どうしてなのだろうか?
・この人と組むといつも失敗をする
・この人と交わると自分の恥部が引っ張り出される
・この人からはいつも厳しいことを言われる
・この人にはいつもどういうわけか失礼なことをしてしまう
こういうことが起きやすい人との交わりがある。またはある時期こういう人が忽然と現れる
その都度頭をこつんとたたかれた感じがしたり
心臓を抉り出された思いになったりして落ち込む
世の多くの方はこういう時「ありがとう」と感謝をして笑うことを心がければいい、そうすると落ち着き次を迎えられる。というアドバイスをしている
それは正しいアドバイスだと思うが、当事者にとってはなかなかそれはできにくい
しかしそれはすべて自分から出ていることだ、自分が引き寄せていることなので、自分で解決しなければいけない。ということに気が付くまで、何回も同じ目に合うようにできている
私たちはこの地球に「体験をする」ために来ているので、体験を積めば積むほど「魂」がみがかれ、人間力が付く
その体験の度に問題を抱えるのだ。その問題を解決しないと、問題そのものが大きくなって人がつぶされそうになる
だから問題が起きた直後に逃げないですぐ解決すると、小さな問題で済む
神社、寺、教会、森のなか、海などそういうところに行って、静かに思いを整理すると解決法が見つかりやすい
自分で解決するしかないのだが、人の意見を聞きたいと思う、他人の意見はその人の考えであって、自分の考えではない。ここに気が付くまで、人は多くの失敗を重ねる。どうもそういうものらしい。
目の前で苦言をいう人は「神仏の使い」と思へというのは、戦前の家庭教育の中にあった
何回も何回も苦しみ悩みを持つのは、生きている証、それを自分自身で解決していくと、強くも優しくもなれる
苦言を呈している相手を「神のみ遣い」とか「私を素敵にいしてくれている」と思えるようになれたらしめたものだわね