を思い出して、
彼らに言った、
「あなたがたは
回し者で、
この国(くに・コク)の
隙(すき・間隙)を
うかがう
ためにきたのです」
42:10
彼らはヨセフに答えた、
「いいえ、
わが主よ、
しもべらは
ただ
食糧を
買うためにきたのです
42:11
我々(われわれ・ガガ)は
皆、
ひとりの人の子で、
真実な者です。
しもべらは
回し者では
ありません」
42:12
ヨセフは彼らに言った、
「いや、あなたがたは
この国(くに・コク)の
隙(すき・間隙)を
うかがう
ために
きたのです」
42:13
彼らは言った、
「しもべらは
十二人
兄弟で、
カナンの地にいる
ひとりの人の子です。
末
の
弟
は
今、
父と一緒にいますが、
他のひとりは
いなくなりました」
42:14
ヨセフは彼らに言った、
「私(わたし・ム・よこしま)が
言ったとおり、
あなたがたは
回し者です
42:15
あなたがたを
こうして
試(ため・シ)してみよう。
パロのいのちにかけて誓います。
末の弟がここにこなければ、
あなたがたは
ここを出ることはできません
42:16
あなたがたの
ひとりをやって
弟を連れてこさせなさい。
それまで
あなたがたをつないでおいて、
あなたがたに
誠実
が
あるかどうか、
あなたがたの
言葉を試(ため・シ)してみよう。
パロの
いのちにかけて誓います。
あなたがたは
確かに回し者です」
42:17
ヨセフは
彼らをみな
一緒に
三日の間、
監禁所に入れた
42:18
三日目に
ヨセフは彼らに言った、
「こうすれば
あなたがたは
助かるでしょう。
私(わたし・ム・よこしま)は
神を恐れます
42:19
もし
あなたがたが真実な者なら、
兄弟のひとりを
あなたがたのいる
監禁所に残し、
あなたがたは
穀物を携えて行って、
家族の
飢えを救いなさい
42:20
そして
末の弟を
私(わたし・ム・よこしま)の
もとに
連れてきなさい。
そうすれば
あなたがたの言葉の
本当(ほんとう)で
あることがわかって、
死を免れるでしょう」。
彼らはそのようにした
42:21
彼らは互に言った、
「確かに我々(われわれ・ガガ)は
弟の事で罪がある。
彼が
仕切(しきり)に
願った時、
その
心の苦しみを見ながら、
我々(われわれ・ガガ)は
聞き入れなかった。
それでこの
苦しみに会うのだ」
42:22
ルベンが
彼らに答えて言った、
「私(わたし・ム・よこしま)は
あなたがたに、
この子供に
罪を犯すな
と
言ったではないか。
それにもかかわらず、
あなたがたは
聞き入れなかった。
それで
彼の
血の
報いを
受けるのです」
42:23
彼らは
ヨセフが
聞きわけているのを
知らなかった。
相互の間に
通訳者・・・・・翻訳者
が
いた・・・・・・意他
から・・・・・・唐
で・・・・・・・出
ある
42:24
ヨセフは
彼らを離れて
行って
泣き、
また
帰ってきて
彼らと語り、
そのひとり
シメオン
を捕えて、
彼らの
目の前で縛った
42:25
そして
ヨセフは
人々に命じて、
彼らの
袋に
穀物を満たし、
めいめい
の
銀を袋に返し、
道中の食料を
与えさせた。
ヨセフは
このように彼らにした
42:26
彼らは
穀物を
驢馬(ロバ)・・・・賂葉
に
負わせて
そこを去った
42:27
そのひとりが
宿で、
驢馬(ロバ)に
飼葉を
やるため
袋をあけて見ると、
袋の口
に自分の
銀があった
42:28
彼は兄弟たちに言った、
「私(わたし・ム・よこしま)の
銀は返してある。
しかも
見よ、
それは袋の中にある」。
そこで彼らは非常に驚き、
互に震えながら言った、
「神が我々(われわれ・ガガ)に
されたこのことは
何事だろう」
42:29
こうして
彼らは
カナンの地にいる
父
ヤコブ
のもとに帰り、
その身に起った事を
ことごとく
告げて言った、
42:30
「あの国(くに・コク)の
君は、・・・・訓葉
我々(われわれ・ガガ)に
荒々(あらあら・コウコウ)・・・あらあら
粗粗・新新
しく・・・・・・・・・・・・・・詞句・詩句
語り、
国(くに・コク)を
うかがう
回し者だと言いました
42:31
我々(われわれ・ガガ)は
