・・・無理強いさせられるように咲いたサクラ(桜・櫻)・・・「櫻」=「木+貝貝+女」・・・「記を書いたのは二人のカイのオンナ」・・・「木(き・ボク・モク→摸句)+嬰児(みどりご・エイジ→英字)」・・・「赤ん坊」ではなく、「緑(みどり)ん坊」の「モンゴロイドの蒙古斑」・・・
「桜・櫻・さくら・ロウ」の語源って・・・?・・・「花(はな)」そのもので、「梅(うめ)=梅・ 烏梅・宇米・汗梅・有米・宇梅」か、「櫻(さくら)=佐久良・作楽・佐案」で、その固有名詞(梅・櫻)で、あまり歌われるコトはなく、前後のコトバで推理するしかない・・・「万葉集には梅の歌百十八首。桜の歌は四十四首」・・・「櫻」の字は「木+嬰」で、「嬰」=「ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅)の実の首飾りをつけた女性・首飾りそれ自体(?)」らしいが、「ユスラ」とは何か?「ゆすり(強請る)、たかり(集る)」の「ゆすら(揺する)」・・・「喩素等」?・・・「サンオウトウ(山桜桃)・ イクリニン(郁李仁)」・・・「半音高い」の「嬰(シャープ・♯・sharp)記号」である・・・「Sagrada Familia」だろう。「サグラダ・ ファミリア贖罪聖堂」。「サグラダ-ファミリア」とは「聖家族」である。多分、「ゆすり家族」であったカモ・・・「レビ人のアロン」・・・
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
↓
民數記=民数記(みんすうき)
第2章
2:32
これがイスラエルの人々の、
その父祖の家にしたがって
数えられた人々である。
もろもろの宿営の、
その部隊にしたがって
数えられた者は合わせて
六十万三千五百五十人であった。
2:33
しかし、
レビびとは
イスラエルの人々のうちに数えられなかった。
主がモーセに命じられたとおりである。
↓
第3章
3:44
主はモーセに言われた、
3:45
「あなたはイスラエルの人々のうちの、
すべての
初子(初児・ういご)の代りに、
レビびとを取り、
また彼らの家畜の代りに、
レビびとの家畜を取りなさい。
レビびとは
わたしのものとなる。
わたしは主である。
3:46
また
イスラエルの人々の
初子(初児・ういご)は、
レビびとの数を
二百七十三人超過しているから、
そのあがないのために、
3:47
その頭数(あたまかず)によって、
ひとりごとに
銀五シケルを取らなければならない。
すなわち、
聖所のシケルにしたがって、
それを取らなければならない。
一シケルは
二十ゲラである。
3:48
あなたは、
その超過した者を
あがなう金を、
アロンと、
その子たちに
渡さなければならない」。
3:49
そこでモーセは、
レビびとによって
あがなわれた者を
超過した人々から、
あがないの金を取った。
3:50
すなわち、
モーセは、
イスラエルの人々の
初子(初児・ういご)から、
聖所のシケルにしたがって
千三百六十五シケルの銀を取り、
3:51
そのあがないの金を、
主の言葉にしたがって、
アロンとその子たちに渡した。
主がモーセに命じられたとおりである。
↓
第4章
4:1
主はまたモーセとアロンに言われた、
4:2
「レビの子たちのうちから、
コハテの子たちの総数を、
その氏族により、
その父祖の家にしたがって調べ、
4:3
三十歳以上五十歳以下で、
務につき、
会見の幕屋で働くことのできる者を、
ことごとく数えなさい。
4:4
コハテの子たちの、
会見の幕屋の務は、
いと聖なる物に
かかわるものであって、
次のとおりである。
4:5
すなわち、
宿営の進む時に、
アロンとその子たちとは、
まず、はいって、
隔ての垂幕を取りおろし、
それをもって、
あかしの箱をおおい、
4:6
その上に、
じゅごん・・・・ジュゴン(Dugong dugon)
↓ 「儒艮」・・・艮卦は
止まる・山、手
などの象徴
丑寅(牛虎)
睨み合い(呪眼)
哺乳綱
カイギュウ目
(海牛目 or 海馬目)・・・?
