チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

体調不良の人が多い

2024年12月07日 09時11分41秒 | 日記
ここ三年親しい方たちとの別れが続いている
それと同時に体調を崩している人も多い
すべては
あのお駐車なのだが
それを声高に言う人は嫌われる

これからは「健康」が第一と思う
つらつら考えるに敗戦前の日本の食事は質素だったが
免疫を高めるのには十分であった
しかも少々の「菌」は逆に善玉菌になっていた

「お味噌汁だけでも飲んでいきなさい」
寝坊してバタバタしていると母がしつこく言う
味噌も家で作っていた
漬物、梅干しはすべて自家製
どの家庭もそれが当たり前だった

ヒマワリの種を油にする
かぼちゃの種を炒って食べる
柿の皮は細かく切って天日干しお茶のようにしてのむ
トウモロコシのひげは煎じて飲む 
菓子も家で作る、おやつは手作りだ

煎茶などは余所行き用お人がいらしたときに出す
だからお茶のお稽古は嬉しいお菓子お茶もおもうまま
家庭の主婦は忙しかった
しかし家族は健康

結局「晴れと褻」の生活の仕方が健康を促進したのだろうと思う
チャ子ちゃん先生の健康は母が作ってくれた基礎体力だとつくづく思う
今は感謝しかない

そのおかげで「おかしい?」と思うものは体が受け付けない
不便だが体は正直
その正直の元を作ったのは母の手料理
それを無視したときたいてい病気をしている

変なものを体に入れないこと お駐車やなんやかんやの治療液
お別れは嫌!
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きものを着るtoいうこと

2024年12月06日 09時45分23秒 | 日記
きものを毎日着ようと思ったのは33歳
そして20年其れは続いた
チャ子ちゃん先生は西洋かぶれをしていたので、きものなんて全く着る気にもなっていなかった
しかし
きものの取材が始まり全国の産地に出向いたり、いろんな着物のページを作ってみたり、ポスターやコマーシャルの着物のスタイリストをしているうち、きものの奥深さに引き込まれていった
そしてある時
きもののことをあれこれと偉そうな文書を書いたり、話したりしているけど「きものを着る」ことのない自分の生活態度に疑問を持ち始めた時、ある工房取材で「きものを着続ける」ということに背中を押された

きものを着初め着続けるといろんな疑問が生まれ叉発見もあり、日本の様々な現状も見えてきた
そして毎日着物を着るというのが、一年たち、五年たち、ついに20年も過ぎた時いったんきものはやめて洋服に戻った

そこで今度は健康問題が生じた
着物が日本人の体に合っていたことや、日本の気候の移り変わりに微妙な形で反応しそれが内臓や血流、筋肉そして骨に影響をしていることが改めて理解できた
洋服と比べた時に分かったことだ

そして今度は誇りを持ってきものを着るようになった

先日大学の後輩たちに「絹と糸」についての講義をさせてもらった
その様子を
「今さらきものを着て絹と糸の話をするなんて」
という批判を受けた

日本の絹と糸はきものを作るために発展してきて、今はその絹からさらにきもの以外の医学、建築、食品などにも利用をする科学が発達した(正確には繭)
しかし元は「衣」だったのだ

心地よい着物を着られる恩恵を蚕に感謝したい
だから絹や糸や蚕の話をする時きものを着る

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ついてない!ツイてる

2024年12月05日 09時34分24秒 | 日記
ついてないなあと、よく人はこぼすが
これすべて「ついている」と最近思う
長生きっていいねえ
こういうものがすべて見えてきて
点と線が結ばれる
結ばれた後立体になってその後丸になる
だからすべてが俯瞰して見えるてくるのだ

例えば財布を落とす
がっかりするよね慌てるし悲観する
その中に入っていたカードなどが使われては大変なので、カード会社に電話をして留める
などなどいろんな社会的なことをやらなければならない
その都度新しいことを覚えてなおかつ今後財布を落とさないようにどうしたらいいかを工夫する

そうやって自分自身の行動の整理ができる、考え方も広がっていく
行動の整理ができるとすべてが整ってくる
そうするとあらゆる局面で「ついてる」ことが生じるのだ
ついていないことを、しっかり見つめることが、ついている一つの方法だったと氣がつく