彼に答えました、
『我々(われわれ・ガガ)は
真実な者であって
回し者ではない
42:32
我々(われわれ・ガガ)は
十二人兄弟で、
同じ父の子である。
ひとりはいなくなり、
末の弟は
今
父と共に
カナンの地にいる』
42:33
その
国(くに・コク)の
君である
その人は
我々(われわれ・ガガ)に言いました、
『私(わたし・ム・よこしま)は
こうして
あなたがたの
真実な者であるのを知ろう。
あなたがたは
兄弟のひとりを
私(わたし・ム・よこしま)の
もとに残し、
穀物を携えて行って、
家族の飢えを救いなさい
42:34
そして
末の弟を
私(わたし・ム・よこしま)のもとに
連れてきなさい。
そうすれば
あなたがたが
回し者ではなく、
真実な者であるのを知って、
あなたがたの
兄弟を返し、
この国(くに・コク)で
あなたがたに
取引させましょう』」
42:35
彼らが
袋のものを出して見ると、
めいめいの
金包みが
袋の中にあったので、
彼らも父も
金包みを見て恐れた
42:36
父ヤコブは
彼らに言った、
「あなたがたは
私(わたし・ム・よこしま)に
子を失わせた。
ヨセフはいなくなり、
シメオンもいなくなった。
今度は
ベニヤミン
をも取り去る。
これらは
みな
私(わたし・ム・よこしま)の
身に
ふりかかって
来るのだ」
42:37
ルベンは
父に言った、
「もし私(わたし・ム・よこしま)が
彼を
あなたのもとに
連れて帰らなかったら、
私(わたし・ム・よこしま)の
ふたりの子を
殺してください。
ただ
彼を
私(わたし・ム・よこしま)の
手にまかせてください。
私(わたし・ム・よこしま)は
きっと、
あなたのもとに
彼を連れて帰ります」
42:38
ヤコブは言った、
「私(わたし・ム・よこしま)の子は
あなたがたと
共に下って行ってはならない。
彼の兄は死に、
ただ
ひとり彼が残っているのだから。
もし
あなたがたの
行く道で
彼が
災(わざわい・サイ)に会えば、
あなたがたは、
白髪(しらが・ハクハツ)
の
私(わたし・ム・よこしま)
を悲しんで
陰府に
下らせるであろう」
第43章
43:1
飢饉(キキン)は
その地に激しかった
43:2
彼らが
エジプトから携えてきた
穀物を
食い尽した時、
父は彼らに言った、
「また
行って、
我々(われわれ・ガガ)のために
少しの
食糧を買ってきなさい」
43:3
ユダは父に答えて言った、
「あの人は
我々(われわれ・ガガ)を
きびしく戒めて、
弟が一緒でなければ、
私(わたし・ム・よこしま)の
顔を
見てはならないと言いました
43:4
もし
あなたが
弟を我々(われわれ・ガガ)と
一緒にやってくださるなら、
我々(われわれ・ガガ)は
下って行って、
あなたのために
食糧を買ってきましょう
43:5
しかし、
もし
彼をやられないなら、
我々(われわれ・ガガ)は
下って行きません。
あの人が
我々(われわれ・ガガ)に、
弟が一緒でなければ
私(わたし・ム・よこしま)の
顔を
見てはならないと
言ったのですから」
43:6
イスラエルは言った、
「なぜ、
もうひとりの弟が
あると
あの人に言って、
私(わたし・ム・よこしま)を
苦しめるのか」
43:7
彼らは言った、
「あの人が
我々(われわれ・ガガ)と
一族とのことを
問いただして、
父はまだ生きているか、
もうひとりの弟が
あるかと言ったので、
問われるままに
答えましたが、
その人が、
弟を連れてこいと言おうとは、
どうして
知ることができたでしょう」
43:8
ユダは
父イスラエルに言った、
「あの子を
私(わたし・ム・よこしま)と
一緒にやってくだされば、
我々(われわれ・ガガ)は
立って行きましょう。
そして
我々(われわれ・ガガ)も
あなたも、
我々(われわれ・ガガ)の
子供らも
生きながらえ、
死を
免れましょう
43:9
私(わたし・ム・よこしま)が
彼の身を請け合います。
私(わたし・ム・よこしま)の
手から
彼を求めなさい。
もし
私(わたし・ム・よこしま)が
彼をあなたのもとに連れ帰って、
あなたの前に置かなかったら、
私(わたし・ム・よこしま)は
あなたに対して
永久に
