湖畔人です。
第85話、94話でも指摘した通り、時々、我々がこの世に生を受けた理由を再度思い返して、基本に帰る必要があると思っています。我々が生まれて来る理由は、心の鍛錬、転生を通じて霊性を高め、より神近き存在となる事であり、より愛深き、より多くの人々を受け入れ、肯定出来る器となる事、と、以前申しましたが、ただその器を目指すだけでなく、やはり実際に出会う方々に愛を与える実践業、まあ愛と言うと大げさかもしれないですが、相手に思いを掛けて、相手にとって良きことをする事、そう言った実践業、利他業の実施が大事ですよね。その実践の中身は色々でしょうが、相手の幸福と成長を願って、その方針に合った言葉を掛けるなり、褒めたり、叱ったり、励ましたり、知識をシェアしたり、色々あると思いますが、以前も申した通り、私も葛藤を抱える同僚との関係改善をトライ中で、一進一退?(もう少しマシ?)を繰り返して来ましたが、以前申しました通り、心の癖に引き摺られ、批判心がもたげて来がちなので、何度も修正を掛け頑張ってはいます。でも、その対象の方は、訳あって一時職場空間が同じでは無くなり、一時休止中です。でもまた後日再開すると思うので、その時まで暫しお預けです。ただ、遠隔でも余り相手に批判心を持たないよう頑張りたいと思います。相手の根っ子の仏性、神性を見るようにして、多分縁も深い方なので、色々と考えさせられる契機を与えて頂き、ありがとう、と思って行きたいな、と、そう思っています。
さて、最近よく思うのは、真理と言うか、心の世界を学び、宗教家や思想家の言葉を学び、皆認識を広げ深めていると思いますが、その理解が深まる事を仏教的には悟ると言うのかもしれませんが、認識が上がったらならば、本来、それを独り占めせず、他とシェアする事、影響を受けた教えを共有し、またそれに対する自分の理解を共有する事が大事ですよね。これは、重要な利他業だと思います。この行為は、宗教であれば、宗教の教えの共有、拡散、伝道と呼ばれる行為になるかと思います。
ただ、霊的世界観の普及は、その真実性から、極めて大事な利他業であるにも拘らず、心に響かない人には、変人と思われる場合が多いので、基本、骨の折れる割にはリターンの少ない作業、大変な作業と見えるのも事実です。変人だと思われてもゴリゴリ押していくのは、相当の腰の入った人でないと厳しいものです。でも、この世界は、どんな思想を持った人がどれだけいるかで決まっていく世界ですので、正しい霊的世界観を持った人が主流になってもらわないといけません。手抜きは出来ないのです。霊的人生感、人が霊であり、この世は全てでなく修行と愛他行をする場であり、転生の中、何度も人生を繰り返し、より愛深き神近き人間になる事を期待されている、我々は例外なく神の子供達であり、であるが故に、その本質に見合わない行為をすると、カルマとしてマイナスポイントが付き、そのマイナスを修正させられる経験を経る、その過程で一時地獄に行く事もあり得る、これまで成した事全てに責任がずっとついて回る、だからこそ、真実を知り、その真実を踏まえた丁寧な生き方、自分の本性、仏性に見合った生き方をせよ、と、そうした認識を持って頂く必要があります。この認識なくしてあの世に帰ると、その人格は迷える霊となり色々と触りを起こし霊的問題児となるので、やはり手抜きは出ない訳です。最近私と似たような葛藤を抱えた人が周りにいると知人から聞いたのですが、その人は、彼が影響を受けた本をひたすら周りの人に手渡しをしまくって、メゲないで続けていたところ、感応する人、ヒットする人、共感する人が段々増えて来たそうで、特に外国人の方に反応した人が多いと言っている、と聞きました。確率1%と聞きました。という事は少なくともその人は数百冊の本をプレゼントして来た事になりますね。偉い人です。かなり大変な作業だったかと思いますが、少なくともその方の何分の一位は自分も出来るかと思っています。良い事は直ぐに真似るのが基本ですからね。早速真似をしてみたいと思います。
