映画
「私の男」
を
観た
桜庭一樹さんの
原作が
好きだったから
表向きの
テーマは
~子どもとは
一緒に
観ないでね。~
と
云ったカンジ
だけれど
とても
好きな作品
だった
奥底には
誰もが
感じる
悲哀
や
孤独が
敷き詰められて
いたから
とても
感情移入して
しまった
ヒトは
生まれながらにして
色濃く
背景が
出来上がっていて
その後も
時空が
移り行けども
それは
つき纏う
拭い去ろうと
すればするほど
それを
赦さないモノが
いる
そう
自分自身
だ
いっそ
恥ずかしいくらい
悔しいくらい
向き合っていくしかない
そうするコトが
ラクになる
シアワセになれる
術である
そんな
気がする
から
然も
それを
受け容れた時
不思議な
快楽すら
見舞われるモノ
だ
常識やルールにも
段階が在って
・万人に共通するモノ
・当事者同士のみが共有するモノ
・当人のみが抱え込むモノ
と
色分けしないと
息苦しくなるから
ある程度
オトナになると
誰かに問うよりも
自身に問うコトを
好むのだろうね
心身を通わせ合うコトは
欲望の変換だと
想っていたけれど
この作品を
観終わった今
それは
ふいに
枠や
柵から
飛び出した
自身の一部分を
呼び戻す
回帰作業
なんだと
想える
「私の男」
は
欲望を充たしてくれる
ツール
ではなく
逃げ出そうとした
自身を
想い留まらせる
ルーツ
なのかも
しれない