罪を負いましょう
43:10
もし
我々(われわれ・ガガ)が
こんなに
ためらわなかったら、
今ごろは
二度も行って
きたでしょう」
43:11
父イスラエルは
彼らに言った、
「それではこうしなさい。
この国(くに・コク)の
名産を
器(うつわ・キ)
に入れ、
携え下って
その人に
贈り物にしなさい。
すなわち
少しの乳香、
少しの蜜、
香料、
もつやく、
ふすだしう、
あめんどう
43:12
そして
その上に、
倍額の銀を
手に持って行きなさい。
また
袋の口に返してあった
銀は持って行って返しなさい。
たぶんそれは
誤りで
あったのでしょう
43:13
弟も連れ、
立って、
また
その人の所へ行きなさい
43:14
どうか
全能の神が
その人の前で
あなたがたを
あわれみ、
もう
ひとりの兄弟と
ベニヤミンとを、
返させてくださるように。
もし
私(わたし・ム・よこしま)が
子を失わなければならないのなら、
失ってもよい」
43:15
そこで
その人々は
贈り物を取り、
また
倍額の銀を携え、
ベニヤミンを連れ、
立って
エジプトへ下り、
ヨセフの前に立った
43:16
ヨセフは
ベニヤミン
が彼らと共にいるのを見て、
家づかさに言った、
「この人々を
家に連れて行き、
獣を
ほふって、
したくするように。
この人々は
昼、
私(わたし・ム・よこしま)と
一緒に食事をします」
43:17
その人は
ヨセフの言ったようにして、
この人々を
ヨセフの家へ連れて行った
43:18
ところが
この人々は
ヨセフの家へ連れて行かれたので
恐れて言った、
「初めの時に
袋に返してあったあの銀のゆえに、
我々(われわれ・ガガ)を
引き入れたのです。
そして
我々(われわれ・ガガ)を
襲い、
攻め、
捕えて
奴隷とし、
我々(われわれ・ガガ)の
驢馬(ロバ)をも
奪うのです」
43:19
彼らは
ヨセフの家づかさに近づいて、
家の入口で、
言った、
43:20
「ああ、わが主よ、
我々(われわれ・ガガ)は
最初、
食糧を買うために
下ってきたのです
43:21
ところが
宿に行って袋をあけて見ると、
めいめいの銀は
袋の口にあって、
銀の重さは元のままでした。
それで
我々(われわれ・ガガ)は
それを持って参りました
43:22
そして
食糧を買うために、
ほかの銀をも持って下ってきました。
我々(われわれ・ガガ)の銀を
袋に入れた者が、
だれであるかは
分りません」
43:23
彼は言った、
「安心しなさい。
恐れてはいけません。
その宝は
あなたがたの神、
あなたがたの父の神が、
あなたがたの袋に入れて
あなたがたに賜わったのです。
あなたがたの銀は
私(わたし・ム・よこしま)が
受け取りました」。
そして
彼は
シメオン
を彼らの所へ連れてきた
43:24
こうして
その人は
この人々を
ヨセフの家へ導き、
水を与えて
足を洗わせ、
また、
驢馬(ロバ)に
飼葉を与えた
43:25
彼らは
その所で
食事をするのだと聞き、
贈り物を整えて、
昼に
ヨセフの来るのを待った
43:26
さて
ヨセフが
家に帰ってきたので、
彼らは
その家に携えてきた
贈り物を
ヨセフにささげ、
地に伏して、
彼を拝した
43:27
ヨセフは
彼らの
安否を問うて言った、
「あなたがたの父、
あなたがたが
さきに話していた
その老人は無事ですか。
なお
生きながらえて
おられますか」
43:28
彼らは答えた、
「あなたのしもべ、
我々(われわれ・ガガ)の父は
無事で、
なお
生きながらえています」。
そして
彼らは、
頭をさげて拝した
43:29
ヨセフは
目を
あげて
同じ母の子である
弟
ベニヤミンを見て言った、
「これは
あなたがたが
前に
私(わたし・ム・よこしま)に
話した
末の弟ですか」。
また言った、
「わが子よ、
どうか
神が
あなたを
恵まれるように」
43:30
ヨセフは
弟なつかしさに心がせまり、
急いで
泣く場所をたずね、
へやに
はいって
泣いた
43:31
やがて
彼は
顔を洗って出てきた。
そして
自分を制して言った、
「食事にしよう」
43:32
そこで
ヨセフは
ヨセフ、
彼らは
彼ら、
陪食の
エジプトびとは