自分がやりたいと思っていた仕事が他人に行く
悔しいと思うついていないなあと考える
でもそこでくじけず
「まだ自分の番ではないのだな」
と考えひたすら精進する
その精進の向こうにもっとやりがいのある仕事が待っている
それをやれるなんて「ついてるよね」

ツイてる人って
過去に縛られず、淡々といつも楽しいことを見つけて精進している
そういう人が本当のプロ

この世に「ついていない人」は本来いない
ついていない事実からツキが回ってくるということに気が付かない人が、いつも「ついていない」とこぼす
交差点に立ったらすぐ信号が青になった
ホームについたらすぐ電車が来た
そんな小さなことに「やったー」と喜んでいると、必ず大きなツキが来る
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東京が美しい

2024年12月03日 11時06分43秒 | 日記
春は新緑と桜のころ
秋は銀杏並木
東京が美しい季節
このいちょうなみきを切り取ってしまうという「おばか」な都知事を抱えている都民は悲しい

東京はビルが多すぎる
しかも無計画な建築でどんどん空が狭くなっている
そういう中で昔からある街路樹が季節ごとに自分の美を見せてくれる

関東平野といわれるほど平野が続く東京
あらゆる町から富士山の夕焼けを眺めた
六本木の交差点で眺めた富士山が美しかったのを思い出す
あちこち富士見が丘など富士の名前の付く丘や町が多い
東京の町は坂道が多いので、坂道を抜けたところで富士山が見えていたところも多い

そういう東京の景色は富士山あってのことだったと思う
建築はそこを考えてほしかったな
面白いのは都庁舎
出来上がったときは否定的な感想が多かった
この都庁舎
月をバックにする夜はなかなか味なもの
また夕焼けで建物全体が茜に染まる瞬間も美しい
丹下健三はそこまで計算したのだろうか?

東京に住み続ける者として
江戸情緒の残る場所はきちんと残してほしい
今考えると公園をやたら作ると反対されていた美濃部都知事に感謝かも
石原都知事も東京を愛していたな

首長の仕事はそこに暮らす人たちの安全と平和それに日本人独特の感性や情緒も計算に入れる必要がある
もちろん国のトップも同じ

今朝は銀杏並木を歩いていてつくづく思ったものだ
「今の季節東京は美しい」と
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偽日本国は80年

2024年12月02日 13時24分42秒 | 日記
ここのところ日本っていったいどういう国なんだろう、どんな国民なのだろうかと考えると少女時代の日本人としての生活がよみがえる
穏やかで和やかでみんなが生き生きと幸せそうな顔をしていた

町中に爆弾がヒューヒュー飛び込んできても
みんな協力し合って生きていた
疎開してもその土地の人たちがこまごまと子供の面倒を見てくれていた
大人も子供も楽しめるように「旅芸人」がやってきて
大きなお屋敷やまたは公民館でお芝居を楽しんでいた
田舎オペラもきてカルメンや蝶々夫人などやっていた

舞台が終わると「おひねり」という紙に包んだお金を舞台に投げ入れる
木戸銭とは別に出演者のボーナスみたいなものだったのだろう
お米を渡したり野菜や果物を渡す人もいた
戦後のなんだかおもしろい景色がよみがえる

学校に行くと襟足を真っ白にした旅芸人の子供が席についていて
珍しい人種を見るように遠巻きで眺めている子が多かった
いじめそうな子がいると、成績のいい子がそれを止めていた

成績といえばチャ子ちゃん先生はテストはほとんど100点
それもそう、兄たちが使った教科書といっよなのでテストの出そうなところを兄は教えてくれる、そこだけ暗記していればいい

病気がちで学校にはほとんど行かなかたが成績がいいのである時先生に
「どうして優等賞をもらえないの?」と談判した
「比佐子ちゃん元気で毎日学校に来ていて成績がいいという子に優等賞を上げるのよ」
だから元気になりなさい。という言葉で諭された
それからは勉強はしないで元気に遊びまわる子供になってしまいこん日がある

国力は健康の民がいることで成り立つ
80年前の日本人の方が賢くて元気だ
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神仕組み

2024年11月28日 11時20分40秒 | 日記
コロナパンデミックのために失ったものも多いが「感謝」もある
それは自分自身の来し方を振り返るチャンスになったこと
そこに気づきがいっぱいあった
恥ずかしくて身のすくむような失敗もそれがなければ「気が付かない」ことがあった。昔の人が「失敗は成功の基」という言葉を残したが、まさしく