ジュゴン科ジュゴン属
哺乳類
全身は短い剛毛で
まばらに被われる
胸鰭を使って海底を徘徊し、
速く泳ぐ際には尾鰭を使う
有史以前から狩猟の対象
薬用や媚薬になる・・・
ヒトと同じく2つの乳頭が、
胸びれの付け根にある
「人魚」だから・・・
琉球、沖縄方言で、
「ザン・ザンヌイユー(ザンの魚)」
大和言葉化した
「ざんのいを」もある
「犀魚」の当て字する
「中日春秋」によれば、
沖縄の人々は
「ジャン・ザン・ヨナタマ」などとも
漁師は、
「アカングヮーイュー」とも呼ぶ
「アカングヮー=赤ん坊」
「イュー=魚」という意味らしい・・
↓ 「呪言(ジュゴン)」である
の皮の
おおいを施し、
またその上に
総青色の布・・・・・・ナゼ「青色」なのか?
ブルー
をうちかけ、
環にさおをさし入れる。
4:7
また供えのパンの机の上には、
青色の布をうちかけ、
その上に、さら、
乳香を盛る杯、鉢、
および
灌祭の瓶を並べ、
また絶やさず供えるパンを置き、
4:8
緋色の布・・・・・・ナゼ「緋色」なのか?
スカーレット
をその上にうちかけ、
じゅごん
の皮のおおいをもって、
これをおおい、
さおをさし入れる。
4:9
また
青色の布を取って、
燭台とそのともし火ざら、
芯切りばさみ、
芯取りざら、
およびそれに用いる
もろもろの油の器をおおい、
4:10
じゅごん
の皮のおおいのうちに、
燭台と
そのもろもろの器をいれて、
担架に載せる。
4:11
また、
金の祭壇の上に
青色の布をうちかけ、
じゅごんの皮のおおいで、
これをおおい、
そのさおをさし入れる。
4:12
また
聖所の務に用いる務の器をみな取り、
青色の布に包み、
じゅごんの皮のおおいで、
これをおおって、
担架に載せる。
4:13
また祭壇の灰を取り去って、
紫の布をその祭壇の上にうちかけ、
4:14
その上に、
務をするのに用いる
もろもろの器、・・・・・諸々の記
すなわち、
火皿、・・・比サラ
肉刺、・・・字句さし
十能、・・・ジュウノウ
鉢、 ・・・葉知
および
祭壇のすべての器を載せ、
また
その上に、
じゅごんの皮の
おおいをうちかけ、
そして
さおをさし入れる。
4:15
宿営の進むとき、
アロンとその子たちとが、
聖所と聖所のすべての器を
おおうことを終ったならば、
その後
コハテの子たちは、
それを運ぶために、
はいってこなければならない。
しかし、
彼らは
聖なる物に触れてはならない。
触れると死ぬであろう。・・・・?
会見の幕屋のうちの、
これらの物は、
コハテの子たちが運ぶものである。
4:17
主はまた、モーセとアロンに言われた、
4:18
「あなたがたは
コハテびとの一族を、
レビびとのうちから
絶えさせてはならない。
4:19
彼らが
いと聖なる物に近づく時、
死なないで、
命を保つために、・・・?
このようにしなさい、
すなわち、
アロンとその子たちが、
まず、はいり、
彼らをおのおのその働きにつかせ、
そのになうべきものを取らせなさい。
4:20
しかし、彼らは、はいって、
ひと目でも聖なる物を見てはならない。
見るならば
死ぬであろう」。・・・・ナゼ?
↓
第5章
5:1
主はまたモーセに言われた、
5:2
「イスラエルの人々に命じて、
癩(らい)病人、・・・・・
流出のある者、
死体にふれて汚れた者を、
ことごとく
宿営の外に出させなさい。
5:3
男でも女でも、
あなたがたは
彼らを宿営の外に出して
そこにおらせ、
彼らに宿営を汚させてはならない。
わたしが
その中に住んでいるからである」。
5:4
イスラエルの人々はそのようにして、
彼らを宿営の外に出した。
すなわち、
主がモーセに言われたように
イスラエルの人々は行った。
ーーーーー
↓↑
・・・「神」も「治療困難な難病で伝染病」だった?
