第377話.気になった音楽(112)&(113)&(114)BEEGEES『Melody Fair』&『First of May』&『How Deep Is Your Love』

2020-04-29 16:33:23 | 気になった音楽
湖畔人です。

今日は晴れましたが、雨だったり、少し寒かったり、もう5月というのに何か冴えないですね。コロナ騒ぎで行動範囲も狭く何となく鬱屈した感じですね。
こうした冴えない時はさえない日常を綺麗に色付けしてくれるような盛り上がり過ぎないけどでも綺麗で優しいまったりとしたメロディが聴きたくなります。

そんな訳で最近では70年代から80年代のまったりした曲ばかりを聴いているのですが、特にギルバートオサリバンとか、ビージーズの優し目の曲とか、ビリージョエルとか、カーペンターズとか常連のビートルズの曲を多く聴いています。

今日はその内、ビージーズの曲を三つご紹介させて頂きます。
ビージースと言うと、ディスコのイメージで、白いスーツに身を包み片手を上げてダンスフロアに立つジョントラボルタのイメージなのですが、でも意外と優しい、まったりした曲も多いのです。

今日の一曲目は、『Melody Fair』ですね。これは、映画『小さな恋のメロディ』(原題: Melody)で使われた曲で、ビージーズの69年のアルバム『オデッサ』の収録曲のようです。この映画『小さな恋のメロディ』は本国UKでもUSでも全く売れなかったようなのですが、何故か日本他一部の国では大ヒットとなり、またそこで使われたこの曲も日本では大ヒットとなったようです。確かに、CMとか日本では割とよく耳にする優しいメロディですよね。主人公の一人のメロディと言う女の子に"人生悪い事ばかりではない、元気を出しなさい"と励ます優しい曲です。

二曲目も同じく映画『小さな恋のメロディ』(原題: Melody)で使われた曲で、『First of May』、邦題『若葉のころ』と言う曲です。これも優しい優しい曲ですね。幼き純粋だった頃の気持ちを5月と言う新緑の季節に思い出す、と言うような感じの曲でしょうかね・・・大人になるにしたがい、段々と失わて行く純心さや関係性や思い出を憂いている感じでしょうか。とても綺麗な歌だと思います。

そして最後は『How Deep Is Your Love』、邦題『愛はきらめきの中に』と言う曲です。これは、ディスコ映画『Saturday Night Fever』からの一曲ですね。世界中で大ヒットし、多くのアーティストにカバーされて来た、これまた優しい曲なのです。周りの意見で引き離されたのか、離れ離れになった恋人に対し、君の愛がどれだけ深いものか僕に教えて欲しいと歌う何か切ない歌ですね。優しい気持ちになる良い曲だと思います。お勧めします。

因みに、ビージーズは豪州生まれかと思いきや元はUKのマン島の出身のようですね。豪州や南アには生まれはUKだけど仕事を探して移住して来た、とかそう言ったパターンの方々が多いようです。自分の知り合いも皆そんな感じですね。

また彼等がメジャーになるキッカケとなったディスコ映画『Saturday Night Fever』のタイトルは、なんとあのベイシティローラーズのヒット曲『サタデーナイト』から来ているとの事。ビックリです。

では、また。

湖畔人

第376話.多分合っていると思われる事 - 神と人間との関係性&この世の意味=葛藤を歓迎し寛容さを目指す

2020-04-26 02:27:20 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

多分合っていると思われる事の3回目を行きたいと思います。

先日、第368話. このブログについて(2)で申したのですが、このカテゴリーで結論めいた人生訓等を短く、且つ沢山、思いつくままに書いて行れば良いなと思っています。

今回のテーマは、”神と人間との関係性&この世の意味”です。

●神と人間の関係性
まぁ、これまでも、私はこのブログで、人間の定義や、人間の存在理由の想定等を述べて来ましたが、まぁその想定とは、どうも全ての人間は神の子達であり、神の一部でもあるようだ、と言う事です。どうも我々人類は、そうした尊い存在ではあるようなのです。

