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松・浦・武・四・郎・・・の「文字タマ」・・・

2015-04-13 22:11:31 | 古事記字源

 ・・・何度も、何度も書き込んできたが・・・「松浦武四郎」の断片記事の文字の「?」・・・「北海道=蝦夷」で生まれたのに、まッたく「北海道の歴史知らずの人間」だった。小中学校、高校でも教えられるコトもなかった。暇(ひま)な時間をロスアンジェルス滞在中に「ひのもと文庫」に通い、日本語の書籍を借りてきては読書三昧・・・ロスアンジェルスでの生活は「日本語の不自由」はまったくなかった「日本人社会」での環境・・・ボクの二度目の渡米、何が目的だったんだか。兎に角、聴き取れない英語の勉強なんて、そっちのけ・・・今現在、ブログで調べたら、「天理図書館のロサンゼルスのアメリカ伝道庁の『ひのもと文庫』が開館されたのは1954年5月29日」とあった。 
 ・・・『ひのもと文庫』で日本語の勉強。そして、日系人のコト(歴史)を知ったのが下宿させてもらった広島から「アメリカに移民」した老夫婦のハナシを通して・・・「一攫千金のハナシをモノガタリ」にしようと、書き始めたのが、ボクの「ド素人の小説」・・・ 
  ↓ 
「エメラルドブルーの謎 
(碧き眼の人形伝説)」 
初稿1979年ロスにて 
改稿1988年 
改稿1993年 
改稿2004年 
by goro naie 
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/blue/blue9a9.htm 

 ・・・帰国に際しては「古本の大蔵経(大正新脩大藏經・大正一切経刊行会)・大正13年(1924年)~昭和9年(1934年)」を全巻、ロスで買いこんできたが・・・「松浦武四郎」を知ったのは帰国後、名古屋の今池に住みだしてから・・・古本屋で探したが彼に関する「本」は手に入らず、「百科事典」ぐらいからの知識。当時はインターネットなどと云う情報提供のシロモノも無く、高額なワープロ全盛期・・・大須に移転して、「阪神・淡路大震災」は1995年(平成7年)1月17日(火)5時46分52秒に発生、その時はボクの「ホームページ(ソフトバンク)」は既につくっていた?・・・2001年・・・「松浦武四郎記念館」のブログ記事を発見したのは「小説の改稿が2004年」前のコトだから、・・・調べてみたら「ブログ日記」を書き始めたのが「2006年03月26日」・・・記憶が曖昧である・・・ 
ーーーーー 
 以下の歴史年表の 
 参考、参照の原文は 
 三重県 
 松阪市 
 教育委員会事務局 
 松浦武四郎 
 記念館の 
 ブログ記事より 
 抜粋添付させてもらいました 
  ↓ 
 松浦武四郎 
 年齢はすべて数え年 
 年号は生年を除いて、 
 途中で改元になった場合は、 
 新しい年号で表記 
  ↓ 
諸国遍歴 
西暦日本年号 日本、武四郎の主な出来事 
 ↓↓     ↓ 
1818文化15→伊能忠敬没 
      松浦時春(桂介)の四男として 
      「竹四郎」が誕生 1歳 
1821文政 4→「大日本沿海輿地全図」完成 4歳 
1824文政 7→近くの寺で読み書きを習い、 
      「名所図会」を愛読 7歳 
1825文政 8→異国船打払令 
      武四郎 8歳 
1828文政11→シーボルト事件 
      武四郎 11歳 
1830天保元→文政のおかげ参り 
      津藩平松楽斎の私塾に学ぶ 13歳~16歳 
1833天保 4→天保の大飢饉(~39) 
      武四郎 
      手紙を残して突然家出 
      江戸で見つかり連れ戻される 16歳 
1834天保 5→水野忠邦老中就任 
      武四郎 
      全国を巡る旅に出る。 
      近畿→中国→四国→近畿 17歳 
1835天保 6→近畿→北陸→甲信越→ 
      東北→関東→中部→近畿→四国 18歳 
1836天保 7→四国八十八ヶ所霊場巡礼 
      近畿→山陰→山陽(鞆の浦) 19歳 
1837天保 8→大塩平八郎の乱 
      モリソン号事件 
      武四郎 
      山陽→九州一周 20歳 
1838天保 9→武四郎 
      長崎で大病、 
      「禅林寺」で出家し 
