引っ越しを決めた
このスカイガーデンに惚れてほれて身分不相応な家賃稼ぎに明け暮れた30年
「家一軒買えたね」と友人たちにいわれる
其の通り
スカイガーデンから見える景色に惚れた、新宿中央公園の緑を独り占め、更に都庁舎をはじめのビル群を遠くに見る
ここに来たときは都庁が工事中で、空が広く遠くに豊島園の花火、神宮の花火、隅田川の花火まで見えていた
温泉もあり地方からセミナー参加にいらした人が温泉に入るのが楽しみだといっていた
一番初めの仕事が「中谷比佐子の着物組」朝日新聞社、朝日新聞社初めての着物ムックで期待を背負ってみんなでガンバッタ。遠くの人は寝泊まりしていた
そうだこの本で今は時めく「豊田一幸」さんが着物ヘアメイクデビュー、一幸さんにこの時いただいた梅の小鉢が今も元気。彼?は性格のいい子だった。表紙は鶴田浩二のお孫さん加奈ちゃん安藤孝子の一人娘
その後「十二か月の着物」や「着物という農業」などなどたくさんの本を執筆した場所でもある
10年前までは原稿用紙に万年筆で文字を埋めていた。どういうわけか一冊を5日で書き上げるという目標を自分に課せていた。ある日早朝机の上でウトウトしていたらヒヤッと冷たいものが頭に降りてきて顔を上げると壁に青龍がいて「あらー」なんて挨拶したらすーと消えていったこともあった(一度キリ)
スカイガーデンの周りに山茶花の鉢を並べた
これは愛知県の春日野というところにあった蚕糸試験所が(チャ子ちゃん先生ここで蚕の博士さんたちに蚕のことを学んでいた)研究所を閉鎖することになり、その土地で植物を育て始め、まず山茶花を購入したわけ、ここスカイガーデンの当初の植物は名古屋からのお嫁入。(5年位前だったか跡地を訪ねたらスーパーマーケット、マンションになっていた)
一時は手土産にお花の鉢をいただくことが多く、土を盛って、直植えなどしたためにジャングル状態になっていた時期もある。それはそれで居心地のよい場所になっていた。そのころ、鳥が運んできた雑木、土もないところでめきめき育ち大木になった
さすがに「いったいこの根はどこに行ってるのだろう」と心配になりコンクリートを突き破って、下のお部屋にこんにちはと顔出したらどうしよう!と真剣に心配を始めたら、若き男性が「僕何かお手伝いすることないですか?」と現れ、実はしかじかと話すと長靴片手に再度現れ大木を切ったのだが
「どうも根が張りすぎているようですよ」
その根を外す作業を始めたら、なんとスカイガーデン一帯に根がはりめぐされていた!
さらに驚くことは、少しでも土があるとそこに根を下ろし葉を茂らせていた
「根を張る」ということはこういうことなのかと半端でない生命力のすごさにただ唖然
軸をブラさないよう、根をしっかり張りましょう
なんて気軽に言っている自分の中途半端な甘さが恥ずかしくなった