一方で、我々は神そのものではないので、より神近き存在、より神の気持ちを理解出来る存在、より神のお手伝いができる存在、より神の如く愛深き存在になる事が期待されている”霊的”な存在であるようなのです。その実現の為に転生の中何度もこの世に生まれては心の修行を続けている存在が、我々人間であるようなのです。それが神と人間との関係性ではないかと思います。

●この世の意味①波長導通だとダメ、違うタイプに会い葛藤を得る=成長
で、我々の本質は霊的な存在である為、霊界こそが我々人間の本来の住処であるようなのですが、でも一方で、霊界は波長導通の世界である為、自分と似たような人達が集う世界になっている、故、霊界は各自にとって大変居心地が良い場所ではあるが、その反面、自分とは違った側面を身に付けたり、器を拡げて成長して行くためにはあまり適した場とは言えず、魂としての成長に期待が見込めない場のようなのです。ですので、大分違った個性達が集うこの物質世界に何度も生まれ変わって来ては、自分とは全く違う個性と出逢い、その中で葛藤をし、深く考え、自分にこれまで無かった側面を自分に付け加える事が出来るようになって行き、その結果、自分の器を拡げて行く事ができるようになる、どうもそのような仕組みのようなのです。ですから、まぁ、この葛藤こそが成長の証であるとも言えるようなのです。葛藤を通して角が取れ器が広がり人として成長して行く事が期待できる場としてこの世が機能しているようなのです。それがこの世の存在意義の一つの理由かと言えるかと思います。

●この世の意味②霊性の獲得=神に近づく
また、この霊的には盲目となるこの物質世界において、敢えて霊的な力、霊性をつかみ取り、神に近づく事も期待されているようなのです。これは不自由な水の中で水泳により筋力を鍛える考えに近く、敢えて霊的に盲目と言うハンデを設け、負荷を掛けて霊性を鍛えているようなのです。簡単だと身に付きませんからね。霊性の定義は難しいですが、自分の理解では、神そのもの性質、霊的、精神的な力の事を指していると想定しています。それは、信仰心であったり、他をいたわる愛の心だったり、純真さや、念いによる創造性、協調性、勇気、リーダシップ、集中力、忍耐力、柔軟性、正邪を分かち悪を許さぬ正義感、神の作りしこの世とあの世の仕組みを知る事、神の意図を知る事、等が、霊性の獲得の対象項目となっているのかなと推定しています。それら霊性を、敢えて霊的でないこの物質世界で獲得せんとしているのが我々であるようなのです。これも、この世の存在の意味の一つかと想定します。

●この世の意味③悪しきカルマの解消と良きカルマで徳(未来の幸運)の獲得
また、各人転生を超えた因果応報、やったことは全て自分に返ると言うカルマの法則下にあるため、嘗て成した悪に対しては転生の中償いが要るし(カルマの解消)、逆に他に善き事をして良き因果を作り、それら善行の結果得た"徳"と呼ばれるポイントを各自貯めており、その"徳"ポイントは転生を超えキャリーオーバーできるし、それら"徳"ポイントが未来の転生における"幸運"として現れて来るのではないかと思うので、出来るだけ、そうした良い事を沢山実施して、"徳"ポイントを沢山貯めて頂き未来の幸運を作り出す為に善行を重ねる、そうした悪しきカルマの解消の場、良きカルマ("徳"ポイント)の蓄積の為にも、この世と言うステージが用意されているのではないか?と想定するのです。ただ、余りリターンを気にし過ぎた善行は、見返りを求めない善行に較べて"徳"ポイントが格段に下がりますがね。でも悪さを成すよりはずっと良いかと思います。