      僧侶 
      「文桂」となる 21歳 
1839天保10→蛮社の獄 
      渡辺崋山、 
      高野長英、 
      小関三英 
      らを弾圧 
      武四郎 
      平戸の 
      「千光寺」で住職を務める 22歳~24歳まで 
1840天保11→清、イギリスとアヘン戦争(40~42) 
      武四郎 23歳 
1841天保12→天保の改革(水野忠邦) 
      武四郎 24歳 
1842天保13→天保の薪水給与令 
      武四郎 
      対馬から 
      朝鮮半島へ渡ろうとしたが果たせず 25歳 
1843天保14→老中は阿部正弘 
      武四郎 
      長崎で 
      ロシア南下の危機を知り、 
      一転蝦夷地を目指す、 
      郷里へ戻り参宮と父母の墓に参る 
      「西海雑誌」を著す 26歳 
1844弘化元→フランス船が 
      琉球来航、 
      オランダ国王が開国勧告 
      武四郎 
      郷里で 
      「四国遍路道中雑誌」を執筆、 
      青森の 
      鰺ヶ沢まで行き蝦夷地を目指すが、 
      松前藩の取締りが厳しく果たせず 27歳 
 蝦夷地調査と 
 志士としての活動 
1845弘化 2→イギリス船 
      琉球来航 
      武四郎 
      第1回蝦夷地探査 
      商人和賀屋孫兵衛の手代に身を変え、 
      函館→森→有珠→室蘭→襟裳→釧路→ 
      厚岸→知床→根室→函館を巡る 28歳 
1846弘化 3→米使ビッドル 
      浦賀来航 
      武四郎 
      第2回蝦夷地探査 
      松前藩医 
      西川春庵の 
      下僕「雲平」として、 
      江差→宗谷→樺太→宗谷→紋別→ 
      知床→宗谷→石狩→千歳→江差を巡る、 
      江差では志士 
      頼三樹三郎と 
      「一日百印百詩の会」を催す 29歳 
1849嘉永 2→嶺田楓江 
      「海外新話(アヘン戦争を記す)」を著し、 
      幕府より絶版、江戸から追放 
      武四郎 
      第3回蝦夷地探査 
      函館から船で 
      国後島、択捉島へ渡る 32歳 
1850嘉永 3→武四郎 
      「初航蝦夷日誌」全12冊 
      「再航蝦夷日誌」全14冊 
      「三航蝦夷日誌」全8冊が完成、 
      「蝦夷大概図」、 
      「新葉和歌集」を出版 33歳 
1851嘉永 4→武四郎 
      「蝦夷沿革図」、 
      「表忠崇義集」を出版、 
      「断璧残圭」、 
      「盍徹問答」、 
      「婆心録」を復刻 34歳 
1853嘉永 6→6月アメリカの 
      ペリー浦賀に来航、 
      7月ロシアの 
      プチャーチン長崎に来航 
      武四郎 
      吉田松陰と海防問題を語り合う 
      「読史贅議」を復刻 36歳 
1854安政元→ペリー再航、 
      日米和親条約、 
      日露和親条約(幕府は日露国境の画定を迫られる) 
      武四郎 
      宇和島藩の依頼により 
      下田でペリー一行の様子を調査(「下田日誌」) 
      「壺の石(蝦夷地)」を出版 37歳 
1855安政 2→蝦夷地を松前藩領から幕府に再直轄 
      日蘭和親条約 
      武四郎 
      幕府から 
      蝦夷地御用御雇入の命を受ける 
      「後方羊蹄於路志」、 
      「於幾能以志」を出版 38歳 
1856安政 3→アメリカ総領事ハリス着任 
      武四郎 
      第4回蝦夷地探査 
      函館→宗谷→樺太→宗谷→函館を巡る 
      「箱館往来」を出版 39歳 
1857安政 4→下田協約調印 
      武四郎 
      第5回蝦夷地探査 
      函館→石狩→上川→天塩→函館を巡る 
      「蝦夷葉那誌」、 
      「新選末和留辺志」を出版 40歳 
1858安政 5→日米修好通商条約 
