
晴れ・時どき曇り、お日様が照ってるときは、まだ、残暑厳しき9月の中旬、小学4年生になる孫の運動会に出鰍ッる。
息子2人の運動会には、出向いた記憶がないが、これが 世間で言う孫に対して甘いということか・・・それもあるが、要は、この歳になって、時間、気持ちにゆとりができたということ。
種目は、かけっこ、玉入れ、すず割り、つなひき、機械体操など、我々が体験した内容と殆ど変わりなかったが、「競う」という意識が薄れているように感じた。
例えば、 かけっこ、他に 順位・勝ち負けに対して一切賞品が与えられないということ。また、プログラムの種目に「競走」という文字が使用されていないこと。その代表例が「かけつこ」で、我々のときは「徒競走××m」であったが、この運動会では「かけぬけろ 80m」とか、「とにかくダッシュ 100m」など、何を意図してこのような名を付けたのか分からない。
当事者に聞いたわけではないが、端的に言えば「格差」を付けたくないがため「競い合う」という文字を避けたらしい。
我々の時代は、順位・勝ち負けに拘り、ノート、鉛筆などの賞品を貰うのが楽しみであったのだが。
確かに、運動会は、我が子の運動面での成長を見ることが目的で、他人との比較は関係ないとも言えるが、これは親や教師が知っていればよいことで、子供が順位や勝ち負けで運動会が嫌いになったとき、親や教師が、これらを話し、子供の成長・頑張りを認め、褒めてやることで納得させればよいと思う。
子供が一番成長するこの時期、競いながら伸びるという意識をもっと大切にしたいと思うが如何だろう。
そんな疑問を胸にしつつ、孫の運動会を後にした。
作品は「玉入れ」を 切り絵 効果を用い写画にしたものであるが、これも競うという意識を避けたのか、「なかよく楽しくふれあい玉入れ」という名が付いていた。