●この世の意味④ユートピア建設への参加
前記の続きですが、これら善行を成して"徳"ポイントを貯める行為は、大人においては仕事を通し、仕事に"これが他の役に立つように!"と言う愛の思いをこめ懸命に働く事で成されるだろうし、学生にとっては勉強やクラブ活動を心を込めて成すことがそれに該当するだろうし、社会人を引退されたベテランの皆さんは笑顔の挨拶や街のゴミ拾いがそれに該当するのかも知れないし、色々やり方はあるかと思いますが、そうした善行の結果、間違いなく、この世はより良い方向に変わります。ですから、皆で各自が出来るそれぞれ善行を差し出すことで、この世をユートピア化する事に繋がりますね。この各自のこの世のユートピア化への参加を実現する為の場の提供もこの世の存在の意味の一つなのではないかと想定しますね。

●この世にはメンテナンスが要る
この修行の場でもあるこの世、この物質世界を、修行の場として機能するように、余りにも精神性が否定され過ぎたりしないようにする必要があります。唯物論や無神論、共産主義や社会主義が跋扈し、その結果、神の否定や、人間が霊的存在である事の否定や、修行の場としてのこの世の存在意義と言う見方が否定され過ぎないように、まずは神がおり、その子である人間の成長を期待しており、その為に転生を通した様々な人生経験を経る必要があり、その修行の場がこの世である事を、思い起こさせる為に、時々注意喚起と言うか、補修作業が必要になります。そうして意識付けの為のメンテナンスをこの世は必要としているわけです。物質世界ですから目に見えない霊的世界への意識付けは放置しておくと段々と薄れて行くものです。でも、それでは人が動物となり物となる事を意味し、本来の神の子としての本来の存在、霊的な存在である事実に反して来るわけで、オイオイ、そうじゃないでしょ?って言うワーニングが要るようになる訳です。よって意図的に、意識して、まず神がおわし、我々人間はその神の子達であり、霊的な存在でもあり、人を思いやる気持ちや、念いによる創造性の発揮や、勇気など、精神的な事柄、霊的な事柄を努めて強化して神に似た存在になる努力をすべき存在が我々人間であると、常々、意識して自分達に言い聞かせる必要があるのです。
それもこの世に対し、人のなすべき役割の一つ、主に神々から直、勅命を受けた方々の仕事かと思います。これらの行為もまた、この世をユートピア化する為に成している行為と言えるかと思いますね。私も超超微力ながら、そのお手伝いの一環のつもりでこうしたブログをやっています。

ですので、まとめますと、

●神と人間との関係性としては、我々全ての人間は神の子達であり、神の一部でもある存在であり、尊い存在ではあるようだが、一方、我々は神そのものではなく、より神近き、より神の気持ちを理解出来る、より神のお手伝いができる、より神の如く愛深き存在になる事が期待されている”霊的”な存在であり、その実現の為に転生の中何度もこの世に生まれては心の修行を続けている存在が、我々人間であるようだ、と、言えるかと思います。

●この世の存在意義①としては、霊的世界は波長導通の法則で似た者同士ばかりが集まる為、あまり成長が見込めないので、色んなタイプと出会うこの世に生また方が成長が見込めるのだが、その代わり葛藤を避けられない。実はその葛藤こそが成長の証でもある、よって葛藤は苦しいが成長の機会を迎えていると意識し大歓迎すべかもしれません。

●またこの世の存在意義②としては、この霊的には盲目となるこの物質世界において、敢えて霊的な力、霊性(信仰心、愛、勇気、協調性、創造性等)をつかみ取り、神に近づく事も期待されているようなのです。

●またこの世の存在意義③としては、転生の中における悪しきカルマの解消の場として、そして良きカルマ(徳ポイント=未来の幸運)の獲得の場としてこの世の意味もあるようです。

●この世の意味④として、各自、思いのこもった仕事や学業やボランティアを通してユートピア建設への参加する場としてこの世の意義もあると言う話をしました。

●しかし、この世は放っておくと、唯物論や無神論に毒され、共産主義や社会主義等が跋扈し、神の否定や、人間が霊的存在であり、修行の為に何度も生まれ変わっていると言う視点が失われがちなので、その防止の為に、霊的視点の保持の為、心構えのメンテナンスを必要としています。よって自分達が神の子達であり霊的な存在であり神の如き優しく賢く強い存在になるべくこの世で修行する存在が我々であり、その点を、日々、意図的に自分達に言い聞かせる必要がある存在でもある、と言えるかと思うのです。