有頂天の栄華は色あせていて
失敗の数々の方がキラキラ輝ている
両親や兄弟をふくめた先輩たちが数々の叱咤激励が人を成長進化させていたこともわかる

それらはすべて神の仕組みの中にあることもやっと理解できた
神は宇宙法則にのっとって壮大な仕組みを考えて実行する
それに気が付かねば気が付くまで、手変え品替えいろいろ体験させられるのだ
体験に疲れ果てるのは神の存在を無視するからだと思う

よき体験悪しき体験の末に神はとんでもなく素晴らしいご褒美をくれる
それを信じて黙々と自分の仕事をしていくのが一番

それができない理由は
人とのせめぎ合い、優劣をつける事、分離の感覚
あの人はいいけどこの人は悪いという分離の考え方が、結局は人を苦しみに導く、あの人より自分の方が優れているとかいう優劣の考えも、苦しみの元、競争に打ち勝とうとすることは最も自分自身を壊す

戦後私たちは「3S」という教育を受けた
スポーツ・スクリ――ン・セックス
勝ち負けを競うスポーツ 富にあこがれさせる映画 快楽に耽るセックス
地道な足を地に着けた生き方は否定され、馬鹿にされふわふわとお金目当てに生きてきた80年

ほんとうはそれも神仕組みだったのかもしれない
人間の進化のためには通らなければならない道だったのかも

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障子の効用

2024年11月26日 09時56分57秒 | 日記
先日古き屋敷に伺って「障子の効用」に改めて気が付いた
若いころ大人の女は障子の開け閉めにうるさく、三手で開けるということを厳しく言われたものだ
障子を開けた後左足で入るのか右足が先なのか、それぞれ作法の先生の流儀があり違っていた
母は「神主さんの歩き方を見ていればいい」とだけ言う
その言葉のせいか私は人の足元を注意深く見る癖がついた
だのに自分は外叉で歩く(笑)

障子は上に半分開けたり,雪見障子というのだが、景色を切り取ってみる、そうすると見えない部分に想像力が高まり、外の景色に気持ちが動いていく
昔テレビで「チラ見せ」なんていって裾をからげる動作が笑いを誘っていたが、日本人はチラリと見た景色の奥を想像するのが上手な遺伝子を持っているのだと思う

障子は影を映す、それを利用した「闇笛」とか「影笛」と呼ばれる金沢の笛の鑑賞の仕方があるが、初めてお座敷に上がり、障子に影を映して奏でる笛の音色に酔いし入れた

こういう音の楽しみ方があるのかと感動した

障子は和紙一枚で仕切られているのだが、そのあたたかさと、その場の落ち着きはたとえようがない
カーテンの仕切りとは違う、軽やかだけど重みのある空間ができる
襖というのは完全に外との遮断だが、障子は隣の気配を感じながら、一線を引いている、細やかな情感を持っているのが障子

子供のころちょうど今頃の季節から家じゅうの障子の張替えが始まる
子供の仕事は障子の紙を破くこと
これが楽しい
ぼこぼこ穴をあけて紙をはがし、其のあと障子の桟をぬるま湯につけた布で洗っていく。晴天の日に行うので何日か続く、その間家中の空気も入れ替わっていく

あるアメリカ人が今の日本は「偽日本」本当の日本を早く取り返してほしいといっていたけど、まさしくそうだと障子を眺めながら思った
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郵便物が届かない

2024年11月25日 09時55分11秒 | 日記
不思議な目にあっている
ある方に送った送ったレターパックが一週間たっても届いていないという
こういうことは初めてなのでびっくり
郵便局に連絡するが追跡のしようがないと断られた

レターパックの一番小さいものだ
そこには「帯板締め」の見本を入れていた
規則通りの大きさ重さ、こちらに落ち度はない

きちんと手渡しするもので送るべきだったと後悔するが
郵便がこの日本で届かないということの方にショックを受けている

これでは宅急便の方が確実だ
人から人への手渡しができなくなり、運ぶ人が少なくなっているのだあろう
何もかもインターネットで用が済む時代に
手書きの手紙が相手に届くというのはもう奇跡でしかなくなるのだろうか

