餃子の街・宇都宮  ある菓子店のひとり言・・・

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亡き妻の、ふるさとの山・・・・

2023年05月27日 18時32分33秒 | 配偶者の死


亡き妻が「ガンセンター緩和ケアセンター」に入院中には、
静岡県旧清水市(現、静岡市)出身らしく富士山が見えるか毎日見に行った。

この緩和センター(ホスピス)に入院したことにより、ここで彼女の死を迎えることになる。
もう、その覚悟はとうに出来ていたと思われる。
12月2日に、膵がんのステージ4と告知された時には彼女自身が「余命はどれくらいですか?」
医師に直接尋ねていた。「判りません」との言葉に、
自分のやらなければいけない順位を付けて残すことなくやりたかったのだろうと思う。



啄木の短歌に、、、。
    *故郷の山にむかいて言うことなし
     故郷の山はありがたきかな

毎日車椅子を押して貰っても、天気や大気中の状態によりなかなか見えない日が多い。

今日の画像は、2023年2月26日の夕景である。
この日は、五階から良く見えた方である。




初めてスマホで投稿してみたが、勝手がわからず右往左往して
結局、PCで手直し中です。
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妻が亡くなり、立ち直りが難しい・・・

2023年04月14日 20時46分54秒 | 配偶者の死

3月の22日に、50年連れ添った妻が旅立ちました・・・。
まだまだ若い72歳でした。

昨年12/2に、すい臓がんのステージ4と宣告された時には、肝臓にも転移し手術は出来ませんでした。
2回ほど抗がん剤の予約をしましたが、2日前とか4日前になると、生存するのに悪い個所が見つかり
そちらを優先的に治療・手術が行われ、結果的に抗がん剤も出来ませんでした。
先生曰く、抗がん剤をしていたら「死んでいたかも知れない」との事でした。

彼女の人生の中で最大の激痛にも襲われ、イカ墨の様な「真っ黒いモノ」を5回ほど嘔吐したことも・・・。
先生に尋ねると、「」だという。
この頃は、まだ入退院を繰り返していた頃だ。

1月23日には、がんの末期患者ながら「コロナ」にも罹患した。
彼女はこの日から、亡くなるまで約2か月間入院することになる。

2月8日からは、「がんセンターの緩和ケアセンター」にて42日間を過ごすことになる。
その頃は、まだ自分でトイレにも行けたし、毎日面会に行っても洗った洗濯ものと洗う洗濯物を入れ替えたり
買い物を頼まれたり、彼女の要望を聞いたりと比較的に気楽さがあった。

3月12日からは、容体も悪くなり私も店を閉店して、24時間付き添い出した。
ガンの痛みを緩和するのは、今のところ「モルヒネ」しか無いそうである。
相当の痛みを救ってくれるこの「モルヒネ」・・・、最後は自分の名前も分からなくなる。
その分、がんの痛みから救ってくれた感謝の念も忘れてはいけない。

そして、3月22日眠るように・・・、全く苦しまずに息を引き取った・・・。
見ていて安心した。


それから役所や保険やさん関係も、まだまだ残っていることがある。

妻の死を、拙ブログには書かないつもりではいたが
もうすぐ一か月にもなろうとしてるのに、この私が立ち直れないのである・・・・。
色々参考になるかと思い、あちこち調べていると
書くことによって、気が楽になる事がある」との記述があった。

人によっては、半年から1年で立ち直る方もいるそうですし、
5~6年かかる人もいるそうです。

私も商売しているし、出来たら早目に店を再開したいと思っているけど
今のところ、全く食欲が無いのである。
朝と午後には、安定剤の世話になっている。

今回、書いたことによって少しでも好転するといいと思っている。
それなりに時間が過ぎない事には、解決しないのかも知れないが・・・・。

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