と、まぁそう言った感じでしょうか、

ですので、各個人がすべきは、
神の子として、何より神に祈り神に感謝をしながら生きる事、そして同じく神の子として他人に対し尊敬し合い大切にし合う事、特に身の回りの家族や同僚に愛の心を持って接し、与えらえた仕事に愛の思いを込めて懸命に働き、その結果社会に貢献をし、その結果財を築き、自らを養い、可能であれば他を助けられる程頼られる存在を目指す、それが我々に期待されている事なのではないか、と思うのです。

ただし、皆神の子達とは言え、自覚が不十分で、神の存在も、人が神の子達であり霊的存在であると言う事実も、神の子達の集まりが当然すべきユートピア社会の実現も、全て否定しそれを阻まんとし、人を物として扱い、不信と不安の種を撒かんとする自覚が足らない者達が誤った世界の見方を植え付けんと暴れているのを見掛けた場合には、彼らの悪しきカルマがこれ以上拡大しないよう、また変な影響が他の多くの方々に拡散せぬよう、戦いを挑み、隔離し、修正しなければなりませんね。コロナウィルスのようにね…。

そしてまた、生まれ変わりの過程では、男に成ったり、女で生まれたり、欧州に生まれたり、アジアに生まれたり、日本に生まれたり、様々な時代や地域や性別で生まれ変わっているようなので、多様性を尊ぶような、寛容な人間になる事を目指すべきです。

また、繰り返しますが、自分と違った個性との葛藤は、ある意味この世に生まれて来る理由の大きな一つなので、対人関係で葛藤や悩みに出くわしたなら、"ああ、今自分は生まれて来た理由に直面しているんだ、嬉しい、ここが踏ん張り時だ"と思うべきなのかもしれませんね。

そして何より、我々は神の子達なのであり、神の一部でもあるので、コロナ等に負ける筈も無く、最強の存在と繋がっており、最強の存在に守られており、最大の安心の中にある、と思うべきなんでしょうね。

では、また。

湖畔人


第375話.『JIN-仁-レジェンド』

2020-04-25 17:33:36 | 気になったテレビ番組
湖畔人です。

気になったテレビ番組4回目です。

今日は 『JIN-仁-レジェンド』についてです。言わずと知れた名ドラマですね。今、再放送をしているようです。

先週からやっているようで、今週は二週目のようです。たまたま茶の間のソファでウトウトしていて目が覚めるとこの番組をやっていました。何気に見ていると20分に一回位涙腺が厳しい事になる程でして、まぁそれはそれは素晴らしいドラマです。家族が出掛けたのを良い事に心置きなくナイアガラの滝状態となりました。

ゲーテの『ファウスト』では無いですが、映画でもテレビドラマでも小説でも普遍的な素晴らしいドラマと言うのはやはり何気に真理知識が沢山散りばめられている訳でして、まぁこのドラマも所々に真理知識が数多く埋め込まれていますね。

所々で”神は乗り越えられない試練は与えない”と言う言葉が出て来ますし、水の形態の変化を例えとして使い、人も同じく肉体を持ったり、亡くなって霊になったり、また生まれ変わっては肉体を再び持ったりと転生を繰り返していますが、肉体を纏ったり霊体に成ったりと形を変えても何時だって人間の本質はあくまで霊的な存在であって、そこは何時だって変わらない、と、人も水も形を変えるが本質はいつも一緒と、そう言った内容の事をキャストに語らせていますね。

このドラマは、国内外合わせて43の賞を獲得したらしいですが、それもまぁ当然の事かと思いましたね。

原作も、脚本も、キャスティングも、音楽も、もうそれらの全てが皆神懸っていまして、多分きっと多くの天使達の光のスパイスが相当ふりかかっている特別なプロジェクトの一つなんだろうなと思いましたし、コロナ騒動で前線で奮闘する医療従事者達に応援と慰めと指針にもなるようなタイムリーで素晴らしい再放送だなと思いました。

