チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

重陽の節句

2015年09月09日 07時12分47秒 | 日記
一月は人日
三月はひな祭り
五月は端午の節句
七月は七夕

奇数を陽の氣と考えた平安時代の方々は
中国から渡ってきた五節句の祝いを日本風に代えて雅に祝った

今日はその陽の気が最も強い9の重なり
九月九日の重陽の節句

おりしも初繭が取れて絹を大事にする民族としては繭祭りもかねた重陽の節句
この初繭を真綿状に伸ばしその中に菊の花を入れてくるみ
部屋の四隅に飾って祝った
その時の酒が「菊酒」何とも風流

菊は悪を浄化する霊力を持つといわれ
後に皇室の紋章ともなる
これは後醍醐天皇が定めたといわれている

皇室関係の方の古い遺筆を読むと宮中では皇后陛下のお育てになった繭を真綿にして
その中に菊の花を入れやはり部屋の四隅に飾っていたという

最近「ぽぷり」が大流行だけど
わが日本では平安時代からの習わしだった
足元の日本をもっと見てほしいとつくづく思う

日本は美しい
それは「愛でる心」を持っているから

今日は台風が襲ってきているけど
重陽のエネルギーで一献傾けながら短歌でも俳句でもひねろうではありませんか
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二十四節気・白露

2015年09月08日 09時48分22秒 | 日記
いよいよ秋も本格的に
先人たちはこの「白露」に入ると
「薄物」のきものを着るのはやめにした
秋風が吹いていて雑草にも白い露が降りていて
そこに薄い物を着るのは何かはばかられたらしい

洋服ではノースリーブの人たちもいる
薄物のきものが何で悪い
其れが現代の考え方であろう
ひさこさんも若いときはそう考えていたし暑いときはいつまでも薄物を着ていた
反抗期だったのだ

取材を薦めるうち
こう言う時期にぴったりの者がある事を知った
結城紬の薄物
つまり真綿から紡いだ糸を紗織りのように織っているのだが
うっすら透けているが寒々しさはない

きものを着る人たちの身になって考えたら
こう言う布ができたと云うことであろうか
愛用している
今日のように一日冷たい秋雨にはちょうどよい
雨に濡れても縮むことはない
身を包んでくれることに安心していられる

昨今
「どんな布にしたいのか」という事まで考えて布作りをしている人が少ない
着る人の立場に立った作り手が年々減っていく

これは着物に限らず全てのことに
「使う人の身」になった衣食住のなんとすくないこと!
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流石に晴れると暑い

2015年09月04日 11時33分38秒 | 日記
昔の人は云いました
「暑さ寒さも彼岸まで」
今年はそのお彼岸前から一気に19度なんて日もあった
あの猛暑から突然の寒さで土も草も花もみんな驚いたようだ

人間が一番エライと傲慢になって居るが
生い茂る雑草と何ら変わらない
変わるとしたら
雑草は「なんで雑草なのだろう」とか「どうして私はココに根付いているの」
なんて考えず
ただひたすら自分の命を生きているだけ

この言葉かなり前に夢で見た言葉だ
夢には意味があるらしいがチャコちゃん先生全く覚えていない
夢を見たなとはおぼろげに記憶にある

前述した言葉を書いているとき
「アレ確かどこかで自分で云ったことがあるそうか夢か」
あなたにも
そういうことはないだろうか

今朝は盛んに今日着るきものの夢を見ていた
暑くなりそうだからまだ夏結城でも好いでしょう
と言っていた
だったら長襦袢も紗で好いの?
と言ってるところで目が覚めたから良く覚えている

確かに朝より気温がドンドン上がり夏結城で良かった
夏結城は真綿の糸を使っているのでどうしても盛夏には無理
特にこの夏は麻以外は全く手を通せなかった

未だ未だ気温は上がるようだ季節の中で最も着る物の選択に苦慮する日々
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太陽光線が黄色

2015年09月03日 09時59分46秒 | 日記
久し振りに東京は太陽が昇った
流石にぐんぐん気温が上がり歩いていたら汗ばむ
しかしあのブルー系のきりりとした太陽光線ではなく
黄色みを帯びたダル系の色に変化していた

そうすると暫く白や紺はうす汚れた感じになる
光線って本当に不思議だ
秋の太陽はウオーム系なのだなとつくづく思う

取り出したきものは黄色系
其れも茶に近い黄色だ濃くなく淡い
何もココまでこだわることは無いと思うのだが
チャコちゃん先生自身が納得できない
困った人だ

素材は絹縮み
単衣に入る前に着るきものとしてタイヘン重宝している
しかも帯は芒
もうあきらかに秋がイメージ

これが気温30度にもなったら我慢大会っだわ
「白露」はもうすぐだけど
未だ未だ夏の名残

着る物って奥が深いよ
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細いと云う文字から

2015年09月02日 10時55分56秒 | 日記
今朝細帯を締めていて「細い」という字にどうして糸偏が絡んでいるのだろうと考えた
しかも田と糸を組み合わせている
しかもこの字は「細」いなど助動詞をつけないと使えない

「細君」という言葉もある「妻君」かと思っていたら違う
明治の小説では良くこの「細君」が出てくる

「ワイフ」「妻」「かみさん」「嫁」「奥さん」「ママ」「おかあさん」などなど
色んな呼び方を男はしている
其の呼び方で大体夫婦関係が垣間見えて微笑ましい

なぜ「細君」なのだろうと思った
糸でしっかり繋がれている関係?
田は疑うことなく畝のこと
男という字も田下に力と書く
女は細いけど田を守り男は力を出して田を守る

男と女の分限の違いをこう言う文字でさりげなく表しているの日本の文字なのかと思う
「細」は中国からの輸入言葉ではない
大和言葉であろうとチャコちゃん先生は思う

更に日本の農業の姿にもこの「細」は関わっている気がする
「田ごとの月」という景色が日本の農村にある
それは細い畝をきちんと耕しよく手入れしてお米を作っている
これが日本の農業の基本

明治の政府が日本の農業を大型農業にしようと画策し始めたとき
政府の要職にいた船津伝次平氏が猛反対して要職からさり
生地の群馬で日本の本来の農業を守っていった

船津氏は桑の栽培にも色んな工夫を考えた人でもある
今未来の日本を見つめて敢然と異議を唱える人が要職者の中にいるのだろうか

細々と始まったデモも大きな流れになってきた
糸は続く
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2015年09月01日 10時02分31秒 | 日記
「戀」いとしいとしと言う心
「青い山脈」に書かれていましたね

「戀」という字が「恋」になって恋も変わった

戀にも旬が有る
10代の初恋淡いけど初々しい
20代の恋は生涯の相手として相手を見てしまう
または性的に引かれる
30代40代の戀は切羽詰まった感じがする
依存や執着というマイナスの感情を引きずってしまうような

戀を外からの幸せの材料にするといたい目に遭うし不幸の道をまっしぐら
その後の戀は死ぬまでできるのでは無いかと思う

戀う気持ちを純粋に見つめると
自分自身の魂を磨く一番好い教本だと云うことが解る
しかしココに気が付くまでには
本気の戀をしない限りそれはできない

昨夜は色んな人と「戀」の話をした
やはり人を通して自分を高めるのは
戀もあるが
仕事もそうだという結論になってお開き



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