第77話. “信じる”と言う修行項目

2018-01-28 04:40:40 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

縁起の良い"7"が並んだ今回は折角なので大事な話をしてみたいと思います。
今回は“信じる“という事に関して少し触れてみたいと思います。
このブログを通して、人は霊的な存在であり、転生の中、より神仏に近づかんと霊性の獲得を目指して何度も地上に生まれ変わっているのが我々である、我々は神仏の子であり、神と言う名の巨大な木、宇宙樹の葉の一枚、それが我々である、よって我々は神の子達でもあり、神と言う体の細胞の一つでもある、神の子であり一部でもある、そうした偉大な存在でもある。様々な宗教や思想の最大公約数的な真理として、そう思える、そうした事を繰り返し述べて来ておりますが、その我々の転生の目的、この世に生まれて来る目的としての“霊性の獲得”の一項目として、この“信じる力の強化”、という修行課題が間違いなくあると思われるのです。
信じる対象は色々ありましょうが、最終的なゴールとしては、究極に近い神、創造主、そうした根幹的な存在と、一体である、そうした究極の神と繋がっており、守られており、愛されている、そう信じ仰ぐ事、信仰が何より重要なのだと思うのです。それが仮に出来るのであれば、本来的にはあらゆる事が可能になるハズですし、本来的にはあらゆるストレスから解放され、絶対的な安心の世界に参入するハズですし、究極の安らぎの世界に生きる事になるハズなのです。であるにも関わらず、それが出来ていないという事は、それは、まだまだ信じる力が弱い、足りない、まだまだ修行が必要、という事を証明している、という事になるかと存じます。この世において、名を成し、実績を残している方々の多くは、そうした信じる力がそれだけ強い、そうした現実、成功を形作るだけの信念力を持っている、という事が言えるかと思います。信じる力は、本来、現実を形作る、現実を彫刻するノミ的な存在です。信じる力が強く、うまくコントロールできる人は、それだけ、彼の望んだ現実を彫り出し、出現させる事が出来る、作り出せる、という事になります。信じる力には明らかに実力差があり、強い弱い、うまい下手があるのです。またネガティブな方にだけ強い力を発揮する不思議な方々も実は数多くいるようです。結局何を信じるか、その選択を誤ったのでしょう。そして不幸な現実を強く信じたのでしょう。誤った使い方をしたのです。
まずは、究極の神と繋がる事、それを信じる事、それが大事です。それが信じられれば、この世界を作り出した強力な創造の源泉と繋がる事になり、最強の後ろ盾を得たことになります。
それが出来たら次には、何を思うか、その質と方向性をコントロールする事が重要です。その思いが自他ともに利する正しいものであり、人が霊的存在であり、転生し皆修行し神仏に近づかんとする存在であり皆神仏の子達であると言う世界観に親和性があるものであり、究極神が認める物である方向に制御出来てさえいれば、後はそれを出来るだけ強く思い念じ、実現して行くだけ、という事になります。その願いは神仏の祝福を得ながら叶っていく事となります。
但しその思いが自己中心的なものであったり、他を害するものであったりしてしまうと、究極神と繋がっているつもりが、別の方面の支援を受けるようになり、脇道に、悪しき道に反れていく事になりがちであり、危険なのです。悪しき者達にも力だけはある者達も多く、彼らの力を得ても一定の実現力が付くので、判りにくいのですが、悪しき縁で得た成果は必ず副作用を伴い、人を転落させ、危険なのです。一見判りにくいのですが、注意が要ります。
謙虚であり、感謝と利他の思い、愛の思いとともにあり、願いが自他を利するものであれば、究極神の力を得やすくなり、正しい道にとどまる事が出来るようになります。まずは正しく思う事が大事です。
思いが正しく、究極神が喜ぶものであるのであれば、次は、信じる力の質と強さの制御の問題となり、そこを鍛えるのが、この世に生まれて来る目的の一つでもあります。疑いと言う名の毒素を抑え、制御し、強くして行く方向で、実力を付けていく事が、この世に生きる大切な目的、“信じる力の強化”になるのです。私の尊崇する宗教家も、“信仰の力に比例して思いの力は強くなる、何故なら大いなる力と一体化するからだ”と言うような主旨の事を言われていました。信じる事が思いの力も強めるのです、思いが強まれば実現力が付くはずです。
その為には日々の祈りや点検、反省や瞑想が重要で、そうした細部はまた別の機会で触れて見たいと思っております。とは言いいましても、私自体、他人様に何か偉そうに講釈を垂れる程の立派な実力があるのか?、と問われれば、そんな大した力があるはずも無く、そんなお前が一体何を偉そうに他人に語るのか?、という事にもなるのかもしれませんが、とは言いましても、何があるべき姿なのか、何が正しい姿なのか、位は判っているつもりではございますので、分を弁えつつ、皆さんと共に正しい方向で一緒に力を付けて行きたい、と、そう強く願っております。