土曜のTBSは素晴らしいですね。日曜はちょっとアレですけどね・・・。

明日も来週もやるようなので当然ながら録画予約済みです。

次が楽しみです。

では。

湖畔人

第374話. 近況と世情 4月19日 コロナ騒ぎ(3)やはり人工ウィルス,それでも親中な自民が心配,コロナの裏で香港弾圧

2020-04-19 22:39:22 | よもやま話,雑感,最近思う事
湖畔人です。

毎日コロナ、コロナ、コロナ! コロナ協奏曲ですね。

でも自分は何だか忙しくて、外出も中々避けられそうにもないのがシンドイ日々です。

さて、今日はコロナ絡みを手短に…。

作家の百田尚樹さんが、同じく作家でフランス在住の辻仁成さんが自身のツイッターで”フランスの著名なノーベル賞受賞のモンタニエ医学博士が新型コロナは人工ウィルスだ!と発言した事で、フランスでは大騒ぎになっている!”とつぶやいたのを受けて、”本来なら、そのウィルスを作った中国を世界は糾弾するんだろうけど、日本の親中議員達はその流れに反して中国の肩を持つんじゃないかと心配だ”と言う主旨のツイートをしたようですが、もうホントにその通りでして、特に政権与党、自民と公明のリアクションが心配なのです。

反日親中左翼の野党の旧民主とか小沢一郎の子分達や社会党や共産が中国の肩を持つならわかるけど、本来保守であるはずの自民が一番怪しい。なにせ前科がありますからね…。

以前、天安門事件が起きて1万を超える民主化を求めてデモをしていた学生達が北京政府に弾圧されタンクで轢き殺され天安門が血の海になった悲しくも凶悪な事件がありましたが、世界はそれを大変な人権蹂躙行為として大批判をし、中国を国際社会から締め出し、孤立させていたのに、何を勘違いしたのか当時の自民政権(海部内閣と宮沢内閣)は天皇を北京に派遣し、孤立していた中国を国際社会に引き戻した日本政治史上稀に見る間違いを犯した前科があります。その結果が世界に殺人ウィルスをまき散らし、国連を金で買い、ウィグル人を弾圧し臓器を売買の為に殺害を繰り返し、南沙諸島を武力で強奪する凶悪な中国を生むキッカケを作ったのです。ホント戦後最大の政治的失態です。多分安倍自民ならその失態の再現をやりかねないし、中国共産党との国交正常化と言うこれまた大間違いを自らの手柄と喧伝する公明も、止めるどころか、むしろ自民に対し孤立するであろう中国を支援するよう促すだろうし、むしろそうしないと連立解消するぞ、とか言って脅し、自民はそれに屈する事でしょうね。今回の10万円給付のようにね。とにかく全く信用ならないのです。

かと言って、旧民主勢力が政権につくとまた大地震と大津波が来ますからね。それもダメなのです。

だから自民内の真の保守勢力が声をあげるべきです。そして外部の真性保守勢力と手を組むべきですね。

さて、その中国ですが、世間がコロナ騒ぎで身動きが取れないのを良い事に、香港の民主活動家を一斉逮捕しています。悪魔のごとしですね。アメリカがコロナで今動けませんからね。その裏でやりたい放題です。でも、アメリカには香港人権・民主主義法がありますので、コロナが一段落したらアメリカは黙っていないでしょうね。とは言え、でも、こうやってなんでもかんでも全部アメリカ頼りなのは、ホントどうなんでしょうね?なんか恥ずかしくないですか?少しは人権とか世界における守るべき正義の為に発言するとか、そう言うの無いんですかね?日本政府。ホント恥ずかしいし、人権感覚ゼロみたいですよね。
今、守るべきは中国でなく、香港、台湾、ウィグルの仲間達。中国共産党ではないのは明らかでしょう?もうホントいい加減にして欲しいんですよね。もう要選手交代ですね。ホント。

