玉糸と言っても知らない方が多いだろう
初めて聞いた時玉になった糸って真珠みたいに連なっているのかな?と思った
前に書いたがチャコちゃん先生は着物が好きで好きでたまらず着物にのめり込んだのではなく。どちらかといえば着物には傍観者的な立場にいた
一生着ることもないだろうと思っていたほどだ
しかし
着物を知るに従って着物を着ること、着物を知ることは日本の文化そのものを身につけることだと気がついた。それからはとどまることを知らない。未だに着物に教わることが多い
さて玉糸
養蚕が最も盛んだったのは明治時代だ
富国強兵を国の目標とし国の経済を「蚕」に頼んだのだ。外資稼ぎの筆頭が生糸であり蚕の種だった
武士上がりのにわか百姓が養蚕業に肩入れ豪農の殆どは養蚕で大きな財を稼いだ、特に江戸を足場とした群馬を中心の関東では養蚕王国となった、そこでは繭から糸を取ることも盛んになった
なにせ蚕が繭の中で蛹として生きている間に糸を取ることが最も良い糸になることを知っていたので、養蚕と整糸は離れ離れにはできない
整糸業始めたのは国であるがその技術はフランスからその運動の筆頭に渋沢栄一がいた。彼の周りには近代農業を推進する人が大勢いてこの時代から桑の品種改良や蚕の遺伝子組み換えが行われている
そういう風潮の中で「玉糸」に対する配慮は彼らにはなく養蚕農家に委ねられていた
玉糸ととは蚕が繭の中に2匹以上入って繭を作り上げる、当然新式の整糸機械では糸は引けない、まっすぐ繭から出てこなくてブツブツ切れたりこんがらがっていくのだ、全く生産性はない、「屑繭」として廃物利用という形で真綿にしそこから糸を紡ぐというやり方しかできない
ところが余りにもたくさんの玉糸ができるのでその繭から糸を取る方法を考案した女性がいた、当時としては珍しく群馬から駆け落ちして愛知に落ち延びそこで玉糸専門の製糸工場をつくりあげたのだ。今から170年前の女性(彼女のことはいずれ書く)
こういう話を知るとやはり着物は奥が深いと思ってしまう
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