また一人恩人がーーーー
草木染を日本全国の染織家たちに種植えなさった
山崎青樹先生が亡くなった
享年86歳
チャコちゃん先生はお父様の斌(あきら)さんの
最後の教え子とも言われている
日本の藍が化学染料のインデイゴ一辺倒だった頃
青樹さんが四国に行って藍のすくもを見つけてきた
「見つかりましたよすくもが」
「おおあったか」
と言う興奮気味の親子会話の場に居合わせて
私自身もわけもわからずウキウキしたものだ
そのご藍建てをして植物の藍をずーーーと育てている
親子が同じ目的に向かって進み行く姿を
とても美しいと思った
斌さんは文科系で想像力が旺盛
青樹さんは理科系できちんと組み立て
父の思いを化学を通してに形にする
斌先生がなくなるまで
日本の染の世界に大きな資産をお二人でつくった
あるとき
チャコちゃん先生は青樹先生に
「真珠のような色と輝きのアル紬を作っていただきたい」
と難題を突きつけてしまった
真珠のような色のきものを着たかった
「うーーん」
とおっしゃったきりやるとも出来ないともおっしゃらない
そして一年後
「これ」
と差し出された和紙の中から
「うっ」
と驚く反物が顔を見せた
続きはアス
草木染を日本全国の染織家たちに種植えなさった
山崎青樹先生が亡くなった
享年86歳
チャコちゃん先生はお父様の斌(あきら)さんの
最後の教え子とも言われている
日本の藍が化学染料のインデイゴ一辺倒だった頃
青樹さんが四国に行って藍のすくもを見つけてきた
「見つかりましたよすくもが」
「おおあったか」
と言う興奮気味の親子会話の場に居合わせて
私自身もわけもわからずウキウキしたものだ
そのご藍建てをして植物の藍をずーーーと育てている
親子が同じ目的に向かって進み行く姿を
とても美しいと思った
斌さんは文科系で想像力が旺盛
青樹さんは理科系できちんと組み立て
父の思いを化学を通してに形にする
斌先生がなくなるまで
日本の染の世界に大きな資産をお二人でつくった
あるとき
チャコちゃん先生は青樹先生に
「真珠のような色と輝きのアル紬を作っていただきたい」
と難題を突きつけてしまった
真珠のような色のきものを着たかった
「うーーん」
とおっしゃったきりやるとも出来ないともおっしゃらない
そして一年後
「これ」
と差し出された和紙の中から
「うっ」
と驚く反物が顔を見せた
続きはアス