      井伊直弼による 
      安政の大獄(1858年~59) 
      武四郎 
      第6回蝦夷地探査 
      北海道全ての海岸→十勝→阿寒→日高を巡る 
      「近世蝦夷人物誌」の出版が許可されず 
      「壺の石(北蝦夷地)」を出版 41歳 
1859安政 6→安政の大獄により、 
      吉田松陰、 
      頼三樹三郎ら死刑 
      武四郎 
      「按西・按東・按北扈従録」全32冊 
      「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」全23冊 
      「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」全62冊が完成、 
      「東西蝦夷山川地理取調図」全28冊 
      「蝦夷漫画」、 
      「蝦夷地名奈留辺志」を出版 42歳 
1860万延元→勝海舟ら咸臨丸で太平洋横断 
      桜田門外の変で 
      井伊直弼暗殺 
      武四郎 
      「北蝦夷余誌」、 
      「蝦夷闔境山川地理取調大概図」を出版 43歳 
1861文久元→皇女和宮が将軍家茂へ降嫁 
      武四郎 
      「後方羊蹄日誌」 
      「石狩日誌」 
      「久摺日誌」 
      「十勝日誌」を出版 44歳 
1862文久 2→坂下門外の変 
      「夕張日誌」を出版 45歳 
1863文久 3→薩英戦争 
      武四郎 
      「納沙布日誌」 
      「知床日誌」 
      「天塩日誌」を出版 46歳 
1864元治元→四国連合艦隊が下関砲撃 
      幕府第一次長州征討 
      武四郎 
      「鴨?頼先生一日百詩」 
      「新板蝦夷土産道中寿五六」 
      「新板箱館道中名所寿語六」を出版 47歳 
1865慶応元→第二次長州征討 
      武四郎 
      「西蝦夷日誌 初編」 
      「同 二編」 
      「東蝦夷日誌 初編」 
      「同 二編」を出版 48歳 
1867慶応 3→10月大政奉還 
      12月王政復古の大号令 
      武四郎 50歳 
明治維新と開拓使での活動 
1868慶応 4→明治元年 
      1月鳥羽伏見の戦(戊辰戦争) 
      3月神仏分離令(廃仏毀釈運動) 
      4月江戸開城 
      武四郎 
      閏4月 
      上京の召書、東海道間道調べ、 
      任徴士 
      箱館府判官事 51歳 
1869明治 2→1月版籍奉還上奏 
      3月東京遷都 
      5月榎本武揚ら箱館で降伏 
      (戊辰戦争終了) 
      8月蝦夷地を北海道と改称 
      武四郎 
      任 
      開拓判官 
      道名・国名・郡名撰定に尽力 
      叙従五位 
      「蝦夷誌」を復刻 
      「北海道国郡図」 
      「北海道国郡略図」 
      「千島一覧扇面」 
      「西蝦夷日誌三編」 
      「東蝦夷日誌 三編」 
      「同 四編」を出版 52歳 
1870明治 3→武四郎 
      開拓判官辞職(従五位返上) 
      「蝦夷年代記」 
      「壺乃碑考」 
      「林氏雑纂」 
      「千島一覧」 
      「西蝦夷日誌 四編」 
      「東蝦夷日記 五編」を出版 53歳 
1871明治 4→寺領上知の令 
      廃藩置県 
      日清修好条規調印 
      武四郎 
      「竹島雑誌」 
      「読史贅議逸編」 
      「西蝦夷日誌 五編」 
      「東蝦夷日誌 六編」を出版 54歳 
1872明治 5→学制公布 
      新橋・横浜間鉄道開通 
      「百蟲行」 
      「西蝦夷日誌 六編」を出版 55歳 
1873明治 6→徴兵令 
      地租改正条例 
      征韓論敗れる 
      伊勢度会県博覧会へ出品 
      武四郎 
      岩倉具視邸内の長屋から・・・?岩倉具視の長屋 
