亡き妻が「ガンセンター緩和ケアセンター」に入院中には、
静岡県旧清水市(現、静岡市)出身らしく富士山が見えるか毎日見に行った。
この緩和センター(ホスピス)に入院したことにより、ここで彼女の死を迎えることになる。
もう、その覚悟はとうに出来ていたと思われる。
12月2日に、膵がんのステージ4と告知された時には彼女自身が「余命はどれくらいですか?」
医師に直接尋ねていた。「判りません」との言葉に、
自分のやらなければいけない順位を付けて残すことなくやりたかったのだろうと思う。
啄木の短歌に、、、。
*故郷の山にむかいて言うことなし
故郷の山はありがたきかな
毎日車椅子を押して貰っても、天気や大気中の状態によりなかなか見えない日が多い。
今日の画像は、2023年2月26日の夕景である。
この日は、五階から良く見えた方である。
初めてスマホで投稿してみたが、勝手がわからず右往左往して
結局、PCで手直し中です。