それでは、また後日、このテーマでやってみたいと願っております。

それでは、また。


湖畔人

第76話. 冬の夕暮れ

2018-01-28 03:26:06 | よもやま話,雑感,最近思う事
湖畔人です。

少し日本を離れて戻ってみると、冬の日本は驚くほど寒く感じます。北半球は世界的に何処も寒波と聞きますが、日本の1月末の方がずっと寒く感じるのです。風が吹けば、まるで冷凍庫にいるかのようです。室内にいてもエアコンがその寒さに追い付けず、室内でも厚着をせざるを得ない状況です。本当に寒くて驚きます。
でも、そんな極寒の日本ではありますが、その寒さが故にかどうか、その因果の程は判りませんが、この時期、夕日がすこぶる美しいのです。澄んだ空には、鮮やかなオレンジから鮮やかな青への綺麗なグラデーションが広がっています。まるで何か鮮やかなカクテルか、手の込んだデザートのように美しいグラデーションを見せているのです。そして、その鮮やかな夕焼けの手前には葉の落ちた木々のシルエットが黒く繊細に佇んでおり、まるで影絵のようです。寒く澄んだ冬空だからこそ見れる絶景なのだと思います。本当に美しく、見ていて、しばし我を忘れます。冬の楽しみの一つですね。

湖畔人

第75話. 田舎のデメリット

2018-01-14 23:37:49 | ★改善・変更の要る仕組み 仕来り 風潮 法律
湖畔人です。

野鳥や景観など田舎に住むメリットも多いのですが、一方、死角、人が見ていない場所も多いので、その分、人の醜い本性が剥き出しになる場所でもあります。とくかくゴミのポイ捨てが多いのです。都心ではあまり見ませんが、毎日新しいゴミが道路に、湖畔の土手に、裏路地にポイポイと捨てられているのです、コンビニを利用し湖畔で楽しんだ後にゴミを持ち帰らずにポイ捨てをした印象です。一部産業廃棄物らしき物もあります。本当に民度が低いと言うか、恥ずかしいし、悔しいし、腹立たしいです。

監視カメラの設置には諸々意見がありますが、私は増やして欲しい派です。ポイ捨てが二度以上あった場所、痴漢など起きそうな、ひと気の少ない裏路地等に、暗闇でも車のナンバーや顔がしっかり認識できるような赤外線と可視域の照明と、赤外域まで見れる高解像度のCCDカメラを設置して頂き、データもしっかりストレージして頂いて、看板を設置し、“この自治体ではゴミのポイ捨ては犯罪です。カメラに映った犯人を追跡し、必ず罰金10万円を請求します。”とうたって頂きたいところです。本当は設置費とデータの管理費と人員配置にコストが掛かりますので、年間経費の1/5位の高額罰金にしても良い位だと思っています。

まあ、本当は“いつでも神仏や霊人達が皆の心の中や行いを見ているから他人が見ていない所でも恥ずかしい行いはすべきでない”と言う霊的人生観の定着が一番望ましい対策なのですが、ポイ捨てをしているのは間違いなく大人達なので、厳しい罰則でもって対応するしかないのかなと思います。本当に恥ずべき汚点です。

自治体には、自治体や国が所有する公共の用地にはフェンスを置くように促して頂き、ポイ捨てがしにくい状況を作っていただきたい所です。また上記のように死角には多くの監視カメラを設置頂き厳罰化を徹底頂きたい所です。本当に嫌になります。21世紀です。まだこんな事してんのかって感じです。原始人か?って言いたいです。ホントに腹が立ちます。

湖畔人

第74話. 冬の湖畔の鳥達②

2018-01-14 22:58:03 | 花鳥風月
湖畔人です。

今日も少しだけ時間が取れたので日没までの時間、急ぎ足で湖畔を見れたのですが、相変わらずタゲリがトラクターの周りで戯れていました。今日は3羽も見付ける事が出来ました。タゲリだけでなくツグミやハクセキレイ、ムクドリ等も一緒に耕された畑の表面に出て来た虫やミミズを一生懸命啄んでいました。飛んでいたタゲリが急降下して来たので、多分トラクター=餌が豊富と認識しているのでしょう。賢い鳥達です。

