チャ子ちゃん先生の着物と帯はまさしく古着の部類に入る
一番古いのは100年前の母の結城紬
45年前に亡くなった母のタンスの中は、空っぽに等しかった
そのころはまだ日常に着物を着る習慣があったので、差し上げることが出来るものはすべてよそ様の手に渡ったらしい。後始末の良い人で、汚れたものは洗い張りをしてあった。
姉がその中から「これ持っていなさい」と言って渡されたのが結城紬と縮の結城紬、その他紅葉の帯と、梅の帯、そして立て絽の虫たちの婚礼を描いた色留め袖。
その他姉たちはお茶やお琴の師匠していたので、帯どめや指輪は使わないといって私に渡してくれた。
ついでにこの派手になった羽織りあなたにげる、と言って姉に渡されたとてもとても黒字に紅樹の梅のまあなんとすごい羽織。もともと羽織は着ないのだけど、ま、ありがたく頂戴し、何十年かそのままになっていた。
姉もなくなり姪に返そうと連絡したら、「比佐子おばちゃんにあげたい着物と帯があるから、それもつかってください」と拒否された(笑)
そして思いついたのが帯。帯の仕立て職人に見積もっていただいたら「半幅と名古屋帯が取れるよ」という。
もう一つお太鼓の柄を違える仕立てもできると提案される。
それが面白い。二人でこの柄とこの柄と選び合い仕立てに回した
イヤー見事にできた
一本で背中の表情が変わるので、それに合う着物選びが楽しい。いやはや職人の知恵が文化を呼ぶんだな。
けさのFBにのせてあるのでご覧くださいな
それにしても仕立て職人もさることながら、昔の染色職人の感性は見事としか言いようがない。大胆でいて格調もある。自分の仕事に誇りを持っていたからこういういい仕事をしていたのだと思う
昭和50代の着物や帯は職人たちの仕事に対する喜びを感じる