↓
ハンセン病(Hansen's disease)
抗酸菌の一種である
らい菌(Mycobacterium leprae)の
皮膚のマクロファージ内寄生
および
末梢神経細胞内寄生による感染症
病名は、
1873年
ノルウェー人医師
アルマウェル・ハンセンの姓に由来
↓
英語の「leprosy」
日本語の「レプラ」
古代ギリシア語の「λέπρα (leprā)」
ラテン語の「lepra」
に由来
「λέπος (lepos)=皮・鱗」
「λεπερός (leperos)=皮・鱗を持った~」
「λεπρός (lepros)=鱗状の~、かさぶた状の~
レプラの~」
・・・「眼から鱗が落ちた」のは「サウル=パウロ」だった
女性形
「λέπρα (leprā)」
古代ギリシア
皮膚が鱗状・瘡蓋(かさぶた状になる症状群)
乾癬や湿疹など幅広い
「皮膚疾」がこの名で呼ばれていた
紀元前5~4世紀
ヘロドトス
「歴史・〈1巻138節〉」
アリストファネス
「アカルナイの人々・〈724行〉」など
ヒポクラテス集成の中の
「予知論 II・43章」などに記述
七十人訳聖書(ギリシア語訳の旧約聖書)
皮膚上の「צָרַעַת ツァーラアト・(レビ記13-14章 他)」
を「λέπρα」と訳
ヘブライ語の「ツァーラアト」は
具体的不明だが
「乾癬」説が有力・・・?
アリストテレスが
「サテュリア」と呼んだもの
「エフェソス
の
ルフス」は
ギリシアの医者
エラシストラトスの弟子
ストラトンが
「カコキミア」と
呼んだものは
「象皮病」であった・・・象皮病である・・・
前1世紀ころから、
ギリシア語。ラテン語で
「象=ἐλεφας , elephas」
「象皮病=ἐλεφαντίασις
elephantiasis」
と呼ばれていたものは、
ハンセン病であった・・・らしい
↓
「日本書紀」、
「令義解」には、
「白癩(ビャクライ・しらはたけ)」
と記録
「令義解」に
「悪疾所謂白癩、・・・白癩
此病有虫食五臓。
或眉睫堕落或鼻柱崩壊、
或語声嘶変或支節解落也、
亦能注染於傍人。
故不可与人同床也」
と記録・・・「虫が食う五臓」・・・
鎌倉時代
「癩(らい)」、
「癩病」
江戸時代
乞食を意味する
「かったい(かたい)」という言葉が使用
第二次世界大戦後まで使用された地域もあった
方言としては
「ドス・ナリ・クサレ・ヤブ・クンキャ」
などの蔑称で使用
昭和時代
ドイツ語またはラテン語の
「lepra(レプラ)」の言い換え語として使用
「ツァラアト(旧約聖書・レビ記13:47)」は
衣服につく「カビ」を指す・・・との説・・・
↓↑
大谷吉継(おおたによしつぐ)
(1559年~1600年)
戦国後期の武将
賤ヶ岳の戦いで武功
「業病」を患っており、顔が爛れていた
石田三成とは親友
関ヶ原の戦い(1600年)
三成と共に西軍に参戦
自刃
茶会で、
吉継が口をつけた茶碗の茶を
石田三成は飲み乾した
↓
明石海人(あかしかいじん)
(1901~1939)
本名は
野田勝太郎
静岡県沼津市出身
ハンセン病患者
「日本歌人」
「日本詩壇」
「文芸」
「短歌研究」
「水甕」
などに短歌を発表した歌人
ハンセン病発症前は小学校教師
ハンセン病の後遺症で
失明
発声障害
(喉頭機能障害で気管切開)
腸結核で
長島愛生園で死亡
1939年に
「白描(はくびょう)」
を発刊
ーーーーー
・・・
・・・突然の「夏」・・・何だこの暑さ。昨夜は灯油ストーブに炎を燃えさせていたのに・・・暑い・・・庭に出ると桜の木に桜の花・・・ニャんコの「モモ」もぐったり・・・
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
↓
民數記=民数記(みんすうき)
聖書の
四番目の記録
出エジプトから
二年二ヶ月後に始まり、
ヨルダン川にたどりつく40年目までの記録
↓
イスラエルの民の人口の「数」の調査
七十人訳聖書
「アリスモイ=数」
「戸籍調査」はナゼ必要なのか・・・「税金徴収」と「徴兵」だろう・・・
↓
ナジル人など種々の規定(1章~10章10節)
シナイ山からモアブにいたる道中の記述(10章11節~21章20節)
カナンの民との戦い、ヨルダン川到着まで(21章21節~36章)
↓
1章 シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め
2章 幕屋と宿営地に関する神の指示
3章 レビ人の祭司としての職務
4章~6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定
7章~9章 祭壇の奉献と聖所の祝別
10章~12章 イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、
モーセを蔑ろにしたアロンとミリアムへの罰
13章~14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き
15章~17章 コラの反逆、アロンの杖
18章~19章 アロンの子孫とレビ人の祭司としての役割
20章~21章 メリバの出来事、
ミリアムとアロンの死、
カナン人アラドの王の死、
青銅の蛇による罰、
アモリの王シホンとオグとの戦い
22章~24章 バラクとバラムの物語、バラムとろば