      神田五軒町へ引越し書画会を開く 
      「東蝦夷日誌 七編」を出版 56歳 
1874明治 7→佐賀の乱(島義勇死刑) 
      武四郎 57歳 
1875明治 8→樺太・千島交換条約 
      江華島事件 
      武四郎 
      北野天満宮へ 
      大神鏡を奉納 58歳 
1876明治 9→日朝修好条規締結 
      武四郎 
      上野東照宮へ大神鏡を奉納 
      「馬角斎茶余」を出版 59歳 
1877明治10→西南戦争 
      モースが大森貝塚発掘 
      武四郎 
      考古図録といえる 
      「撥雲余興」を出版 60歳 
1878明治11→大久保利通暗殺 
      武四郎 
      「新獲小集」 
      「東蝦夷日誌八編」を出版 61歳 
1879明治12→教育令公布 
      沖縄県設置(琉球処分) 
      武四郎 
      大阪天満宮へ 
      大神鏡を奉納 
      妻と京都・吉野漫遊 
      「尚古杜多」 
      (同題で二種類・?)を出版 62歳 
1880明治13→国会期成同盟結成 
      武四郎 
      吉野の金峯山神社へ 
      大神鏡を奉納 
      「そめかみ」 
      「松のけふり」 
      「庚辰游記」を出版 63歳 
1881明治14→国会開設勅諭 
      明治十四年の政変 
      自由党結成 
      松方財政、 
      開拓使官有物払下事件 
      武四郎 
      「辛巳游記」を出版 64歳 
1882明治15→井上馨が条約改正交渉 
      立憲改進党 
      立憲帝政党結成 
      日本銀行設立 
      武四郎 
      太宰府天満宮へ 
      大神鏡を奉納 
      「撥雲余興二集」 
      「壬午游記」を出版 65歳 
1883明治16→徴兵令改正 
      岩倉具視没 
      三井寺に鍋塚建立 
      武四郎 
      熊本・宮崎を漫遊、 
      「癸未溟誌」を出版 66歳 
1884明治17→松方デフレで不況 
      秩父事件 
      武四郎 
      高野山の骨堂に抜けた 
      髪や歯を納め、近畿地方を巡る 
      「甲申小記」を出版 67歳 
1885明治18→天津条約調印 
      大阪事件 
      内閣制度創設 
      武四郎 
      1月までに25霊社へ 
      小神鏡と 
      石標奉納 
      第1回 
      大台ケ原探査 
      「乙酉掌記」 
      「乙酉後記」を出版 68歳 
1886明治19→学校令公布 
      北海道庁設置 
      星亨ら大同団結運動提唱 
      武四郎 
      第2回 
      大台ケ原探査 
      「聖跡二十五霊社順拝双六」 
      「丙戌前誌」 
      「丙戌後記」を出版 69歳 
1887明治20→伊藤博文が憲法起草開始 
      保安条例公布(570名が東京追放) 
      武四郎 
      第3回 
      大台ケ原探査 
      東海・近畿・四国・山陽・九州を巡る 
      富士登山 
      畳一畳の書斎を建てる 
      「木片勧進」 
      「丁亥前記」 
      「丁亥後記」を出版 70歳 
1888明治21→市制・町村制公布 
      枢密院設置 
      武四郎 
      叙従五位 
      2月10日没 
      浅草称福寺に墓所 
     (東京 
      染井 
      墓地に移る) 
      明治22年に 
      大台ケ原へ 
      追悼碑(分骨碑)が建立 71歳 
  ↑ 
 松阪市 
 教育委員会事務局 
 松浦武四郎記念館のブログ記事より抜粋添付 
ーーーーー 
  ・・・コンガラがッテいたモノや人物が「松浦武四郎」で繋がっているように思える・・・のだが?

コメント
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