では、また後日。

湖畔人


第373話. お気に入りのラジオ番組(4)

2020-04-19 21:34:48 | 気になったラジオ番組
湖畔人です。

嘗て3回やっているお気に入りのラジオ番組の4回目です。

と言うか、気に入っていた番組がまた無くなりました、または時間帯が変わりましたと言う話です。

過去何度も言っていいますが、大のお気に入りだったNHKAMの『かんさい土曜 ほっとタイム』は休止してもう一年以上、同じく土曜の夕方につまみをポリポリする音を聴くのが楽しみだったJ-Waveのクリスペプラーさんの番組、『OTOAJITO』がなんと金曜の夜に移動してしまいました。これで自分としては聴けるタイミングでは無くなってしまったのでホント残念です!

そして、この『OTOAJITO』が元々いた枠には、なんと、終了した『FRUIT MARKET』の横山エリカさんが新番組で復活です。『SOCIEDAD GASTRONOMICA』という新番組で、設定は秘密結社「ソシエダ・ガストロノミカ」の若女将という設定のようで、食をテーマにした番組のようですが、確かに、前の『FRUIT MARKET』でも食レポが上手だった横山さんには向いている番組なのかもしれませんね。チラッと聴いてみましたが、この番組のその秘密結社の片付け係と言う設定で出ている映画監督の馬場康夫さんが、その幅広く且つ豊富な知識をマシンガントークでしゃべり倒すのを、横山さんが”フーーン、そうんなんだ、へー”と言いながら聴いている感じなのですが、それは、まるで誰かの家の中のお茶の間を覗き見しているような感じでして、自宅に遊びに来た物知りでおしゃべりな叔父さんの話を、頬杖を突きながらフーーンと言って話半分で聞き流している退屈そうな娘、と言った構図でして、何か素の横山さんが出ていてなんかとっても面白いな、と思った次第です。
ただ、掛かっている曲も、その時はドイツ語の曲が掛かっていましたが、何か、結構シュールな番組だな、と思いました。
横山さんの復活は嬉しい話として、でもだからと言って大好きだった『OTOAJITO』が深夜枠に吹き飛ばされたのはホント心から残念です。なんでこうなるの!

他、変わっていないのは、以前もお話しした日曜夕方の『LIFESTYLE COLLEGE』ですかね。女優の吉岡里帆さんの番組ですが、結構長く続いていますね。吉岡さん自身も、芸能界における確固とした位置を保っている感じですね。以前もお話ししたように、したたかで自己プロデュース能力に長けた頭がいい人と言うイメージですが、その計算が見え隠れするのが何だかなーと言う印象の方ですね。

後、気に入っている番組で変わらないのはJ-Waveの『Vision』ですね。相変わらず素晴らしいです。

後は、野村訓市さんの日曜の20時からやっている『トラベリングウィズアウトムービング』も相変わらずイイですね。自然体な方ですが、その嘘が無い感じが海外のVIPに受けるのか、ビックリするような世界のVIP達と交友関係があり、時々ボソボソッと披露されるスゴイVIP達との交友録にはホントに驚かされます。世界的トップブランドのトップデザイナーの友達とか、世界的に有名なハリウッド俳優達、著名な映画監督、モダンアートの芸術家、元世界的アイドルグループのメンバーとか、著名なホテルプランナーとか、まぁ次から次へとスゴイVIPとの交友録が披露されまして、ホント驚かされてばかりなのですが、でも、聞かされてもそんなに嫌味に感じはないのは彼の人徳なのかもしれませんね。稀有なるタレントですね。J-waveも大切にした方が良いと思いますね。ホント。この番組も長く続くといいなーと思っています。

さて、野村さんの番組の後にはスガシカオさんの新番組『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』と言う番組が始まりましたね。毎回ゲストを呼んでの音楽紹介番組ですが、So far so good、とってもイイ感じです。今もその番組を聴きながらこの記事を書いています。また楽しみが一つ増えたみたいです。

ではまた。

湖畔人