湖畔人です。
激動の9月はまだ続いており今週末も簡単な記事だけですが、今週は先週末指摘した心の中で繰り広げられる”一人ボケツッコミ”は結構イイよ、と言うお話をしたいと思います。
ここ2年位でしょうか、気が付けば、自分で自分自身の心の中に問いかけ、それに対し、シッカリめの自分がコメントをし、自分自身を励ましたり、自分自身にパッパを掛けたりと、そう言う場面が増えて来ました。
一人二役、または最大4役って場合もあります。基本一人二役がメインなのですが、"そうだ そうだ"と、相槌を打ったり、同意を示す外野が一人か二人参加する場合もありますが、基本はシッカリめの自分が出て来て、これでイイとか、もっと自信を持てとか、いや、もっとプライオリティを付けて重要でない事は軽めに処理すべきとか、色々助言をするシッカリ目の自分が自分の中にいて、彼の助言がとても助かるのです。
特に、考えが袋小路に入ってまとまらない時、くだらない枝葉に時間を取られているとき、そう言う時は、それは割り切って捨てなさい、的な事を言ってくれる存在でして、とても無駄時間を省くことに有効な、そして自信を与えてくれる存在でもあり、とてもありがたい存在でもあります。
そのシッカリ目の自分、彼は自分自身ですが、でもまぁ、このシッカリ目の自分が間違った判断やアドバイスを私にしてくると、此方はとんでもない間違いを犯す事もありえるわけで、このシッカリ目の自分が、より正しく、より深く、より神様の願う正しさに合致した判断をする存在になってもらわないと困る訳です。
では、今の自分が考える、神の願う正しさとは何か、この世界の真相とは一体何なのか?と言えば、
神は、人類を、彼の子達として、また、霊的存在として見ており、全ての人類一人一人を例外なく愛しており、各自が個性を発揮し、共に調和、協力して、修行の場としてのこの世界を、より良くする事を期待しており、また同時に、この世と言う修行の場において、人類各人が、転生を繰り返す事で、各自の霊性(愛とか調和とか勇気とか智慧とか思いの強さとかコミュ力とか行動力とか実現力とか霊的知識の獲得とか、諸々の精神的な要素)を鍛え、また同時に各自が転生過程で作って来た良き、または悪しきカルマの清算をする事も期待している、そうした過程を通して、各人が神自身の如き神近き存在に進化する事を期待している、のがこの世界の真相で、
その神の子として各人が、霊性を鍛え、個性を発揮し、周りと調和しながら、この世をより良くする事が期待されている、と言うのが神の作ったこの世をみる正しい世界観かと思うのですが、
その見方に合致したアドバイスを、このシッカリ目の自分がしてくれる事が大事なわけです。
なので、これまで色んな宗教書や哲学書を読んで来ましたが、それらの学習が、このもう一人のシッカリ目の自分をより正しく、より神近き判断をする存在に鍛える過程が、これまでの人生だった気がするのです。
ある意味、人生とは、このもう一人のシッカリ目の自分を鍛える為の時間なのでは?なんて思う事もあります。
彼がいれば、判断を誤らないし、判断も早いし、孤独も感じないし、良いこと尽くめでもあるのですが、彼が自分に甘かったり、ちょっとでも変な判断をすると、道を外す事もあり得るので、まぁ常識との兼ね合いの中で彼の意見も聞いてゆく必要があると感じています。
彼を育てる上で、もっとも影響を受けたのは、現代日本に生まれた宗教家でして、今は小休止と言うか、岩戸隠、または浦島太郎、またはオシリスみたいに今なっている存在ですが、心の底から感謝している次第です。
もう一人の自分を自分の中に持つ事。
彼を正しく育て、彼と会話をしながら生きていく事。
とても良いと思っています。
お薦めします。
では。
湖畔人
(2023.09.16改訂)