あらゆる世界から「モノづくり」の人が減っている
基本的に大量生産大量消費政策はもう終わりだと思う
この制度に踊らされた日本は「何もかも失った」という感じだ
技術が途絶えていることが多く
途絶えた技術はもう必要がないのかな?と思ってしまう
下仁田でチャ子ちゃん先生を駅まで送ってくれた農夫が
「祖父母の時代の養蚕は桑の葉を早朝摘んで自分の目で蚕の様子を確かめながら与えていた、フンも毎日取り換え清潔そのものだった、自分たちは蚕の飼育期は納屋に移動し、蚕はいい環境に置かれていた」
ところが父母の時代になると、ビニールハウスを作りそこで蚕の飼育が始まり、桑も枝ごと与え、フンもそのままという状態で、蚕の数は増え、家族もいい生活になった
「しかしそのころから人間が変わった、蚕に限らず野菜やお米に関しても人は傲慢になり、何事も大切にしなくなった、自分で考えて仕事をするのではなく、何もかも農協依存という体質になって人としての優しさが無くなった」
そうなんだ
紅花染の山岸幸一さんも同じようなことを言っていた
「最近の農具は人がいかに楽ができるかで作られているが、昔の農具は土に優しい、草に優しいという農具なんですよ、ほらこのざるもね」
「でも人には酷ですよね」と昔の農具を使いながらチャ子ちゃん先生は言う
「確かにね、でも人はせいぜい100歳、土は何億年と生きている」
その土を扱う人の手によって、土の命が決まっていく
昭和の40年代までは人は自然に対して謙虚だった
だからいいモノづくりもできたわけ
しかし世界が大変化している今は、人と自然が共存共栄する時代になっていくと思う、それには質がモノをいう、いいものを長く丁寧に使う人になる必要がある。そうするといいモノづくりの人たちの生活も成り立っていく
量より質
それを見据えた生活がこれからの生きる道のようだ