エジプトびと、
と
別々に席に着いた。
エジプトびとは
ヘブルびとと共に
食事することができなかった。
それは
エジプトびとの
忌むところで
あったからである
43:33
こうして
彼らは
ヨセフの前に、
長子は長子として、
弟は弟として
すわらせられたので、
その人々は
互に驚いた
43:34
また
ヨセフの前から、
めいめいの分が運ばれたが、
ベニヤミンの分は
他のいずれの者の分よりも
五倍
多かった。
こうして
彼らは飲み、
ヨセフと共に楽しんだ
第44章
44:1
さて
ヨセフは
家づかさに命じて言った、
「この人々の袋に、
運べるだけ
多くの食糧を満たし、
めいめいの銀を
袋の口に
入れておきなさい
44:2
また
私(わたし・ム・よこしま)の杯、
銀の杯を
あの
年下の者の袋の口に、
穀物の
代金と共に入れておきなさい」。
家づかさは
ヨセフの
言葉のとおりにした
44:3
夜が明けると、
その人々と、
驢馬(ロバ)
とは送り出されたが、
44:4
町を出て、
まだ遠くへ行かないうちに、
ヨセフは
家づかさに言った、
「立って、
あの人々の
あとを追いなさい。
追いついて、
彼らに言いなさい、
『あなたがたは
なぜ
悪を
もって
善に
報いるのですか。
なぜ
私(わたし・ム・よこしま)の
銀の杯を
盗んだのですか
44:5
これは
私(わたし・ム・よこしま)の
主人が
飲む時に使い、
また
いつも
占い
に
用いるものではありませんか。
あなたがたのした事は
悪いことです』」
44:6
家づかさが
彼らに追いついて、
これらの言
葉を
彼らに告げたとき、
44:7
彼らは言った、
「わが主は、
どうしてそのようなことを
言われるのですか。
しもべらは
決して
そのようなことはいたしません
44:8
袋の口で見つけた銀でさえ、
カナンの地から
あなたの所に
持ち帰ったほどです。
どうして、
我々(われわれ・ガガ)は
御主人の家から
銀や金を盗みましょう
44:9
しもべらのうちの
だれの所でそれが見つかっても、
その者は死に、
また
我々(われわれ・ガガ)は
わが主の
奴隷となりましょう」
44:10
家づかさは言った、
「それでは
あなたがたの
言葉のようにしよう。
杯の見つかった者は
私(わたし・ム・よこしま)の
奴隷とならなければならない。
ほかの者は
無罪です」
44:11
そこで
彼らは、
めいめい
急いで
袋を
地におろし、
ひとりひとり
その袋を開いた
44:12
家づかさは
年上から
捜し始めて
年下
に終ったが、
杯は
ベニヤミン
の袋の中にあった
44:13
そこで
彼らは
衣服を裂き、
おのおの、
驢馬(ロバ)に
荷を
負わせて
町に引き返した
44:14
ユダ
と
兄弟たちとは、
ヨセフの家にはいったが、
ヨセフが
なお
そこにいたので、
彼らは
その前で
地にひれ伏した
44:15
ヨセフは
彼らに言った、
「あなたがたの
この
仕業(しわざ・シギョウ)は
何事ですか。
私(わたし・ム・よこしま)の
ような人は、
必ず
占い当てることを
知らないのですか」
44:16
ユダは言った、
「我々(われわれ・ガガ)は
わが主に
何を言い、
何を述べ得ましょう。
どうして
我々(われわれ・ガガ)は
身の潔白を
あらわし得ましょう。
神が
しもべらの
罪をあばかれました。
我々(われわれ・ガガ)と、
杯を持っていた者とは
共に
わが主の
奴隷
となりましょう」
44:17
ヨセフは言った、
「私(わたし・ム・よこしま)は
決して
そのようなことはしない。
杯を持っている者だけが
私(わたし・ム・よこしま)の
奴隷とならなければならない。
ほかの者は
安全に
父のもとへ上って行きなさい」
44:18
この時ユダは彼に近づいて言った、
「ああ、わが主よ、
どうぞ
わが主の耳に
ひとこと言わせてください。
しもべを
おこらないでください。
あなたは
パロ
のようなかたです
44:19
わが主は
しもべらに尋ねて、
『父があるか、
また弟があるか』
と言われたので、
44:20
我々(われわれ・ガガ)は
わが主に言いました、
『我々(われわれ・ガガ)には
老齢の父があり、
また
年寄り子の