25章~27章 カナン入りを前にした人口調査
後継者ヨシュアの任命
28章~29章 献げ物に関する規定
30章~32章 ミディアンへの勝利
逃れの街の規定
33章~36章 エジプトを出てからの旅程
イスラエルの嗣業の土地、
レビ人の町、
相続人が女性である場合の規定
↓
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
第1章
1:1
エジプトの国を出た
次の年の二月一日に、
主はシナイの荒野において、
会見の幕屋で、モーセに言われた、
1:2
「あなたがたは、
イスラエルの人々の全会衆を、
その氏族により、
その父祖の家によって調査し、
その
すべての
男子の名の数を、
ひとりびとり数えて、
その総数を得なさい。
1:3
イスラエルのうちで、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の者を、
あなたとアロンとは、
その部隊にしたがって
数えなければならない。
1:4
また、
すべての部族は、
おのおの
父祖の家の長たるものを、
ひとりずつ出して、
あなたがたと協力させなければならない。
↓
1:16
これらは会衆のうちから選び出された人々で、
その父祖の部族のつかさたち、
またイスラエルの氏族のかしらたちである。
1:17
こうして、モーセとアロンが、
ここに名を掲げた人々を引き連れて、
1:18
二月一日に会衆をことごとく集めたので、
彼らはその氏族により、
その父祖の家により、
その名の数にしたがって
二十歳以上のものが、
ひとりびとり登録した。
1:19
主が命じられたように、
モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。
1:20
すなわち、
イスラエルの長子
ルベンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:21
ルベンの部族のうちで、
数えられたものは
四万六千五百人であった。
1:22
また
シメオンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:23
シメオンの部族のうちで、
数えられたものは
五万九千三百人であった。
1:25
ガドの部族のうちで、
数えられたものは
四万五千六百五十人であった。
1:27
ユダの部族のうちで、
数えられたものは
七万四千六百人であった。
1:29
イッサカルの部族のうちで、
数えられたものは
五万四千四百人であった。
1:31
ゼブルンの部族のうちで、
数えられたものは
五万七千四百人であった。
1:33
エフライムの部族のうちで、
数えられたものは
四万五百人であった。
1:35
マナセの部族のうちで、
数えられたものは
三万二千二百人であった。
1:37
ベニヤミンの部族のうちで、
数えられたものは
三万五千四百人であった。
1:39
ダンの部族のうちで、
数えられたものは
六万二千七百人であった。
1:41
アセルの部族のうちで、
数えられたものは
四万一千五百人であった。
1:43
ナフタリの部族のうちで、
数えられたものは、
五万三千四百人であった。
1:44
これらが数えられた人々であって、
モーセとアロンと
イスラエルのつかさたちとが数えた人々である。
そのつかさたちは
十二人であって、
おのおのその父祖の家のために出たものである。
1:45
そして
イスラエルの人々のうち、
その父祖の家にしたがって数えられた者は、
すべてイスラエルのうち、
戦争に出ることのできる
二十歳以上の者であって、
1:46
その数えられた者は合わせて
六十万三千五百五十人であった。
1:47
しかし、
レビびとは、
その父祖の部族にしたがって、
そのうちに数えられなかった。
1:48
すなわち、
主はモーセに言われた、
1:49
「あなたはレビの部族だけは
数えてはならない。
またその総数を
イスラエルの人々のうちに
数えあげてはならない。
1:50
あなたは
レビびとに、
あかしの幕屋と、
そのもろもろの器と、
れに附属するもろもろの物を管理させなさい。
彼らは幕屋と、
そのもろもろの器とを持ち運び、
またそこで務をし、
幕屋のまわりに宿営しなければならない。
1:51
幕屋が進む時は、
レビびとがこれを取りくずし、
幕屋を張る時は、
レビびとが
これを組み立てなければならない。
ほかの人がこれに近づく時は
殺されるであろう。
1:52
イスラエルの人々は
その部隊にしたがって、
おのおのその宿営に、
おのおのその旗のもとに
その天幕を張らなければならない。
1:53
しかし、
レビびとは、
あかしの幕屋の
まわりに宿営しなければならない。
そうすれば、
主の怒りは
イスラエルの人々の
会衆の上に臨むことがないであろう。
レビびとは、
あかしの幕屋の務を守らなければならない」。
1:54
イスラエルの人々はこのようにして、
すべて
主がモーセに命じられたように行った。
ーーーーー
・・・「あかしの幕屋」と「幕屋の務」とは・・・「情報機関」・・・移動用の「ペンタゴン」・・・それとも、「明石」の標準時間・・・「赤石元二郎」大佐のロシア革命への加担工作か・・・「あかしの幕屋」とは「あかしそ」の「マクヤ」・・・梅干し工場・・・?