湖畔人
第85話、94話でも指摘した通り、時々、我々がこの世に生を受けた理由を再度思い返して、基本に帰る必要があると思っています。我々が生まれて来る理由は、心の鍛錬、転生を通じて霊性を高め、より神近き存在となる事であり、より愛深き、より多くの人々を受け入れ、肯定出来る器となる事、と、以前申しましたが、ただその器を目指すだけでなく、やはり実際に出会う方々に愛を与える実践業、まあ愛と言うと大げさかもしれないですが、相手に思いを掛けて、相手にとって良きことをする事、そう言った実践業、利他業の実施が大事ですよね。その実践の中身は色々でしょうが、相手の幸福と成長を願って、その方針に合った言葉を掛けるなり、褒めたり、叱ったり、励ましたり、知識をシェアしたり、色々あると思いますが、以前も申した通り、私も葛藤を抱える同僚との関係改善をトライ中で、一進一退?(もう少しマシ?)を繰り返して来ましたが、以前申しました通り、心の癖に引き摺られ、批判心がもたげて来がちなので、何度も修正を掛け頑張ってはいます。でも、その対象の方は、訳あって一時職場空間が同じでは無くなり、一時休止中です。でもまた後日再開すると思うので、その時まで暫しお預けです。ただ、遠隔でも余り相手に批判心を持たないよう頑張りたいと思います。相手の根っ子の仏性、神性を見るようにして、多分縁も深い方なので、色々と考えさせられる契機を与えて頂き、ありがとう、と思って行きたいな、と、そう思っています。
さて、最近よく思うのは、真理と言うか、心の世界を学び、宗教家や思想家の言葉を学び、皆認識を広げ深めていると思いますが、その理解が深まる事を仏教的には悟ると言うのかもしれませんが、認識が上がったらならば、本来、それを独り占めせず、他とシェアする事、影響を受けた教えを共有し、またそれに対する自分の理解を共有する事が大事ですよね。これは、重要な利他業だと思います。この行為は、宗教であれば、宗教の教えの共有、拡散、伝道と呼ばれる行為になるかと思います。
ただ、霊的世界観の普及は、その真実性から、極めて大事な利他業であるにも拘らず、心に響かない人には、変人と思われる場合が多いので、基本、骨の折れる割にはリターンの少ない作業、大変な作業と見えるのも事実です。変人だと思われてもゴリゴリ押していくのは、相当の腰の入った人でないと厳しいものです。でも、この世界は、どんな思想を持った人がどれだけいるかで決まっていく世界ですので、正しい霊的世界観を持った人が主流になってもらわないといけません。手抜きは出来ないのです。霊的人生感、人が霊であり、この世は全てでなく修行と愛他行をする場であり、転生の中、何度も人生を繰り返し、より愛深き神近き人間になる事を期待されている、我々は例外なく神の子供達であり、であるが故に、その本質に見合わない行為をすると、カルマとしてマイナスポイントが付き、そのマイナスを修正させられる経験を経る、その過程で一時地獄に行く事もあり得る、これまで成した事全てに責任がずっとついて回る、だからこそ、真実を知り、その真実を踏まえた丁寧な生き方、自分の本性、仏性に見合った生き方をせよ、と、そうした認識を持って頂く必要があります。この認識なくしてあの世に帰ると、その人格は迷える霊となり色々と触りを起こし霊的問題児となるので、やはり手抜きは出ない訳です。最近私と似たような葛藤を抱えた人が周りにいると知人から聞いたのですが、その人は、彼が影響を受けた本をひたすら周りの人に手渡しをしまくって、メゲないで続けていたところ、感応する人、ヒットする人、共感する人が段々増えて来たそうで、特に外国人の方に反応した人が多いと言っている、と聞きました。確率1%と聞きました。という事は少なくともその人は数百冊の本をプレゼントして来た事になりますね。偉い人です。かなり大変な作業だったかと思いますが、少なくともその方の何分の一位は自分も出来るかと思っています。良い事は直ぐに真似るのが基本ですからね。早速真似をしてみたいと思います。
湖畔人