弟があります。
その
兄は死んで、
同じ
母の子で
残っているのは、
ただ
これだけですから
父はこれを
愛しています』
44:21
その時
あなたは
しもべらに言われました、
『その者を
私(わたし・ム・よこしま)の所へ
連れてきなさい。
私(わたし・ム・よこしま)は
この目で
彼を見よう』
44:22
我々(われわれ・ガガ)は
わが主に言いました。
『その子供は
父を離れることができません。
もし
父を離れたら
父は死ぬでしょう』
44:23
しかし、
あなたは
しもべらに言われました、
『末の弟が
一緒に下ってこなければ、
おまえたちは
再び
私(わたし・ム・よこしま)の
顔
を見ることは
できない』
44:24
それで
あなたのしもべで
ある
父のもとに
上って、
わが主の
言葉を
彼に告げました
44:25
ところで、
父が
『おまえたちは
再び行って、
我々(われわれ・ガガ)のために
少しの
食糧を買ってくるように』
と言ったので、
44:26
我々(われわれ・ガガ)は
言いました、
『我々(われわれ・ガガ)は
下って行けません。
もし
末の弟が一緒で
あれば
行きましょう。
末の弟が一緒でなければ、
あの人の
顔を見ることが
できません』
44:27
あなたのしもべで
ある父は
言いました、
『おまえたちの
知っているとおり、
妻は
私(わたし・ム・よこしま)に
ふたりの子を産んだ
44:28
ひとりは外へ出たが、
きっと
裂き殺されたのだと思う。
私(わたし・ム・よこしま)は
今になっても
彼を見ない
44:29
もし
おまえたちが
この子をも
私(わたし・ム・よこしま)から
取って行って、
彼が
災(わざわい・サイ)に
会えば、
おまえたちは、
白髪(しらが・ハクハツ)の
私(わたし・ム・よこしま)を
悲しんで
陰府に下らせるであろう』
44:30
私(わたし・ム・よこしま)が
あなたの
しもべである
父のもとに
帰って行くとき、
もし
この子供が一緒にいなかったら、
どうなるでしょう。
父の魂は
子供の魂に
結ばれているのです
44:31
この子供が
我々(われわれ・ガガ)と
一緒にいないのを見たら、
父は死ぬでしょう。
そうすれば
しもべらは、
あなたのしもべである
白髪(しらが・ハクハツ)の父を
悲しんで
陰府に下らせることになるでしょう
44:32
しもべは
父に
この子供の身を請け合って
『もし
私(わたし・ム・よこしま)が
この子を
あなたのもとに
連れ帰らなかったら、
私(わたし・ム・よこしま)は
父に対して
永久に
罪を負いましょう』
と言ったのです
44:33
どうか、
しもべを
この子供の代りに、
わが主の
奴隷としてとどまらせ、
この子供を
兄弟たちと一緒に
上り行かせてください、
44:34
この子供を連れずに、
どうして
私(わたし・ム・よこしま)は
父のもとに
上り行くことができましょう。
父が
災(わざわい・サイ)に
会うのを見るに
忍びません」
第45章
45:1
そこで
ヨセフは
そばに立っている
すべての人の前で、
自分を
制しきれなくなったので、
「人は皆ここから出てください」
と呼ばわった。
それゆえ
ヨセフが
兄弟たちに
自分のことを
明かした時、
ひとりも
彼の
そばに立っている者はなかった
45:2
ヨセフは
声をあげて泣いた。
エジプトびとは
これを聞き、
パロの家も
これを聞いた
45:3
ヨセフは
兄弟たちに言った、
「私(わたし・ム・よこしま)は
ヨセフです。
父はまだ
生きながらえていますか」。
兄弟たちは
答えることができなかった。
彼らは
驚き
恐れたからである
45:4
ヨセフは
兄弟たちに言った、
「私(わたし・ム・よこしま)に
近寄ってください」。
彼らが近寄ったので
彼は言った、
「私(わたし・ム・よこしま)は
あなたがたの弟
ヨセフ
です。
あなたがたが
エジプトに
売った者です
45:5
しかし
私(わたし・ム・よこしま)を
ここに売ったのを
嘆くことも、
悔むこともいりません。
神は命を救うために、
あなたがたより
さきに
私(わたし・ム・よこしま)を
つかわされたのです
45:6
この
二年の間、
国(くに・コク)中に