禁止の終助詞「な」
禁止の副詞「な」と呼応した「な」…「そ」
「な、あかし-そ」・・・「レビびとは、な数えそ」・・・?
↓
赤紫蘇
日本では梅干しなどの色づけに使う
葉を乾燥させ香辛料として
七味唐辛子に配合
カロテン、ビタミンB、カルシウム、
食物繊維、カリウムなどの栄養素を含み、
β-カロテンの含有量は多い
香りの元
ペリルアルデヒドは、
臭覚神経を刺激し
胃液の分泌を促し、
健胃作用や食中毒に予防効果
漢方医学
赤紫蘇の葉を
「蘇葉(ソヨ)
「紫蘇葉(シソヨウ)」といい、
理気薬(精神を安定効果)
神秘湯、半夏厚朴湯、香蘇散などに配合
チリメンジソの葉
及び
枝先を「蘇葉」としている
熟した果実は
「蘇子(ソシ)といい、
咳、喘息、便秘などの治療に用いる
シソの葉は
ロズマリン酸、
葉と実には
ルテオリン(フラボノイド・酵素)を含み、
アレルギー疾患に有用
↓
明石
明石市を通る
東経135度の経度が
日本標準時の
子午線
645年 - 大化の改新により
明石国が
針間国に編入され
播磨国となる
645年 - 如意寺が建立
811年 - 空海が
楊柳寺を建立
877年 - 覚証が
楊柳寺を
月照寺に改名
901年 - 九州左遷の
菅原道真が立ち寄り、
明石の駅に一泊
1578年 - 別所長治が
魚住に魚住城を築城
1580年 - 羽柴秀吉が
三木を攻め、
明石も巻き込む
1585年 - 高山右近が領主
1587年 - 高山右近追放
羽柴秀吉の直轄領
1617年 - 小笠原忠真が明石城主
1619年 - 明石城の築城が始まる
1622年 - 小笠原忠真、
明石城内にあった
人丸神社と
月照寺を現在の位置に移設
1601年 - 明石港が作られる
1680年頃 - 岩岡が開墾される
1871年7月14日 - 廃藩置県により
明石藩から明石県
1871年11月 - 明石県は姫路県に編入後、
飾磨県に名称変更
1876年8月 - 府県大統合により
飾磨県は
兵庫県に併合
1879年1月 - 郡区町村編制法により明石郡
1888年11月1日 - 山陽鉄道が兵庫-明石間で開通
1888年12月23日 - 山陽鉄道、明石-姫路間が開通
1889年4月 - 明治二十二年
市制町村制が敷かれ
1町11村
(明石町
伊川谷、岩岡、
魚住、大久保、
押部谷、神出、
玉津、垂水、
櫨谷、林崎、
平野の各村)が出来る
1917年 - 兵庫電気軌道の兵庫-明石間が開通
1919年11月1日 - 明石町が明石市となる
1923年 - 神姫鉄道の明石-姫路間が開通
1928年10月 - 垂水村が垂水町となる
1938年4月1日 - 大久保村が大久保町となる
1941年7月1日 - 垂水町が神戸市須磨区に編入
1942年 - 林崎村が明石市に編入
1943年 - 明石市は
玉津村を合併しようと
兵庫県に申請するが不成立
1946年11月 - 旧垂水町が神戸市垂水区となる