お歳暮もお中元もお品を自分の手で運び、お礼を言っていた時代から
宅急便で送りつけるようになり
手紙から電話そしてメールと伝達方法がヒトの手を通さない方向へ行っている

昨夜ユーチューブを見ていたら
「日本の歴史はまだ80年、それは偽日本の歴史でもある」
とおっしゃっているアメリカ人がいた

ああそうなんだ、ひどく新鮮に感じたものだ
この80年は他国に押し付けられた文化を、さも昔からある文化のように教えられてていたのだという

しかし日本人は世界で最も古い歴史を持つ国だという思いがある
そうか
「名月浮水中」という言葉がある(水に映った月は偽物で本物は別にある)
本物の日本を取り返さない限り、郵便物が消えてしまうという出来事も当たり前に起きてくるのかもしれない

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旅路の終わり

2024年11月24日 08時49分04秒 | 日記
恒例のクリスマスパーテイ(比佐子つれづれ主催)がチャ子ちゃん先生の米寿の祝いを兼ねると、運営する人たちの手で決められた
パフオーマンスで歌えという

昨日は過去の働きの動画を作るといって担当のものが写真を選びに来た
しかしその写真のほとんどは事務所引っ越しの時処分しているので、輝かしい(笑)過去の経歴は消えている

多くの人に「米寿なんですってね」と言われると、自分自身が米寿で、88歳なのだと認識する
「ぼつぼつ旅路の終わりに入ったのか」
と自分を省みる日が多くなった
あちらに転がりこちらに転がされながら今日まで生きてきたと感じる

失敗も多かったがそこから学んだことは多い
そして自分自身の基本はどこだったかと思うと8歳までの戦前の生活だったとはっきりする、戦争が激しくなる前までの生活だ

9歳の夏に戦争が終わりそこからがらりと変わった世の中、大人たちさへどう生きていくかと混乱している中で、子供をどう導くか大変だったと思う
日本はそういう時代を見事に越して今日がある

その混乱期から高度成長そしてはじけたバブルの時代、更に停滞している平成から令和
今まさに世界規模で大変化真っただ中にあって、自分が受けてきた教育、先輩たちの教訓、文化遺産などなど見聞きしたことをしっかっり伝えて果てる日が近づいたのかと思う

40代の人たちと話を話をしていると
「私たちは何も知らない、誰に聞いていいのかもわからない、だから長生きしてください」
こういう言葉を投げかけられるのは複雑
ずっと教えていただくという立場にいた人間が、何かを教える伝えるという場所に立っているという認識が全くないことに愕然とする

旅路がもうすぐ終わる
終わりを全うするのも人の道なのだと知る

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母の教えが尊いと思うこのころ

2024年11月20日 15時14分08秒 | 日記
毎朝母に感謝をささげている
当然のことながら父や兄姉にも
若いときは一番近い同性に反発する人が多いと聞く
それは誰もが通る道かと思っていたら、そうでもないらしい
母を天敵と考える娘はあまりいないということも最近分かった
だから
どうして母を天敵と思ったのかと考えてみた

結論を言うと
洗脳される人間とされない人間の差
娘は西欧文化、とくにアメリカの大量生産大量消費という考え方に洗脳された夢のような贅沢な海の向こうの生活にあこがれ浮ついていた

先へ先へと何かにせかされるように面白いこと愉しいことに夢中になり、静かに丁寧に生活を続けている母の姿をうざったいと軽蔑していた

しかし違った
何十年も過ぎて、特に今の自分の歳になると、母は日本人として生きていたのだと理解できる
日本人の清潔さ、思いやり、気配り、他人との和の尊重、物を捨てない、古いものの再生などなど
娘にとっては「買えば何でも手に入る世の中になったのになんてみみっちい」
と思ってしまう

姉たちは一時期その文明にかぶれていたがすぐに元のような日本の女になって、末っ子で跳ね上がっている私を余裕の目で見ていた

そして今
年相応にいろんな経験や体験を通してくると、母の姿が尊いと思えてくる
尊いと思わなかったために、いろんな苦労があったのだと悟る

お料理もお掃除もみんな母の姿が今自分にある
「節約精神」という考え方、命をいただく人間の在り方を日常の中で教えられるのは母の姿しかない

母親の姿はどんな博士の教えより尊いし身につく












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