チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 453

2021年10月02日 09時32分56秒 | 日記
いやーー思い込みという怖さ
悉皆屋の意味を取り違えていく十年
恥ずかしい。でも生きているうちに修正が出来てありがたい

悉皆屋は着物の汚れを出す人とそれを洗う人を仲介する役の人。それが正解だった
チャ子やん先生は長いこと悉皆屋イクオール洗いはり屋だと信じ込んでいた
幾重にもお詫びしたい

昔はうちに悉皆屋さんが来ていたのだ
その悉皆屋さんが汚れによって洗い屋さんを割り振っていたのだということが昨日分かった
今は悉皆屋さんは皆無だそうだ。ゆうなれば悉皆屋と洗いを一緒に出来る大手はあるが、個人はもうないだろうという

昨日町医者のように細かくいろいろ着物を生き返えらせてくれる、「高橋洗いはり屋」さんでライブの動画を撮っていた時、チャ子ちゃん先生の勘違いが判明した。やーだね

それにしても新宿区で洗いはり屋は二軒しか残っていないそうだ。昭和40年代は30軒あった。東京友禅の方たちとの共同作業も多かったという。
洗いはり屋さんは「着物研究家」という人達より、着物に詳しい。素材、色、に関しての知識は基本中の基本。素材が分からないと洗い方もわからない、色の性質が分からないと、洗う温度が決まらない。そういう基本的な知識を学び、それに対応できるようになるのに10年かかるという。今そういう修行を地道にやる人は皆無。前に何人か紹介したがみんな続かなかった

汚れの質の理解も必要で、化学,科学の知識も身につけねばならない。、学校に行ってとかセミナーで勉強してというようなものではなく、親方の仕事をしっかり見て覚えるということになる。頭でっかちの現代人では「見て覚える」ということはできない

ウールはドライクリーニングでもいいかもしれない。しかし絹や麻はそうはいかない、ドライでは布の織目の中の汚れは取れないだろう。そうすると布はどんよりと疲れた表情になってしまう

素材によっては洗うたわしを替える、たわしの毛の植え方で、布目に添うものと添わないものがある。その布目を見極めるのに修業が必要。染料の種類によって、水の温度や洗い方を変える。草木染と化学染料では当然洗い方が違ってくる

糊はフノリを使う、そののりの濃度も素材で違うのだ
こうして洗い上がった布は生まれ変わって生き生きとする。だから100年は持つということだ

着物の形は手洗いが向いているそのように裁断されているのだ。
伸子張りを使って布を張るのでアイロンをかける必要はない。布目は押されないので生き生きと元気

どうしても消えないシミは東京友禅作家を目指す若手や、隠居した人たちに手を加えてもらう。そういう創意工夫も洗いはり屋さんが考える。それにしても伸子張りを作る人ももういない、固形石鹸を作る会社もぼつぼつ辞めるようなこと言ってる、基本的なこのような作業が国から消えようとしている。
着物を着たいという人々は根本の産業を支えなければいつの間にかきものは失せていく。素材も特徴のあるものは日々消えて行っている昨今、どうなんでしょうねえ

「消えるものはもう時代が必要としていないのです」と言い切っていたライトワーカーがいたが、手仕事文化は継承者がいないとその技術は永遠に消える。消えていいものと消えては国もつぶれるというものを今真剣に見極めねばならない時代
おそっろしや
コメント
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