飢饉(キキン)があったが、
なお
五年の間は
耕すことも
刈り入れることも
ないでしょう
45:7
神は、
あなたがたの
すえを地に
残すため、
また
大いなる
救をもって
あなたがたの命を助けるために、
私(わたし・ム・よこしま)を
あなたがたより
さきに
つかわされたのです
45:8
それゆえ
私(わたし・ム・よこしま)を
ここに
つかわしたのは
あなたがたではなく、
神です。
神は
私(わたし・ム・よこしま)を
パロの父とし、
その
全家の主とし、
また
エジプト全国(くに・コク)の
司(つかさ・シ)
とされました
45:9
あなたがたは
父のもとに
急ぎ上って言いなさい、
『あなたの子ヨセフが、
こう言いました。
神が
私(わたし・ム・よこしま)を
エジプト全国(くに・コク)の
主とされたから、
ためらわずに
私(わたし・ム・よこしま)
の所へ下ってきなさい
45:10
あなたは
ゴセン
の地に住み、
あなたも、
あなたの子らも、
孫たちも、
羊も
牛も、
その他のものも
みな、
私(わたし・ム・よこしま)
の近くにおらせます
45:11
飢饉(キキン)は
なお
五年
つづきますから、
あなたも、
家族も、
その他のものも、
みな困らないように、
私(わたし・ム・よこしま)は
そこで
養いましょう』
45:12
あなたがたと
弟ベニヤミンが
目に見るとおり、
あなたがたに
口ずから
語っているのは
この
私(わたし・ム・よこしま)です
45:13
あなたがたは
エジプトでの、
私(わたし・ム・よこしま)の
いっさいの
栄えと、
あなたがたが見る
いっさいの事を
私(わたし・ム・よこしま)の
父に告げ、
急いで
私(わたし・ム・よこしま)の
父を
ここへ連れ下りなさい」
45:14
そして
ヨセフは
弟
ベニヤミン
の
くび
を抱いて泣き、
ベニヤミンも
彼の
くび
を抱いて泣いた
45:15
また
ヨセフは
すべての兄弟たちに
口づけし、
彼らを抱いて泣いた。
そして後、
兄弟たちは
彼と語った
45:16
時に、
「ヨセフの兄弟たちがきた」
と言う
うわさが
パロの家に聞えたので、
パロと
その家来たちとは喜んだ
45:17
パロはヨセフに言った、
「兄弟たちに言いなさい、
『あなたがたは、
こうしなさい。
獣に荷を負わせて
カナンの地へ行き、
45:18
父と家族とを連れて
私(わたし・ム・よこしま)の
もとへきなさい。
私(わたし・ム・よこしま)は
あなたがたに、
エジプトの地の
良い物を与えます。
あなたがたは、
この国(くに・コク)の
最も良いものを
食べるでしょう』
45:19
また彼らに命じなさい、
『あなたがたは、
こうしなさい。
幼な子たちと
妻たちのために
エジプトの地から
車をもって行き、
父を連れてきなさい
45:20
家財に心を引かれてはなりません。
エジプト全国(くに・コク)の
良い物は、
あなたがたのものだからです』」
45:21
イスラエルの子らは
そのようにした。
ヨセフは
パロの命に従って彼らに
車を与え、
また途中の食料をも与えた
45:22
また
めいめいに
晴着を与えたが、
ベニヤミン
には
銀三百シケル
と
晴着
五着
とを与えた
45:23
また
彼は父に次のようなものを贈った。
すなわち
エジプトの良い物を負わせた
驢馬(ロバ)
十頭と、
穀物、
パン
及び
父の道中の
食料を負わせた
雌驢馬(ロバ)
十頭
45:24
こうして
ヨセフは
兄弟たちを送り去らせ、
彼らに言った、
「途中で争ってはなりません」
45:25
彼らは
エジプトから上って
カナンの地に入り、
父ヤコブのもとへ行って、
45:26
彼に言った、
「ヨセフはなお生きていて
エジプト全国(くに・コク)の
司(つかさ・シ)です」。
ヤコブは気が遠くなった。
彼らの言うことが
信じられなかったからである
45:27
そこで
彼らは
ヨセフが語った言葉を残らず彼に告げた。
父ヤコブはヨセフが
自分を乗せるために送った
車を見て
元気づいた
45:28
そして
イスラエルは言った、
「満足だ。
わが子ヨセフがまだ生きている。
私(わたし・ム・よこしま)は
死ぬ前に行って
彼を見よう」
ーーーーー