前話では、シギの種類が特定できない、と言っていたのですが、今日も同じ蓮田に行くといつものように小さなシギが複数羽確認できたので、近くまで行って撮影をしました。撮った画像を拡大して見ると、縦縞があり、どうもタシギのようでした。名前が判ってちょっとスッキリした所です。

同じく前話で、猛禽類でオオタカやチョウゲンボウが見れると申しましたが、正直オオタカは余り見る事は無く、よく見かけるのは、チョウゲンボウと鳶とチュウヒが多いかもしれません。今日も数多くチュウヒと鳶を見かけました。チュウヒはよくカラスと揉めているところを見掛けます。エサの取り合いなのか縄張り争いか判りませんが、猛禽類と言ってもカラスに追いやられる事もあり、鷹の一種で立派な面構えのチュウヒですら、鷹だからと言って特別扱いやリスペクトされることもなく、力が劣ると見られれば容赦なくカラスにも攻撃を受けるようです。鳥の世界も安泰はなく厳しい世界のようです。

今日は用水路の横に佇むアオサギを久しぶりに見掛けました。用水路にいる小魚を狙い撃ちしているのでしょう。大きな姿で微動だにしません。オブジェのように全く動かずエサを待っています。風格があり、まるで湖畔の主のようです。

湖畔の土手の上の道路には数多くのオオバンがたむろをしており、ガーガーと何やら会話をしています。私が車で近づくと、”仕方ないなー、どけば良いんでしょ、面倒くさいなー”とでも言っているような雰囲気でガーガー言いながら湖に入っていきました。ゴミ置き場の前で噂話で盛り上がる奥様方のようなイメージです。見ていてとても面白いです。

最後にカワセミを見ました。清らかな水を好みそうなイメージですが、意外と用水路等汚れた所で多く見掛けます。地面擦れ擦れに飛ぶ癖があるので割と判別しやすい鳥でもあります。エメラルドグリーンの美しい姿です。そう数が多いとは思えないので、繁殖できるのだろうかと勝手に心配をしています。

湖畔人

第73話. 気になった音楽⑥ 2002 『Suddenly Yours』

2018-01-14 14:33:43 | 気になった音楽
湖畔人です。

NHKのニュースを見ると、ここはCNNか中国の国営放送か?と思う程、反トランプ氏の姿勢を崩さず、トランプ氏に関するネガティブな情報を大袈裟に扱うし、米軍の沖縄での過失をこれでもかと騒ぎ立てており、この局は一体どこの国の利害を代表しているのだろう?といつも不思議に思うのです。沖縄から米軍がいなくなって喜ぶのも、トランプ氏が失脚して喜ぶのも2020年には沖縄も台湾も中国に併合したいと明言する中国でしょう。よって、NHKは、日本の利益代表ではなく多分中国の利益を守っている放送局なのでしょう。でも中共は専制国家で無神論国家で強権的で非人道的で何より反日国家です。その中国とその子分である北朝鮮の勢力の拡張を抑制できるトランプ氏と沖縄の米軍を応援するのではなく引きずり降ろさんとするこのNHKという放送局は、多分日本の敵だし、日本人が義務として視聴料を払わないと行けない局では、もはや無くなっていますよね?一民放に格下げした方が良いと思います。
そんな、どうしようもないNHKですが、全部がダメかと言えばそんな事は無く、一部のドラマや一部のスポーツや企業活動を報じるドキュメント番組や、夜中の無害な景色だけ映す番組等はとても良いなと思っています。
特に、個人的にはブラタモリが気に入っているのと、それと、夜中の午前3時ごろにやっている景色が流れ音楽だけが流れる番組が好きでして(無害ですから)、その風景を流す番組は、録画して家で仕事をする時はBGMとして流したりしています。で、その風景を映す番組が終わり一日の放送の切り替わりの時に、インターミッションと呼ばれる短い番組があって、雪の冬山の映像が流れ、最後に日の丸が出て来るのですが、その時に背景で流れているBGMがとても良い曲なのです。その曲は2002というニューエージ系のバンドの『Suddenly Yours』と言う曲なのだそうです。これも聴くと前後が裁断されるとても良い曲です。お勧めします。

何か曲の紹介なのか、NHKへの悪口なのか、よく判らなくなってしまった・・・。

湖畔人